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『長寿逆転突破力を発揮したスーパーシニア―』★農業経済 学者・近藤康男(106歳)―越え難き70歳の峠。それでも旺盛な研究力が衰えず、七十七歳のときからは目も悪くなったが、それも克服し七十歳以降の編著だけで四十冊を超えた。

   

 

 2014/05/16   <百歳学入門(88)>

旺盛な研究力を支えた睡眠健康法の農業経済

学者・近藤康男(1899、1-2005年11、106歳)

「申すまでもなく、七十歳は人の一生の大きな節目であります」―越え難き70歳の峠。それでも旺盛な研究力が衰えず
、七十七歳
のときからは目も悪くなったが、それも克服し七十歳以降の編著だけで四十冊を超えた。「歳をとっても生涯現役・臨終定年をめざす」

  <晩年長寿の達人―生涯現役の秘訣>『別冊歴史読本』2007年11月号>

 

浜名純(フリージャーナリスト)

 

 

大切なのは持続できる健康法

 

「申すまでもなく、七十歳は人の一生の大きな節目であります」

「七十歳からの人生」でこう記した近藤康男はこの時、平成十一年(一九九九)、近藤は

すでに白寿を超えていた。

近藤は六十九歳の時、胃にポリープが見つかり手術をうける。この頃から、視力や聴力、

体力の衰えを自覚し始め、健康に留意するようになった。ここで近藤が取り組んだのは、

全身十分間指圧法だった。

昭和三十二年(一九五七)、当時、農業経済学会会長として気鋭の農業経済学者であった

近藤は、第一回目の訪中を果たす。これを縁として、その後、中国から友好の印として贈

られていた「北京週報」の中で腰痛予防法の記事を見つける。

さっそく、試してみると、「実に効果があった」。とりわけ実感したのが胃のポリープ手術前だった。

「毎晩就床のときと朝でした。全身を十分間指圧で、今では三十年あまり続けている私の

寝つき法になっているのです」と、長寿の秘訣としての効果を称えている。

 年齢を重ねるにつれ、夜中に眼が覚めて眠れなくなるものだが、そんなときでも十分間

の指圧で再び眠りに入ることができた。朝行えば快便効果もあり、「私の就眠術兼健康法

となっています」という。

 

 この徹底した健康管理が功を奏し、七十歳を過ぎてからも旺盛な研究力が衰えることは

なかった。それを物語るのが、七十歳以降の編著だ。ゆうに四十冊を超えている。

 しかし近藤とて人の子、老いとは無縁ではなかった。七十七歳のときから目が見えにく

くなった。右目は白内障、左目は眼底出血。このためエレベーターの数字が読めず、一人

でエレベーターを利用することができないと打ち明けている。

 

電車の切符を買うのにも苦労していたという。このような状態であれば、外出をひかえたりするもの。実際、「体調が悪くなると何かにつけ消極的になります」と、打ち明けている。だが、それでも近藤はひるまなかった。

 自宅から近藤が関係する図書館など、慣れ親しんだ場所へは杖なし、付き添いなしで、

バスや電車を乗り継ぎ通い続けた、当時の写真が残されている。カバンをたすきがけにか

け、ネクタイをきちんと締めたスーツ姿だった。もちろん、外出を続けたのは、執筆のた

すめだった。

 

 視力の衰えに対応して、拡大読書器を使って資料などを読み込んだ。午前中一時間ほど、午後は二時間半ほどを日課としていた。日課といえば、睡眠時間をしっかりと確保することにも心がけていた。夜九時には寝て、朝は七時までは寝たという。

「正味九時間の睡眠をとれということで、重要なことは寝付きが良いことである」と、近藤は述べている涌付きをよくするための方法は、もちろん先の十分間の全身指圧だった。

「健康のためにはラジオ体操など色々あるが、簡単で経費などの不安なしで効果のあるものでなくては続けられない。大切な点はそれを続けているということにあると思う」と、全身指圧がいたく気に入り、周りに持続の重要性を説いている。

 

歳をとっても活発に生きよ

 これらいずれのエピソードも近藤が百歳を超えてからのもの。ひたひたと押し寄せる老いや病と向き合いながら、研究と執筆に専念しようとした強い意志は、近藤の専門分野である農業、とりわけ農民へのこだわりからだった。

 近藤は明治三十二年(一八九九)年一月一日、愛知県岡崎市の農家に生まれる。第八高等学校に入学すると、将来は建築を勉強しようと考えていた。だがこの時、近藤に転機が訪れる。大正七年(一九一八)年、富山県の漁村に端を発した米騒動に衝撃を受け、志望

を変更。農村問題に取り組むため農業経済学を志望するようになった。やがて東京帝国大学農学部に入学。大学三年生の時、修学旅行で東北や北海道を回った。その時、近藤は一人で北海道の元屯田兵村の土地移動調査を行い、土地台帳の重要性を認識したという。こ

の体験が、やがて近藤を農林統計調査や農業問題研究へ向かわせる。この間に、マルクス経済学の先例も受けた。

 当時の調査報告が教授に認められ、卒業後、研究室の助手に任命された。昭和十年(一九三五)には東大助教授のまま、新設の東京高等農林学校教授も兼任。やがて東大教授となる。

昭和十四年(一九三九)には、当時の農林大臣から要請を受け、農林省統計課長に

も就任した。順風満帆に見えた研究者生活だった。しかし、やがて思わぬ事態に直面する。

 昭和十八年(一九四三)、東大事務局が近藤の「転換期の農業問題」に問題があると指摘。さらに、時の東大総長が「近藤は農業発展の理想形態はロシア農業にありと考えている」として、「自発的辞職かしからずんば休職にする」と通告。近藤は、同年八月六日付でやむ

なく辞職した。思想弾圧による追放だった。

 復職できたのは戦争が終わった昭和二一年(一九四六)。東大に戻って、再び旺盛な研究心を発揮した。同時に、同じ思い持つ研究者と、共同研究を始め、「貧しさからの解放」を発表する。昭和二六年(一九五一)には「農地改革の諸問題」を刊行し、翌年の「毎日出

版文化賞」を受賞した。そして昭和三十四年(一九五九)、東大を定年退職、その後は武蔵大学教授や農文協図書館理事長などを歴任した。しかし近藤の研究心は衰えなかった。

 その旺盛な研究心を持続させるためにも健康が重要と考え、近藤は四十坪の自家菜園で農作物を作り続けた。平成十一年(一九九七)の白寿の祝いには色紙に「歳をとっても活発に生きよ 老練になるまで学べ」という中国語の格言を記した。近藤に接した人々は、

最期まで著作を諦めず、一〇六歳まで生きる気力を貫き徹された見事な生涯であったと述べている。平成十七年(二〇〇五)十一月十二日、脳梗塞による肺炎を併発し他界した。

 

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