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日本リーダーパワー史(110) 爆笑! 頭山満・出口王仁三郎・縦横談(『キング』1935年(昭和10)年5月号掲載

   

 
日本リーダーパワー史(111)
頭山満氏・出口王仁三郎氏・縦横談(『キング』昭和10年5月号)
 
明治から昭和戦前までの80年間の日本を動かしていた最大の黒幕・リーダーは一体誰なのか。その1つの答えは
頭山満であるといわれる。なぜ、頭山がかくも力を持ったのか。日本一の大人物とあがめられたのか。よくも悪くも頭山をタブー視せず、徹底直視、徹底解剖して、アウフヘイベンし、止揚しなければ、戦前の日本ンは見えてこないし、21世紀の新しい新しい地平は開けてこない。今にわかに注目の大川周明以上に・・。この雑誌対談は東西の2大巨人・虚人の抱腹絶倒の座談会であり、縦横無尽の日本偉人論・リーダー論でもあるので、紹介する。(ジャーナリスト・前坂俊之)
 
 頭山満、出口王仁三郎両翁が本社を訪問せられ、野間社長と会見せられたことは本誌上に一報したところである。頭山翁は、人も知る現代日本の大人物、終始一介の野人でありながら・その至誠・その胆勇、威望四海を圧する偉大なる存在である。出口翁はかの大本教の教主であり、最近は昭和神聖会を起して・皇道精神の振興に努力されている。席上両翁は記者の問に対して、こころ安く体験を語られ、非常に有益なお話を伺ふことが出来た。頭山翁は例によってポッリ!ポツリと味ひ深き言葉を発せられ、出口翁は反対に縦横の快弁流るるが如く、かなり面白い対照であった。只、出口翁は後より遅れて見えられた為め、お話を聴くのに十分の時間のなかったことは遺憾であった。(記者)
 
 
酒、煙草、茶、女
 
記者 頭山先生、お酒は如何でいらっしゃいますか。
頭山 やりません。
記者 少しも召上らないんですか。
頭山 一滴もやりません。
記者 お若い頃からですか。
頭山 はい。
記者 先生のやうな方は、いわゆる痛飲淋滴とか斗酒猶辞せずといふやうに一般には想像して居りますね……それでお食事は如何です。
頭山 食う方は可なり食うた。
記者 お煙草は。
頭山 煙草もやりません。頭山は酒も、煙草も、茶も、女も、皆嫌いというこ
とぢやったが、その中の一つだけは嘘になった。
記者 一つだけ?
頭山 三十以後嘘になったんぢや。
記者 随分多くの人が先生を慕って来るやうですが、先生は誰にでも、お会ひ
になりますか。
頭山 来れば誰でも会ひます。
記者 随分いろいろの人が来ませうね。
頭山『私は泥棒です』とか『人殺しをしました』とか言ってな。
 
伊藤、大隈、山県の優劣
 
記者 話は飛びますが明治以来の人物、先生がお会ひになった人物の中で、之
はと思召される方は誰方でございますか。
頭山 私の知ってゐる人は大概亡くなってしまうた。
記者 伊藤公は?
頭山 伊藤は最も優れた秀才だった。
記者 大隈侯は?
頭山 大隈もなかなか傑物。
記者 伊藤公と大隈侯と何うでございませうか。
頭山 ……中江篤介(兆民)が言っとった。大隈、伊藤に優劣はない。強ひて
求むれば、大隈の方が一段上である。伊藤は才子利巧の頭目で、あの
境涯としてはあれ以上の者はない。大隈は才子よりは一段上の豪傑の
境涯に居るが、その境涯では一番ドン底だ。だから、二人はくっつい
ている ー伊藤は才子の大王なるが故に豪傑の気あり、大隈は豪傑の
ドン底なるが故に才もある、二人には共通のところがある。
記者 なるほどーそれは面白い見方でございますね。兆民といふ人は、どこか
先見の明があつたやうですね。あの時代に既に、円朝や団十郎を大臣以
上の人物と評して居ったやうです。
頭山 よく物がわかって居ったやうだ。
記者 山県公は如何でございますか。
頭山 山県は謹厳な、用意周到な人だった。だが、私は一度も会ったことはない。
記者 段階はどの辺でせうか、やはり伊藤公、大隈侯に近いでせうか。
頭山 まあ。
 
三大人物=西郷、勝、副島
 
記者 大隈公、伊藤公以上の人物がございませうか。
頭山 西郷、勝、副島。
記者 副島 -副島伯はさうでございますか、副島伯の直情豪胆等の噂は伺っ
て居りましたが。
頭山 全く至誠の人でした。英国の公使で、大分難しかったパークス、あれは岩倉や大久保などは何とも思って居なかったが、副島に   
             は余程尊敬を持って居った。
  大隈も副島にはまるで子供扱ひにされて居った。西郷従道の話に、副島が
大隈を叱るのを聞いてゐると、全く気の毒な位だといって居った。尤も年も違ふし、漢学位は大隈は副島に教ったらしい。
記者 西郷さんは?
頭山 段ちがひ……。
記者 至誠の外に。
頭山 頭がよかった。
記者 板垣伯は。
頭山 板垣には私は推服して居りました。
記者 さうすると、段階でいへば、西郷-木戸―大久保 -それから……。
 
頭山 いや、西郷-〇、〇、〇  ゼロ ゼロ ゼロ- 木戸―大久保。
記者 西郷の次は〇、〇、〇ですか。木戸、大久保も西郷へ直ぐにはつづかな
い。西郷さん一人は図抜けて傑れて居ったのですね。
頭山 品川もさう言って居った。さすがの大久保でも西郷といふと、親指(親爺の意味)を出して、これがこれがといって居ったと。理窟や   
       議論をいふと、板垣は余程秀でて居ったが、西郷に向ふと、一言でこはされてしまったと、板垣が自分でもさういって居った。
 
五万円出すから議員になってくれ
 
記者 星亨とか原敬とかいふ人は、ずつと低くなりませうか。
頭山 よく知りませんが、星は二度ばかり私のところへ来た。政友会を始める時、私を引張り出しに来たんぢや。
 
『政友会を始めて、大いにやつて見たいが、人物がなくて困る。是非参加して貰ひたい』といふ。『僕は無能で何も出来ない。貴君は以前大井(憲太郎)と一緒にやつて居ったが、その大井は今失意の境遇に居る。あれと、もう一度一緒にやつたらよくないか』といふと、星には大井は苦手と見えて、『大井もいゝが、あれは正直で、直ぐ怒るので』といふ。
 
 それから一週間ばかりして又来た。一緒に飯を食って、この時も二時間ばかり話したが、結局目的を達せずに帰って行った。すると、それから暫くして、あの川上行義 - 親の仇討をしたり、政友会の壮士頭を切ったりして有名になって居ったがあれがやって来た。

あれはいつも私に向つて、『私は門番としては日本一の門番である、貴方が何かやるなら是非私を門番にして下さい』といって居ったが、とうとう私が何もやらないものだから、そのまゝになったが、あれがやって来て、『星は貴方に断わられて大分弱ってゐるが、まだあきらめない。せめて貴方に議員にだけ成って貰ひたい。貴方がウンといひさへすれば、貴方は寝てゐても必ず当選するやうにする。それでいろくの御用意もあるだらうと思って、金を五万円だけ京浜銀行に用意させて置いたから、よろしく頼む。只ウンとさへ言って呉れゝばい1から』といふ。

記者 その時分の五万円は大きいですね、今とちがって -
頭山 私は、『議員になるつもりなら、始めから成つとる。又何も五万や十万の金を星に作って貫はなくてもいい。
    今更議員なんかにならんでも、国家に尽くす道は他にいくらもあるから』と言っておいた。
記者 然し、星といふ人も、人物は人物のやうですね。
頭山 巾の広い、意志の強い人のやうでした。
記者 先生は小村寿太郎侯にお逢ひになりましたか。
 
頭山 小村とは私は交りはないが、杉浦(重剛)に依ってしばしば小村のこと
を聞いて居た。小村が死ぬ二、三日前、杉浦が小村を見舞ふと、小村が『僕はもういかぬ、
後は山座(円次郎)がよくやつてくれなければならぬ』といつたと、杉浦が言って居った。
 
記者 山座さんは玄洋社の方ですか。
 
頭山 玄洋社の者といふわけでもないが……小村の精神に山座がひどく推服して居った。どっちからも相信じて居つた
やうです。次官が珍田で、山座が局長だったが、小村は何事も山座と相謀ってやって居ったやうだ。
   どっちも惜しい人物で、全く国家精神の人でした。
 
家も国も事業も結局は人の問題
 
記者 後ほど出口王仁三郎翁がお見えになることになって居りますが、先生は何時頃から出口先生を御存じですか。
頭山 七八年前、内田(良平氏)が伴れて来ました。それから二、三度会ひま
した。
  (この時、丁度、出口王仁三郎翁が、令息宇智麿氏及び深町霊陽(神聖会
幹部)氏を伴うてお見えになり、無造作に頭山翁の傍の椅子にかけられ
る。二十数貫の巨躯、六十五歳とは見えない、壮者を凌ぐ御元気である)
記者 只今、頭山先生から、先生のお話を伺って居るところでした。
出口 私も一時大変な誤解を受けました。が皆そのまゝに放つとります。弁解
するよりも行ひで見せる。これが一番。
記者 傑出するといふことは、一面には攻撃されるといふことでせう。古今の
偉人聖賢、攻撃を受けなかった人は、一人もないやうです。それでそ
の攻撃の相手になるやうでは、自分がその列に下ることになる…
出口 私も攻撃されたお蔭で却て有名になりましたわ。
 
金に欲が出ると損をする
 
記者 それはそれとして、古典など随分お読みになりましたか。
出口 読みました。十三歳から四十頃まで、初めは祖母から学び、青年時代に
は岡田惟平といふ国学の大家が直ぐ隣りに居られためで、仕事のひまく
に教へて貰ひ、その後は殆ど独学ですが、無茶苦茶に読みました。
記者 歌などもお詠みになるのですね。
出口 一日に千首位も作ったことがあります。寝しなに三百首位。
記者 碁将棋は頭山先生など随分お強いやうですが。
出口 碁将棋は、やったことがすぐ消えてなくなる、あんな無駄なことはやり
ません。
頭山 こりゃ負けた。ハ、、、。
記者 形は消えるが修養となって頭に残るといふこともありますね。
出口 あれは、どうも耽り過ぎる。
記者 先生の『偉いな』と御思ひの人は。
出口 西郷南洲だけ。その他は皆同じやうな人ですな。
記者 西郷さんのどんなところが……。
出口 何となく好きです。あの城山で、自分が戦争に負けて切腹するといふ場
合にありながら、官軍の兵隊が自分達に勝ったのを見て、これで日本は安
心だというた大きい心持。
記者 偉くなるといふことには『運』も関係して居りませうか。
出口 運とは運ぶといふこと。結局自分の働きがないことには何にも出来ない。
記者 金はどうなさいます。
出口 ありもせぬが不自由もしない。金はありたけ皆出します。溜めると後が
来ません。十円費へば百円くる。百円使へば千円来る。随分苦しかつた
こともありますが、いざとなると結局出来て来ます。天意です。だから
入って来たもの全部を費ひます。神殿とか神園とか形のものは残って居
りますが、金は残しません。
記者 仕事に注ぎ込まれるのですね。
出口 金を持たうとすると結局損をする。これは私の何十年の体験です。
 
六ケ月間に九度の大喧嘩
 
記者 人を憎むとか、腹を立てるといふ念があっては偉くなれんでせうね。
出口 私は子供の時から病癖持ちでありました。始終怒り通しで。それで二十
八の時、九度殺されかけた。それから止めました。
記者 それはどういふ訳ですか。
出口 私の身上話になりますが二十八歳の頃、一時侠客の養子みたいなことに
なって、彼等の仲間になったことがあります。それで、六ケ月間に九度
大喧嘩をして、殊に最後には半死半生に打叩かれた。その時、父はもう
亡くなってゐたが、まだ祖母 も居りましたし、母親もありまして、そ
れが非常に心配をして、泣いたり恨んだりして私を戒めてくれる。それ
があんまり気の毒なので、祖母や母親の居る間は喧嘩をしまいと決心し
ました。考へて見ると、生命がけで喧嘩をするなど馬鹿々々しいことで、
殺される位の覚悟でやれば、世の中で
   どんなえらいことでも出来る筈ですから。さう思ったので喧嘩をやめ、
自然怒ることもやめたのです。
記者 頭山先生は、お幾歳の頃から、怒ることをお止めになりましたか。
頭山 四十頃からだんだん好々爺になった。
 
福岡の女傑高場乱
 
記者 頭山先生も、お若い時には、可なり荒修行をされたさうですが、福岡に
高場何とかいふ偉い女の先生の塾があって……。
頭山 高場乱 -あの塾には時々行ったことがある。女の豪傑でね。
記者 どんな方ですか。
頭山 十六ぐらゐの時から両刀を横へて潤歩し、女子でゐて男で通って居った。
その養子なども、『親父が親父が-』といって居ったさうで。亀井といふ有
名な漢学者の弟子で『亀門の三人』といはれた才女だが、全く珍しい
婦人で、無欲で、深切の他は持合せがない。袷も棉人も着たことがな
い、いつも単衣ばかり。
記者 冬もですか。
頭山 寒くなると単衣二枚、まだ寒くなると単衣三枚、噴くなれば段々脱ぐ。
全く無頓着。
記者 先生は冬でも単衣一枚で過されたといふことですが。
 
頭山 単衣一枚で洗足 (はだし)。それで何処へでも、野原にも、墓場にも、
海辺にも、山の中にも寝て見た。十二月二十五日に霜の降りた橋の上に
寝たことがある。私が寝て安眠しなかったのはこの橋の上だけだった。
記者 鍛練の力といひますか、精神の力といひますか、偉いものですね。
深町(霊陽氏) 偉人は体躯から違って居ります。出口先生なども、一週間位
は殆ど眠られないこともあれば、又一週間も二週間も殆ど物を食べ
られないことがあります。それで食べられる時には十人分も一遍に
やられることがある。時に大食しないと胃袋が退化するから
 
汝の信仰、汝を癒やす
 
記者 大本教といふ言葉は何処からお取りになったのですか。
出口 私のいふのは皇道大本。それを世間で大本といふのです。近頃皇道とい
ふ言葉がはやり出したが、私は前から言つとる、大本を宗教として届けろ
といふのだが、皇道は宗教ではない。
記者 それは所謂宗教ではないかも知れませんが、おやりになって居ることの
根本は、宗教といっても差支へないでせう。
出口 強ひて云へば治教、即ち世の中を治める教へです。
 
記者 病気などお癒Lになるといひますが…
出口 あれは私が癒すのではない、自分が癒すのです。『汝の信仰、汝を癒やす』
です。病体は、医者によらねばならぬが、病気は、気の病だから自分が
癒るといふ気になれば癒ります。私に病気が癒るかといふから、癒る
といふと、それでなはる気になる。その信仰でなはすのです。で、私
なども人の風邪はなはしてやれるが、自分の風邪はなはらない。自分
は自分を信用しないから……。
 
記者 長寿法といふやうなことは。
出口 人の一生、長いといっても大したことはない。それよりは人の五倍十倍
の仕事をする。さうすると五人分、十人分生きたことになる。これが私
の長寿法。
 
記者 頭山先生、先生は金については何うお考へですか。
頭山 『焚くほどは風が持て来る落葉かな』トトー
記者 最後に何か、現代青年の薬になるやうなお言葉を。
頭山 国と自分とに絶対に信念を持って、
 すこぶる廉潔にやってくれるといいと思ふ。
  『キング』十年五月号
 

 - 人物研究 ,

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