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日本リーダーパワー史(188)国難リテラシー『東條開戦内閣の嶋田繁太郎海相の敗戦の弁』<戦争の原因、反省と教訓>

   

日本リーダーパワー史(188)
国難リテラシー
東條開戦内閣の嶋田繁太郎海相の敗戦の弁

<戦争の原因、主要な禍根、過誤の反省と教訓>
 
                前坂 俊之(ジャーナリスト)
 
今年は『日米中』の三国関係にとって節目の年であることは、このシリーズで昨年から長期連載して考察している。「孫文による辛亥革命から100年目」が、この10月10日である。満州事変から80年がこの9月18日と間もなくやって来る。さらに、日米同盟が迷走する日米戦争の真珠湾攻撃から70年目が12月8日と目白押しである。

『日米中』の戦争歴史観、戦争認識が試される季節がこれから始まる。発足したばかりの戦争を知らない世代が中心の『野田素人どじょう内閣』はこの泥沼で複雑怪奇な国際外交の駆け引き、大魚の丸のみ、攻撃に対してドジョウのように敏捷に立ち回り、反撃できるかかどうかー残念ながら,そのインテリジェンスも歴史、外交知識も皆無だろうと危惧する。
 
早速、野田自身が総理就任前にA級戦犯問題で中国、韓国からきびしい視線を浴びたり、一川保夫防衛相が就任前に「安全保障は素人だが、これが本当のシビリアンコントロール(文民統制)だ」と発言したことが、自民党から批判された。石破氏は「何も知らない人に組織を統制されたら、いったい何がどうなるんだ。今の安全保障環境が大変なときに、防衛相(に起用した)というのは、自衛官の息子である首相らしくない」と述べた。(産経.9月3日)

政治家はもっと真剣に歴史を手前勝手ではなく、グローバルに、ここでは「米中」との3国関係の中で学ぶ必要がある。特に、戦争の当事者がどのような認識で戦争に踏み切り、負けて後は反省なり、教訓を後世に残していたのか、学ぶ必要がある。これは日本人だけではなく、どこの民族、国家もその性格、思想、行動パターンはそう簡単には変わらないからであり、のど元過ぎれば熱さ忘れ、同じ過ちを繰り返しがちだから。
以下は昭和22年4月に書かれた東條開戦内閣時の嶋田繁太郎海軍大臣の手記の一部である。(『帝国海軍 提督達の遺稿』(小柳資料)水交会、平成22年)

嶋田繁太郎は東條開戦内閣の海軍大臣としてA級戦犯として東京裁判で訴追され、終身禁固刑判決を受けた。昭和30年に仮釈放され、1976年死去。この間に、手記も書き、水交会関係者の聞き書きにも応じたものである。
嶋田繁太郎はわが国の主要な禍根、過誤として、次の点を上げている
 
① 日本陸軍の下克上、政治関与の悪弊が大なる禍根であった。
② 陸海軍大臣の定員を現役の陸海軍大中将と改正した。
③ 昭和3年の張作霖の爆死事件も在満陸軍の謀略であり、満州事変の発端の柳条溝事件は日本陸軍の謀略であった。
 
④ 関東軍が満州の一段落後に北支への侵略行動、並に満州国における英米の利害を無視した狭量政策が大局を誤る原因となった。
⑤ ともかく日本人は狭量で、何も彼も利権を根こそぎ握らないと気がすまず、そのために元も子も失う大損をした。
⑥ これが政治を知らず世界的知識を欠いた少壮陸軍将校が政治に関与して国策を誤った。
 
⑦ 関東軍が熱河から北京に入城せんとした時、昭和天皇は陸軍大臣及び参謀総長を叱責北京入城を禁止した。井の中の蛙的な小功名心が国軍を悪用して我国を世界の憎まれ者、侵略者とした。
 
⑧  日独軍事同盟の締結は英米の敵意を深くし、対日戦争決意を促進した。
⑨ 南部仏印へのわが陸軍進駐は英米をして開戦決意をなさしめ、最後の強硬手段を採らせた。
 
日本対米中の戦争の原因を当時の嶋田海軍大臣はここまではっきりと書いていることを、よく知らねばならない。
 
 
(大東亜戦争の教訓)
 
 日本は大東亜戦争を計画企図したものではなく、極力これを避けんと努めたが、英米の圧迫に依って遂に戦争に追ひ込まれた。しかし、この事態に至った原因には日本も大に責任がある。将来の教訓としてわが国の主要な禍根、過誤を省慮考察すれば次ぎの通り。
 
①日本陸軍の下克上、政治関与の悪弊が大なる禍根であった。
 
(イ) 厳正な軍紀は軍隊の生命であり、上官の命令に対し、下がこれに従うべきことは軍人に賜った勅諭に懇ろに示されてあったが、陸軍将校の一部には昭和の御代にはいるって下克上の悪風を生じた。
即ち人気取りに青年将校に迎合し、下級者の進言を鵜呑みに容れることを将器と誤解して、下級将校の言動を指導、匡正する気力ない人が要路に立ったので、下克上の悪風が漸次発生増加し、殊に満州事変において、短時日に満州が平定したのに慢心した関東軍幕僚は、陸軍省、参謀本部を軽視し、政府の国策を無視してこれに服従せず、畏れ多くも陛下の公明正大な仁義の大御心にも副ひ奉らないこともあり、この悪弊は漸次蔓延し、時に消長はあったが我国の大禍根となった。
 
(ロ) 又軍人が政治に関与する害毒は我国、封建時代の史実が厳に教えるところであり、軍人勅諭にも深く誡められてあるに拘らず、満州国で政治に関与した陸軍将校は共に興味を覚え、甚だしき者は満州において模範政治を試行すると称し、それを本国の政治に実現するの欲望を起こして、軍人の本分を忘れ、わが政党政治家の腐敗を口実として国政に軍人関与の気運を助長した。
 
(ハ)昭和11年2,26事件以後にこの悪弊は甚だしさを加え、同年、陸海軍大臣の定員を現役の陸海軍大中将と改正した(昭和の初、山本内閣の時に予後備の大中将でも差し支ないことに改めたのを再び現役の者に限定した)がために、内閣に対して陸軍に不平ある時には大臣が辞職して、後任の大臣を受くる人なしと称して内閣を窮地に陥れ、陸軍の主張の貫徹を計った。
 
 
(ニ)宇垣内閣は陸軍大臣を受ける人なきために流産となり、米内内閣は畑陸軍大臣辞任して後任を受くる者ないとて総辞職の止むなきに立至ったし、第三次近衛内閣は東僚陸相と首相との意見相違に困り、情勢を見越した近衛氏が総辞職を行った。
 
(ホ)又其の後継内閣に東候氏を推薦した重臣は、彼の重大時局を収拾するには陸軍を掌握する人ならざる可らずとの考慮が主となって、東條氏に対する対手の米国の思惑を考える余裕なかったものと思はれる。かくして遂に陸軍を背景とする現役軍人が内閣の首班となり、政治を掌握することになった。
 
② 関東軍が満州の一段落後に北支への侵略行動、並に満州国における英米の利害を無視した狭量政策が大局を誤る原因となった。
 
(ト)満州事変の発端の柳条溝事件は日本陸軍の謀略であったといわれ、公式には否認されておるが、内外人共に之を関東軍の計画した謀略と一般に信じた(当時の関東軍参謀でこれを手柄顔に語る人もあった)。
同様に昭和三年の張作霖の爆死事件も在満陸軍の謀略であって、河本大佐の退職はその責を負ったものといわれておる。
 
 
(チ)柳条溝事件以後の関東軍の作戦行動は、一挙に満州問題を解決せんとの意欲に燃え、政府の公正穏健な方針に従わず、国際連盟における決議や、米国「スチムソン」国務長官の執拗な抗議を無視して積極的に作戦本位に行われ、短時日に張学良軍を満州より駆逐し、又、引続く匪賊平定を迅速に遂行されて平静となり、産業も着々羞し安居楽業の観を呈した。
 
(リ)この順調な成功に意気軒昂となった陸軍の性急な行動は、初には一般のわが国民にも好意を以って迎えられなかったこととて、世界各国特に英米の憎悪嫉視を買い、加ふるに支那の巧妙迅速な宣伝に依って、日本に侵略者の烙印を捺し、昭和八年松岡全権が強硬な論陣を以て国際連盟脱退を宜して後は、日本は愈々世界の継子となり同情を失うに至った。
 
(ヌ)しかしながら満州は日本がロシアの悪らつな侵略を撃ち破り、日露戦争講和条約で正当な特種利権を獲た地であるから、支那も列国も相当程度のことは黙認するところである。これ故巧みに適宜に処置すれば事態が収まったろう。
 
もし英米の通商自由の希望を容れ、彼を利用する智恵と雅量と大局を観るの明があったならば、彼もまた満州国の発展を有利とし逐次落着したものと思はれる。
(ル)ともかく日本人は狭量で、何も彼も利権を根こそぎ握らないと気がすまず、ために元も子も失う大損をした。これが政治を知らず世界的知識を欠いた少壮陸軍将校が政治に関与して国策を誤った結果であり、将来戒めねばならない。
(オ)満州は上述の如く日本に対し特種権益の認められた地であったが、北支那は全然これと異なって支那の完全な主権下に在った地である。
この点を無視して関東軍は、清の安全を保持するには北支を特種地域として、日本に好意的の政権を立つることが必要なりとして、北支に出兵したことは乱暴極まることであって、支那政府に大不安を与えたのは勿論、英米をして、日本の侵略は飽きなく止まる処を知らないものとして疑念を高め、日本に抗議すると共に支那を援助して日本に反抗する決意を固めるに至った。
 
(ワ)関東軍が熱河から長駆して北京に入城せんとした時には、陛下には陸軍大臣及び参謀総長を叱責遊ばされて北京入城を禁止されたことがあり、井底的小功名心が国軍を悪用して我国を世界の憎まれ者、侵略者としたのである。
 
(カ)これがために、その後昭和12年7月に起こった蘆溝橋事件もまた日本陸軍の謀略であると即断されることになり、支那の宣伝と相まって国際的同情は支那に集まり、英米は支那に極力有形無形の援助を与えて日本に抗議させ、事変を長引かせると共に日本に対し経済封鎖を行い、日本の疲弊を計った。
 
則ち満州事変以来の我陸軍の積極方針が北支に及ぶに至って、英米は日本を打倒しなければ全東亜がその侵略を蒙り、英米の利権は地を払うことになるを怖れて、支那を援助、鞭撻して抗議させ、日本の疲弊に乗じてこれを抑圧する目的を以って、着々軍備を整えると共に経済的圧迫を強化して、遂に大東亜戦争を誘起するに至ったのである。
 
 若し我国が世界の大局を達観して満州の安定後に北支に進出しなかったならば、欧米諸国は過去を追はず漸次好意ある態度に出たであろうことは当時一般識者の観察であった、又、蘆溝橋事件後の事態を速に収拾し得なかった陸軍当局の処置には批難多く、一部野心短見者の策謀ではなかったかといわれ、これが長期の支那事変となり、遂に大東亜戦争に展開したのは痛恨の極みである。
 
若し支那事変が生起しなければ、満州の資源を利用し我国運は愈々隆盛となり、真に東亜の重鎮世界二大強国の地位を確立したものと思ふ。
 
 日独軍事同盟の締結は英米の敵意を深くし、対日戦争決意を促進した。
 
 昭和八年に国際連盟を脱退して国際間に孤立無援となった日本に対して、独国は防共の目的を以ての情報交換を行う防共協定を申入れ、議まとまって昭和11年に締結されたが、その後独国は欧州において漸次積極的に侵略的行動を採るに当たり、英米殊に米国を東亜に牽制するために更に日本に対して軍事同盟を提唱した。
 
我陸軍は熱心にこれを支持したが、海軍は対米関係の悪化することを顧慮し、有事の際には英米海軍と戦うべき義務を荷うことになる軍事同盟は、独国の侵略傾向に鑑みて頗る危険であるとし、
平沼内閣における米内海軍大臣、山本五十六海軍次官は脅迫等にも屈せず頑強に反対し、米内内閣及び第二次近衛内閣においても吉田海軍大臣がこれに反対したが病気となり、次の及川海軍大臣は松岡外務大臣の熱烈な提議に同意するに至って遂に日独軍事同盟は成立した。
 
 当時欧州において、隣国に侵略を行って英国と開戦した独国を不倶戴天の敵とする英米は、独と軍事同盟を結んだ日本に対して満州事変以来の敵意を層一層深刻にして、日本撃たざる可らずとの決意を促進した。
 
 第三次近衛内閣及び東候内閣は対米平和交渉中に日独同盟の解釈に就き説明して、日本の行動は同条約に拘束されずに日本が嶋田繁太郎自主的に決定するものであると釈明し、「グルー」大使は諒解したが、第二次近衛内閣時代に松岡外相の親独反米的の「ブラック」暴言が深く累をなして、英米を納得させるに至らず対米交渉不成立の一因をなした。
 
④ 南部仏印へのわが陸軍進駐は英米をして開戦決意をなさしめ、最後の強硬手段を採るに至らしめた。
 
 南部仏印進駐は昭和16年1月、私(支那方面艦隊司令長官として支那に出征中)が海軍中央当局に米英と衝突の危険大なる理由により強く反対し、その後幸便に托して及川海軍大臣に不可を進言した所である。当時の情勢からそれが常識であった。大橋忠一氏著「太平洋戦争由来記」にある「痛恨南仏印進駐」の項には同感である。
 
(統帥事項に関し         、
                                      、
一旧憲法に於ける天皇の大権事項中、軍隊の統率並に編成について天皇を輔翼し奉る機関であった陸軍の参謀本部、海軍の軍令部及び戦時大本営は、『統帥の独立』なる主義の下に其の権限が漸次増大し、殊に戦時大本営が編成された昭和12年以降に国政に対して交渉関与加わり来たり、大東亜戦争当時にはその弊害甚大となった。
 
即ち作戦用兵に関しては軍政当時者の関与を絶対に許さないのみならず、重要の国策には政府大本営連絡会議において参与し、且兵器軍需諸資材の調達配分等に関しても『作戦上に重大の関係あり』との意味にて其の容壕が甚だしくなり
 
 
 
昭和19年度の航空機、鉄鋼等重要資材の配分折衝に於いて、統帥部の主張強硬のために決定遅延多大の時日を要した(此点は昭和一九年二月に陸軍海軍大臣が両統帥部長を兼任する決意の一因となったのである)。

二 統帥部の制度はわが陸軍にては範をドイツに取り、海軍にては英国に取ったために、海軍の軍令部は日露戦争直前に軍政から独立したが、在来の慣行より山本大臣は常に作戦に関して伊集院軍令部次長と相謀った実情である。
 
これに反して陸軍は制度上早くより独立の権限を参謀本部が有したのみならず、最有力者が多年その任に当たりその権威は確立しておった。此陸海軍両統帥部の制度上の相違は、平時は差支えなかったが満州事変以来の非常時局の連続によって、両統帥部の交渉連絡が繁多になるに伴い不便を生じて来た。
 
時恰もロンドン海軍軍縮会議における兵力量決定に当って、統帥権干犯の論争が起こり、世論の批難と海軍部門の不平不満の気分となりて、遂に軍令部令改正の要が唱えられ、なおまた、昭和七年上海事変中に屡々出征の第三艦隊に対し軍務局長申進を以て作戦に関する指示要望が行われたので、軍令部令改正の必要痛感せられ、昭和八年の改正により、り軍令部の権限確定されて上述の不便混乱は除かれ、海軍部内の不満全く終絶したのである。
 
 
 
 
 

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