★5日本リーダーパワー史(778)『アジア近現代史復習問題』 小村寿太郎のインテリジェンス②ー『なぜ、日清戦争は起きたのか』●『朝鮮は日本の生命線、今ならまだ北からのロシアの侵略が朝鮮半島に伸びておらず、イギリスの南からの魔手もまだだ、問題は清国でその屋台骨は腐朽しており、将来のアジア人のアジア繁栄のためには、日清が堅く提携せねばならぬが、清国がこんなに脆弱では困る。速やかに目覚めさせる必要がある』
★5日本リーダーパワー史(778)ー 『アジア近現代史復習問題』
小村寿太郎のインテリジェンスを学ぶ②
なぜ、日清戦争は起きたのかー
「シナには政治に統一なく、国防に一兵なし」との結論に
達した小村は、この老大国を覚醒させる
ためには、これに一撃を加えなけれ
ばならぬことを見抜いた。
Wiki小村寿太郎
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9D%91%E5%A3%BD%E5%A4%AA%E9%83%8E
小村は1893年(明治26)11月に臨時清国代理公使となって北京に赴任した。
小村のインテリジェンスを紹介するとー
『日支陸海軍の比較』
小村は、北京に赴任の途次、天津に二泊した。その時、天津にいた駐支武官の陸軍少佐・神尾光臣
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%B0%BE%E5%85%89%E8%87%A3
と、海軍少佐・井上敏夫
とに「これはもちろん仮定であるが、もしも一両年中に清国と戦うようなことになった場合、日本軍の勝算は、どうなのか」と聞いてみた。
当時、北洋大臣李鴻章は、直隷総督を兼ねていて天津にいたので、天津は北京と並ぶ外交団の塞要地点となっており、日本の駐在武官も天津にいたのである。神尾少佐は、後の陸軍大将で、第一次世界大戦に青島攻囲軍の司令官をした人。歯ぎれよく答えた。
「そうですネ、もとよりこれは私個人の意見ですが、まず五分と五分でしょう。しかし、我々が敗れるということはありません、この事は断言してよろしい……」
井上少佐は答えた。
「わが国民は、清国の甲鉄砲塔艦を非常に恐れ、松島、橋立、厳島の三景艦を凌駕するものとのみ考えているようである。清国の甲鉄砲塔艦は、定遠、鎮遠、来遠、経遠である。なるほど、定遠、鎮遠の排水量は七、三三五トンであり、わが三景艦の四、二七八トンに優っている。
しかし、主砲と速力においては、我々が造かに有力有利なのである。例えば、三景艦の主砲は三十二サンチ、加農砲各一門、副砲十二サンチ安達砲が松島十二門、厳島、橋立各十一門、速力十六ノットに比較して、定遠、鎮遠は三〇・五サンチ克砲四門、十五サンチ克轡一門、七・五サンチ新式克砲四門、速力十四ノット五である。砲数、速力において有利であるわが艦隊は、決して劣勢なりと考えるべきではありませぬ……」
小村は、これらの説明を聞いて、なおよく種々の質問をなし、清国に在る日本陸海軍将校のシナ観など、詳しく質問し、万一の場合に備えた。
『清国の病状・統一のない政治と国防』
明治二十七年八月、日清戦争の勃発によって小村が東京に引き上げた際、小村が当時の『支那の実情について話した談話』が残されている。時の農商務省の比江島嘉一(小村家に親しくした後輩)が筆記しておいた手記である。
『小村公使談。比江島嘉一手記。(明治二十七年八月) ②
北京政府の軍兵十五万というも、実際は十二、三万。皆飯米と月給とに食し、わが旧藩の士族の仕組のごとくなるも、その不規律はいうまでもなし。
現に我が公使館に雇入れありし賄人も兵卒にて、毎月毎年の大小演習には代人を出してその勤めをごまかしている。
故に実際の兵卒らしきは、ニ万に満たず。最も弓術に長ず。また騎兵のごときは馬喰い料をもらいながら、自分にその料を食み、馬が必要の場合は、他の荷馬を借入れ、その場を済ますと。それにて差つかえなき習慣なり。
先ず同国にては、李鴻章の直轄に、多少の見るべきものあるも、これ不規律、恐るるに足らず。ことに同内地何の備なし。渤海湾もまた恐るに足らず。尤もここには多少の備えはしているものの、わずかの危険を冒せば何なく上陸、北京を衝き得る。
大沽(タークー)よりは到底。上陸できない。他に上陸の場所二、三あり。大沽(タークー)は三、四十年前において、英仏同盟軍にして打ち破るを得ず。
その手前なる北唐より上陸、直ちに北京に迫りし轍(わだち)もあり。今日においては一層同所の堅め厳なり。猛寒零度以下3,4度と難も、実際は十度以下の厳寒なりと。わが温和の地におけるもの、これに堪ゆるの困難は推して知るべきなり。
今わが軍略は、ほとんど囲碁にたとえば定石の習い始めにて、あくまでその通りに大事を採り行かんとの有様なるも、かくせば丁度定石を覚え、始めて試みしを以て、これまで互角なりしものに訳なく敗を取る場合あるは、多く見る
ところ、これは、一般敵のその道に習わざるものに当るには、矢張り手覚えの方宜しからん。それ丈け敵の用意を密ならしむるあるは、一向われの利益ならず』
この「公使談」によってその一端を察知するに足るがごとく、小村は市井の雑事から、軍隊の内情まで、綿密な調査を遂げていた。その上で出したた結論は、「シナには政治に統一なく、国防に一兵なし」であった。
対清早期決戦の見透し
「シナには政治に統一なく、国防に一兵なし」との結論に達した小村は、この老大国を覚醒させるためには、これに一撃を加えなければならぬことを見抜いた。一撃を加えて、日本が東洋の指導者とならねば、東洋永遠の平和は望むべからず、と考えた。小村代理公使は、陸奥宗光外相に対して、外相が予想したよりもより精確、機敏、的確な見通しデーターを提供したが、一貫して対清開戦を急ぐべきだという次のような結論であった。
「朝鮮の確保ということは、日本の生命線である、今ならまだ北からのロシアの爪牙が韓半島にかかっておらぬ、イギリスの南からの魔手もまだ延びておらぬ、問題は清国だけである、その清国を欧米人は〝眠れる獅子″と称しているが、小村の見るところによると、シナの屋台骨は腐朽してしまっている、将来のアジア人のアジア繁栄のためには、日本とシナとは堅く提携せねばならぬが、恃(たの)むべきシナがこんな脆弱では困る、速やかにシナを目覚めしめる必要がある、
シナ人の奮起と覚醒をうながすためにも、ここで一戦がよい。シナに朝鮮を誘導する実力はない、朝鮮は内政すでに腐敗しつくし、今、誘導しなかったならば、朝鮮は必ず東洋禍乱の根源となる、それは日本の盛衰を左右する根本問題である、その朝鮮に、実力を顧みず、シナが支配を主張する以上、日本は早くシナと決戦するのが、上策である」
以上は黒木勇吉「小村寿太郎」 (講談社、1968年刊、104-108P)より。
翌1894年(明治27)に入り、3月末には金玉均暗殺事件、東学党の乱がほぼ同時に勃発し、日清戦争の導火線に引火した。この時、陸奥外相の判断に大きな影響をあたえたのは 小村からのこれらの情報であった。
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ここで、一転ー120年後の現在、金正男暗殺事件をめぐって、再三再四繰り返されてきた北東アジア4カ国
(日中韓、北朝鮮)の150年対立紛争史がまた新たな発火緊張局面を迎えている。
北朝鮮の習性である、このクレイジーな行動力学は昔ながらのものであり、中国の北朝鮮への対応も、これまた国際法に背を向けた前近代的な中華思想による行動パターンのエンドレスな繰り返しなのである。
中国の結局「話してもわからない」行動形式をトランプの政策顧問で対中強硬派のピーター・ナヴァロ氏の「米中もし戦わば」(副題「戦争の地政学」文芸春秋社刊)は「第39章 中国との対話は可能か?」で次のように分析している。
http://www.maesaka-toshiyuki.com/person/23141.html
この本のポイントは、交渉当事者の発言、中国側の行動パターンをケーススタディーしながら、両国の交渉スタイルのギャップから「米中対話は不可能である」と結論づけている。
これは「日中対話は可能か」という問題にすり替えても考えても、同じ不可能という結論になる。
ピーター・ナヴァロ氏の分析はこうである。
ポーカーゲームにたとえると、アメリカは、自分が持っているカードをすべて見せる。エース四枚がすべて揃っていることを示せばみんなが負けを認めるだろう、という合理的な戦略で。完全ガラス張りのアメリカ軍はこのようにして平和を維持する。
これに対して、中国は潜在的敵国に対して自国の能力を隠し、相手に不安感を起こさせる不透明性によって抑止力を実現しようとする戦略なのだ。この結果、あらゆる核戦力、軍備増強などの情報を秘密にしている。軍事予算もしかり。
中国軍事予算伸び「7%前後」初の1兆元突破へ
https://www.bing.com/news/search?q=%e4%b8%ad%e5%9b%bd%e3%81%ae%e8%bb%8d%e4%ba%8b%e4%ba%88%e7%ae%97&qpvt=%e4%b8%ad%e5%9b%bd%e3%81%ae%e8%bb%8d%e4%ba%8b%e4%ba%88%e7%ae%97&FORM=EWRE
②中国が多国間協議を嫌って二国間協議にこだわり、拘束力を持つ国際仲裁機関の利用を頑なに拒む。その理由はフイリピンやベトナムなどの比較的小さな国と個別に交渉し、力で自分の主張を押しつける。(南シナ海問題はすべてこのパターン)
➂ 中国がASEANという交渉の枠組みを操作するやり方は、法による秩序と平和の実現に尽力している主要な国際機関を悪用するときのパターン。国連安全保障理事会の常任理事国として、中国は国連決議に常に、拒否権を発動する。北朝鮮のクレージーな行動もかばい続ける。
④中国には、公然と条約を破る傾向がある。(英国との返還条約で定めた香港の1国2制度も一方的に破る)
中国流の手口は「延々と自説を繰り広げて、単におしゃべりするだけなのだ」
⑤西側の人間は、国際関係のあり方について、誰もが他人の主権を尊重し、互いに対等に交渉する。相互理解を深める最良の方法は対話である、と。こうして、われわれは対話依存の罠にはまる。中国流の手口は「延々と自説を繰り広げて、おしゃべりをするだけ」
「とにかく話し合いましょう。次の会合の議題は?次は何をしましょうか」と単に話し合うだけが目標になっているのだ。
結局、最後には力に訴えるしかオプションはなく、小村の結論と同じになる。
結局、明治以降の日中朝鮮の歴史は「話せばわかる」と延々と話し合った結果、「対話は不可能
、成立せず」そして、「話してもわからない相手は問答無用で、
力による解決(こん棒外交から戦争へ)にふみきった歴史で、
日清戦争、日中戦争、今回の第3次日中戦争勃発化の危機に至った」のである。
中国の長年の属国であった朝鮮、韓国も全く同じパターンで、対話、外交交渉は延々として成立せず、壬申事変、甲申事変、閔妃暗殺、日清戦争、日露戦争へと発展していったのも、同じ『小中華・朝鮮の事大主義』との対話は不可能となった結果によるものなのだ。
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