世界が尊敬した日本人ー「オギノ式」避妊法で世界の女性を救った医師・荻野 久作
2022/03/25
世界が尊敬した日本人
「オギノ式」避妊法で世界の女性を救った医師・荻野 久作
前坂 俊之(静岡県立大学名誉教授)
「女性はいつ受胎して妊娠するのか」――
この人間にとって一番大切な生命誕生の瞬間がわずか約80年前までは全くの謎に包まれていた。
新潟の町医者だった荻野久作は農村女性の過酷な状況を何とか改善したいと、独力でこの謎の解明に取り組み世界で初めて『排卵時期』を特定した。
これは「オギノ式」避妊法などとして世界に普及し、人類に貢献したという点ではノーベル賞級の大発見であった。
1909(明治42)年に東京帝大医学部を卒業した。しかし貧乏両親の養うために給料のよい地方の病院を探して、新潟の民間病院に赴任した。そのかたわら新潟大学で一途に勉強した。明治の日本、特に地方の農村の女性の生活は悲惨を極めていた。出産、育児、農作業、嫁舅の世話と年中休む暇もなく追いまくられる過酷な生活を強いられていた。
封建制度、家族制度が根強く残っていた当時の農村では「足入れ婚」が当たり前で、子供が生まれてはじめて入籍することができた。もし、3年も生れなければ『嫁して3年、子なくば去る』という慣習があった。
労働力の確保のため女性は多産が求められ、子供を生むための存在としてしか認められてなかった。このため不妊で離縁されたり自殺に追い込まれる農村女性が跡をたたず、逆に、次々6、7人も子供が生まれ過ぎて、出産や流産で命を落とす婦人も少なくなかった。
日々の診察を通して、農村女性の悲劇を痛感した荻野は当時解明されていなかった排卵時期の研究に取り組んだ。そうすれば受胎調節ができるようになる。
19世紀末から20世紀前半の医学界では婦人の性周期に関する研究が進み、特にドイツの学者・シュレーダーが1917年(大正6)に発表した『排卵は月経開始後の14日から16日の間におこる』『28日型の月経周期説』いうのが定説となっていた
しかし、これにもあてはまらない例も数多くあり、日本ではこの例外が半数以上にのぼり論争が続いていた。
荻野は排卵時期を特定するため患者に診察しながら「月のものはいつありましたか」「お父ちゃんと楽しんだのはいつかね」など恥ずかしい質問を重ねて月経の統計を取った。
妻にも月経のカレンダーにつけるように指示、膨大なデータを集めた。3年の歳月をかけ『排卵時期は、次の月経の12日から16日前の5日間』というシュレーダーらの学説をひっくり返す画期的な法則を発見した。自らの学説を証明するために、実験して二男が生まれた。
1924年(大正13)6月、白本婦人科学会雑誌に「排卵の時期、周期的な変化について」の論文を発表した。しかし、日本の学界は「新潟くんだりの開業医が何を言うか」という冷淡なもので、反響はなきに等しかった。1929(昭和4)年8月、荻野は自費でドイツに渡航した。論文をドイツ語に翻訳して医療の先進国・ドイツで発表すれば、日本はもちろん世界の婦人を救うことができると単身、渡航したのである。もちろんドイツにツテなどない。
大学や婦人科医を訪ね歩き、下手なドイツ語で自説の論文を読んでもらいたい必死でかけあった。しかし、飛び込みでの外国人の自説売り込みを読んでくれる奇特な学者などいるはずはない。
やっと3ヶ月後、フンボルト大学のシュテッケル教授が読んでくれて、ドイツの医学雑誌にのせてくれることを約束、昭和5年2月、ドイツ婦人科中央雑誌に掲載された。
最初の反響は静かだったが、意外なところから広がって行った。月経周期のオギノ学説が、避妊法に流用され、オーストリアのクナウスが賛同して『オギノ・クナウス式』の避妊法として、カトリック信者の間で流行したのである。
1932年、避妊、堕胎を厳しく禁じていた4億人のカトリック信者の総本山・バチカンの教皇ピオ11世は大論争の末、オギノ式避妊法を容認した。
1968年、時のローマ法王パウロ六世はピルやコンドームの避妊法を認めるかどうかで、これを退けてオギノ式避妊法を公認して、荻野の学説が世界公認となった。
荻野は1975年、93歳でなくなるまで新潟市を離れず、大学への要請も断り、生涯在野を貫いた。約60年間で20万人の婦人を診察した。自分の学説が志とは違って、避妊法として普及した点については「命を守るために生み出した学説で、迷惑千番だ。むしろ不妊治療に役立つ学説なのに」と言い続けていたという。
関連記事
-
-
『百歳学入門』(166)『大成功した人たちが毎朝7:30前にしている7つのこと』★『 1日に3時間超の公演を次々こなす97歳、金子兜太の力の源泉』●『【書評】残酷な延命治療で「死なせてもらえない」高齢者たち』●『「もういい歳だから」が口癖の人ほど、どんどん老け込んでいく訳』●『目が死んでいる、早期リタイアした人々。その意外なデメリットは』●『10人に1人が100歳以上、イタリア「長寿村」の秘密 研究』●『ピンピンコロリの長野県、長寿日本一の秘密』●『なぜ、世界共通で「男性よりも女性の方が長生き」なのか?』
『百歳学入門』(166) 大成功した人たちが毎朝7:30前にし …
-
-
『日本史決定的瞬間の現場を歩く』★『明治36年4月21日、京都「無隣庵」での伊藤博文、山県有朋、桂太郎首相、小村寿太郎外相の4巨頭に児玉源太郎内相、杉山茂丸の6者で『日露戦争を辞せず』と決定した。
★『日本史の決定的瞬間』★ 『明治36年4月21日、京都「無隣庵」での伊藤、山県 …
-
-
日中北朝鮮150年戦争史(1)『金玉均暗殺事件が日清戦争の発火点の1つ』朝鮮政府は日本亡命中の金玉均の暗殺指令を出していた①<金大中拉致事件(1973年)と全く同じ手口>
日中北朝鮮150年戦争史(1) 『金玉均暗殺事件が日清戦争の発火点の1つ』 朝 …
-
-
日本リーダーパワー史(106)伊藤博文③エピソード、女に殺された日本一の宰相
日本リーダーパワー史(106) 伊藤博文③エピソード、女に殺された宰相 …
-
-
日本リーダーパワー史⑬ 100年前、地球環境破壊と戦った公害反対の先駆者・田中正造
日本リーダーパワー史⑬ 100年前、地球環境破壊と戦った公害反対の先駆者・田中正 …
-
-
日本リーダーパワー史(60) 真珠湾攻撃と山本五十六の『提督の恋』⑥
日本リーダーパワー史(60) 真珠湾攻撃と山本五十六『提督の恋』⑥ …
-
-
日本リーダーパワー史(105)伊藤博文②暗殺された時のヨーロッパ、中国各紙の追悼記事は・・・
日本リーダーパワー史(105) 伊藤博文②暗殺された時のヨーロッパ …
-
-
日本リーダーパワー史(763)今回の金正男暗殺事件を見ると、130年前の「朝鮮独立党の金玉均ら」をバックアップして裏切られた結果、「脱亜論」へと一転した福沢諭吉の転換理由がよくわかる➀『金正男氏“暗殺”に「北偵察総局」関与浮上 次のターゲットに息子の名前も…』●『狂乱の正恩氏、「米中密約」でささやかれる米軍斬首作戦 正男氏毒殺の女工作員 すでに死亡情報も』
日本リーダーパワー史(763) 今回の金正男暗殺事件を見ると、130年前の「朝鮮 …
-
-
最高に面白い人物史➄人気記事再録★「日本最強の参謀・戦略家は日露戦争勝利の立役者―児玉源太郎伝(8回連載)』
日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(62) 『世界史の中の『日露戦争』ー <まと …

荻野は