前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

日本リーダーパワー史(693)『中国/朝鮮行動学のルーツ⑧』中国紙「申報」の論説から日中韓150年戦争史の原因を読み解く(連載70回)ー第11回から20回までー「朝鮮」での反日暴動「壬午事変」(1882)「甲申事件」(1884)をめぐる『英タイムズ」「チャイナヘラルド」『申報」の報道、論評②

   

 

日本リーダーパワー史(693)

『中国/朝鮮行動学のルーツ⑧』中国紙「申報」の論説から

日中韓150年戦争史の原因を読み解く

(連載70回)第11回から20回までー

清の属国「朝鮮」でおきた反日暴動

「壬午事変」(1882)「甲申事件」(1884)

をめぐる『英タイムズ」「チャイナヘラルド」

『申報」の報道、論評

前坂 俊之(ジャーナリスト)

 

 

『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史

日中韓のパーセプションギャップの研究』⑪

 

日中150年戦争のルーツはこの記事の中にすべて書かれている。
中国が冊封体制によって属国としていた『琉球王朝』(日中両方に朝貢していた)明治維新 後に一方的に「琉球処分」して、日本が沖縄県に編入したことが対立の出発点なのである。

中国が世界の中心であるという「中華思想」「冊封体制」韓国のこれに服属した『事大主義』 対「西欧近代主義に転換した明治日本」との対立の構図である。

このボタンのかけ違い、思想・認識ギャップ、メンツ最優先の事大主義、ダブルスタンダード の行動パターンがネジレにねじれて対立、紛争・日清戦争へと発展していった。

現在の日中韓の対立、紛争の発火点もここにある。

1884(明治17)年2月9日光緒10年甲申正月13日「申報」

『中国が行っている冊封の儀と属国の国力強化について』 

http://www.maesaka-toshiyuki.com/war/391.html

 

『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』

日中韓のパーセプションギャップの研究』⑫

1884(明治17)年9月3日英国紙『タイムズ』

「中国に対する日本の要求」

http://www.maesaka-toshiyuki.com/history/389.html

 

『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』

日中韓のパーセプションギャップの研究』⑬

1884(明治17)年12月17日、英国紙『タイムズ』

『朝鮮独立党<(金玉均ら)=日本派>が起こした

甲申政変についての論評』

http://www.maesaka-toshiyuki.com/history/388.html

 

『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』

日中韓のパーセプションギャップの研究』⑭

 

1884(明治17) 1220日、光緒10年、甲申114日「申報」

『「甲申事変」を乗り越えて中日両国が一致協力してアジア情勢

を安定させるべきを諭す』

http://www.maesaka-toshiyuki.com/war/386.html

 

『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』

日中韓のパーセプションギャップの研究』⑮

日中150年戦争のルーツは中国が冊封体制によって属国としていた

『琉球王朝』(日中両方に朝貢していた)を明治維新 後に一方的に「琉球処分」して、日本が沖縄県に編入したことが対立の発火点なのである。

中国が世界の中心であるという「中華思想」「冊封体制」韓国のこれに服属し

た『事大主義』対「西欧近代主義に転換した明治日本」との対立の構図である。

これが「壬午事変」(明治15年)「甲申事変」

(明治17年)とエスカレートして、「日清戦争」(明治27年)へと爆発する。

この三国関係の外円には西欧列強の英国、フランス、ロシア,アメリカ、ドイツ

が加わって中国、日本、朝鮮をターゲットに19世紀の帝国主義的領土、

経済利権の分捕り合戦、戦争が繰り広げられたわけである。

現在の日中韓の対立、紛争の発火点もここにある。

以下の記事を読むと、最近は全く頓挫しているが北朝鮮をめぐる 「5ヵ国協議」を思い出す。

 

1885(明治18)年1月13日英国紙『タイムズ』

「甲申事変の日中間の衝突をめぐるイギリス、アメリカ、

フランス,ロシアの外交駆け引き」

ttp://www.maesaka-toshiyuki.com/war/383.html

 

『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』

日中韓のパーセプションギャップの研究』 ⑯

「壬午事変」(明治15年)「甲申事変」(明治17年)とエスカレートして、「日清戦争」(明治27年)へと爆発する。

1885(明治18)年1月14日

上海英国紙「ノース・チャイナ・ヘラルド」

「朝鮮で起きた騒乱(甲申事変)」(仁川通信員記事)

http://www.maesaka-toshiyuki.com/war/380.html

 

『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』
日中韓のパーセプションギャップの研究』 ⑰

1885(明治18)年1月15日、光緒10年甲申11月30日「申報」

『甲申事変の処理をめぐる日中外交の展開』

 http://www.maesaka-toshiyuki.com/war/377.htm

 

『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』

日中韓のパーセプションギャップの研究』 ⑱

 

朝鮮で起きた反乱(甲申事変)は,

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B2%E7%94%B3%E6%94%BF%E5%A4%89

<壬午事変>

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%AC%E5%8D%88%E4%BA%8B%E5%A4%89

 

 1885(明治⒙)年6月26日「ノース・チャイナ・ヘラルド」

『中国の対朝鮮政策、ロシアも不凍港を求めて朝鮮を狙う』

http://www.maesaka-toshiyuki.com/war/375.html

 

『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』

日中韓のパーセプションギャップの研究』 ⑲

 

日中150年戦争のルーツは中国が冊封体制によって属国としていた

『琉球王朝』(日中両方に朝貢していた)を明治維新 後に一方的に「琉球処分」して、日本が沖縄県に編入したことが対立の発火点なのである。

これが「壬午事変」(明治15年)「甲申事変」

(明治17年)とエスカレートして、「日清戦争」(明治27年)へと爆発する。

この三国関係の外円には西欧列強の英国、フランス、ロシア,アメリカ、ドイツ

が加わって中国、日本、朝鮮をターゲットに19世紀の帝国主義的領土、

経済利権の分捕り合戦、戦争が繰り広げられた。

ロシアは不凍港を求めて、朝鮮に南下政策を強行しており、巨文島を狙った。

英国は待ったをかけて、いち早く占領し、ロシアの南下を阻止した。

結局、ロシアの朝鮮支配に危機感をもった日本が最終的に防衛戦争として

『日露戦争』に踏み切ったというのが正解である。

巨文島をめぐる軍事紛争を見ていると、130年たった現在の北朝鮮を めぐる危機、外交駆け引きとの類似性に驚く。

東アジアのバルカン半島がまさしく朝鮮半島なのである。

 

朝鮮で起きた反乱(甲申事変)は,

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B2%E7%94%B3%E6%94%BF%E5%A4%89

巨文島事件

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%A8%E6%96%87%E5%B3%B6

 

1885(明治18)年7月2日光緒11年乙酉5月20日「申報」

『朝鮮・巨文島事件めぐる英国、清国、ロシアの紛争』

http://www.maesaka-toshiyuki.com/history/372.html

 

 

『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』

日中韓のパーセプションギャップの研究』⑳

‪  1885(明治18)年7月17日「ノース・チャイナ・ヘラルド」

‪「朝鮮のなぞ-『ロシアの進出で、日本、中国との間

で深刻な争いが発生の可能性」

http://www.maesaka-toshiyuki.com/history/369.html

 

 - 戦争報道, 現代史研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
日本リーダーパワー史(677) 『日本国憲法公布70年』『吉田茂と憲法誕生秘話 ③『東西冷戦の産物 として1ヵ月で作成された現憲法』③ 『憲法9条(戦争・戦力放棄)の最初の発案者は一体誰なのか』その謎を解く

  日本リーダーパワー史(677)  『日本国憲法公布70年』 『吉田茂と憲法誕 …

『Z世代のための最強の日本リーダーシップ研究講座(45)』★<日本最強の外交官・金子堅太郎の名スピーチ>『武士道とは何かールーズベルト大統領が知りたいとの申し出に新渡戸稲造の英語版「武士道」を贈る。感激したル氏はホワイトハウス内に柔道場を作り、自ら稽古した」

2015/01/19<日本最強の外交官・金子堅太郎④>記事再録   前 …

no image
『オンライン/75年目の終戦記念日/講座➂』★『1945年(昭和20)8月、終戦直後の東久邇宮稔彦首相による「1億総ざんげ」発言』★『徳富蘇峰の語る『なぜ日本は敗れたのか➁』「リーダーシップ・長期戦略の欠如である』

  ★『1945年(昭和20)8月、終戦直後の東久邇宮稔彦首相による「 …

no image
日本リーダーパワー史(670) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(52) 「インテリジェンスの父・川上操六参謀総長(50)の急死とその影響ー陸軍での川上の存在がいかに大きかったか

 日本リーダーパワー史(670) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』( …

no image
 日本リーダーパワー史(830)(人気記事再録)『明治維新150年』★『日露戦争勝利の秘密、ルーズベルト米大統領をいかに説得したかー 金子堅太郎の最強のインテジェンス(intelligence )②』★『ル大統領は金子特使を大歓迎 ー米国到着、米国民はアンダー・ドッグを応援』

 日本リーダーパワー史(830)(人気記事再録)『明治維新150年』★ &nbs …

★「本日は発売(2023年6月9日)「文芸春秋7月号」<100年の恋の物語のベストワンラブストーリーは・・>山本五十六提督の悲恋のラブレター』★『1941年12月8日、日米開戦、真珠湾攻撃の日、山本五十六が1日千秋の思いで待っていたのは愛人・河合千代子からのラブレターであった』

2010/06/30/日本リーダーパワー史(60) 真珠湾攻撃と山本五十六『提督 …

no image
日本リーダーパワー史(976)ー『150年前の日本と中国―副島種臣外務卿のインテリジェンス』★『世界に先駆けて『奴隷解放』に取り組んで勝利したマリア・ルス号事件(明治5年7月)を指導した』

  150年前の日本と中国―副島種臣外務卿のインテリジェンス 前回、一 …

no image
日本敗戦史(54)A級戦犯指定徳富蘇峰の 『なぜ日本は敗れたのか』⑥「全体的大構想の欠如」烏合の衆の愚かな戦争になった。

 日本敗戦史(54) マスコミ人のA級戦犯指定の徳富蘇峰が語る 『なぜ日本は敗れ …

no image
日本リーダーパワー史(498)『アジア太平洋戦争から69年を前に「憲政の父」・尾崎咢堂の『敗戦の反省』(1946年)を読む

 日本リーダーパワー史(498)     来年(1 …

no image
『世界が尊敬する日本人⑥初代ベンチャービジネスの真珠王・御木本幸吉(08、05)

世界が尊敬した日本人(6) 初代ベンチャービジネスの真珠王・御木本幸吉      …