『リーダーシップの日本近現代史』(188)記事再録/近代のルネッサンス的巨人・日中友好の創始者・岸田吟香は『230年ぶりに上海に住んだ最初の日本人』★『ヘボンと協力して日本最初の和英辞典を出版、毎日新聞主筆、目薬屋、汽船、石油採掘、盲人福祉など10以上のベンチャービジネスを興した巨人』
2019/12/09
日本天才奇人伝④記事再
近代日本の巨人・日中友好の創始者・岸田吟香伝
前坂 俊之(ジャーナリスト)
日中歴史文化交流は2千年に及ぶが、今年(2012年)は日中国交回復から40年、辛亥革命から101年の節目に当たる。
では<クイズ>ー明治維新後に日中関係の扉を最初に開いた人物は一体だれなのでしようか?
<答え>ー岸田吟香です。
岸田は1635(寛永12)年、江戸幕府が海外渡航を禁じて以来、約二百三十年ぶりに1866年(慶応2)年に半年間も長期に上海に住んだ最初の日本人である。

高杉晋作が幕府使節随行員として上海に渡ったのは文久2年(1862)で太平天国の乱を見聞し、西欧列強の侵略にあっている姿に大きな衝撃を受けて帰国したが、これは2ヵ月間であり、岸田はこの3倍の長期である。
岸田の活動のスケールは大きく後年には目薬「精錡水」(せいきすい)を清国で広く販売網を築き、薬業界の大立者となり日中国民の健康増進に貢献。同時に、彼は東亜同文会、同仁会、日清貿易研究所等のなどを創設、日中貿易に尽力し、中国の各地に学校も作り日中教育に取り組んだ先駆者でもあった。
岸田吟香は、一八三三(天保四)年四月、美作(岡山県)久米郡塀和村字谷で 没落素封家の農家の長男として生まれたが、少年時代は神童をうたわれた。津山に出て永田幸平、上原存軒に漢学を、矢吹正則に剣道を学ぶ。17歳で江戸に出て津山藩儒・昌谷精渓に入門し、また林図書頭の塾にも学んだ。
図書頭の代講として秋田藩邸や水戸藩邸にも出講したが、1864(元治元)、31歳で眼を病み、アメリカの医師で言語学者の宣教師ヘップバーンが横浜で経営する医館(療養所)にて治療を受ける。
これがきっかけで、へボンに弟子入りし、ヘップバーンが編集中の「和英語林集成」(和英・英和辞書)の編集を助け、かたわら英語の研修を進め、施療所で眼病治療を手伝う中で目薬の調合を身につけた。
1865(元治2)、浜田彦蔵(ジョセフ・ヒコ)「海外新聞」を創刊。民間で発行された最初の邦字新聞である。吟香、本間清雄とともにその発行を助ける。
1866(慶應2)、33歳でヘップバーンに付き添い、上海に赴き、アメリカ宣教師の経営する美華書館にて「和英語林集成」の印刷に着手した。この間、半年間にわたった上海滞在中に岸田が記したのが「呉漱日記」である。
慶応3(1867)、江戸松坂屋彌兵衛および横浜鹿島屋亀吉の合資で汽船を買い入れ、米人ヴァン・リード経営により、江戸横浜間の定期航海を開始した。また、ヘップバーンより伝授された目薬を調剤し、「精錬水」として製造販売を始めた。今でいうベンチャービジネス、国際ビジネスの先駆者といえよう。
明治維新後の73年、主筆として東京日日新聞社(現・毎日新聞の前身)に入社し、翌74年の台湾出兵では同社の従軍記者として同行。岸田の従軍報は「台湾信報」として『東京日日新聞』に掲載された。わが国最初の従軍記者である。
75年精錬水販売店として東京銀座に楽善堂を開設し、80年その支店を上海イギリス租界に設け、清国へ本格的に進出した。85年には陸軍参謀本部員で大陸進出の先兵となった「荒尾精」を支援するかたちで漢口にも楽善堂支店が置かれた。
『先駆者岸田吟香』 杉山 栄 (1962、時事通信社)によると、岸田吟香の業績は多角的であるが
、次の12点を上げている。
、次の12点を上げている。
①、わが国のジャーナリズムが深い眠りの中にある時、率先して新聞の創刊に関与したことである。
② わが国における最初の従軍記者として台湾征討軍に従軍したことである。明治七年(一八七四年)の春、彼は筆を載せて、台湾征討軍に従い、観戦記を「東京日日」新聞に掲載したが、これこそはわが国における最初の従軍記であったのである。
③わが国における英米文化伝播の黎明期に当り、完壁にちかい和英・英和字書の編集に与ったことである。慶応三年(一八六七年)の春、彼は米人ヘップバーンを助けて「和英語林集成」を刊行した。

④洋式な眼薬をわが国に伝えたこと。慶応三年(一八六七年)八月、彼はヘップバーンから伝授「精鏑水」と名付けて売り出した。洋式な「精錦水」は、国内は無論のこと、遠く海外、-なかんづく中国の山村僻邑にまで普及して愛用せられ、多くの眼病患者を救うことが出来た。
⑤製薬界および売薬界への貢献である。彼は「精錦水」を製剤・販売した関係から、製薬界および売薬界に重きをなし、東京売薬業組合頭取その他に推されて、斯界の発達・改善および業者の社会的地位の向上に寄与した。
⑥衆に先んじて盲唖学校を創設したことである。明治十三年二月、前島密等とともに東京築地に訓盲院を設け、わが国における草昧期の盲唖教育に灯を掲げた。
⑦上海―横浜間に初めて定期航路を開いた。京浜間の鉄道が開通していない当時のこと、運輸交通上に寄与するところが多かった。
⑧衆に先んじて氷室商会を経営したことである。明治四年(重石)の頃、彼は氷室商会を設立し、北海道から氷塊を移入して販売した。
⑨石油の掘削企画したことである。明治三年(至〇年)には官許を得て、アメリカから油井掘屈機を購入することを企てた。
⑩、おびただしい著述や翻刻書の公刊である。「和英語林集成」については既述の通りあるが、明治四年(一八七一年)に刊行した「横浜全図」、同六年(一八七三年)に発行した「和訳英語聯珠」を始め、彼の著書、翻刻書は二十種を超え、その種目は地誌、地図、和英語対訳書、詩集、作詩指導書、字書、法律書、経済書、医薬書等、極めて多方面にわたっている。
⑪中国大陸への進出と日中親善への貢献とである。彼は慶応四年(一八六八年)一月以来、上海に「精鏑水」 の販売所を設けていたが、明治八年(一八七五年)九月、東京銀座に「精鏑水調合所」 (楽善堂薬舗)を開店したのを契機として、中国各地に楽善堂分店を設置した。そしてこれ等の分店は日中親善および日中貿易の要衝となり、中国に進出する邦人の拠点となった。
⑫東亜同文会、同仁会、日清貿易研究所等の創設に関与して、日中親善の深化、日中貿易の伸長に努め、かつ大東汽船会社、湖南汽船会社等の創立にも与り、中国における汽船航路の発展に貢献した。
(13) 創設に力を尽した東亜同文会その他の機関は、明治三十三年(一九〇〇年)、上海に東亜同文書院の経営を開始,、順次、天津に日中書院、漢口に江漢中学校等を経営し、中国に羽翼を伸ばす青年の養成および中国青年の知日教育に努力した。日中親善への寄与・貢献は、かずかずの彼の功績の中で、特に輝かしき、そしてまた特に偉大なる功績であった。
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