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『オンライン/ベンチャービジネス講座』★『日本一の戦略的経営者・出光佐三(95歳)の長寿逆転突破力、独創突破力はスゴイよ②』★『眼が悪かった佐三は大学時代にも、読書はあまりしなかった。「その代わり、おれは思索するんだ」「本はよく買ってきては<積読(つんどく)>そして<放っ読(ほっとく)」だよと大笑いしていた』

      2021/12/25


 

出光佐三は1885年(明治18)8月、福岡県宗像郡赤間町(現・宗像市)の藍問屋の8人兄弟の二男に生まれた。明治38年、神戸高商(現・神戸大学経済学部)に入学した。

出光は、卒業論文で「石炭から脱して石油産業へ」をテーマに書いた。石炭全盛のこの時代にいち早く石油の将来性に着目し

  • ⓵ 国内石炭資源の埋蔵量は少なく、坑道掘削が深くなるほど経費がかかり、国際際競争力は低下し石炭業は衰退する。

  • ② 日露戦争での日本海海戦を分析し、石炭燃料では『煙』によって、より早く敵から発見される、自艦の煙によって敵艦がよく見えず、射撃が狂うマイナスが大きい。石油を早急に戦略物資にすべきと提言した内容。

  •  
  • 英国のチャーチル海相(後首相)も「石油の時代」を見込んで、海軍燃料の『石油化』を考えイラン石油の利権「英国アングロイラ二アン社(AI)」を支配下に置き、潜在的な艦隊戦力比でドイツより優位に立つことに成功した。出光がチャーチルに比肩するインテリジェンスの持ち主であることを示している。ところが、日本海軍は日露戦争での「日本海戦の勝利」が忘れられず、これから40年後の太平洋戦争でも「大艦巨砲主義」に固執して、戦艦大和を建設し、無用の長物と化し1945年6月の沖縄戦に出撃し、米軍機の餌食となり沈没した。

  • 目が見えなかったので、自分の頭で考えに考え抜いた。


  •  幼少期から眼が悪かった佐三は神戸高商(現・神戸大学)時代にも、読書はあまりしなかった。「その代わり、おれは思索するんだ」と豪語していた。「本は大好きでよく買ってきては<積読(つんどく)>し、そして<放つ読(ほっとく)」だよと冗談をいい、大笑いしていた。

  1909年(明治42)、神戸高商(現・神戸大)を卒業した。当初は外交官志望だったが、父親から 「外交官といって、上からの命令で世界各地に飛ばされる。商人になれ。小なりといえども、商人は独立自存だ。自分の思想や信念が貫けるではないか」と反対され、わずか従業員3人の神戸の石油販売店にテッチ奉公に入った。

大会社で小さい部門で働くよりも、一から勉強して全体が知りえる立場で経営術を学びたいと考えた。大企業から引く手あまたの学校側や友人からは「わざわざ高商(大学)を出たのにデッチ奉公するなど学校の面よごしめ」と一斉に非難された。

すると、負けずに出光は「君たちが満州鉄道(当時日本に一)の理事になるのと、オレが大企業の経営者になるのとどちらが早いか競争だ」とけんかになった。このスタートからして、出光の面目躍如が見えてくる。

●実家が倒産、独立へ

 こうして2年間、早朝から夜遅くまで住み込みでデッチ奉公して商売のやり方が何とかわかってきた矢先の1911年(明治44)、福岡県宗像郡の出光の実家家が傾き、神戸での丁稚奉公をあきらめた。家子郎党を養うため独立を決意した。しかし、先立つ資金がない。神戸で懇意にしていた資産家の日田重太郎が6千円(今の金に換算して約2億円)をポンと出してくれた。日田は出光の才覚と信念をホレ込んでの出資で「金は返すに及ばない。君の主義を貫き、一家で仲良く暮らせばよい」と出光にいい、日本古来からの陰徳の情を示した。

  • 北九州の門司に「出光商会」を開業

1911年(明治44)6月,北九州の門司に日本石油の潤滑油の特約店として「出光商会」(従業員は5人)を設立した。佐三の信念の『士魂商才』の額を店内に高く掲げ「石の上にも3年の覚悟」でスタートした。関門地区を中心に

九州一円の炭坑業、繊維、機械など各工場や漁業関係者に機械油、潤滑油を売いたが、ほとんど売れない。開業してから三年目、ついに資本金も底をついてきた。佐三は悩んだ末に日田に「店をたたむしかない」と相談すると「君ならやれる。まだがんばれ」と励まされた。

●石油の世紀、自動車の時代の幕開け

石油の可能性について必死に調査していた1914年(大正3)春、日本石油史上最高の噴油を記録した秋田県南秋田郡の黒川油田を視察に出かけた。その帰途、東京に立ち寄ったが、東京の中心部で多くの自動車が行き来しているのを見て、喜びをかみしめた。佐三が卒業論文で予言した「石油の時代」を自動車の普及を目の当たりにして実感した。

明治41年には全国でわずか9台しかなかった自動車は、この年には1000台へと激増した。

門司に帰ってくると港は漁船であふれていた。この漁船に軽油を売り込めばよいとピンとひらめいた。当時の漁船は帆掛け船から動力船の時代に入っていた。漁船の燃料は高い灯油が使われていた。

佐三は漁業関係者に「灯油よりも軽油が安い。おまけに軽油はは燃費効率がよく、パワーもある。魚は鮮度が命なので、スピーディーに漁獲を魚市場にもっていくことができる」と売り込んだ。

そのために、波でゆれる海上でも正確に油量を測れる計測器を独自開発した石油給油船を独自に建造して、海上即販便を作り、これが大当たりしたのです。出光には科学的、合理的な思考方法を身につけていた。

すると、早速、地元の石油販売業者や水産業者からクレームが出た。石油の特約店には地域別のなわ張りがあり、下関と門司とは別区域で販売できない仕組みになっていた。

●『海賊』のにニックネームの由来は・・

文句を言われ佐三は逆襲し「それは陸上での縄張りで、陸の上ではもちろん売りません。海上には下関と門司の境界線があるのですか、海の上の販売は問題がないのでは・・」と反論し、相手を絶句させた。

「生産者から直接仕入れて、消費者に安く良質の商品を届ける大地域小売り主義」を実現した瞬間であった。この結果、出光は『海を自由に暴れまわる海賊!?』とのニックネームがつけられた。

関門海峡から、豊後水道、西瀬戸内海沿岸の漁民の獲得に成功し、下関にも事務所や倉庫を増設した。第一次世界大戦中の燃料、石油不足と価格高騰にもかかわらず、出光は1日も欠かさず安い軽油を安定供給して漁民の操業をたすけて水産業者の動力源となり、海を制していった。

つづく

 - 人物研究, 健康長寿, 現代史研究

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