前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

『リーダーシップの世界日本近現代史』(282)★近藤康男(106歳)の「七十歳は一生の節目」「活到老 学到老」(年をとっても活発に生きよ 老齢になるまで学べ)』★『簡単な健康法を続ける。簡単で効果のあるものでなくては続けられない。大切な点は継続すること。★『驚異の106歳を達成した毎晩、全身を10分間「ぐっすり熟睡できる指圧法」を一挙大公開!』

      2020/02/19

 2018/07/21百歳学入門(237)記事再録

近藤康男(106) 1899・1・1~2005・11・25

農業経済学者。東京帝国大学農学部助教授、一九四三 (昭和十八) 年、思想弾圧で大学を追放される。戦後、東大に復職。定年退官後は武蔵大学教授、農文協図書館理事長などを歴任。

農村に分け入り、農業生産者の立場から農業経済学を専門とした近藤は、実証的研究を持続した学者であった。戦前、早くも著書『農業経済論』において、マルクス経済学の視点から農業問題を芸科学として確立。東京帝大教授を薯で退官後は武蔵大学に移り、特任教授を退職したのが七十六歳だった。

武蔵大在任中の六十九歳のとき、胃のポリープ摘出手術を受け、このころから視力や聴力、体力の衰、妄目覚しだす。だが、ここから徹底した健康管理を維持し、旺盛な研究活動を続けて、七十歳以降にも四十冊を超える編著書を著した。

「申すまでもなく、七十歳は人の一生の大き節目であります」と近藤は語る。

しかし、老いは容赦なく襲いかかり、右目は白内障、左目は眼底出血となり、七十七歳を境に視力は概端に落ちた。エレベーターの数字が読めず、山人でエレベーターることができなくなり、電車の切符を買うのにも苦労した。

当時の心境を、「体調が悪くなると消極的になります」と述べていたが、それでも自分の研究をおろそかにすることはなかった。視力の衰えに対しては、拡大読書器を使い、午前中一時間ほど、午後は二時間半ほどの読書を日課とし続けた。

自宅から自身が関係する農文協図書館など、慣れ親しんだ場所へは杖なし、付き添いなしで、バスや電車を乗り継いで通い続けた。

当時の写真が残されているが、カバンをたすきがけにかけ、ネクタイをきちんと締めたスーツ姿だった。もちろん、外出を続けたのは、執筆のためだった。

 

一九九七(平成九)年、白寿を迎えた折の色紙には、次のように揮豪した。「活到老 学到老し (年をとっても活発に生きよ 老齢になるまで学べ)

簡単な健康法を続ける。健康のためにはラジオ体操などいろいろあるが、簡単で効果のあるものでなくては続けられない。大切な点は継続すること。

 

研究を維持するため健康が何より重要だと考えた近藤が、晩年、常に心がけていた一つが睡眠時間の確保であった。

規則正しい生活を送るため、夜九時には就眠し、朝は七時に起床して体調の維持に努めた。だが、年齢を重ねるにつれ、夜中に眼が覚め眠れなくなることが多くなった。

そんなときに欠かさず行ったのは、中国で覚えたという十分間の全身指圧だった。わずか十分間だが、この指圧で再び眠りに入ることができた。しかも、朝、行えば快便効果もあり、「私の睡眠術兼健康法」にしていたという。

この健康法を知ったのは、中国との関わりからだった。

1957(昭和三十二)年、当時、気鋭の農業経済学者であった近藤は農業経済学会会長として訪中する。以来、中国から友好の印として贈られていた雑誌『北京週報』の中で、腰痛予防法の記事を偶然、見つけた。さっそく、試してみると、「実に効果があった」。とりわけ実感したのが、胃のポリープ手術前だった。

その後、毎晩、全身を10分間、指圧することを欠かさなかった。私の25年間にわたる「寝つき法」である。頭から足まで全身の要所を指圧して身体の凝りをやわらげるもので、順番で次の順序で行っ。

➀両手で頭をなでまわす(一から八を二回数える)

②両手の四指で頭の項部から前額を通り眼の上(眉毛)の両端まで指圧

③両手の中指でこめかみを指圧

④両手の親指で耳のまわりの上部半分を指圧

➄右手の親指で右首筋を指圧。左首筋も同様に

⑥両手の四指で耳から上のほうへすり上げ、すり下げる

⑦頭全体を両手の五指で軽くたたく

⑧左手で右肩を強くつまむ左肩も同様に

⑨右手で左手の付け根を握る。親指で指圧。右手の付け根も同様に

➉両手で右ひざを握り、中指で指圧。左ひざも同様に

(11)両手の親指で右足の土踏まずを指圧。左足の土踏まずも同様に

以上の指圧は1から8まで数え、それを二、三回続ける。全部の所要時間は約10分間。床の中で

実施するのが有効である。これを朝、起床に先.だって実施すれば排便を正常化する。夜これを実施しても寝つかれないばあいには、睡眠薬を飲む。これが私にとって睡眠術兼健康法」で25年間続けてきた。(近藤康男著『』七〇歳からの人生』(農文教、1999年,183 -184P)

農業生産者の立場から実証的研究を旨とし、また自宅の庭を畑として自給自足に近い生活を送ってきただけに、実質的に役立つものが何であるかを重要視した。

 

しかも、指圧には道具も器械も必要としない。金もかからない。自分の指先だけででき、持続することこそが何よりの効果だと見抜いていた。全身指圧がいたく気に入り、周囲に持続の重要性を説いて、自ら実行し続けた近藤は百六歳の天寿をまっとうした。

 - 人物研究, 健康長寿, 現代史研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
『2018年、米朝戦争はあるのか』⑧ー伊勢崎賢治氏の『米朝開戦の瀬戸際で、32ヵ国の陸軍トップを前に僕が話したことー日本メディアの喧騒から遠く離れて』★『憲法9条を先進的だと思ってる日本人が、根本的に誤解していることー世界が驚く奇想天外な状況』★『知らなければよかった「緩衝国家」日本の悲劇。主権がないなんて…日米地位協定の異常性を明かそう』★『世界的にもこんなの異常だ! 在日米軍だけがもつ「特権」の真実ー沖縄女性遺体遺棄事件から考える』

『2018年、米朝戦争はあるのか』⑧ 2017年9月末、北朝鮮開戦が心配されてい …

no image
日本作家超人列伝(40)マスコミの帝王・大宅壮一、国際事件記者大森実、トップ屋梶山季之、大仏次郎、伊藤整ら

日本作家超人列伝(40) マスコミの帝王・大宅壮一、国際事件記者大森実、トップ屋 …

no image
「英タイムズ」「ニューヨーク・タイムズ」など 外国紙は「日韓併合への道』をどう報道したか ⑧ 「英タイムズ」(1907(明治40)年7月22日付> 『朝鮮の危機ーー日本の政策』

「英タイムズ」「ニューヨーク・タイムズ」など 外国紙が報道した「日韓併合への道』 …

no image
日本リーダーパワー史(757 )―『トランプの政策顧問で対中強硬派のピーター・ナヴァロ氏「米中もし戦わば」(戦争の地政学、文芸春秋社刊)を読む」●「米中対話は不可能である」の結論は「日中韓朝対話も不可能であった」に通じる。」★「明治以降の日中韓朝150年戦争史は『エスノセントイズム」「パーセプション」「コミュニケーション」『歴史認識」のギャップから生まれ、『話せばわかるが、話してもわからないことが わかった!」、ならばどうするのか、難問を解かねばならない。

  日本リーダーパワー史(757 ) トランプの政策顧問で対中強硬派の …

『Z世代のために<日本史上最大の英雄・西郷隆盛の即断・即決のリーダーシップ>の研究⑰』★『『山県有朋が恐る恐る相談すると、西郷は言下に「至極、結構なこと」と了解し、断固実行した」(徳富蘇峰『近世日本国民史』(明治の三傑))』

2012-03-24 /日本リーダーパワー史(246)記事再録   & …

no image
速報(192)『日本のメルトダウン』世界軽蔑劇場―<オリンパス、大王製紙、巨人内紛、50年福島原発騒動>日本沈没上演中!

速報(192)『日本のメルトダウン』 世界軽蔑劇場―<オリンパス、大王製紙、巨人 …

no image
世界が尊敬した日本人『アジアの共存共栄を目指した犬養毅』―パールバックはガンジーらとともに高く評価した。

 世界が尊敬した日本人   アジアの共存共栄を目指した犬養毅 …

no image
日本リーダーパワー史(921)-「売り家と唐模様で書く3代目」―『先進国の政治と比べると、日本は非常識な「世襲議員政治』★『頭にチョンマゲをつければ江戸時代を思わせる御殿様議員、若様議員、大名議員、お姫さま議員がまかり通る不思議な国『時代劇ガラパゴスジャパン政治』』

  〇「売り家と唐模様で書く3代目」―『総理大臣は8割が世襲総理、 4 …

no image
知的巨人たちの百歳学(132)『一億総活躍社会』『超高齢社会日本』のシンボルー美容家・メイ牛山(97歳)、日本舞踊家 武原はん(95)に学ぶ

 知的巨人たちの百歳学(132) 『一億総活躍社会』『超高齢社会日本』のシンボル …

no image
速報(232)『ピント外れだったソニー、ストリンガーの7年間』●『「日本の倒産」に賭けるヘッジファンドーとの戦い』

速報(232)『日本のメルトダウン』   『ピント外れだったソニー、ス …