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『Z世代への昭和国難突破力の研究』ー「最後の元老・西園寺公望(92)の臨終の言葉』★『アジア、太平洋戦争の敗北を予感、「いったいどこへこの国をもって行くのや、こちは(お前たちは)・・・』

   

2011/05/12 /日本リーダーパワー史(151)記事再録

★『最後の元老・西園寺公望は敗戦を前にどう行動したか』

前坂 俊之(ジャーナリスト)

 西園寺公望は嘉永二年(一八四九1849年10月23日生、1940年11月24日没。92才。右大臣徳大寺公純の次子。幼名美磨。西園寺家を継ぐ。幼時保育に当たった相模という乳母が男勝りで、教養もあり、手ほどきをして、美麿は七、八歳からたばこも酒も知った。政治家。公爵。各国公使・枢密院議長・総理歴任。政友会総裁時に三度組閣、立憲政治・列国との協調外交を支持し、政党の健全な発達をはかろうとした。パリ講和会議全権。最後の元老。

西園寺公望は七十歳となり、政治的に第一線から退いた大正八年(一九一九)に静岡県清水市の隣の風光明媚な興津(おきつ)海岸の旧東海道沿いに別邸「坐漁荘」を建てた。

「坐漁荘」とは、のんびり坐って魚を釣るという隠棲の意味で小さな岬の突端に建てられ、海のかなたには三保の松原、東側には伊豆半島、富士山を望む景勝の地にあった。

 約千平方メートルの敷地に、二階建てで六間のある建物と庭園、別棟に警備詰所などがあった。ここで第二夫人の中西房子やその子、養女、女中らと住んでいた。

坐漁荘は平生から華美を嫌う西園寺公の意を入れ、極めて質素に建てられた別邸で、坐漁
荘をはじめて見る人は皆一様に『これが西園寺さんのお邸ですか』と驚くほど漁師町
と軒を並べた手狭な日本建て一軒屋であった。

大正末期から昭和初期昭和十五年(一九四〇)に九十二歳で亡くなるまでここが激動の昭和政治史の中心舞台の一つとなった。「坐漁荘詣で」の政治家が絶えることなく、戦争と亡国へ急速度に転落していく中で、政治の舵取りをしていた西園寺にとっては一瞬たりとも気の安まるヒマはなかった。

西園寺公は四季と春は東京駿河台の本邸、夏は御殿場の船塚別荘、秋は京都の清
風荘、冬は興津の坐漁荘で送っていたが、80才を過ぎてからは夏の暑さを避けて御殿場にはいかず、ずっとこの坐漁荘で過ごしていた。

 西園寺公の晩年の健康については八十五歳のとき、米食をやめ、パン食にした。酒は晩酌二合、相手があれは三合くらい。昼間に一合ずつ日本酒を飲んだ。若いころは「灘万」が長尻で、興にのると丸裸に褌一つで杯洗(はいせん)の酒をあおった。「二代目灘万のおかみは布袋さまだが、初代の女主人は、どうして江戸前のなかなかいい女だった」と語った。

洋酒もやかましく、桂太郎公爵からのブランデーは口に合わぬので、つねに持参したくらいであった。健康のためにフランスのルルドの鉱泉を愛用していた。西園寺が首相のとき、官邸で鍋物を食べていたところ、原敬が来て、一緒に食事をした。あとで、「これは河豚だよ」といわれて、原敬が顔色を変えたというエピソードが残っている。

明治以来、「元老」の存在は憲法の規定にないにもかかわらず近代政治システムにおける最高の地位にあった。内閣更迭の場合は、元老が天皇に諮問によって次の総理大臣を推薦してきたため、絶対主義的な支配者として、首相や政治家、軍人たちも元老には頭が上がらなかった。

 山県有朋に続いて大正十三年(一九二四) に松方正義が九十歳で亡くなって以来、西園寺が最後の元老として政界に君臨した。

 西園寺は若くしてフランスに十年間留学しており、中江兆民と交遊するなど根っからの自由主義者。その政治思想は近代リベラリズム、議会政治、シビリアンコントロールを信条とし、国際協調外交を推進し、軍国主義と国家主義を排除し軍人を毛嫌いしていた。

亡国への予感におののく

 昭和に入ると、軍国主義、国家主義が奔流のように高まってくる。昭和三年に起きた田中義一内閣での満州某重大事件では、西園寺は「犯人が日本の軍人であれば断固処罰してこそ国際的な信用を維持できる」と田中に指示、「この事件だけは自分が生きている間はあやふやにさせぬ」との強い決意を示していた。

 ロンドン軍縮会議、統帥権干犯事件、満州事変、五・一五事件、二・二六事件と軍ファシズムの暴発、暴走が続く中で、政治は西園寺の望まぬ方向へ突き進んでいった。

 西園寺が最後の望みをたくし、後継者として期待したのが近衛文麿で、昭和十二年六月の第一次近衛内閣の組閣では強力に支援した。しかし、近衛は優柔不断で軍部に引きずられ、日中戦争の解決を見いだせず、期待はすぐに裏切られてしまう。

 西園寺は政治の姿に絶望し、このままでは日本は亡国となるという予感がますます強くなってくる。日課となっていた庭の十分間ほどの散歩もしなくなり、体力、気力とも八十七歳で急速に衰えを見せていた。

「わても老齢やさかい、始終、政治に注意しとるのは苦痛じゃ。元老をやめようと思うてますのや」と何度も元老引退を木戸幸一や近衛に漏らすようになった。1940年7月、後継総理の推薦の方式については内大臣、重臣会議と相談の上で決める、ということに変更された。この年十一月二十四日、西園寺は九十二歳で亡くなった。

 公の最期は、よく聞き取れない言葉で何かつぶやいたので秘書の原田熊雄がその唇に耳を近づけて「何事ですか」とたずねると、

「いったいどこへこの国をもって行くのや、こちは(おまえは)…」と吐き出すように言った。それまでも公は推薦した近衛文麿や木戸幸一内大臣に対する不満の言葉をよく吐いていたが、これが最期の言葉となった。

 西園寺公が亡くなってほぼ一年後に太平洋戦争に突入し、四年後に無条件降伏した。かつて大正八年のベルサイユ講和会議に出席した際、西園寺は日本がドイツの二の舞いになるのではとの危惧の念をもらしたが、その通りになってしまったのである。

参考文献は「前坂俊之著「事典にのらない日本史有名人の晩年」(別冊歴史読本2001 年8月号掲載) 「西園寺公追憶」(昭和17年6月刊、130P,非売品

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