世界が尊敬した日本人★★<1億人のインド不可触民を救う仏教最高指導者・佐々井秀嶺 >★
1億人のインド不可触民を救う仏教最高指導者・佐々井秀嶺
<歴史読本(2009年10月号)に掲載>
前坂 俊之(静岡県立大学名誉教授)

〔日本から来た「奇跡の男」〕
人口約11億人、世界第二の大国インドの経済躍進が世界から注目されているが、国内的にはヒンズー教のカースト制度により、数億人の不可触民が、動物以下の差別と貧困と屈辱にあえいでいる。
四十年前にインドに渡った若き日本人僧侶が「不可触民を救え」と立ち上がり、今や信者が一億人を超える仏教界最高指導者に上りつめ、お釈迦様の仏教遺跡を取り戻す運動を指導していると聞けばビックリ仰天だが、この「奇跡の男」こそ、佐々井秀嶺(当時、七十四歳)である。
「日本のODAを足しても佐々井師一人の業績にかなわない」とジャーナリスト・山本宗補が指摘するそのカリスマ指導者は、今年、四十年ぶりに最初で最後の里帰りをして、故郷の岡山を中心に、約三カ月をかけて全国を説教行脚した。
二〇〇九年六月七日、東京最終講演会が東京の護国寺で開かれ、境内は約五百人以上の人々であふれんばかり。朱色の法衣をまとった佐々井師は浅黒い顔に眼光桐々、阿修羅のような顔立ち。一度口を開けば辺りを圧する大音声で、朗々とよどみなく約一時間半にわたって、不可触民を奴隷以下に虐待差別するヒンズー教をきびしく批判した。そして、人を救うのが宗教者の務めと説き、各宗教の連帯を力強く訴えた。
〔博士のお告げ〕
佐々井秀嶺は昭和十年(一九三五)八月、岡山県新見市で左官の長男として生まれた。早熟な少年で、性欲、女性関係で悩んで出奔。放浪、自殺未遂を繰り返しながら二十五歳で出家した。三十歳でタイに留学した後、インド仏教発祥の地ラージキルへ渡った。
ここで日本へ帰国する最後の夜、お告げを受けた。夢の中に白髪白髭の老人があらわれ 「南天竜宮へ行け。なんじの法城はわが法城なり」 と告げられた。南天竜とはインド中央部のナグプール(龍宮)のこと、であり、出かけてみると、夢の老人はアンベードカル博士(一八九一~一九五六、インド憲法の父で、ガンジーと並び称される人物。不可触民出身で仏教再興運動の創設者)であることが分かった。
一九六八年、三十三歳の時である。
以後、博士が仏教再興運動を起こしたこの地に住んで、不可触民と生活を共にしながら救済運動に立ち上がった。断食行、団扇太鼓を持って「南無妙法蓮華経」を唱え、布教と修行を積み、寺も建てた。仏教とアンベードカル博士の教えを実践し、そのうち博士の後継者として、周囲も認める指導者となった。
〔寺などいらぬ〕
ヒンズー教から改宗する仏教信者が増え、数千万人もの大勢力になるにつれて、内外の宗教組織から強烈な反発が起きる。一九八七年七月、佐々井は不法滞在で逮捕されたが、ナグプールでは「釈放して、国籍を与えよ」と、大規模な市民抗議集会が起こり、一カ月で六十万人もの署名が集まった。
仏教徒の強烈な抗議で、ラジブ・ガンジー首相は一九八八年四月、佐々井に正式に市民権を与え、「アーリヤ・ナーガルジュナ」(聖樹の意味)のインド僧名をおくり、名実ともにインド仏教界最高指導者になった。
佐々井がインド国内で一躍有名人となったのは、「大菩薩寺奪還闘争」からである。大菩薩寺とはお釈迦さまが悟りを開いた場所で、仏教遺跡の中でも最も尊い所だが、ヒンズー教徒に占拠、管理されていた。
一九九二年から佐々井は「殺されてもよい」という覚悟のもとに陣頭指揮をとり、トラックに分乗して、中央、州政府、各都市と数千キロにわたってデモ行進し、各地で激しい奪回運動を展開した。
そのせいもあってか、大菩薩寺跡は二〇〇二年に世界文化遺産に登録された。その翌年、佐々井は政府の「インド少数宗教委員会仏教代表」(副大臣級)に指名され、仏教布教と、「シュリーマン」のように発掘にと、両車輪で取り組んでいる。
『破天』(山際素男著、光文社新書)という佐々井の伝記がある。青春期の色欲、煩悩、自殺未遂、野たれ死に行から、意地と度胸と義侠心からインド仏教界の頂点に立ったその人生は、破天荒で波瀾万丈の菩薩道そのものである。
「私は求道者。寺などいらぬ。最後はとぼとぼ歩いて、道端で石にけつまずいてどこかの道で行き倒れて死ぬか、草の中で死ねれば本望です」という。
◎佐々井秀嶺師による原発周辺での人・動物供養(2013年7月 2日 (火)
http://asama888.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/post-9367.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E3%80%85%E4%BA%
95%E7%A7%80%E5%B6%BA
●「日本リーダーパワー史(30)インドに立つ碑・佐々井秀嶺師と
山際素男先生 <増田政巳(編集者)>
http://maesaka-toshiyuki.com/detail/303
関連記事
-
-
日中韓近代史の復習問題/『現在の米中・米朝・日韓の対立のルーツとしての中国・韓国の外交詐術は変わらない』★『記事再録/日本リーダーパワー史(705) 『日清戦争の引き金の1つとなった防穀令事件 <1889年(明治22)>』★『最後の最後の最後まで、引き延ばし、拒否戦術で相手をじらし土壇場にならないと妥協しないのは中国/朝鮮側の常套手段』
2016/04/24 /日本リーダ …
-
-
『オンライン/日本宰相論/講座』日本史最良・最強の宰相は誰か?、平民宰相と呼ばれた原敬です』★『凶刃に倒れた日本最強の宰相・原敬の清貧の生活、非業の死、遺書、日記』★『原敬暗殺の真相はー「お前は「腹を切れ」といわれたのを、「原を切れ」と勘違いした凶行だった』
2012/08/12 /日本リーダーパワー …
-
-
★⓾(記事再録)『グローバリズム/デジタルデフレ」で沈没中の<安倍日本丸>は『日清、日露戦争」で完全勝利した山本権兵衛海相(首相)の強力リーダーシップに学べ<年功序列と情実人事が横行し無能者が跋扈していた海軍の旧弊人事を一新、派閥を打破した>
2011・3/11から2週間後に書いた記事ー 『いまリーダーは何をすべきかーその …
-
-
『バガボンド』(放浪者、世捨て人)ー永井荷風の散歩人生と野垂れ死考 ② 『行動的なフランス知識人とまったくだめな日本のインテリ』
『バガボンド』(放浪者、漂泊者、さすらい人)ー永井荷風の散歩人生と …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(127)/記事再録★『「長崎の平和祈念像」を創った彫刻家・北村西望(102歳)★『わたしは天才ではないから、人より五倍も十倍もかかるのです」★「いい仕事をするには長生きをしなければならない』★ 『たゆまざる 歩み恐ろし カタツムリ』★『『日々継続、毎日毎日積み重ね,創造し続けていくと、カタツムリの目に見えないゆっくりした動きでも、1年、2年、10年、50年で膨大なものができていくのだ。』
2018/01/17百歳学入門 …
-
-
クイズ『坂の上の雲』 英『タイムズ』などが報道する『日・中・韓』三国志・・日清戦争の原因とは・・・
クイズ『坂の上の雲』 英『タイムズ』などが報道する『日・中・韓』三 …
-
-
☆書評『新渡戸稲造ものがたりー真の国際人、江戸、明治、大正、昭和をかけぬける』(柴崎由紀著、銀の鈴社、定価1500円+税)
☆書評『新渡戸稲造ものがたりー真の国際人、江戸、明治、大正、昭和をかけぬける』( …
-
-
★5日本リーダーパワー史(776)ー 『アジア近現代史復習問題』 福沢諭吉の「脱亜論/日清戦争開戦論」を読む』(10) 『英ファイナンシャルタイム紙』(3月2日付)『金正男氏殺害の「大胆さ」に中国の影?』●『北朝鮮は基本的に中世の絶対君主制国家。中世イングランドのプランタジネット朝やオスマン帝国のスルタンを思わせるような殺人だった』
★5日本リーダーパワー史(776)ー 『アジア近現代史復習問題』 福沢諭吉の …
-
-
日本リーダーパワー史(117)辛亥革命100年ー孫文を助けた犬養木堂と頭山満のその後の信頼は・・
日本リーダーパワー史(117)孫文を助けた犬養木堂と頭山満の信頼関係 辛亥革命百 …
-
-
日本リーダーパワー史(652) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(45)日清戦争勝利、『三国干渉』後の川上操六の戦略➡『日英同盟締結に向けての情報収集に福島安正大佐をアジア、中近東、アフリカに1年半に及ぶ長期秘密偵察旅行に派遣した』
日本リーダーパワー史(652) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(45) …
