前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

『棺を蓋うて』ー冤罪救済に晩年を捧げた正木ひろし弁護士を訪ねて』★『世界が尊敬した日本人―「司法殺人(権力悪)との戦いに生涯をかけた正木ひろし弁護士の超闘伝12回連載一挙公開」』

   

 

『棺を蓋うて』ー冤罪救済に晩年を捧げた正木ひろし弁護士を訪ねて

前坂 俊之(ジャーナリスト)

ダウンロード 

歴史上の人物をその真実においてとらえるとはどういうことだろうか。それにつけて思うことがある。

正木ひろし弁護士が1975年(昭和50)十二月六日、肝臓ガンで死去された。七十九歳であった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E6%9C%A8%E3%81%B2%E3%82%8D%E3%81%97

 正木弁護士は戦前は個人雑誌『近きより』で軍国主義を痛烈に批判し、戦後は一貫して数多くの冤罪事件を手がけてきた。氏の生涯は権力悪との果敢な戦いに終始した。

ところが、法曹界では氏に対する毀誉褒貶ほど激しいものはなかったという。売名家、スタンドプレーヤーというのがそのレッテルであった。

 当時、毎日新聞呉支局記者をしていた私が正木弁護士宅をはじめて訪問したのは、1973年(昭和48)8月のことである。

東京の国鉄中央線・市ヶ谷駅からほんの目の前、困りに近代的なビルや商店が建ち並ぶなかに取り残されたような古ぼけた家がポッリとあり、それがお宅だった。

木造二階建てで板壁は一面にツタがおおい、日本一高名な弁護士宅とはとても思えない貧相な印象であった。玄関には座る部分が破れた粗末なソファーが置かれ、来客用の応接間といったものもない。その清貧を極めた生活ぶりには驚いてしまった。

 戦後、数多くの大事件に取組みながら、氏は弁護料らしきものは受け取らなかった。冤罪に陥れられた被告は一様に貧しく、これら弁護料を払えない被告のために自己の生活を犠牲にしながら救援に奔走してきたのである。

収入といえば事件について著述した原稿料か印税しかなく、これも被告のためにカンパすることが多かった。

 二階の書斎は本や裁判記録で埋まり、寝室へは体を斜めにしないと通れないほどだった。机の横には愛読され、背綴がボロボロになった聖書が数冊置かれ、すぐうしろの三畳寝室には万年床の布団が垣間見えた。

 氏はキリスト教を信仰していた。

「人間を大事にするのが文化の母胎だ。人間一人一人がみな神であるとの認識が僕の思想の土台なんだね。ある検事が僕に『有罪になったとしても君の名前は上がったし、いいではないか』と言ったことがある。

彼らは被告のことを自分の身に置きかえて考えたことが全くない。自分たちが本物の刀で切っていることに気がつかないんだね」と諦観したように話された。

 翌49年の年賀状では「八十歳の老青年、これからどれだけの仕事がやれるか自分も興味を持ってやっています」との元気な便りがあった。

その1月12日に同氏宅を再び訪れた際のこと。文化放送の朝の訪問に氏が出演したその番組を、二人でコタツのなかで聞いたことがある。

最後に女性アナウンサーがリクエスト曲をたずね、「真白き富士の嶺」を氏は注文された。ラジオから曲が流れると、氏は声を出して歌い、目をじっと閉じて聞き入っていたが、しばらくすると大粒の涙をポロポロとこぼされた。

そのまるで子供のような純粋なしぐさに、私は激しく胸を打たれた。

 

『地域史研究―尼崎市史研究紀要』第5巻第3号、昭和51年3月「史煙」に掲載

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

◎「世界が尊敬した日本人―「司法の正義と人権擁護に

生涯をかけた正木ひろし弁護士をしのんで①」

http://www.maesaka-toshiyuki.com/person/1363.html

 

◎「世界が尊敬した日本人―「司法の正義と人権擁護に

涯をかけた正木ひろし弁護士をしのんで②」

http://www.maesaka-toshiyuki.com/person/1361.html

 

◎「世界が尊敬した日本人―「司法の正義と人権擁護に

生涯をかけた正木ひろし弁護士をしのんで③」

http://www.maesaka-toshiyuki.com/person/1358.html

◎「世界が尊敬した日本人―「司法殺人(権力悪)との戦いに生涯をかけた正木ひろし弁護士の超闘伝④」

全告白『八海事件の真相』(上)<死刑冤罪事件はこうして生まれた>

http://www.maesaka-toshiyuki.com/person/1357.html

 

◎「世界が尊敬した日本人―「司法殺人(権力悪)との戦い

に生涯をかけた正木ひろし弁護士の超闘伝⑤」

全告白・八海事件の真相(中)ー死刑の恐怖から偽証を警察・検察から強要された<死刑冤罪事件はこうして生まれた>「サンデー毎日」(1977年9月11日号)から

http://www.maesaka-toshiyuki.com/wp-admin/post.php?post=1354&action=edit

 

◎「世界が尊敬した日本人―「司法殺人(権力悪)との戦いに生涯をかけた正木ひろし弁護士の超闘伝⑥」全告白・八海事件の真相ー死刑の恐怖から偽証を警察・検察から強要された<死刑冤罪事件はこうして生まれた>「サンデー毎日」(1977年9月11日号)から

http://www.maesaka-toshiyuki.com/history/1350.html

 

◎「世界が尊敬した日本人―「司法殺人(権力悪)との戦いに生涯をかけた正木ひろし弁護士の超闘伝⑦」全告白・八海事件の真相―真犯人の異常に発達した自己防衛本能から偽証した① >「サンデー毎日」(1977年9月18日号)

http://www.maesaka-toshiyuki.com/history/1345.html

◎「世界が尊敬した日本人―「司法殺人(権力悪)との戦いに生涯をかけた正木ひろし弁護士の超闘伝⑧」

全告白・八海事件の真相<8年間300 通の少女との文通で良心のうずきから「偽証を告白」>「サンデー毎日」(1977年9月25日号に掲載)

http://www.maesaka-toshiyuki.com/history/1332.html

 

◎「世界が尊敬した日本人―「司法殺人(権力悪)との戦いに生涯をかけた正木ひろし弁護士の超闘伝⑨」「八海事件の真犯人はこうして冤罪を証明した(上)」

「月刊 ジャーナリスト」1977年12月号「懺悔する男」で掲載>

http://www.maesaka-toshiyuki.com/person/1319.html

 

◎「世界が尊敬した日本人―「司法殺人(権力悪)との戦いに生涯をかけた正木ひろし弁護士の超闘伝⑩」

「八海事件の真犯人は出所後に誤判を自ら証明した(中)」

「月刊 ジャーナリスト」1977年12月号「懺悔する男」で掲載>

http://www.maesaka-toshiyuki.com/history/1315.html

 

◎「世界が尊敬した日本人―「司法殺人(権力悪)との戦いに生涯をかけた正木ひろし弁護士の超闘伝⑪」「八海事件の真犯人は出所後に誤判を自ら証明した(下)」

「月刊 ジャーナリスト」1977年12月号「懺悔する男」で掲載>

http://www.maesaka-toshiyuki.com/history/1312.html

 

◎「世界が尊敬した日本人―「司法殺人(権力悪)との戦いに生涯をかけた正木ひろし弁護士の超闘伝⑫」

「昭和戦後の多数の冤罪事件で八海事件真犯人は出所後に誤判を自ら証明した稀有のケース(終)」

http://www.maesaka-toshiyuki.com/history/1310.html

 - 人物研究, 現代史研究, IT・マスコミ論 , , , , , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
日本リーダーパワー史(137) 関東大震災での山本権兵衛首相、渋沢栄一の決断と行動力に学ぶ

 日本リーダーパワー史(137) 関東大震災での山本権兵衛首相、渋沢栄一の決断と …

★『60,70歳から先人に学ぶ百歳実践学講座(2018年3月23日)』★『私の調査による百歳長寿者の実像とは何か・・』★『「生死一如」-生き急ぎ、死に急ぎ、PPK(ピンピンコロリ)をめざす』

    日本ジャーナリスト懇話会  2018年3月23日、講 …

no image
記事再録/知的巨人たちの百歳学(129 )-日本興業銀行特別顧問/中山素平(99歳)昭和戦後の高度経済成長の立役者・中山素平の経営哲学10ヵ条「大事は軽く、小事は重く」★『八幡、富士製鉄の合併を推進』『進むときは人任せ、退く時は自ら決せ』★『人を挙ぐるには、すべからく退を好む者を挙ぐるべし』

    2018/05/12 /日本リー …

no image
日本リーダーパワー史(852)-「安倍自民党対小池希望の党」 の戦(いくさ)が始まる。』●「安定は不安定であり、不安定は安定である」★『恐るべし!小池・前原の策略に<策士、策に溺れた安倍自民党>』

 日本リーダーパワー史(852)-   トランプ対金正恩の『世界スリラー劇場』は …

no image
長寿学入門(217)-『三浦雄一郎氏(85)のエベレスト登頂法②』★『老人への固定観念を自ら打ち破る』★『両足に10キロの重りを付け、これに25キロのリュックを常に背負うトレーニング開始』★『「可能性の遺伝子」のスイッチを決して切らない』●『運動をはじめるのに「遅すぎる年齢」はない』

長寿学入門(217)   老人への固定観念を自ら打ち破れ ➀ 60歳を …

「トランプ米大統領の関税国難来る!ー石破首相は伊藤博文元老の国難突破力を学べ①』―「日露戦争開戦と同時に伊藤博文はルーズベルト米大統領と「ハーバード大の同窓生・金子堅太郎(農商相)を米国に派遣、 ル大統領を味方につける大統領工作に成功した。世界外交史に輝くインテリジェンス外交』

2025/04/08/「世界・日本リーダーパワー史」(1567) 石破首相は4月 …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(91)記事再録/★日韓歴史コミュニケーションギャップの研究ー『竹島問題をめぐる』韓国側の不法占拠の抗議資料』★『竹島は日本にいつ返る、寛大ぶってはナメられる』(日本週報1954/2/25)

    2018/08/18/日韓歴史コミュニケー …

日本リーダーパワー史(615)世界が尊敬した日本人(85)関東大震災の復興、「横浜の恩人」の原三渓ー今も天下の名園・三渓園にその精神は生きている。

  日本リーダーパワー史(615)ー世界が尊敬した日本人(8 …

no image
記事再録/歴代最高の経済人とは誰か②ー『欲望資本主義を超克し、21世紀の公益経済学を先取りしたメッセの巨人』~大原孫三郎の生涯①ー『単に金もうけだけの経済人はゴマンとおり、少しも偉くない。本当に偉いのは儲けた金をいかに遣ったかである。儲けた金のすべてを社会に還元するといって数百億円以上を社会貢献に使いきったクラレ創業者・大原孫三郎こそ日本一の企業家

歴代最高の経済人は誰か②ー『大原孫三郎の生涯①   2019 …

★『Z世代への遺言・日本ベストリーダーパワー史(4)浜口雄幸物語④』★『アベクロミクスの責任論と<男子の本懐>と叫んだ浜口雄幸首相は「財政再建、デフレ政策を推進して命が助かった者はいない。自分は死を覚悟してやるので、一緒に死んでくれないか」と井上準之助蔵相を説得した』

2019/10/23  『リーダーシップの日本近現代史』(112)』記 …