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「英タイムズ」「ニューヨーク・タイムズ」など外国紙が報道した「日韓併合への道』㉓「伊藤博文統監の言動」(小松緑『明治史実外交秘話』)⑧『伊藤統監の辞職『一億円は高過ぎる』『事実上の併合へ』

      2015/09/14

 

「 英タイムズ」「ニューヨーク・タイムズ」など外国紙が

報道した「日韓併合への道』の真実㉓

  「伊藤博文統監の行動」(小松緑『明治史実外交

秘話』中外商業新報社, 昭和2年刊)より)⑧

『伊藤統監の辞職『一億円は高過ぎる』『事実上の併合へ』

一億円は高過ぎる

光武帝は、閣臣元老の諌争で退位を余儀なくされたけれども、なお大皇帝として依然、陰謀の中心となっていた。伊藤統監は内政の監督を一層厳密にする必要を感じ、林外相と協議して、七月二十四日に韓廷と下記の新協約を結んだ。

第一    韓国政府は施政改善に関し統監の指導を受くること.

第二 韓国政府の法令の制定重要なる処分は予め統監の承認を経ること

第三 韓国の司法事務は普通行政事務と区別すること

第四 韓国高等官吏の任免は統監の同意を経てこれを行うこと

第五 韓国政府は統監の推薦する日本人を韓国官吏に任命する

第六 韓国政府は統監の同意を得ずして外国人を雇聘せざること

その結果として、行政官が司法事務を執行していた旧制を改め、新たに大審院、控訴院(のち大審院登高等法院、控訴院を覆審法院と改む)、地方及び区裁判所を設け、その要部に日本人判検事を併用することとし、また行政部においても朝鮮人大臣の下に日本人次官を配属することとし、警視総監、警保局長、各這事務官に日本人官吏を採用することにした。

これは理想としては至極妙案であったが実際、日韓両国官吏がなかなか融和しなかった。一方韓帝を主上と仰ぎ、他方は統監の監督に属する関係上、あたかも両頭の蛇の如く、事毎に相背馳し、果ては無能ながら尊大自ら持する大臣と、敏腕を振って切廻そうとする日本次官とが、嫉視反目するという醜態を演じ出した。

さなきだに政争の激しい朝鮮官吏の中に、日本官吏が雑ったのであるから、紛糾の火に油を注いだような結果となった。

そこで保護制度の如き半呑半吐の方法では、日韓双方のためにならないから、百尺竿頭一歩進めて、両国が合体する方が百年の長計であると考えた者が、日本人中にも朝鮮人中にも少なくなかった。この意見を思い切って進言した者が、この時農商工部大臣から内部大臣に転任した宋秉畯(そうへいしゅん)であった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%8B%E7%A7%89%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%B3

宋秉畯は機智才略に富んだ一種の人傑であった。日露戦争の時に日本から帰って来て、一進会という日本党を作り、日本軍のために人夫や軍需品の徴発を一手に引受けたこともあった。ある時、著者が一進会とはどういう意味かと聞いて見たら、宋秉畯は自分が日本に亡命している間に、すっかり日本国民の一致と進歩とに感服してしまったので、それにあやかりたいという希望から、一進会と名づけたのだと答えた。

彼は日本と提携して行かなくては、到底朝鮮人の幸福を庶幾(しょき)することはできないという信念から、きてこそ日韓合邦論を唱え出したのである。

しかし伊藤がどうしても宋秉畯の急進論に耳を傾けなかったので、宋秉畯はたまりかねて辞表を出したまま東京に行って、その旧友・杉山茂丸

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E5%B1%B1%E8%8C%82%E4%B8%B8

の手引で桂首相を説いた。その時の対話がおもしろい。

『伊藤総監はどうも決断がわるくて困る。日韓合邦の実行は真に目下の急務です。切に閣下の英断を仰ぎます。』

『それが容易くできるかな。』

『訳も雑作もないことです。一億円はどあれば……』

『一億円は高過ぎる。その半額位ではどうか。』

『高いことがあるものか。考えても御覧なさい。八千六百方里の面積に二千万の人口があって、何十億か何百億か知れないほどの富源を持っている韓国を買い取る代価ですぞ。』

桂は結局、宋秉畯の合邦意見には反対しなかったが、1億円を出すことには同意しなかった。宋秉畯は例の調子で縁日の植木の値段じゃあるまいし、値切るにも程があるなどと後に人に話したが、実際併合実行の経費が宋秉畯の言い値の三分の一の三千万円で済んだのである。

事実上の併合

『韓国の虚弱にして独立することのできない事は、韓人が如何に自負しても否認することはできない。日本の庇護によらなければその発達は断じて望むべきでない。

韓人が我を歓迎すると将た排斥するとは我、顧慮する所でない。日本は韓国の現状を坐視することはできぬ。ますます勇往邁進して保護の実を挙げることに努めねばならぬ。今回南北に亘って親しく視察を遂げた結果、殊にこの感を深うした。』

これは、伊藤が1909年(明治42)の一月から二月にかけて、新帝と共に南北地方を巡歴して普く朝鮮事情を講究した感想を、旅行の最終白における開城の歓迎会で演説した要旨である。

保護制度の実施後3年有半の間、伊藤の苦心経営によって制度改善の成績が着々として現れたに拘らず、匪徒暴民は依然として所在に横行して剽掠(ひょうりゃく)=おどかしてかすめとること=、虐殺を逞(たくま)しうし、日本居留民はその生命財産の危険を冒すにあらば、一歩も府外に踏出すことができないという混沌状態であった。

伊藤が新帝と共に各地を巡遊して、両班(やんばん)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%A1%E7%8F%AD

儒生(じゅせい)=儒学を修める者=その他の有力者を道庁に集めて訓諭を試みた時に、聴衆の中から冷評漫罵を放つ者さえ少くなかった。

伊藤はよほど以前から辞職の意を決し、この時、告別の心で各地を巡歴したのであるが、『韓国を亡ぼす者は韓人なり』との感をますます深くしたのである。

伊藤は南北巡道を終ってから間もない六月十四日に、終に統監の職を日露戦役中、大蔵大臣として令名を博した曽根荒助(この時副統監)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%BE%E7%A6%B0%E8%8D%92%E5%8A%A9

に譲ったが、七月六日に統監邸に開かれた宴席に於て、日韓の大官要人に対して悲壮な告別演説を試みた。

『予が統監の職を奉じて韓国に臨んでから既に三年有半に及んだ。予は当初命を拝するに際し、老躯大任を完うし得べきにあらざるも、対韓政策の端緒を開くは敢て辞するところにあらざる旨を答えて置いたが、今回愈々職を副統監曾禰子爵に譲ることになった。新統監は旧来の方針により日韓の親和を図り、両国の福祉を増進するために尽瘁(じんすい)=自分の労苦を顧みることなく、全力を尽くすこと=せらるるは疑いなきところである。

ただ今日の事情は、予の就任当時と大に異るところあり、時勢の変遷もまた誠に顕著なるものがある。予の特に感動したのは、今回韓帝より賜わった親翰中に、日韓利害共通なる詞のある事である。

両国民は宜しく区々たる論争を止め、一致協力以て日韓一家たる実を挙げねばならぬ。』

この時、伊藤は胸底既に日韓併合の覚悟を極めていたのである。この別宴に列した日韓官吏は、単に『利害共通』乃至『日韓一家』の言葉を普通の形容詞と聞いてその真意を推し測ることができなかったが、しかし統監交迭後に至り、故国の対韓政策に必ず大変化が起るであろうとは・何人の心にも浮んだ感想であった。

伊藤が統監の事務引継後なお京城に留まること十日間、自ら韓廷と折衝して、韓国の司法事務および監獄事務を併せて我国に委任せしむることに協定した。それが極まった時に、曾禰は伊藤に向い、『これは拙者一人の力で出来る事でない。閣下の置土産として珍重いたします。』

とて衷心から感謝の意を表した。かくて日本は韓国の外交事務を管理し、行政事務を監督する上に、更に司法事務をも専掌することになった。詰まり事実上の併合であったのである。

 - 現代史研究

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