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<名リーダーの名言・金言・格言・苦言・千言集④●『他人の不幸による、漁夫の利を占めるな』小平浪平(日立製作所創業者)ら10本 

   

 
<名リーダーの名言・金言・格言・苦言
・千言集       前坂 俊之選
 
 
●『他人の不幸による、漁夫の利を占めるな』
 
  小平 浪平(日立製作所創業者)
 
 一九二二年(大正十二年)九月、関東大震災が起こり、京浜工業地帯は壊滅した。日立は幸い被害はほとんどなく、全国から注文が殺到した。小平は社員にこう訓示して、「漁夫の利」を戒めた。
 
「日立製作所は日本の日立である。日本の頭部というべき京浜工業地帯は惨々たる状況にある。この際、日立は京浜地方の復興を第一の任務とする。みだりに地方からの注文を受けて工場をふさいではならぬ」。
 
 九州や京阪神から山のごとく注文が殺到したが、小平は全部断ってしまった。またとない、莫大な利益がフイになったが、小平の高邁な精神は高く評価され、一挙に信用が高まり、後進の日立は日本を代表する企業にのし上がった。
 
 
  
  ●〇『岩は割れる。・スジを見つけよ』
 
  松永 安左衛門(電力の鬼)
 
 「今、自分の前に大きな岩があるとする。
 
『ああダメだ。とても割れない』とあきらめたら敗けだ。まず、必ず岩を割ってみせると、勇猛心をわき立たせる。
この精神力が岩を割る秘訣である。どんな大きな岩でもスジがある。そのスジにタガネを当てる。一ヵ月でも二ヵ月でも根気よく当てる。反応はない。やってやりまくる。そのうちに、髪の毛ほどの筋が見えてくる。その筋に猛然とタガネをぶち込む。岩はスジを伝って割れる。岩の持っている巨大な力で、自ら割れてしまう。
 
 事業も同じ。心を決めて事に当たり、どこにタガネを打ち込むか見定める。見定めると
全力をあげて取り組む。どんな苦境に立っても、自分で工夫し、勉強し、無駄を省き、サ
ービスに努め、これは将来信用がおける人とみられれば、銀行は金を貸してくれる」。
 
 これが松永の経営哲学であり戦後、国が敗れた中から、不死鳥のように経済をよみがえ
らせる原動力となった。
 
 
 
 ●〇◎『急ぐな、休むな』
 
  服部 金太郎(セイコーグループ創始者)
 
 “時計王”と呼ばれた服部金太郎は服部時計店、セイコーなどの創始者。その服部の口グセは「急ぐな、休むな」であった。
 
 店員たちにはいつもこう教えていた。
 
 「『急ぐな、休むな』。そうすればたとえ牛歩のように、遅々たるものであっても、休まず絶えず進んでいけば、いつかは目的地に達するのだ。
 
 もし、急いで休まなければ、それに越したことはないが、恐らく長続きはしない。急げば、どうしても休まなければならない。休まず進もうと思えば急いではならない」と。
 これが服部時計店のモットーであった。そして「人は正直にたゆみなく働くことだ」とも。
 
時計店の店員から身を起こした服部は、従業員を励ますのにこうも述べていた。服部の生涯は時計をきざむように、正にこうであったので、ごく当たり前の言葉だが、千釣の重みを持っていた。
 
 
●〇◎『やって・みなはれ』
 
  鳥井 信治郎(サントリー創業者)
 
 鳥井の口グセは社員に向かっての「まあ、そういわずにやってみなはれ」「やれるだけ
のことはやりなはれ」であった。
また、製品についてはいつも「これ以上のものをつくっとくなはれ。これより上はないというものをつくっとくなはれ」を繰り返していた。
 
社員が鳥井の指示に対して、尻込みしたり、できない、などというといつも「やってみなはれ」と尻をたたかれた。
 
そう言われた以上、社員はやらないわけにはいかなかった。
 ある時、鳥井が社員の一人に「東京のある会社にあてた手紙をポストからとり戻してこ
い」と命令した。
 
手紙はすでに投函しており、「そんな無理な!」というと、郵便局に行ってとり戻してこいと叱った。この社員は郵便局に行き、拝み倒して局員に郵便袋をあけてもらい、一つひとつ調べて捜し当てた。
 
 持ち帰ると、鳥井はニコニコしながら「やっぱり言うた通りやろ」と言った。
社員たちは初めは不可能にみえることでもやればできる、という精神を鳥井から教わったのである
 
 
●『事業家は失敗しないと大きくならない。失敗は恥ではない。
失敗で意気がくじけることが恥ずかしいのだ』
 
  岡野 喜太郎(スルガ銀行創業者)
 
 岡野は何度も失敗し苦境の体験を味わった。一九〇一年(明治三十四)の恐慌で全国的に、銀行破産が発生した時、岡野の駿河銀行にも預金者が殺到したことがあった。
 
 後年、岡野はこうした経験から、若い実業家が失敗して、救済を求めてくるとこう言って励ました。
 
 「事業家は一度や二度、失敗しないと大きくならない。あなたは、まだ失敗が足りないかも知れぬ。失敗すると、世の中の本当のことがわかる。それで、初めて立派な成功ができる。
 
失敗は恥ずかしいことではない。失敗に意気がくじけてしまうことが、恥ずかしいのです。あなたはいい体験をされた。これから、その体験を生かすことが大切です」。
意気消沈した事業家の肩をたたき、親身になって相談に乗った。
 
 
●『まずやってみよ、失敗を恐れるな。障子を
あけてみよ、外は広いぞ』
 
  豊田 佐吉(トヨタグループ創業者)
 
 “日本のエジソン”と呼ばれた佐吉は、生涯得た特許八四件、実用新案は三五件、外国特許は一三件にのぼった。
 
 佐吉のやり方は、アイデアを初めから完全なものにしようとせず、ひらめいた段階でまず試みた。そして、改良に改良を重ねて完全なものにしていった。 部下が可能、不可能をやる前に、自分だけの体験や知識で決めつけることを、何よりも嫌った。「まずやって
みよ」「失敗を恐れるな」と口グセのようにいい、自分でもそれを実行した。
 
 佐吉は自らの生涯を振り返り「予の今日までの生涯は、ずいぶん波瀾曲折ありて、悪戦苦闘、多くは失敗の歴史なり」と述懐している。
 
●『頭を使わないと、常識的になってしまう、
頭を使って“不常識”に考えろ』
 
  本田 宗一郎(ホンダ創業者)             
 
 人間には、先にあるものが分からんから、やるんだという人と、分かったからやるんだという人と二色ある。分からんからやる人ではないと、アイデアはわいてこない。
 
 運動会があるのなら、“頭の運動会”があってもよいではないかと、「オールホンダ・アイデァコンテスト」を二年に一回開催している。車軸もなく、スポークもない自転車や四角の車輪の自転車など、珍アイデアのものが出てくる。
 
 遊びだから不常識なことを、不真面目にやれるということです。常識的、真面目からは何も生まれない。こういう非常識なことが行われているから、ホンダはこれだけ大きくなった。
 
 一人ひとりの力は、よその企業と変わりはないが、一人ひとりの得手や持ち味を出し合
い、それがひとつになって、これだけ伸びてきたと思うんです。
 
 
 
  
  ●〇◎『もっと物を忘れなさい』
 
  藤原 銀次郎(王子製紙創業者)            
 
 藤原の別荘に京都・大徳寺管長がきた時、「年をとったせいか、近頃、物を忘れて困る。何とか忘れない工夫はないか」と相談した。
管長は「それはあんたの、忘れようがまだ足りない。もっと物を忘れなさい」といい、藤原も、その通りと気づき、
茶席の庵号も「倶忘」と管長に命名してもらった。
 
これはよいことも悪いことも、すべて倶に忘れるの意味で、熱海の別荘も「倶忘軒」の名づけた。
 
 藤原は「人間というものは、入用なことを覚えることはなかなか困難で、それに反して不用なことを忘れるということもまた非常に困難である」という。
 
 例えば、自分はアイツにこんなヒドイ目にあわされた。ケシカランやつだ、というウラミはなるべく早く忘れ去った方がいいのだが、忘れられないで、絶えず頭にこびりついていることが多いのではないか。
 
下らぬことは早く忘れて、不用なことで頭のスペースを占領せず、入用なことをどしどし詰め込む方が大切だ。
 
●〇◎『事業家や人の上に立つ者は、創作家になる
ことだ』
 
  松永 安左衛門(電力の鬼)
 
 世の中に最も多いものは人間であり、最も少ないものも人間なのである。世の中に最も多い人は、人に使われる方の人であり、最も少ない人は使う方の人だ。
 
人がない。金がない。モノがない、のないないづくしで仕様がないようにいっているが、一番足りないのは、人を使う人の知恵と勇気で、これさえドンドンできれば、新しい事業も仕事もできる。
 
 人を上手に使いこなせる人が大成する。そのためには、事業家や人の上に立とうと思えば創作家になることだ。無から有を生み、小から大を育て上げる人間になることだ。
 
 
 
●〇◎『経営者は不況を待望せよ』
 
  牛尾 治朗(ウシオ電機会長)        
 
 ある関取の親方が「勝って騒がれるのは当たり前、負けて騒がれる力士になれ」と弟子に言ったが、経営者も「不況はもちろん、減益・減配も恐れてはいけない」と思う。
 
 「また不況が来たら困るな」「赤字になる前に引退しよう」「業績低下を誰れのせいにしよう」などと考えている経営者は失格である。社員以下がどんなに努力しても、五年に一度、十年に一度は「減益」という踊り場があるものだ。
 
 しかも、企業には減益になるような時期でなければ手が打てない、やりにくい社内政策がいくつもある。企業の体質改善策も業績が伸びている時は手がつけにくい。私は「次に減益した時にやりたい施策」を思いつくたびにメモしている。
 
 問題は業績が下がった時、次の上昇のための反発力が強くなるか、反発できず停滞してしまうかだ。不況、減益を「舌なめずりしながら待っている」というのが真の経営者。

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