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裁判員研修ノート⑤ 八海事件の真相は?!=真犯人は出所後にウソを告白した(上)

   

裁判員研修ノート
八海事件の真相は=真犯人は出所後にウソを告白した(上)
       <以上は「月刊 ジャーナリスト」1977年12月号より>
                       前坂 俊之(毎日新聞記者)
 
受刑番号674
 
 1971年(昭和46)9月22日。  
   
 八海事件の真犯人、吉岡晃は、一七年六ヵ月ぶりに広島刑務所を仮出所した。逮捕されてから、約二〇年八ヵ月ぶりである。二二歳で事件を起こした吉岡は四二歳になっていた。頭は白髪が目立ち、地膚が見えるほど薄くなっている。
その朝、吉岡は六時前に三畳間より少しばかり広い独房で目を覚ました。
 
 広島刑務所は東側にコンクリートの舎房が九棟、整然と並んでいた。南側から三棟が雑居房、続いて六棟が独房になっていた。いずれも二階建てである。
 吉岡は南端から四つ目の一独房の二階、二五房にいた。コンクリートの獄舎は夏は炎暑に包まれ、冬は凍てつく。春と秋は短い。過ごしやすい時期といえば、季節の変わり目のわずかな間だけである。外は青空が澄みわたり、彼岸の乾いた空気が広がって、一年中でちょうど今が一番、過ごしやすい気候であった。独房には、冷んやりしたコンクリートの上にゴザが敷かれ、布団が延べてある。
 
 オルゴールの起床合図が鳴った。寒がりの吉岡は、やや肌寒さを覚えながら起き上がった。朝食をすませた。食欲がなく、半分ほど飯を残した。
 午前七時半過ぎ、木工場へ出房するときだった。出よう受した受刑番号674を看守が押しとどめた。674とは吉岡のことである。他の受刑者はそのまま工場へ出た。
 
 吉岡はギクリとした。出房するときの制止は、前日の規則違反の注意がほとんどである。不安が胸に広がった。
 昨夜の行動で違反はなかったかー1つ1ったどってみた。しかし全く思い当たらない。とすれば、規則違反とは別に何かあるのだろうか。「もしかすると……」
 ちょうど一週間前、呉市で造船所の経営者で保護司会長も務めるTが、面会に訪れた。Tは吉岡に、仮出所を知らせていたのである。しかし、水曜日だ。
 
揺れる保護司会
 
 四三年一〇月、三度目の最高裁の無罪判決確定以来、中国更生保護委員会は本格的に吉岡の仮出所に取り組んだ。無期でも平常の服役態度は文句のつけようがなかった。ただ、裁判の遅延が吉岡の仮出所を引き延ばしていたのだ。
 
 中国更生保護委員会はまず、身元引受人として、山口県下に住む吉岡の兄に連絡を取ってみた。兄には、高校生にまで成長した子供が二人いた。この子供たちへは、吉岡のことは話していなかった。いやどんなことがあっても絶対に知らすまいと、心に誓っていた。それでも、出所時に必要な背広、靴、下着、カバンなど、身のまわりのものをそろえて送り届けてきたのである。
しかし、これ以上はできない、と断ってきた。
 
 次に、大阪保護司会の方から、引き受ける話が出てきた。ところが吉岡の仮出所をかぎつけた某テレビ局が取材に押しかけたため、恐れをなした保護司会は手を引いてしまった。話がまとまる寸前のことであった。全国どこの保護司会からも引きとり話が出なくなった。Tが見兼ねて広島刑務所を訪れたのは、そんな時だった。四六年三月のことである。
 
 ところが呉には、八海事件で阿藤周平らの弁護を一貫して行った弁護士の原田香留夫が住んでいる。中国更生保護委員会はTの背後に原田の影を見て、難色を示してきたのだ。
 
 同委員会は八方に手をつくした。しかし、引受人は容易に見つからない。吉岡を出すべき時期はどんどん過ぎ去っていった。そうなると結局、今度は同委員会がTにお願いするより他に方策がなくなってしまった。
 
今日は水曜日だが・・
 
 広島刑務所の仮出所日は大体、木曜日と決まっていた。普通、四、五日前の土、日曜日に舎房から隔離される。八年以上の長期収監者の場合、そこで電車の乗り方から切符の買い方、デパートやスーパーに行き物価はどうかなどを担当看守が細かく教えてくれる。
 今回の吉岡には、そのような手続きが全く踏まれてなかったのだ。しかも、この日 は水曜日。仮出所の日でもなければ、隋離される日でもない。やはり吉岡は不安になった。
 
「何だろう」
 吉岡は再び考え込んでしまう。その時、看守が足早に近づいてきた。「何だと思う」
「…・・…・…」吉岡は思案していた。と、「仮釈だよ」 看守は吉岡の肩をたたいて言った。「早く荷物をまとめよ」
 
 看守も吉岡の出所は二二日の時点まで知らされていなかった。仮釈までの通常の手続きをふむと、名の知れた男だけに、一度に所内に噂が広がる。そのため法務省の指示で、極秘の措置がとられていたのだ。所長、管理部長、教育部長、分離審議室長以外には厳重な籍口令が敷かれていたのである。
 
グレーの背広
                  
 吉岡は素早く独房内を片付け、教誨堂、炊事場の横を抜け、保安課に向かった。吉岡の青空は一層光り、まばゆく見えた。
 領置室に入った。突然のことに領置係もあわてた。普通は二日前に通知がある。

しかし秘密がもれるのを恐れ、領置の点検、指示も省いていたのである。領置係は古い帳簿をくって、目こぼれのないようにチェックした。吉岡は出たい気特で頭がいっぱいだった。手間どる領置をいいかげんに切り上げた。領置金一万円、労働金一万八千円が手渡された。結核で長い間、病舎に入っていたため金はわずかしかなかった。ずっと働いていれば、恐らく一〇万円を越えていただろう。が、それでも二〇年ぶりに手にした大金だ。大事に受け取った。
 

 二階の所長室前の会議室に急いだ。はじめて着た山口県の兄からのグレーの背広が、吉岡には少し窮屈に感じられた。晴れがましさと照れも混じって、何度か肩をゆすった。血の気のない顔を少し上気させ、全線室に入った。そこにはTが待っていた。
 福山所長と観察所係員が同席した。「おめでとう」福山所長が吉岡に撮手を求め、静かに口を開いた。
 
「君は普通と違って無期だ。今度、事故があると、また無期に逆戻りだ。そうなると一生出られないかも知れない。
 それに君は、マスコミがマークしているから、騒がれてはかえって君のためによくない。注意してほしい」
 吉岡は軽くうなずいた。本館玄関前に待機させていた車に素早く乗り込んだ。仮出所で送迎車を刑務所内に入れたのも異例の措置だった。刑務所側が吉岡の出所にいかに神経を使っていたかがうかがえる。
 
自由への陣痛
 
 四人を乗せた車は、午前九時すぎ、正門鉄トビラを静かに出た。車のバック・ウインドーから見るクリーム色の高い塀は、みるみるうちに遠ざかっていった。一六年前、吉岡が入所した時には、草ぼうぼうの荒地に刑務所だけがポッンと建っていた。無気味な古城のような感じだった。「青島へ」と告げると、タクシー運転手も顔をしかめるほどだった。
 
 すべてが予定通り、秘密裡に運ばれた。観察所に行くのも省かれ、県道を抜け呉に向かった。
 何回となく裁判所へ出廷する間に、護送車の網目越しに街の変貌ぶりは目にしてきたが、自由の身で眺めると、また別の感慨にとらわれる。疾走する車の群れ、窮屈な街並み。吉岡の解放感は窒息しそうな風景にすぐ吹き飛ばされていった。
 鼻をつく排気ガスで一度に車酔いしてしまい、車の中に何度か嘔吐した。運転手は事を止めて、酔い止めの薬を買ってきてくれた。吉岡はそれを飲んだ。
 
 車は国道三一号線を南下していく。右側に広がる広島湾に至ると養殖カキの杭が一部、虫歯のように欠けて海面に突き出ている風景に出くわす。潮の香りが車中に舞い込んだ。それでも吉岡の頭痛は一向に収まらない。初めて接する風景を見る余裕もなかった。
 約一九キロの.道のりを、呉に着くまで、吉岡は、吐き気と頭痛の中に閉じ込められ
た。それは二〇年ぶりの社会復帰に伴う一種の陣痛だったのかも知れない。
 
 呉市街を貫流する二河川上流の更生施設についたのは生前だった。吉岡はぐったりしたままだった。付添いの保護観察所の係官も、社会へ復帰第一歩をしるした感想を聞く機会を逃がしてしまった。
 Tは吉岡の体に気を使った。造船所の電気溶接工の重労働には耐えられないと考えた。当分の聞、この施設で体を馴らせることにした。
 
 こうして約一八年間も白黒を争った、日本の裁判史上に例のない八海事件の焦点の男は自由の身になった。
 吉岡は獄中でいつも、解放された日のことを空想していた。しかし、この日、吉岡は施設の自分の部屋ですぐ床を敷き、倒れこむように眠ってしまう。こうして、本人には予想もできなかった頭痛に苦しみながら、記念すべき日は終わった。
 
原田弁護士との対面
 
 あくる日。吉岡は広島地裁呉支部庁舎の通りにある弁護士の原田香留夫宅を訪れた。街路樹のプラタナスが長い影を道路に描いていた。夕碁が近かった。途中、吉岡は信号がわからず、赤信号で横断、あやうく事故になるところだった。
 
 原田弁護士は不在だった。来訪を告げると、原田夫人は一瞬、顔色を変えた。はにかんで立ちつくす吉岡。新聞写真で何度か見て、刻みこまれた若い時の吉岡の顔と、目の前の本物の顔がピッタリ重なり令フまでにしばらく時間がかかった。
 
 原田夫人は具合同法律事務所にあわてて電話をかけた。折よく、原田弁護士はいた。夫人は口ごもりながら、吉岡の来訪を知らせた。原田も驚いて、すぐ自宅へ戻ってきた。
 
 原田弁護士が初めて吉岡に接触したのは昭和二九年、第一次最高裁へ上告中のことである。阿藤の弁護を引き受けた原田は思い切って、吉岡を広島刑務所に訪ねた。
 
阿藤らを引き込み、死刑を逃れた冷血漢の吉岡―彼こそが、八海事件をドロ沼の長期裁判に持ち込んだ張本人であった。しかしそれに反して、原田が八海事件は冤罪であると確信するにいたった契機も吉岡であった。時々、思い起こしたように真実の告白をしていたからである。
 
 法廷での息づまる対決で、原田は書岡の偽証に何度かやり場のない憤りを覚えた。しかし今、吉岡の出所で事件はすべて終わったのである。応接間のソファーに落ち着かぬ様子で座っている吉岡を、原田は正面から見据えた。

 複雑な思惑が交差した。ここにくるまでには、命を削る攻防と、無実の被告の量り知れぬ苦しみが集積されているのだ。当時と今と違うことといえば、金網越しでの刑務所の対面や、法廷での不自由な対座ではないという状態である。原田は、時間の中に織りなされた青隅との関係の推移をかみしめていた。

 早速、赤飯がたかれ、応接間横の六畳間で簡素な出所祝いの宴が設けられた。二〇年ぶりの酒は青岡のほおを赤く染めた。

                                                                                                                                              ( つづく)

 
 
 
 
 
 
 
 

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