日本リーダーパワー史(299)原発報道と対中韓歴史認識では満州事変の横田喜三郎、石橋湛山の予見的な言説を活かせ⑥
1・・東京帝国大教授・横田喜三郎は真相を見破る
「わたしは弁護人としてではなく、裁判官として論じてみたい。……連盟の勧告の〝事件の拡大を防止すべし″というのは、もし日本が自衛の範囲に止まるものであればその必要はない。しかし、自衛の範囲に止まるやいなや?事件が起こる。数時間で営口を占領したのはなぜであるか?これらは新聞によれば、ほとんど無抵抗で占領した。軍部は満州における支那側の機先を制するためには、仕方がないというかも知れぬが、機先を制するために、国際法を蹂躙してもよいか。……以後起こった事件が例の錦州事件である。
2・・横田教授の批判に対して、右翼から攻撃
この内幕をズバリと暴露したもので、「秋風を立てられたこのごろの若槻内閣」(上)「百鬼昼行の顔ぶれ、無力優柔不断の野党」(下)で、内容は次のようなものだった。
ところがこの挙国一致内閣の実体はどうかというと軍閥が中心となって、これに政党が参加せよというのだ。事変以来軍閥は気をよくしている。見給え、三宅坂(陸軍のこと)が日本の国家を代表しているではないか。名は政党内閣でも実質は軍閥内閣である……(2)」
一貫して「個人主義」「小日本主義」を唱えていた
浜口首相が1930(昭和五年)11月に東京駅でテロにあい、幣原外相が首相代理となったが、翌年2月3日の衆院予算総会でロンドン軍縮条約の責任を天皇に帰したような発言を行い、大問題となり、議会では与野党の乱闘事件が起こる騒ぎとなった。
、総て社会の制度を固定し、柔軟性を失いたる時には、極って非合法暴力行為が盛行する」と「万機公論に決す」デモクラシーの必要性を強調した。
……この困難不安に対し『何とかなるさ』で、時運の回転を待つ態度を改めないならば、記者は深く恐れる。その結果は、必ず近き将来に、今より幾倍の大難を我国に招くに相違ないことを」とその後の運命を予言している。
そして、石橋の危惧が的中して、満州事変が起きるや、「内閣の欲せざる事変の拡大。政府の責任頗る重大」(9 月26 日号)では、政府と軍部の不一致ぶりを「内閣が軍部の方針に屈し、其の引き回すままに従ったということだ。……内閣は亡びたに等しい」 と批判した。
石橋は我国の満蒙の特殊権益の確立は力で無理押ししても、中国民衆のナショナリズムによって不可能であることを事実に基づいて論証し、説得力があった。
満蒙問題の解決方法は中国の統一国家建設の要求をどう見るかにかかっているとし、
(1)中国の統一国家運動を力で破壊しても、再び悪い形で運動が起らないか。
(2)力を持ってたたきつぶすと旧ドイツ帝国の二の舞に陥らないか。
(3)満蒙を放棄すれば果たして我国は亡ぶのか。人口増は領土を広げても解決し
ないし、鉄、石炭の原料供給基地の確保という面も、平和の貿易で目的を達せられる。力 づくの必要はない。
(4)満蒙は生命線という国防上の主張はあたかも英国が国防上、対岸の大陸に領
土が必要というのに似ており、日本海で十分である。
「我れ日本の柱とならん」と誓い、如何なる権力も恐れなかった、ことを引き合いに出して、警世の社説を貫いた。思わず身が引き締まる内容である。
「ある部分に対しては法規に依る言論圧迫もあるが、記者は今日の我国が斯くも無慙に言論の自由を失った最も大なる理由は我学者、評論家、識者に、或は新聞其他の言論機関の経営者に、自己の信ずる所をはばかる所なく述べ、以て国に尽すの勇気が六百五十年前、日蓮の有したそれの百分の一も存せざることにありと考える。
それ所か、中には、我国が、現在表面的世論に迎合さえして、心にもなき言論をなしつつある者も絶無ではないかに察せられる。
(つづく)
(2) 『言論昭和史』 三枝重雄 日本評論社 1958年刊 70-71頁
(3) 『河北新報の七〇年』 河北新報編 1967年刊 71-72頁
http://maesaka-toshiyuki.com/top/detail/1470
関連記事
-
-
「日韓衝突の背景、歴史が一番よくわかる教科書」①★『福沢諭吉の「脱亜論」ですべては解明されている』150年前から日本が悪いという「反日の恨(ハン)の思想」の民族意識は今後ともかわらないのでは」
日本リーダーパワー史(765) 今回の金正男暗殺事件を見ると、130年前の「朝鮮 …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(156)再録/「昭和史決定的瞬間/名シーン』-『1941年(昭和16)12月3日の山本五十六連合艦隊司令長官の家族との最後の夕餉(ゆうげ、晩ご飯)』★『家族六人一緒の夕食で山本も家族も何もしゃべらず無言のまま』(日本ニュース『元帥国葬」動画付)
2018/06/17/山本五十六の長男が回想する父との最後の夕餉(ゆ …
-
-
日本リーダーパワー史(725)-『迷ったときに1粒飲めば、たちまち元気回復、 ヒットが打てる『イチロ―人生名言クスリ』 をどうぞ!
日本リーダーパワー史(725) 迷ったときに1粒飲めば、たちまち元気回復、 ヒ …
-
-
小倉志郎の原発レポート(3)「原発は事故を起さなくても危険きわまりない」(10/05)
小倉志郎の原発レポート(3) 「原発は事故を起さなくて …
-
-
『日本戦争外交史の研究』/『世界史の中の日露戦争』ー『北清事変後の北京議定書(1901)で各国の軍隊は相次いで引き上げたが、ロシアは満州に居座わり、さらに朝鮮に侵攻し軍事基地を築いたため、日本は日露開戦に踏み切った』①『ロシアの満洲撤兵問題の推移』
『日本戦争外交史の研究』/『世界史の中の日露戦争』 『北清事変後の北京議定書( …
-
-
日本リーダーパワー史(702) 日中韓150年史の真実(8)山県有朋首相は『国家独立の道は、主権線(日本領土)を守るほかに利益線(朝鮮半島)を防護すること」と第一回議会で演説したが、これは当時の国際法で認められていた国防概念でオーストリアの国家学者・シュタインの「軍事意見書」のコピーであった。
日本リーダーパワー史(702) 日中韓150年史の真実(8) 「福沢諭吉の「日中 …
-
-
速報(151)『日本のメルトダウン』『世界失速でリーマンショックは再来か』『海外メディアの原発報道は客観的か』ほか
速報(151)『日本のメルトダウン』 『世界失速でリーマンショック …
-
-
日本リーダーパワー史(653) 日本国難史の『戦略思考の欠落』(46)日清戦争開戦での中国側の対日観『日本の謀略がすでに久しいことを論ず』(申報)➡『中華思想、事大主義」から最後まで脱皮できない中国、この 日中異文化理解ギャップを知らないと何度でも誤る。
日本リーダーパワー史(653) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』 …
-
-
日本リーダーパワー史(927)北清事変(義和団の乱)で見せた日本軍のモラルの高さ、柴五郎の活躍が 『日英同盟』締結のきっかけになった』★『柴五郎小伝(続対支回顧録、1941年刊)』
増補版/ 日本リーダーパワー史(775) 北清事変(義和団の乱)で見せ …