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片野勧の衝撃レポート『太平洋戦争<戦災>と<3・11>震災⑭』学童疎開から戻ったら一面焼け野原に・・』

      2015/01/01

  

片野勧の衝撃レポート

太平洋戦争<戦災>311>震災

『なぜ、日本人は同じ過ちを繰り返すか』

3/10東京大空襲から3/11東日本大震災へ<下>

 

片野勧(ジャーナリスト)

 

学童疎開から戻ったら一面焼け野原

 

日本の元放送作家でタレント、作詞家、エッセイストの永六輔氏は「話の特集『無名人語録』」(『週刊金曜日』2012/4・13)でこう書いている。

「黒柳徹子サンが、戦争中学童疎開で東北を転々としたっていう話をしていたけど、東京の子どもは東北に疎開してたんだよな。その東北から、子ども達が卒業式のために東京に戻ったのが三月十日。つまり、東京大空襲の日。情報がナーンにも伝わっていないんだよね。東電と同じだよ」

 

永さんが言われるように、東京下町の国民学校の多くは東北に疎開していた。永さんの通っていた浅草の新堀国民学校の集団疎開先は宮城県の白石町(現白石市)の白石温泉だった。

しかし、卒業式は故郷の母校で行うことになっていた。永さんの上級生は東京に帰ったのだが、帰ったその日、3月10日は空襲の最中だった。つまり、B29が待ち構えている東京に帰ってきたようなものである。

 

3・10東京大空襲で戦災孤児に

 

アメリカ軍の夜間無差別攻撃を受け、約350万人が家を焼かれ、その被害総額は広島の10倍もあった東京大空襲。その空襲で両親を亡くし、戦争孤児になった金田茉莉さんも昭和20年(1945)3月10日朝、集団学童疎開先の宮城県鎌崎温泉から東京へ戻ったら、生まれ故郷の浅草は一面、焼け野原だった。自宅は跡形もなかった。通りや公園には黒焦げの死体がいくつも転がっていた。

彼女は当時、国民学校(現小学校)3年の9歳だった。母が東京も空襲で激しくなってきたから、6年生と一緒に帰してもらうよう頼んだ。許可が出て、ただ一人、金田さんは6年生に混じって東京に帰してもらったのである。

 

私は金田さんにインタビューするため、埼玉県蕨市の自宅を訪ねた。2012年4月13日午後1時。約束通り、待っていた。金田さんは「戦争孤児の会」世話人代表。

――東京へ戻るときはどんな思いでしたか。

 

「夜行列車に乗っていた間、東京下町が空爆を受け、焼き尽くされたことを知りました。上野に着いたら、見渡す限り、焼け野原。津波に呑まれた東北の被災地と同じです。帰る家も学校も、昨日まで元気だった人もいません

。今回の震災で海に向かって、“お母さん!”と叫んでいる子供の姿がテレビに映し出されていましたけれども、自分の姿と重なって、もう見られなくて(涙声)……

 

<人家の密集した東京下町一帯をドーナツ状に焼夷弾を落とし、そして火の壁の塀をめぐらせ、逃げ道を遮断。その中へ36万発(2000トン)の焼夷弾を逃げまどう人々の上に降り注ぎ、市民の皆殺しを計った大虐殺だった。死者は10万人を超え、被災者は100万人にものぼった(金田茉莉『東京大空襲と戦争孤児』影書房)>

 

――戦争ほど悲惨で残酷なものはありませんね。3月10日の朝、東京を目撃した印象を教えてください。

 

「黒焦げの死体がいたるところに転がっていました。人々の目は真っ赤。髪は焼きちぢれ、顔や手足は火傷(やけど)で皮膚がぺろりとむけ、ゾロゾロと地獄の行列のように歩いている姿はこの世の人とは思えませんでした。そんな姿を思い出すたびに私の身体は震えだします。そして私は二度と母・姉・妹と会うことはありませんでした(父は3歳の時、脳溢血で急死)」

 

大空襲から4カ月後、母と姉は隅田川から遺体で引き上げられたが、妹は現在も行方不明だという。金田さんは戦争孤児になる。元気だった親兄弟が一瞬のうちに殺され、家も財産もなくなる。そればかりでなく、故郷も失い、生きていく上で最も大切なものを根こそぎ奪われる。その戦争孤児は先の大戦で12万3千人に上り、10歳前後の浮浪児が巷にあふれていたという。金田さんは話し続ける。

 

「親や姉妹を亡くすことはすごく辛いことです。今回の東日本大震災でも多くの震災孤児が生まれたと聞いていますが、これからが心配です」

 

震災孤児は宮城・岩手・福島3県で240人

 

東日本大震災。両親が死亡もしくは行方不明となった「震災孤児」の数は、厚生労働省のまとめによると、宮城・岩手、福島3県で阪神・淡路大震災の68人を上回る240人に上る。約1500人が父または母を亡くした。学費の援助が必要になった子も7万人近くいるという。

 

しかし、祖父母ら親族らが県外に連れ出して保護している場合もあるため、実態把握は困難を極め、さらに増える可能性もあるという。

 

――震災孤児に対して、どう思われますか。

私自身、戦争孤児として心に深い傷を負いながら、親戚をたらい回しされ、差別、偏見、生活苦の中で悲惨な人生を送ってきました。私は1年の間に親戚の家を4回、転々としました。中野区の西新井から奈良県や兵庫県の姫路へと。姫路の家には7人の子供たちがいて、私が一人増えたために、夫婦喧嘩が絶えませんでした。親と一緒に死んでくれれば良かったのに、と暴言を吐かれたこともありました。また18歳の時、高校卒業後、無一文のまま姫路から上京してきましたが、親なし、家なしでことごとく就職先を断られました。一番、困ったことは学校にいけなかったことです」

――親戚でも赤の他人扱いなのですか。

「自分の子供にはりんごなどを与えたりするのに、私には一切、与えなかったりしました。目の前で見せびらかして食べさせている、そういう差別がものすごく心に響くのです。今回の津波で両親や兄弟を亡くした震災孤児も、私たちと同じ扱いを受けないよう願っています」

東北の被災地では、昨年(2012年)1年間で不登校や非行が増えはじめたという報告があった。親が行方不明のままで、心の整理がつかない。夫を亡くして泣き暮らす母を気遣い、自分の悲しみはしまい込む、こんな子も何年か経つと症状もでてくるという。

話を変えて、私は別の角度から質問した。

――第2次大戦後、戦争で両親を亡くした「戦災孤児」が大きな社会問題になりましたが……。

「いや、いまだに問題は解決していません。同じ戦争で殺されながら、空襲死者は戦没者でないとして補償はありません。軍人・軍属の戦没者と民間人の戦災死没者を区別して、空襲による死者が9人いても一切、補償がなく、救済措置もないのです」

金田さんをはじめ東京大空襲による被害者や遺族ら計112人(うち戦災孤児は50人)は旧軍人・軍属や原爆被害者らには手厚い援護・補償があるのに、空襲の被害者に何の補償もないのは不平等だと主張。救済のための法律を作らなかったとして、2007年3月9日、国を相手に東京地裁に提訴した。

1審の東京地裁は2009年12月14日、請求を棄却する一方で「国会が立法を通じて解決すべき問題」とした。2審の東京高裁は2012年4月25日、1審判決を支持。軍人・軍属との補償の差は「合理的理由がある」と繰り返して、原告側敗訴の判断を下した。

 

原告側は、これを不服として2012年5月7日、最高裁に上告した。上告したのは79人。控訴時の原告は113人だったが、高齢化や訴訟費用の負担等を理由に減少した。しかし、最高裁第1小法廷(横田(とも)(ゆき)裁判長)も全面敗訴とした2審判決を支持し、2013年5月8日付の決定で、原告側の上告を退けた。裁判官5人全員一致の意見だった。

そもそも、人権と人道の上からイギリスでもフランスでも、敗戦国のドイツやイタリアでも民間の被害者を補償している。日本の空襲被害者だけがなぜ、放置されなければならないのか。金田さんは怒りを込めて言う。

「戦争によって突然、奪われた悲しみ、苦しみは空襲・戦災遺族も戦死者の遺族も同じなのに、どうして差別されるのかわかりません。親類宅をたらい回しにされ、暴言も吐かれました。そんな孤児時代を思い出すと、今も辛い。でも、声をあげ続けなければ、誰が子供たちに戦争の酷さを伝えていけますか」

                                                   

 

なぜ、軍人だけが補償されるのか

 

元軍人は国の補助を受け、毎年、盛大に慰霊祭を行っている。しかし、東京大空襲死者は追悼されず、闇から闇へ葬られている。この現実を次代の子供たちに知ってほしい。平和への思いを子供たちに引き継いでほしい、と金田さんは願う。

戦後、日本軍は解体された。しかし、元軍人の特権意識は変わらない。戦前、戦中の体質はそのまま変わることなく脈々と受け継がれている。祖父や曽祖父が元軍人であったが故に、戦争を知らない世代まで支給される「三等親親族への弔慰金」は、その顕著な例だろう。

戦後50年が過ぎた頃、金田さんへ一本の電話がかかってきた。谷村公司さんからだった。彼は小学4年の時、両親と兄たち4人計6人を空襲で失った戦災孤児。小学校へも通わせてもらえなかったという。

「どうして軍人だけが補償されるのかよー。僕の家族は一挙に6人も戦争で焼き殺さんたんだよ! 軍人は中国で罪のない人を大勢殺してきたじゃないか。軍人のために民間人が殺されたんだ。その責任をとってもらいたいよー。それが、どうして軍人だけが補償されて、民間人にはないのかよー。ひどい差別じゃないか!」(前掲書『東京大空襲と戦争孤児』)

谷村さんだけでなく、小学・中学校と義務教育さえ受けられなかった多くの戦災孤児たち。戦争で全てを失った当時、我が子に食べさせるだけで精一杯。孤児は邪魔者扱いされたり、利用されたりして、生と死のはざまの中を生きてきた。

 

映画「エクレール・お菓子放浪記」

 

作家の西村滋氏。彼は3・10東京大空襲で九死に一生を得た。幼くして死に別れた父と母との思い出や、被災した宮城県を舞台にした映画「エクレール・お菓子放浪記」の原作者である。

病気で両親を失った同じ孤児として、彼は「戦争孤児」に寄り添いながら作品を書き続けてきた。彼は語る。

「戦争は平和を愛する人たち、家族を愛する人たちにお構いなしです。そこには人間の心がない。震災も同じで、自然を愛し草木を愛し山を愛する、そういう人がいっぱいいるのに、お構いなしにやってきて破壊する。ですから戦争にも自然災害にも心がないんです」(『致知』2011/9)

それならば、せめて人間の心を守っていこう、助け合っていこう――これが西村氏の震災孤児に対するメッセージだ。さらにこう語る。

「頑張れなんて言いません。泣いてもいい、泣くのもエネルギーなのです。ただ、泣いている最中でも、いま国や大人たちが自分たちに何をしてくれて、何をしてくれなかったかをよく見ておきなさい」

つまり、本物と偽物との見分けがつく眼を持った人間になれ、と。

 

                          (つづく)

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