前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

『オンライン講座/よくわかる尖閣問題の歴史基礎知識』★『日中、台湾、沖縄(琉球)の領土紛争の底にある『中華思想』と台湾出兵との関係、交渉は・・・』

      2021/01/03

 

  2012/09/26  日本リーダーパワー史(325)

前坂俊之(ジャーナリスト)

「欧洲古代ローマの盛時に周辺の異民族を差別し、対等の交際を認めないことがあった。古代以来、中国は四方の諸民族を夷狄(いてき)視し、対等の交際を許さず、四夷朝貢、国王封冊、正朔遵奉などの旧慣が続けられ、後までも教化を慕い朝貢する国を属国と見倣(みな)した。

しかも中国自身この属国の内治外交に関与せず、欧米諸国が、琉球、朝鮮、安南(ベトナム)、緬旬(ビルマ、ミャンマー)らの諸国を大清帝国の領土と認めなかった。

伝統の中華思想から、中外一統、四海一家、各国人民は皆中国皇帝の赤子であると号し、中国皇帝が交易を許すのも、万国を統駁する皇帝自身が四夷を撫育するために恩恵として認めるものであって、恭順の儀典を要した。朝貢関係にしても、中国皇帝が王位や爵位を授け、その制令に服して暦朔を用い、貢物を献上するとの形式を要し、両国対等な貿易を認めず、貢物に対し過分な恩賜の金品が授けられる形態であった。

既に緬旬(ミヤンマー)のごとき、冊封の慣例がなくなり、十年の貢献が断絶していたが、旧来からの属国であると云い、また○羅の三年一貢も、冊封の慣行がなく、献貢も七年から十年位であったという。

『官本大清会典』では、朝貢国に東洋各国の国名を挙げるばかりでなく、西南西洋と明記していた。清国皇帝の邦土は四海にあまねく、権勢は天下に窮りなく、阿片戦争、アロー戦争の敗戦の後でも、欧洲諸国までが臣服しているかのごとき制度を称していた。

他方、日本の琉球処分に対し、琉球と条約を締結していた米国、仏国、蘭国(オランダ)でも、無条約の欧米諸国でも、何等異論がなかった。

清国のみが抗議したが、清国とても慶長降服以来の薩摩藩(鹿児島)の統治、明治政府の藩王任命等、多年の支配の実績を否定できず、専属でないと唱えた。清国は内治外交に関与せず、琉球国王に対する冊封の儀礼、朝貢名義の交易の慣行、正朔遵奉の旧慣に基き、明朝以来の中国の属国と主張したが、日本は虚文空名と否認した。

事実、慶長十四年(明寓暦三十七年)島津家久の琉球遠征に際し、明国が出兵することがなく、抗議することもなかった。

薩摩藩の琉球統治に対しても、明国次いで清国は、二百数十年も放任して異論を唱えたことがなかった。

また明治五年九月、日本政府の藩王任命は、日本側の見解によると、慶長降服以来日本の属邦であった琉球国を、琉球藩として内藩に編入し、琉球併合を意味したと云うが、これに対しても、清国からは抗議がなかった。

 

「台湾事変(台湾出兵)」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E5%87%BA%E5%85%B5

宮古島島民遭難事件

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%8F%A4%E5%B3%B6%E5%B3%B6%E6%B0%91%E9%81%AD%E9%9B%A3%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 

琉球処分

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%89%E7%90%83%E7%8E%8B%E5%9B%BD

http://page.freett.com/haniwa828/ryukyu/tushi/tushi5.htm

 

「台湾事変(台湾出兵)」自体が、台湾南部で生蕃(高砂族)のために54人宮古島島民が殺害された琉球人のために生じたのに、清国は琉球の地位を充分に論議しなかったばかりでなく、台湾事変解決のための日清条約の締結に際し、条約の前文中に明らかに琉球人を日本国の属民と認め、また第二款で被害の難民(琉球人)へ償金を払った。

後に清国では被害の難民とは琉球人を意味せず、日本の小田県備中浅江郡の住民四名が生蕃から掠奪された事例であるとの苦しい弁明を要した。

日本側は、米国グラント将軍の調停に従い、二島分界案、増加改約案を捏出したが、これは清国皇帝が、中外一統、四海一家、各国人民皆朕が赤子なりと称する中華思想を是認した訳ではなかった。

日清友好のため、勧告に従い、台湾の安全を計り、太平洋への通路を開き、ここに宮古及び八重山の割譲案となり、また日清修好条規に最恵国条款を加える等の条約案となった。両国全権が草案を合意した後、清国は徒らに条約に調印せず、談判が決裂した。条約を締結したが、清国が批准しなかったとする説は誤りである。

<以上は大山梓著「 日本外交史」の「琉球帰属と日清紛議」(149-152P)良書普及会(昭和55年)>

 - 人物研究, 戦争報道, 現代史研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
片野勧の衝撃レポート㉕ 太平洋戦争<戦災>と<3・11>震災 ー第4の震災県青森・八戸空襲と津波<2>

   片野勧の衝撃レポート 太平洋戦争<戦災>と<3・11> …

no image
★『明治裏面史』/ 『日清、日露戦争に勝利した明治人のリーダーパワー, リスク管理 ,インテリジェンス(51)★『陸軍参謀本部の俊英・明石元二郎と宇都宮太郎のコンビが日露戦争勝利の情報謀略戦に活躍②』★『宇都宮大佐はロンドンでポーランド社会党首領のヨードコーらと接触、帝政ロシアの支配下からポーランドを解放し、第1次世界大戦後、新興ポーランドの元首となったユゼフ・ピウスツキ、特にその兄と親交があった』

 ★『明治裏面史』/ 『日清、日露戦争に勝利した明治人のリーダーパワー, リスク …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(308)★『関 牧翁の言葉「よく生きることは、よく死ぬこと」★『一休さんの遣偈は勇ましい』★『明治の三舟とよばれた勝海舟、高橋泥舟、山岡鉄舟の坐禅』

2020/03/09  関 牧翁のことば「よく生きることは、よく死ぬこ …

[明治160年、日本興亡史の影の黒幕は一体誰でしょうかクイズ❓』★『「明治の国家参謀・杉山茂丸に学ぶ」⑦『児玉源太郎(陸軍参謀総長)、桂太郎(首相)と 「日露戦争開戦」の秘密結社を作り成功』★『「明治大発展の国家参謀・杉山茂丸の国難突破力に学ぶ」

 逗子なぎさ橋珈琲テラス通信(2025/11/24am700) &nb …

『Z世代への歴史の復讐問題②』★『憲政の神様・尾崎咢堂の語る<日本史上最高の英雄・西郷隆盛を理解する方法論>の講義』★『『西郷隆盛はどこが偉かったのかーダーシップは力より徳にある>』

2010/08/09  日本リーダーパワー史(84)記事再録 …

『Z世代への歴史の復讐問題③』★『明治維新・大政奉還は西郷隆盛と勝海舟の話し合いで平和裏(江戸城無血開城)に解決した』★『明治維新は世界にも例のないほどの「話し合いによる民主的、平和革命」★『明治維新(1868年、死者約3万人)、米南北戦争(1861 ―65 、約 62 万人)、米第2次世界大戦(約40万人)、フランス革命(1789 ―99、約200万人と比べる』

  2024/05/22 記事再録編集 2024年10月7日 …

no image
速報「日本のメルトダウン」(521)●日本経済、2014年が正念場(英FT紙)○「シェールガス」バブルの崩壊は目の前」

 速報「日本のメルトダウン」(521)     ● …

no image
日本リーダーパワー史(680) 日本国難史の『戦略思考の欠落』(59)「日露戦争・日本海海戦の勝因は日英軍事協商(日英謀略作戦)ーバルチック艦隊は「ドッガーバンク事件」を起こし、日本に向けて大遠征する各港々で徹底した妨害にあい、 艦隊内の士気は最低、燃料のカーディフ炭不足で 決戦前にすでに勝敗は決まった。

  日本リーダーパワー史(681) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(59) …

no image
<歴史クイズ> 明治政財界裏面史に登場する桂太郎と新橋芸者お鯉との恋

明治政財界裏面史に登場する桂太郎と新橋芸者お鯉との恋 前坂 俊之(ジャーナリスト …

『Z世代のための<日本政治がなぜダメになったのか、真の民主主義国家になれないのか>の講義③<日本議会政治の父・尾崎咢堂が政治家を叱るー『明治、大正、昭和史での敗戦の理由』は① 政治の貧困、立憲政治の運用失敗 ② 日清・日露戦争に勝って、急に世界の1等国の仲間入り果たしたとおごり昂った。 ③ 日本人の心の底にある封建思想と奴隷根性」 

2010/08/06  日本リーダーパワー史(82)記事再録 &nbs …