日本経営巨人伝⑭●『明治財界の曽呂利新左衛門に識見と禅味と侠骨を加味したよう朝吹英二 』
日本経営巨人伝⑭朝吹英二
●『明治財界の曽呂利新左衛門に識見と禅味と
侠骨を加味したよう朝吹英二 』
侠骨を加味したよう朝吹英二 』
前坂 俊之(ジャーナリスト)
【朝吹英二】(あさふきえいじ)
「アバタ」の朝吹の人生哲学は「威厳は腹にある」
朝吹英二(1849~1918)実業家。豊前の人。慶応義塾に学ぶ。三井系の諸会社の要職にあって、活摩するところが広く、人物に独自の風格があって、多くの人々から親しまれた。大正七年一月に亡くなる。年69。伝記「朝吹英二君伝』は伝記の白眉であり、よくこの人の風貌を伝えている。
朝吹は福沢諭吉の門下で、1880年(明治13)に福沢、岩崎弥太郎、大隈重信が創立した貿易会社の取締兼支配人。その後、この会社が破産し、当時の金で100万円もの借金をかぶり〝日本一の借金王″と呼ばれた。
車代にも困る苦節7年の後、44歳で鐘紡専務として復活、ここで武藤山治、和田豊治らを育て、藤原銀次郎も抜てきした。明治27年には三井工業部理事になり、三井の機密費をいっさい握り、大隈、尾崎行雄、中江兆民、河野広中らのスポンサーとなり、政治家へ金を流した。
藤山雷太は朝吹のことを「曽呂利新左衛門に識見と禅味と侠骨を加味したような得がたい人物」と高く評価した。
この朝吹は9歳の時に天然痘にかかり、顔中、物すごいアバタになった。朝吹きといえばアバタ。「アバタなくして朝吹なし」といわれた。
朝吹は多分、大変なコンプレックスを抱いたろうが、これを逆に利用、アバタの醜顔を売って歩いた。政財界、花柳界の至るところに顔を出し、「アバタの朝吹」で名物男になった。まさに日本版のシラノ・ド・ベルジュラックであった。
これが朝吹の醜面哲学であった。
「顔は人の看板だ。看板の特長は1度見て忘れぬところにある。男子が人形のようなのは芙しくとも威厳はない。
威厳は腹にある。腹が顔に現れて威厳となる。孟子が、人の言を聞くより眼を見よ、顔色を見よ、といったのも
このところにある。昔から葦で出世したのは漢の張子房ひとりだ。英雄は容貌熊の如く、猿の如しというのが原則だ」
威厳は腹にある。腹が顔に現れて威厳となる。孟子が、人の言を聞くより眼を見よ、顔色を見よ、といったのも
このところにある。昔から葦で出世したのは漢の張子房ひとりだ。英雄は容貌熊の如く、猿の如しというのが原則だ」
朝吹は福沢の姪の澄子と結婚したが、澄子はこのものすごいアバタをイヤがって、どうしても嫁にいくのを嫌い、福沢の手を焼かしたという。
澄子は中上川彦次郎の妹で、福沢諭吉の姪に当る。したがって彼が花柳界に遊ぶのは、福沢家にはごく内証のわけであった。朝吹の壮年の頃、芳町に寵妓があり、側室のようにしていたが、不幸にしてそれが亡くなった。
その際不幸の通知をごく親交ある知人に出したが、如何なる間違いであったか、その通知が福翁宛に福沢家に舞い込んだ。
これにはさすがの朝吹も少からず恐縮した。けだし朝吹の一生における失策の圧巻であった。(矢野竜渓『竜渓閑話」)
これにはさすがの朝吹も少からず恐縮した。けだし朝吹の一生における失策の圧巻であった。(矢野竜渓『竜渓閑話」)
朝吹は大変、愛敬があり、人気者だったが、あわて者のそそっかし屋でもあった。帽子や外套を忘れるのはしょっちゅうで、靴も間違える。下駄ばきのまま人の家へ上がり込んだりした。
ある時、自分の家だと思って、隣りの家の応接間に上がり込み、暑い時だったので、すぐ裸になった。そこに奥さんが出てきて、2人とも仰天した、という話もある。
ある時三井の重役室から外出しようと思って、車に乗ろうとしたが、あたたしく自分の事務室に戻ってしきりに眼鏡を接している。たしかに机の上に置いた筈なのに、さっぱり見当らぬから、給仕を呼んで探させてもない。
「一体貴様たちが気が利かない。目の代理をするくらいの大切なものを注意しておらぬということがあるものか」といって給仕を叱り飛ばした。給仕が見上げると、朝吹の左の手に持っているものがある。
それがどうやら眼鏡らしいから、「お手に持っていらっしゃるのは何でございますか」と聞いた。胡吹も気が付いて見れば眼鏡なので、面目次第もないわけだが、「馬鹿、何故早くいわなかった。」と怒って、照れ隠しににやりとわらった。
それがどうやら眼鏡らしいから、「お手に持っていらっしゃるのは何でございますか」と聞いた。胡吹も気が付いて見れば眼鏡なので、面目次第もないわけだが、「馬鹿、何故早くいわなかった。」と怒って、照れ隠しににやりとわらった。
こんな粗こつ者のところが、いっそう親しまれて人気を集めた。
朝吹英二が北海道に持っていた炭山を炭鉱会社に売って一儲けしたことがある。
これを聞き込んだ益田孝が、朝吹におごらせてやろうというので一趣向案出した。朝吹が神戸へ旅行した不在中に、朝吹の名前で三井守之助、団琢磨、下条正雄、高橋義雄、益田克徳その他数名へ、何日午後五時より築地の瓢屋へ来てもらいたい、という案内状を出した。
これを聞き込んだ益田孝が、朝吹におごらせてやろうというので一趣向案出した。朝吹が神戸へ旅行した不在中に、朝吹の名前で三井守之助、団琢磨、下条正雄、高橋義雄、益田克徳その他数名へ、何日午後五時より築地の瓢屋へ来てもらいたい、という案内状を出した。
その何日は胡吹が神戸から帰る自重のであ渇。何も知らぬ朝吹は、用事を済して帰る汽車の中で紙入れをすられてしまった。三井物産へ来てその話をすると、益田孝が「それは気の毒だったが、今晩一杯飲んで厄払いするさ。瓢屋へ行こうじやないか」という。
行くのには異存がないが、益田克徳から案内の断り状が来ている、どうも不思鱗だと朝吹は妙な顔をしている。それは何かの間違いだろう、といって話題をそらし、瓢屋へ出かけて見ると、案内を受けた連中の顔がそろえていて、いずれも今月は有難うという挨拶をする。
朝吹は煙に巻かれた形であったが、子細を聞いてはじめて誰かのイタズラかわかった。
席上を見渡すと、意味ありげに萩の餅が四つずつ出ており、余興として狂言の「萩大名」があった。
席上を見渡すと、意味ありげに萩の餅が四つずつ出ており、余興として狂言の「萩大名」があった。
これは先年中村楼で痘痕会を催した時、集まれば一景色なり萩の花』の一句を贈ったのにちなんだものである。朝吹の疱瘡は有名なもので、花札の萩の絵のポッポッがそれに似ているところから、新橋の花柳界で萩の札といえば朝吹さんで通っていたほどであったが、この趣向の皮肉なのには、さすがの朝吹もあ然として驚かざるを得なかった。( 「独笑珍話」)
朝吹が井上馨を訪ねて骨董談になると、井上は一品を示して得意であった。朝吹はしばらく凝視して、「これは三千年以上の古物でしょう。まことに天下の杏珍でございます」と感に堪えたものの如くであった。
すると座にいた野田卯太郎が、突然、朝吹を抱いて井上の前に置き、「人間の古物がここにあります」とやったので、主客苦笑する外はなかった。
朝吹はわい小、野田は肥大、この話のおかしみはそこにある。「日本及日本人J所載「雲間寸観」)
関連記事
-
-
『オンライン/新型コロナパンデミックの研究』ー『世界は6月、新型コロナウイルスと共生するニューノーマル(新日常生活)に恐る恐る一歩踏み出した』★『新型コロナ後の世界政治地図はどうなるのか』
新型コロナ後の世界政治地図はどうなるか。 …
-
-
世界を変えた大谷翔平「三刀流物語/前任者たち⓼』★『2013年/MLBを制したレッドソックスの守護神・上原浩治投手の必勝法10か条ー「過去のことは過去のこと。引きずっても仕方ない。すぐ切り替え今日、明日を見た方が人生楽しい」★『 上原は74%がストライク。900球以上投げた投手で、こんなすごい投手は2000年以降いない』など
2013/10/11記事再録 …
-
-
★10最重要記事再録/日本リーダーパワー史(812)『明治裏面史』 ★ 『「日清、日露戦争に勝利」した明治人のリーダーパワー、 リスク管理 、インテリジェンス㉗『日本最大の国難・日露戦争で自ら地位を2階級(大臣→ 参謀次長)に降下して、 全軍指揮したスーパートップ リーダー児玉源太郎がいなければ、日露戦争勝利は なかった ーいまの政治家にその胆識はあるのか?』★『トランプ米大統領の出現で、世界は『混乱の時代』『戦国時代に逆戻りか」 に入ったが、日本の国民にその見識 と胆力があるのかー問われている」
…
-
-
『リーダーシップの世界日本近現代史』(284)★『医師・塩谷信男(105歳)の超健康力―「正心調息法」で誰でも100歳まで生きられる』★『 「生れるということは「生きる(息きをすること)、これが人間の最初であり、水を飲まなくても飯を食わなくても、多少は生きられる。ところが息が止まるとと生きていけない。息を引き取り臨終となる。これが根本!」』
2015年3月29日/百歳学入門(109)記事再録 医師・塩谷信男 …
-
-
『大迫力!台風24号接近中の怒涛の稲村ケ崎サーフィン10分間動画決定版(2018年9/29am720-8.30の圧縮版)-怒涛の大波とサーファーの対決決闘編!だれが勝つか!
2018/10/02 大迫力!決定版◎台風24号接近中の稲村ケ崎サ …
-
-
日本リーダーパワー史(32)巨人伝説―日本最強の戦略家・杉山茂丸の謎・・②
日本リーダーパワー史(32) 巨人伝説―日本最強の戦略家・杉山茂丸の謎②・・・ …
-
-
日本リーダーパワー史(184)『アジア経済時代の先駆者・犬養木堂④』 一貫して『産業立国論』を唱えた民権政治家―
日本リーダーパワー史(184) <百年前にアジア諸民族の師父と尊敬 …
-
-
「オンライン・日本史決定的瞬間講座⑫」★『電力の鬼」松永安左エ門(95歳)の<長寿逆転・不屈突破力>が『世界第2の経済大国』の基礎を作った』★『人は信念とともに若く、疑惑とともに老ゆる』★『葬儀、法要は一切不要」との遺書』★『生きているうち鬼といわれても、死んで仏となり返さん』
★「松永の先見性が見事に当たり、神武景気、家電ブームへ「高度経済成 …
-
-
『Z世代のための日本最高のリーダーシップ・西郷隆盛論⑥』★『山県有朋から廃藩置県(史上最大の行政改革)の相談を受けた西郷どんは「結構です!」と一言の基に了承、即実行した』★『西郷の大決断によって約千余続いた封建幕藩体制を破壊することができたのだ』★『福沢諭吉は西郷こそ真の民主主義者である絶賛している』
2012/27/日本リーダーパワー史(249)記事再録編集 明治維新最大の改革・ …
-
-
『60、70,洟たれ小僧の湘南海山ぶらぶら日記回想録』/人生晩年になればつり竿さげて、鎌倉海をカヤックフィシングでさかな君と遊べば楽しいよ』★『「半筆半漁」「晴釣雨読」「鉄オモリをぶら下げて」鎌倉古寺を散歩すれば、悠々自適!、生涯現役。臨終定年!』
以下は2011年7月7日に書いた「湘南海山ぶらぶ日記」の再録である。約15年前は …