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 『Z世代のための最強の日本リーダーシップ研究講座】㉞」★『120年前の日露戦争勝利の立役者は児玉源太郎、山本権兵衛』★児玉の電光石火の解決力と開戦へ

   

 児玉源太郎の電光石火の解決力と開戦へ

児玉は持ち前の馬力で山済みの難題を次々に解決していった。陸海軍の協力一致なくしては戦争の勝利はありえない。まずは山本権兵衛海軍大臣の「早期開戦反対論」の厚い壁を崩さなければならない。児玉次長は知謀をつくして説得工作にあたった。

児玉参謀次長の調整で初めて陸海軍が協同して具体的な作戦計画を練るようになったのは一九〇三年(明治36)一二月末のこと。正月も返上して陸海軍参謀本部と軍令部の担当参謀たちの間で細部の具体的な作戦計画と、これに関する協定が審議されたが、いつも問題となったのは旅順作戦であった。

旅順という言葉が出ただけで、海軍は直ぐ発言して「旅順はロシア海軍の軍港であるから、旅順に関する作戦は海軍が担当することにして、陸軍はいっさいタッチしないよう遠慮してもらいたい」とクギをさした。児玉次長も同席した陸海軍共同作戦協定の最終審議会でも、旅順問題がまたもくり返され、海軍側が陸軍は介入は不可と主張した。陸軍の担当参謀が「それはおかしくないか。今は占領地の陸海軍の縄張り区画を協定しているのではなく、あくまでロシア軍に対する作戦協定を相談する審議である」と異論を唱えた。

ところが、この時、「陸軍はいらぬ口をきくな!」と大喝する者があり、会場は一瞬、静まり返った。「誰あろう、児玉陸軍参謀次長だったので、会場のメンバーはあっ気にとられ全員、児玉を凝視した。児玉次長は海軍側参謀たちにていねいに一礼して、「海軍側の要望は、わしがしかと心得てござる。御安心をなされい」と明確に答弁した。

この時の児玉の心境は「永い間の悪い習慣で、すぐ理屈を並べて陸海軍の対立をあおるが輩(やから)が多い。互に相手を批判するよりも、少しでも助ける気持ちがなければ陸海軍協力の実は上がらない。海軍が旅順に対する作戦を委せよというならば委せたらよい。戦争に勝つためには陸海軍の一致協力が絶対条件なのだ」と児玉はいつも部下たちの狭量を叱っていた。

もともと、薩摩の権兵衛と長州の源太郎と言えば喧嘩が強い、しかし、さっぱりした気性の豪傑同士であり、ケンカ早かったが、仲直りも早いと有名だった。陸海軍を代表して、才気喚発の両者は、激しく論争したライバル同士でもあった。日露戦争の最高司令官となった児玉は山本権兵衛の説得するために「絶対に権兵衛と呼び捨てにしないこと」を心に決め、部下にも厳命した。
山本海相に対しては一ヵ月前に井口省吾総務部長が訪ねて、陸軍の情報判断を説明し『このまま推移すると韓国はロシアに奪われてしまう』と訴えると「韓国がロシアに奪われても構わん。オレの心配しているのは日本がロシアに奪われることだ」と陸軍案に反対する態度に固執した。
それが、両者の初会談が一時間もたたないうちに、海軍大臣室のドアが開かれ、山本と児玉が大声で笑いながら、「イヤー、今日は愉快じゃ、愉快じゃ」と出てきたので、待機していた参謀部員はびっくり仰天した。児玉次長のその早業に舌を巻いたのである。

 

●児玉参謀次長が出した妥協案は3点。

 

第一は大本営条令の改正。これは山本海相が長年主張して、児玉も陸相時代に断固反対していた改正案だが、日露開戦の危機迫る状況で、従来の方針を一八〇度転換。従来の陸主海従の制度を陸海軍並列主義として、完全に陸海軍を対等とした。

児玉は「山本海相が開戦準備に同意し、陸海軍協調の線に努力してもらうことができれば、いさぎよく海軍案を採用し、日露戦争の勝利のために陸海軍一体となって全力をあげたい。将来の陸海軍の関係は日露戦勝を獲得してから考えた方がよい。」と山本に提案、説得した。

 

第二は同盟国イギリスの斡旋で、イタリアなどで建造中であった重巡洋艦二隻(後の日進、春日)の予算獲得が難行中だったのを、児玉は陸軍予算で直ちに購入することに決定した。ロシア側も同様にこの建造中の軍艦を購入する情勢にだったので先手を打って日本海軍が取得するのに成功した。当時、海軍は日露戦争に備えて「六六艦隊」の戦艦六隻、重巡洋艦六隻を主力艦とする艦隊編成に全力を尽していた。しかし、資金力に勝るロシアも急ピッチで極東艦隊を増強し、六六艦隊を完全に凌駕して海軍は頭を悩ませていた。

そこへ、海軍情報部員から「アルゼンチン発注の大型装甲巡洋艦二隻がイタリヤのベネチア港で近く竣工の予定で、譲渡価格は一千六百万円。ロシアも同様の購入の交渉中なので、日本が買う決心があるならば即刻回答せよ」との極秘情報が入った。

 海軍省は資金の即時払いを大蔵省に要求したが、ロンドンで金策中の外貨資金は約二千万円が集まっただけで、陸軍省からの京釜鉄道(京城-釜山間)建設予算もあるので、大蔵省では全部出すわけにいかないと断っていた。

 そこで山本海相が児玉次長に要請したところ、即座に了承してロシアに一歩先んじて軍艦の購入を決定した。同年一二月二八日のことである。開戦わずか40日前のお宝購入である。この二隻が日露戦争では大活躍したのだから、山本、児玉の最強コンビの場外ホームランといえる。

英国海軍の全面的なサポート

ちなみに、イタリアからこの二隻の軍艦を日本にえい航するのは並大抵のことではなかった。日英同盟による英国海軍の全面的なサポートによってこの虎の子の軍艦が無事に日本に到着した。

軍艦二隻は、その後、スエズ運河を航行して日本へ運ばれたが、英国海軍は、ロシア海軍が日本の購入軍艦一隻の後をつけて待ち伏せして撃沈を狙っているという情報をつかんで航行の護衛をしてくれた。

 同時に、各港では日本軍艦にはカーディフ炭(英国ウエールズで産出する発熱量が多い、艦船のスピードアップする優良炭)の補給を英国が手伝って早く出港できるように支援し、ロシア軍艦にはカーディフの補給をストップさせ、日本を助けてくれた。日露戦争の日本海海戦での勝利の要因の1つがこの「カーディフ炭燃料」のおかげであった。

日英同盟によって軍艦購入から日本へ運行するまで、いかにイギリスが日本を助けて、ロシアに対抗措置をとってくれたかーこれが日露戦争に勝てた要因の二つ目である。

  • 軍事院条例で老将軍、老害軍人を一掃

三点目は軍事院条例の新設である。これは老将軍、老害軍人を一掃するためのものだった。山本・児玉両中将の第一回の会議のとき話題になったのが、陸海軍ともに部内の最上位を占めていた最古参の先輩たちの存在であった。特に国難を乗り切って行くには、彼らの存在は大きな障害となっていた。

 階級序列だけがいかに上位であっても、古い頭で、もはや体力気力に乏しく、現状で開戦を控えて一大勝負に一身を捧げることのできる人材はきわめて乏しかった。そこで戦時態勢を想定して人事の一大刷新強化を図り、思い切って新人の登用を断行すべきであると二人の意見は一致。陸軍では寺内陸相が率先して、その具体的方法として「軍事参議院条例」の制定を提案した。

 軍事参議院は従来の軍事参議官と異なり、元帥・陸海軍両大臣・参謀総長・軍令部長らの小数者から構成され、天皇の御下問に応じて参議会を開いて、その結果を上奏すると定められていた。

この規定では議長は最古参の者となっているが、実際には山県元帥ということになり、陸軍の大山元帥や海軍の西郷元帥などの最長老も名を連ねているので、この参議院の決定で万事が迅速に処理されることになった。

 

新条例では山県と参謀総長の大山元帥、寺内陸相の三名だけで、陸軍のことは陸軍の参議院の名において実質的に処理できる仕組にした。

 この新条例に基づいて野津道貫、黒木為楨、奥保鞏を軍司令官要員に決定して直ちに、出征軍の統率準備につかせるなどの重要人事が迅速に決定した。また海軍でも、山本海相が伊東軍令部長と2人だけ相談して、戦時の連合艦隊司令長官の座を日高壮之丞提督督から東郷平八郎提督に交代させる有名な抜擢人事を断行した。

この結果、戦時の司令官たちとその幕僚をいち早く準備につかせると同時に、先輩の将軍たちも「軍事参議院決定」の名で強行したのでトラブルもなく『戦時指導』体制がつくられた。

「日本一の切れ者」の源太郎と権兵衛の黄金コンビの必勝の布陣がここに築かれた。

 東郷平八郎の抜擢

この日本史に残る最強の人事異動には数多くのエピソードがある。東郷平八郎は明治二七年の日清戦争では浪速艦長として豊島沖海戦に参加。「高陞号」撃沈事件で一躍、世界的にその名を知られた。戦争末期に少将に進んで常備艦隊司令官となり、台湾にも出動した。三八歳から四〇歳にかけては一時体調を崩し、病気療養が続いた。その後、海軍大学校長、佐世保鎮守府、舞鶴鎮守府の各司令長官を歴任し、一九〇四年、五六歳で大将に昇進した。海軍内では傍流を歩み、特に病気勝ちで目立たない地味な存在だった。

海軍が大整理を行った際、予備役となる寸前を「東郷はもう少し様子をみましょう」との山本海軍大臣の一言で、あやうく首を免れた。 ところが、日露開戦4ヵ月前に連合艦隊司令長官に、当時の常備艦隊司令長官の日高壮之丞ではなく、大方の予想をくつがえして東郷舞鶴司令長官が大抜擢されたのである。

心配した明治天皇が『なぜ東郷か?』の質問に対して、山本海相は「東郷は運のいい男ですし、命令を正しく実行する男です」と太鼓判を押した。

日高の健康が優れなかったこと、東郷の「高陞号」撃沈事件で見せた用意周到で的確な行動力、英国で身につけた国際海洋法の卓越した知識、独断専行型の日高と違い海軍軍令部との緊密一体となった作戦行動には東郷がうってつけであることなどが抜擢の理由だった

日高壮之丞中将は、自分が連合艦隊司令長官に就任するものと思っていた。ところが、ずっと後輩の東郷がつき、左遷されたことにカンカンに怒って海軍大臣官舎に短剣を持って現れた。

机の上にドーンと短剣を突き刺し「返答によっては刺し殺す」と迫った。「山本、きさま、わが輩を侮辱するのか。わが輩をさしおいて、なぜ東郷を司令長官にしたのだ。理由によってわが輩はきさまを刺し殺すぞ」と必死の形相だった。  

山本は落ち着き払って「貴公が日清戦争の際、『松島』の艦長などとして、大いなる武勲をたてた。しかし貴公は、あの時、海軍軍令部の命令を無視して単独行動を取った。

今度の日露大海戦は、戦国時代の一騎討ちのような戦法は許されない。東郷はあの生真面目な性格で貴公と正反対なので、軍令部と緊密に結んで戦うのだ」と東郷の長所を指摘したので日高もしぶしぶ納得した。

東郷は日本海海戦で空前絶後の戦果をあげて山本の期待に見事にこたえた。日本海海戦の勝利は山本海軍大臣の見事なマネージメントの勝利だった。

 

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