『ガラパゴス国家・日本敗戦史』 (24)『大日本帝国最後の日(8月15日)「阿南陸相自決とその日の陸軍省・参謀本部」②
2017/08/15
『ガラパゴス国家・日本敗戦史』 (24)
『大日本帝国最後の日―
(1945年8月15日)をめぐる攻防・死闘
終戦和平か、徹底抗戦か⑧」
<阿南陸相自決とその日の陸軍省・参謀本部②>
前坂 俊之(ジャーナリスト)
<阿南陸相の自決とその日の陸軍省・参謀本部 ②>
阿南陸相は終戦への意志を自決で示す
一方、大御心と、いきり立つ少壮将校の抗戦意識の板バサミをどう折り合わせるか、阿南陸相胸の内は決まっていた。
タイミングを見計らつて自決し、終戦の不可避なことを身をもつて全陸軍に知らせ燃え上がる抗戦意識に水を注ぐ。天皇の聖断と同じく、陸相の自決が不可欠とみえた。
十四日午後十一時、すべての終戦手続が終了したあと、阿南は首相官邸をたずね、鈴木首相にいとまごいをした。
その前には、ことあるごとに対立した東郷外相にも、非をわび、同じくいとまごいをすませていた。
十五日午前七時十分、陸相官邸で割腹自殺した阿南は絶命した。衛生課長出月三郎大佐の鑑定では「下腹部へそ下一寸の所に左から右へ引いた創があった」
割腹から絶命までに時間がかかったのは頸動脈が切れていなかったためであった。
遺書と辞世の和歌が半紙に書かれていた。
「一死以て大罪を謝し奉る
昭和二十年八月十四日夜
陸軍大臣阿南惟幾 花押」
「大君の深き恵に浴し身は言ひ遺すへき片言もなし
八月十四日夜、陸軍大将 惟幾」
阿南は自決に立ち合った竹下中佐に「十四日は父の命日であり、十五日には玉音
放送があり、聴くのは忍びない」として、自決を決行した日付は、実際は十五日なのだが、十四日と書いていた。
また「大罪を謝し奉る」とは十五年戦争でついに敗北、終戦という事態を招いた陸軍の行為に対して、その代表としてお詫びしたもの、と竹下中佐はみている。
阿南の最期の様子は平常と全く変らず、疲労の色もなく、若松次官は「進退堂々、
挙措典雅、悠々迫らず、いつも微笑をたたえた温顔を、最後の日まで変りなく保ちつ
づけたことに驚きを禁じ得ない」(『一死 大罪を謝す』角田房子著 新潮社)
阿南は自決は自分一人でいいとして、覚悟していた荒尾軍事課長らにクギを刺し、
「これから大混乱の中を平静に終戦処理することが中央幕僚の任務だ。外地からの復員も早急に実現しなければならぬ。君たちはこの二大事業を完遂してほしい」と〝遺言″を残していた。
用意万端整えた上での見事な自決であった。
連絡を受けた妻綾子の態度も落着いており、平生とかわりなかった。
ちょうど前日(十四日)に戦死した阿南の二男惟是の戦友が訪れ、戦死の模様を報告したいとして阿南家に宿泊していた。
綾子は夫にこのことを何度も連絡したが、結局とれずじまいだった。
十五日朝、夫の自決を知らされた綾子は相次いで息子と夫の死に向かいあうことになった。
自決で全陸軍に告知
阿南陸相の自決は終戦を具体的、強烈な形で全陸軍に告示した。
荒尾軍事課長は「全軍の信頼を集めている阿南将軍の切腹こそ、全軍に最も強いショックを与え、鮮烈なるポツダム宣言受諾の意思表示であった。
換言すれば大臣の自刃は、天皇の命令を最も忠実に伝える日本的方式であった」
(同前掲書)
この結果、徹底抗戦や戦争継続の主張はピタリとやみ、終戦の現実を受け入れる
劇的効果を上げたのである。
十五日、大陸令(第千三百八十一号) が発せられた。
1 大本営ノ企画スル所ハ、八月十四日、詔書ノ主旨ヲ完遂スルニアリ
2 各軍ハ、別二命令スル迄、各々現任務ヲ続行スベシ、但シ、積極的進攻作戦ヲ中止スベシ。又軍紀ヲ振粛シ、団結ゴノ強固ニシテ、一途ノ行動二出デ……
また『機密終戦日誌』 には次の記述がある。
1 次官閣下以下二報告
2 十一時二十分、椎崎、畑中両君宮城前(二重橋卜坂下門トノ中間芝生)ニテ自決、午後屍体ノ引取リニ行ク
3 大臣、椎崎、畑中三神ノ茶毘、通夜、コレテ以テ愛スル我ガ国ノ降伏経緯ヲ一応潤筆ス
参謀本部所蔵「敗戦の記録」では十五日について、こう書いている。
「すべては終った。残されたことは退り際をよくするだけのことである。
大東亜全域に各種それぞれちがった状況で散らばっている大陸軍を、どうして整斉と解体するか。
十四日の私にはとても考えられなかった。ほんとうに放心に近い心境であったが、最後の御奉公と気を取り直して……」
十五日夜、市ヶ谷台の海軍重砲西側で、阿南の遺体は茶毘に付された。
陸軍省ではこの日、書類を焼く煙が一日中たちのぼっていた。
河辺参謀次長の日記にはー。
「斯クテ、我ガ大陸軍七十余年ノ盛衰ハ阿南大将ノ自決ヲ以テ終止符トナスベキカ」帝国陸軍は精神主義を全面に押し出し将兵を教育してきた。
そして最後は竹槍でもつて米軍を撃破すると絶叫したが、陸相の自決で降伏を徹底させたあたり、いかにも日本陸軍らしい最期ではあったといえる。
<『大日本帝国の最期』 新人物往来社 2003年7月刊より自著転載>
つづく
関連記事
-
-
世界リーダーパワー史(940)ー注目される「米中間選挙」(11/6)と「トランプ大統領弾劾訴追」はどうなるのか、世界がかたずをのんで見守る(上)
注目の「米中間選挙」(11/6)と「トランプ大統領弾劾訴追」はどうなる(上) …
-
-
『政治家の『リーダーシップ復習問題』★『リーダーシップの日本近現代史』(321)★『戦略思考の欠落⑪』★『10年前の民主党政権下の尖閣諸島問題での外交失敗を振り返る。 リーダーなき日本の迷走と没落』★『明治の最強のリーダシップを学べ』
2015/12/01 日本リーダーパワー史(617)記事再編集 『戦 …
-
-
『Z世代のための日中韓(北朝鮮)外交史講座⑤』★『明治以降、日中韓(北朝鮮)の150年にわたる対立、戦争のルーツは『朝鮮を属国化した中国」対「朝鮮を独立国と待遇した日本(当時の西欧各国)」とのパーセプションの衝突である』★『1876年の森有礼(文部大臣)と李鴻章の『朝鮮属国論』の外交のすれ違いのルーツがここにある』
2019/10/19/『リーダーシップの日本近現代史』(102)記事再録再編集 …
-
-
『オンライン講座/百歳学入門(54)』★『玄米食提唱の東大教授・二木謙三(93歳)の長寿法『1日玄米、菜食、1食のみで、食はねば、人間は長生きする』★『二木謙三博士の健康十訓ー①食べること少なくし、噛むことを多くせよ。②怒ること少なくし、笑うことを多くせよ③言うこと少なくし、行うことを多くせよ④取ること少なくし、与えることを多くせよ⑤責めること少なくし、ほめることを多くせよ 』
2012/11/05 …
-
-
片野勧の衝撃レポート(48)太平洋戦争とフクシマ(23『なぜ悲劇は繰り返されるのかー 沖縄戦と原発(上)
片野勧の衝撃レポート(48) 太平洋戦争とフクシマ(23) 『なぜ悲劇 …
-
-
日本の「戦略思想不在の歴史⑮」ペリー来航45年前に起きたイギリス東洋艦隊の「フェートン号」の長崎港への不法入港事件」★『ヨーロッパでのナポレオンの戦争の余波が<鎖国日本>にも及んできた』
「 日本外交史➀(幕末外交)」などによると、 1808年10月4日(文化5年8月 …
-
-
『Z世代のための米大統領選挙連続講座④』★『クルーニーがバイデン大統領に撤退を要請、崖っぷちのバイデン』★『トランプの経済政策は米国経済をつぶす」「16人のノーベル経済学賞受賞者が表明」』
2024/07/12 世界、日本リーダーパワー史(935) クルーニーがバイデン …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(114)/記事再録☆『世界が尊敬した日本人(36)ー冷戦構造を打ち破り世界平和を模索した石橋湛山首相』★『世界の平和共存、日本の対米従属から自主独立を盛り込んだ「日中米ソ平和同盟」の大構想を掲げ対米関係は岸、池田首相に任せ、自らソ連に飛んで、日ソ平和条約を話し合った大宰相』
2015/10/11   …
-
-
速報「日本のメルトダウン」(491)小出裕章インタビュー:4号機の燃料取り出し作業の 危険性(動画)【電力事業者を飢えさせる小泉元首相」
速報「日本のメルトダウン」(491) ◎< …
