◎<日本最強の参謀は誰か-杉山茂丸>⑧明治の政治・外交・戦争を影で操った破天荒な策士・杉山茂丸の黒子人生
◎<日本最強の参謀は誰か-杉山茂丸>⑧
人は法螺丸と呼び、自らは「もぐら」と称して政治・外交・戦争
の舞台裏を生きた怪物・破天荒な策士・杉山茂丸の黒子人生
日清・日露戦争をはじめ明治政府の国家的プロジエクトの陰で
伊藤博文や山県有朋ら元老や巨頭を自由自在に操った
神出鬼没の大黒幕
<月刊「歴史と旅」(1998年4月号)に掲載>
前坂 俊之(ジャーナリスト)
一人一党、無冠の政治家
生涯の盟友となった玄洋社の頭山満に会ったのもこの年であった。時に頭山は三十二歳で、杉山より九歳上であったが、血気盛んな杉山に「才は沈才たるべし、勇は沈勇たるべし、孝は至孝たるべし。お互いに血気にはやって事の過ぎることだけは注意したい」と諭した。
杉山は翻然として悟るところがあった。
そして頭山とともに、絶対に刀を使えないように薬指を切り落としてテロをやめることを誓った。以後、国事に奔走することになった。
しかし、頭山とは盟友関係にはあったが、杉山は玄洋社社員とはならなかった。生涯、子分をつくらず、杉山は「一人一党」の単独で行動した。
杉山は頭山に事業をやるように勧め、自らは海軍の予備炭田、炭鉱経営を始めた。その石炭の輸出をするため香港に何度も渡り、経済的な知識を吸収し、中国に対する列強の進出を目の当たりにしてショックをうけて、日本が同じような植民地にならない方法を考えた。
香港で英国商社・シーワンを知り、イギリスの産業革命や銀行制度、工業資本などについて学んできた。当時、玄洋社の壮士や支那ゴロ、大陸浪人のほとんどがコチコチの国家主義者で経済的な知識や国際的なセンスが皆無なのに対して、杉山は全く逆の国際経済に精通した珍しい政策通であった。しかも、一対一で膝詰め談判してくるその雄弁、熱弁は他に比類がなかった。
伊藤とは暗殺の一件以来、親しく出入りするようになる。陸軍の巨頭・山県有朋とは川上操六(参謀次長)の紹介で会った。口下手で人づきあいに慎重な山県は、六尺近い巨体で人を威圧する魁偉な容貌と、相手を説得、魅了してやまないその弁舌に電気に撃たれたように、杉山の魔力のコロリとなった。それから山県の邸宅には、週二回とひんぱんに通って情報を運ぶ茂丸の姿があった。
こうして、明治の政界を牛耳っていた伊藤、山県の二大元老に出入り自由となり、杉山ほぼ十年で東京の政財の巨頭連のキンクマをつかんでしまう。
児玉源太郎、桂太郎、後藤新平、金子堅太郎、松方正義、寺内正毅らの間をひんぱんに行ききして、連絡役、情報伝達し、ある時は相談役、知恵袋、コンサルタントして、コミュニケーションの役割を果した。元老、政府高官たちも、自分の耳となり手足、ロとなる秘書的・パイプ的人物を必要としていた。
当時、電話はすでにあったが、会って話し合う交通手段やコミュニケーションがあまり発達していなかったので、杉山は政治家でない政治家として、自由な立場で政策実現に大いに貢献してきた。いわば、彼は無冠の政治家であった。財界でも藤田伝三郎、結城虎五郎らいつでも金を引き出させるスボンサーを持っていた。
影の参謀役
杉山は日清戦争では山県から軍資金をもらって壮士を朝鮮に派遣し、東学党の乱を扇動したり、内田良平を伊藤に紹介して、日韓併合を背後から推進しているが、日露戦争では児玉、桂と組んで「影の参謀役」として活躍した。
明治三十一年(1898)、伊藤内閣が総辞職した際、杉山は肝胆相照らす仲の、当時台湾総督だった児玉源太郎中将と、二人だけで日露戦争を遂行するための秘密結社を作った。その密約はーー、
① 日本はロシアと戦争しなければ国家ならない。
② 国論を統一するため、今の小党分裂の政党を合同させること。
③ の政党の党首は伊藤とする。
④ 藤の新政党に山県公がもし反対すれば、山県公を引きずり降ろす。
という内容で、これらを取り決め、杉山は伊藤に面会してこの話をしかけると、伊藤は烈火のごとく怒った。「日露戦争などもってのほか。むしろ日露同盟を提唱しようと思っておる」と一喝した。
山県に持ちかけると「国力、兵力の段違いのロシアと戦争など軽々しく言うな」とたしなめられ、井上馨からも「大馬鹿者の暴論じゃ」と罵倒された。
以後、三年間、杉山らはこの件は一切他に口外せず、沈黙を守っていた。
伊藤も下野しており、当時の二大政党の自由党、進歩党がたえず反目して議会が混乱していたのに対して、自ら政党の組織作りを決意して動き始めた。
杉山も伊藤の所を訪れ、政党作りをたきつけていった。しかし、金に淡白な伊藤には資金がなかった。チャンス到来として、杉山はその資金のスポンサーを買って出たが、伊藤は「君の金は使うわけにいかぬ」と断った。
「閣下のご存命中はどんなことがあっても口外しません」と約束して、杉山は早速その足で、大磯から東京に帰り、翌朝、かつて事業に協力して大儲けさせたことのある実業家を訪ね、「至急、十万円を用立てて欲しい。伊藤の存命中はこの件は秘密にしておくのじゃ」との条件付きで金を借りた。
今の金に換算すると、五億円近い大金である。
数日後、実業家からこの金を受け取った杉山はその足で大磯の伊藤を訪ねて、「お約束のものです。これに入れておきますから」と机の下にあるワニ皮のカバンに現金十万円を入れて、すぐ引っ返した。
翌日、伊藤は、秘書官に手紙をもたせてきて「拙宅の忘れ物を引き取ってくれ」と厳重な申し入れがあったが、杉山は「忘れ物などありませぬ」とはねつけ、以後、再三の呼び出しにも応じず、行方をくらましてしまった。
杉山は、金にきれいな伊藤がこの大金を使って必ず政党作りに動き出すとにらんでいたが、案の定、半年ほどして、伊藤は立憲政友会を組織することを発表した。
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