日本の「戦略思想不在の歴史⑽」『高杉晋作の機略縦横と突破力③』明治維新に火をつけたのは吉田松陰、徳川幕府を倒したのは高杉晋作である』★『男子は困ったということだけは、決していうものじゃない』
2017/12/01
明治維新に火をつけたのは吉田松陰であり、230年惰眠をむさ
ぼった徳川幕府を倒したのは高杉晋作である。
田中光顕の『維新風雲回顧録』を読み直して、改めて高杉の凄さを再確認した。不惜身命の精神である。
高杉に弟子入りして、謦咳に接した田中の回想録だけに迫力満点、「風雲児」高杉の神出鬼没、快刀乱麻、勇猛果敢な飄々としたその突破力を明らかにしている。
特に「男子というものは、困ったということは、決していうものじゃない」が高杉の不動の信念であり、岩をも貫ぬく革命精神であることがわかる。
田中光顕著『維新風雲回顧録』の高杉回顧録は無類におもしろい。Wiki田中 光顕https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E5%85%89%E9%A1%95
坂本龍馬の盟友の中岡慎太郎は、「時勢論」の中で予言している。
「自今以後、天下を興さんものは、必ず薩長両藩なるべし、吾思うに、ちに、二藩の命に従うこと、鏡にかけて見るがごとし、しかして他日、天下近日の国体を立てて外夷(外国)の軽侮を絶つも、またこの二藩にもとづくなるべし、これまた封建の天下に功あるところなり」
事実、天下の風雲は、中岡の予言したように動いた。
この時、長州で田中光顕が最も世話になったのは、高杉晋作である。中岡は、「兵に臨んでまどわず、勝機をみて動き、奇をもって人に勝つものは、高杉東行、これまた洛西の一奇才」と称賛しているが、高杉は長州における人物のみならず、天下の人物であった。
最初、田中が高杉に会ったのは、1863年(文久3)、春、国もとから京都に出た時であった。
高杉は、当時、髪を剃って、クリクリ坊主になって、法衣のようなものをまとい、短剣を一本さしているだけの風体だが、それにはわけがある。
長藩(長州藩)では、彼を国元へかえして、政務座(藩政の中枢)に抜擢しょうとした。
ところが、高杉は役人になることは御免だと、いい張った。
藩の家老・周布政之助が、しきりに、すすめたが、なんとしても聞き入れない。
「拙者は、是非とも勤王の師を起こして、幕府を倒さずにはおかぬ、役人になることなどは思いもよらぬ」
周布は「といって、今、急に、そうはゆくまい、だんだん時勢がすすめば、足下(高杉)の望みどおりの時機が参ろう、まず・これから十年も待つことだな」
といった。
「しからば拙者に十年のおいとまを願いたい。さすれば、ほかにあって毛利家のために働きます」
「それほど、足下が熱心なら、たってとも参るまい、十年のおいとまはなんとかして、取り計らって進ぜる」
周布が、中に入ったので、君侯からもお許しが出た、そこで、彼は、すぐに、落籍を脱して坊主となったのである。
そして、高杉は「西へ行く人を慕うて東行く 我心をば神や知るらん」とざれ歌を詠んだ。
西へ行く人というのは、西行法師をさす。西行が隠遁したのを慕って、反対の東へゆくという心持ちは、神よりほかに知るものはないという意味。
田中と初対面の時は、正にこういう際であって、何でも場所は東山にある料亭で、高杉は、首に頭陀袋をかけていた。
芸者が、よってたかって、物珍しそうに、この坊主頭をからかいはじめた。すると、高杉は、坊主頭をたたいて、謡い出した。
「坊主頭をたたいてみれば 安い西瓜の音がする」
満座、笑いくずれてしまった。その飄逸な態度は、今もなお、田中の眼底にありありとのこっている。
田中は、はじめ中岡の使いとなって、長州から太宰府に転座した五卿を訪ねた。これが、八月一日で、翌々三日に到着してみると、五卿はほとんど監禁同様な御身の上、京都の模様やら長州の事情をちく一、申し上げようとした。
すると、五卿御守衛をうけたまわっている薩摩の肥後直右衛門が、面会を許そうとしない。
もっとも、その折、幕府では五卿を関東に檻送しようというので、大目付小林甚六郎なるものが、太宰府に来ていた。
肥後は、俗論派で、内々この一幕吏をはばかっていたらしい。どうしても、五卿に会わせぬというので、相手にならずと、田中も断念した。
「薩藩として、まことにけしからぬことだ、どういう所存か、京都に引き返し、とくと西郷にたださねばならない」
田中は土方桶左衛門(後の久元)に、意中をうちあけて、八日に長州へもどってきた。
そして、久しぶりで、石川清之助(中岡慎太郎の変名)とともに高杉に会見した。
この時の高杉は、坊主頭ではなく、意気軒昂、当たるべからざる勢い。奇兵隊の面倒もみていたし、海軍のことも世話をしていたし、ほとんど陸海軍総督といった地位にあった。
奇兵隊は、高杉の取り立てたもので、長州諸隊の根源となった。この騎兵隊の面々はさながら一州のがえん者 (ならずもの。無頼漢)の集まりだ、戦争がないと、一日も、じっとしていられぬ、命知らずの壮士の隊だ。通常のものでは、しょせん統御がむずかしく、高杉でないと、おさまらなかったものだ。
これについて、高杉はこういった。
「孫子に、大将、厳を先とすとある、自分が裏隊を取り立てた際には、まず法律を厳にし、これを犯すものには、割腹を命じた。はなはだ残酷のようであるが、一罪を正して千百人を励ます、しからずしては、壮士を駕御することは困難である」
したがって、奇兵隊の軍律は、簡単明瞭なもので、高杉の性格そのままだ。
『盗みを為す者は殺し、法を犯す者は罪す。この2ヵ条にすぎない。』
ある時、高杉が「ちかごろ感服つかまつる、どうか、この刀を拙者にお譲りを願いたい。たっての望みだ」と田中に頭をさげた。
「何としても、ご執心でありますか」
「いや、もう欲しくてたまらぬのであります」
「では、私にもお願いがあります、お聞きとどけ下さらば、さし上げぬものでもありませぬ」
「何んであるかいっていただきたい」
ここぞと、私がつめよせる。
「しからば、あなたのお弟子にしていただきとうござります」
「弱ったな、拙者は、人の師たる器ではない」
「それならいたし方ござりませぬ、刀は、お譲りはできませぬ」
「つらいな、ようし、そういうことなら、およばずながらお世話をすることにしましょう」
ようやく承知してくれたので、田中は、この一刀を高杉に贈り、彼の門下に入ったのである。
関連記事
-
-
★10「日中韓外交の必読教科書―英国タイムズの「日清戦争の真実」➂ <安倍外交>はこの『日清戦争』(伊藤外交)に学べ
日中韓外交の必読教科書―英国タイムズの「 …
-
-
日本リーダーパワー史(99) 日本最高の名将川上操六⑮山県有朋陸軍法王を解任、一喝したすごい男
日本リーダーパワー史(99) 名将川上操六⑮山県有朋陸軍法王を解任、一喝したすご …
-
-
日中韓異文化理解の歴史学(1)(まとめ記事再録)『日中韓150年戦争史の原因を読み解く(連載70回中1ー20回まで)★『申報、英タイムズ、ルー・タン、ノース・チャイナ・ヘラルドなどの外国新聞の報道から読み解く』●『朝鮮半島をめぐる150年間続く紛争のルーツがここにある』
『中国/朝鮮行動学のルーツ⑦』中国紙「申報」の論説から 日中韓150年戦争史 …
-
-
日本メルダウン脱出法(641)「日本と過去:消化されていない歴史」(英エコノミスト誌)「歴史が如実に示す中国・ロシアの危険度――民主主義化することはない」など9本
日本メルダウン脱出法(641) ●『中国人自身も懸念する中国経済“急減速”の …
-
-
速報(64)『日本のメルトダウン』(小出裕章情報3本)『格納容器の底抜け』『テルル132の意味』『放射性物質の無毒化できない』
速報(64)『日本のメルトダウン』 ●(小出裕章情報2本)『格納容器の底は抜けて …
-
-
歴史張本人の<日中歴史認識>講義」➂袁世凱顧問の坂西利八郎が「日中戦争の歴史、国民性の違い、対立>」を語る➂
日中両国民の必読の歴史の張本人が語る 「 …
-
-
速報(126)『日本のメルトダウン』<徹底座談会・フクシマの教訓②>『事故原因、原子力村、事故処理のシステムなど討論(中)』、
速報(126)『日本のメルトダウン』 <徹底座談会・フクシマの教訓 …
-
-
「Z世代のための日本リーダーパワー史研究』★『幕末、明治維新から約170年、日本を近代国家に発展させる基礎を築いたのは誰か?』★『勝海舟(76歳)であり、その大国難(徳川滅亡→明治維新を平和裏に遂行)突破力を学ぶ』『政治家の秘訣は正心誠意、何事でもすべて知行合一』★『すべて金が土台じゃ、借金をするな、こしらえるな』★『1千兆円(2012の時点)を越える債務をふくらませた政治を一喝、直ぐ取り組めと厳命)
2012/12/04 /日本リーダーパワー史(350)記事再録 「国家興亡史の第 …
-
-
★『日本戦争外交史の研究』/『世界史の中の日露戦争』④「1903(明治36)年1月3日 付『英タイムズ』『満州とロシア鉄道』(下)『ロシアが軍事占領した満州の都市建設の全容』★『義和団の乱の報復のため阿什河は満州で最大の被害を被った町だ。』●『満州人は誇り高く,経済観念が乏しく,アへン中毒者が多く反キリスト教で.貧乏だ。』
★『日本戦争外交史の研究』/『世界史の中の日露戦争』④― 「1903(明治36) …
-
-
明治150年歴史の再検証『世界史を変えた北清事変⑥』-服部宇之吉著『北京龍城日記』(大正15年)より②」★『著しく現世的で物質的/拝金主義の支那(中国)人民にとっては、来世的、禁欲的なキリスト教精神は全く理解できずパーセプションギャップ(認識ギャップ)が発生し、疑惑が増幅し戦争になった』
明治150年歴史の再検証『世界史を変えた北清事変⑥』 西教(キリスト教)に対 …
- PREV
- 日本の「戦略思想不在の歴史⑼」『高杉晋作のインテリジェンスと突破力②』●『上海租界地には「犬と中国人は入るべからず」の看板。ここは植民地である』★『内乱を抑えるために、外国の経済的、軍事的援助を受けることは国を滅ぼす』★『大砲を搭載した蒸気軍艦を藩に無断で7万両で購入幕府軍を倒すことに成功した、倒幕の第一歩!』
- NEXT
- 日本の「戦略思想不在の歴史⑾」『高杉晋作の大胆力、突破力③』★『「およそ英雄というものは、変なき時は、非人乞食となってかくれ、変ある時に及んで、竜のごとくに振舞わねばならない」』★『自分どもは、とかく平生、つまらぬことに、何の気もなく困ったという癖がある、あれはよろしくない、いかなる難局に処しても、必ず、窮すれば通ずで、どうにかなるもんだ。困るなどということはあるものでない』
