『リーダーシップの世界日本近現代史』(281)★『空前絶後の名将・川上操六陸軍参謀総長(27)『イギリス情報部の父』ウォルシンガムと比肩する『日本インテリジェンスの父』
日本リーダーパワー史(169)記事再録
空前絶後の名将・川上操六(27)
<川上は『イギリス情報部(SIS)の父』フランシス・ウォルシンガムに比肩する>
前坂 俊之(ジャーナリスト)
① 今、日本は亡国、衰退の道にある。われわれは日々沈みいく『日本丸』の乗客で、船底近くの3等船室では水死者が続出中である。
② 最上階のキャプテン、操縦室に陣取る船長(首相、民主党、自民党、政治家たち)は何をしてよいかわからない状態で、「お前はやめろ」「やめない」の喧嘩、思考停止中である。視界ゼロ、ナイヤガラの滝が近いのに、『巨大船日本丸』は漂流しており、向かうべき進路も示せない、どこに行くのかもわからない状態にある。
③ その最大の理由(亡国病、敗戦)はインテリジェンスの欠如にある。
④ 日本の明治以来の「坂の上の雲」は英国海軍に学び、軍艦を購入し、国際法を学び、インテリジェンスを学び、それを日本流に実践したことによる。
⑤ ヨーロッパの大陸から孤立した小国・島国だったイギリスが当時の世界の覇権を握っていた超大国・スペインを倒して、世界の7つの海を支配する『大英帝国』を築くことができたのか―それは産業革命による経済力、軍事力、海軍力の『ハードパワー』と同時に、目には見えない形の『ソフトパワー』『情報力』『インテリジェンス(諜報力)』なのである。
⑥ その意味ではイギリスの栄光の影の主役こそ『イギリス情報部の父』フランシス・ウォルシンガム(1532-1590)である。
⑦ この伝でいけば、イギリス同様に、ヨーロッパ列強にひと飲みにされる寸前であった小国日本が、日清、日露戦争に勝ったのはまさしく奇跡であり、奇跡でなかったのである。
⑧ なぜか。それは川上がいたからと言ってもよい。川上は今回の大震災、津波を『想定外』といって国難、敗戦した今のバカリーダーたちと違って、西欧列強の侵略を『想定内』として、孫子の兵法『敵を知り、己を知れば、百戦危うからず』を実践し、インテリジェンス網(諜報網)を張り巡らせ、ウォルシンガム、モルトケ、クラウゼビッツの戦略も自家薬籠中のものにして、必勝の方程式ををただ1人で解いた。
⑨ 忘れてはいけないのは日清、日露戦争では明治天皇以下、伊藤博文ら元老、政治家の多くがなるべく戦いたくないと思っていた事実である。日清戦争では明治天皇は『朕の戦争にあらず』と川上、陸奥らの主戦論に反対を唱えていたことだ。もし、川上のような突破者がいなくて、清国を恐れて一戦交えなければ、多分日本には『坂の上の雲』の世界を実現できなかったであろう。相変わらず、今のような無能な政治リーダーたちの右往左往と、国内権力闘争にかまけて、逆に西欧列強の植民地にされていた可能性が高い。
⑩ 太平洋戦争、今回の第3の敗戦の経験から、明治のリーダーパワーを見直す必要がある。古来「国、大なりといえども、戦いを好む時は必ず亡ぶ。国、平和といえども戦いを忘れた時は必ず危うし](史記)と言われる。明治以来の歴史は正にこの通りである。
軍国主義で発展、大東亜戦争で敗戦し、昭和20年から経済至上主義(GDP至上主義)の経済大国化の暴走は、1千兆円の財政赤字を増やし、原発自爆テロ(日本病―腹切り民族の特性)によって、最悪の場合、日本民族絶滅の危機にひんしている。
軍国主義で発展、大東亜戦争で敗戦し、昭和20年から経済至上主義(GDP至上主義)の経済大国化の暴走は、1千兆円の財政赤字を増やし、原発自爆テロ(日本病―腹切り民族の特性)によって、最悪の場合、日本民族絶滅の危機にひんしている。
その、川上操六が「日本のインテリジェンスの父」とすれば、そのノウハウは一体
誰から学んだものだろうか。
明治日本が海軍のお手本としたのはいうまでもなくイギリスだが、英国の『スパイの父』『イギリス情報部の父』はエリザベス女王時代のイギリス宰相サー・フランシス・ウォルシンガム(1532-1590)である。彼こそ、「イギリス情報部の父」である。
世界の秘密諜報機関の元祖と言ってもよいイギリス情報局秘密情報部(SIS)は外務大臣直轄であり、外国に対するスパイ、諜報活動が主な任務である。
ウォルシンガムはケンブリッジ大学キングス・カレッジ(法律)卒。ヨーロッパ大陸にわたる。スペイン語、イタリア語、フランス語、ラテン語などを習得した語学の天才。エリザベス1世の信任厚い宰相ウィリアム・セシル(1520-1598)に取り入る。セシルに信任されて1570年に駐フランス大使に任命した。
当時イギリスは、ヨーロッパではまだ小国。フェリペ2世(1527-1598)が治めるスペインが覇権を握っていた時代で、フランスも力をつけていた。カトリック勢力が多いヨーロッパのなかで、イギリス国教会のイギリスは、島国で孤立する不安定な国際情勢におかれていた。1573年にパリから帰国したウォルシンガムは、セシルのもとで情報部の責任者となった。とはいえ、エリザベス1世(1533-1603)は金を出さなかったので、ウォルシンガムは情報部の創設をポケットマネーを出したと言われる。
イギリス王室は陰謀につぐ陰謀の歴史である。
当時エリザベス1世は、イングランドの王位継承権を主張するスコットランド女王メアリ・スチュアート(1542-1587)の挑戦を受けていた。メアリにはローマ教皇が味方し、エリザベスの方を「偽りの女王」と宣言し、数々の陰謀を画策した。ウォルシンガムは、メアリの連絡用の暗号のスパイ、解読に成功し陰謀家のアンソニー・バビントン(1561-1586)を突き止めてメアリーがバビントンにエリザベスの暗殺を示唆した陰謀事件を暴露して1587年にメアリは処刑された。
この事件によって当時エリザベス1世は、ウォルシンガムを『女王陛下のスパイ』として寵愛を受けるようになる。
ウォルシンガムは国内、欧州全土にくまなく張り巡らせたスパイ網を駆使して内外の問題の情報を収集して、英国諜報組織の基礎を築いた。そのネットワークたるやイングランド国内や隣国スコットランド、フランス、ネーデルラント(オランダ・ベルギー)スペイン、イタリア、神聖ローマ帝国(ドイツ・オーストリア)、そして遠くはコンスタンティノープルにに及んだ。女王陛下に対する暗殺、テロ、不穏な動きをいち早く察知して、彼のインテリジェンスは正確無比で何度もイギリス国家を救った。
一方、スペインとの決戦が迫って来た。
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1587年のメアリの処刑がきっかとなって、それまでイギリスの政策に怒りを募らせていたスペインのフェリペ2世が、エリザベスに対して戦争に乗り出した。1588年、フェリベ2世は「無敵艦隊」アルマダをイギリスに向けて差し向けた。しかし、ウォルシンガムもさるもの。孫子の兵法『敵を知り、己を知らば』を一早く実践して彼流のインテリジェンス網を張り巡らせていた。1584年の段階で、エリザベス1世の臨席する閣議で、スペインとの戦争の可能性を徹底的に議論した。ヨーロッパに張り巡らされた情報網から集めた情報を利用して、ウォルシンガム自身が『スペインからの情報収集の方策』と題した秘密文書を作成。スペインや低地地方、フランス、北欧、ポーランド、バチカン、ヴェネチアに至るまで、スペイン諜報網を徹底して引いていた。川上はドイツのモルトケに弟子入りし、プロシアが構築した諜報網とウォルシンガムの方法論をまねて、
日清戦争前に清国内に諜報網を張り、日露戦争に備えて対ロシア諜報網も張って勝利の方程式を解いた。
以下は落合信彦「最強情報戦略国家」の誕生 「インテリジェンス・ウォー」の勝者が21世紀を
制覇する(2007年、小学館)を参照した。
フエリペ2世はエリザベス女王に対して海賊をなんとかするよう要請した。しかし女王は海賊をとりしまるどころか逆に煽る始末。それらの海賊のひとりが後にアルマダ(無敵艦隊)を破ってイギリスの歴史的英雄となるサー・フランシス・ドレークである。
怒ったフェリぺ2世はイギリス攻撃の準備を始めた。そのためには世界最強の艦隊が必要となる。アルマダの建設である。しかし女王陛下のSIS責任者ウオルシンガムは各国に散ったエージェントたちから確かなその情報をつかんでいた。
当時最強といわれたスペイン海軍とまともにぶつかっては到底勝ち目はない。そこで彼は諜報工作を実施する。ヨーロッパ中の船大工を集めてスペインに送り込んだ。スペインとしてはできるだけ早急に艦隊を作る必要から彼らを大歓迎した。彼らが宿敵イギリスの諜報機関から送られたと疑う者はだれもいなかった。
船大工たちに与えられた任務はただひとつ。建設中のアルマダをサボタージュすること。船首の継ぎ目を外れやすいよぅにしたりマストの柱が折れやすいように工夫したり、船底を支える板の耐久度を少なめにするぐらいでよかった。
建設開始から2年後130隻の艦隊アルマダが完成する。1588年5月、無敵艦隊と呼ばれたアルマダは3万人の兵士を乗せてリスボンを出発。フエリペ2世の計画はアルマダがイギリス海峡を通過してスペイン領オランダで待機している陸軍の大部隊を拾ってイギリス本国を目ざすというもの。ここからイギリス側の提督サー・リチャード・ハワードやサー・フランシス,ドレーククなどの華々しい活躍が記されるのだが、それは教科書用の作り話にすぎない。
実際は戦闘というより小競いといった方が妥当で、しかも4回のぶつかり合いでアルマダはイギリス海軍のヒット・アンド・ラン戦法に簡単にやられてしまった。
それはアルマダにフレキシブルな機動力がなかったからだ。なぜか?。ウオルシンガムの謀略によって戦闘開始前にすでにアルマダの艦隊は大波に揺られて船体がガタガタとなっていた。戦う前から負けていたのである。
しかも、艦隊決戦の事前の情勢判断や敵艦隊の位置などの把握もウォルシンガムの対外インテリジェンスが上回っていた。
結局、その後の戦闘でもイギリス海軍より恐ろしいものが待ち受けていた。アイルランド沖の嵐である。この嵐によってもともと軍艦の『自沈破壊工作』が施されていたアルマダは半分近い軍艦が沈没してしまった。
この勝利でエリザベス女王の統治は盤石のものとなり、イギリス海軍の不敗神話が生まれたが、実はゥォルシンガムのインテリジェンスのおかげなのである。今日、彼が元祖SISと呼ばれているのも当然といえば当然だろう。
以上、スペイン無敵艦隊を破ったイギリス艦隊と、日本海海戦での連合艦隊の勝因をインテリジェンスの面からもう一度考えることが必要です。何事も勝負の前の事前情報の徹底把握、インテリジェンスを働かせたところが勝つのは歴史の普遍的な原則です。
川上の活動についてはこれまでの戦史や、歴史でもあまり出てこないのは、インテリジェンスは秘密の世界であること、同時に川上のインテリジェンスの高さを示している。
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