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『Z世代のための日中外交史講座②』★『日中異文化摩擦―中国皇帝の謁見に「三跪九叩頭の礼」を求めて各国と対立』★『日中外交を最初に切り開いた副島種臣外務卿(外相)の最強のインテリジェンス②』★『1873(明治6)年8月28日「英タイムズ」は「日中の異文化対応」を比較し、中国の排他性に対して維新後の日本の革新性を高く評価』

   

• 困難な日中外交を切り開いたのが副島種臣外務卿(外相)の外交力。

この困難な相互認識ギャップ、偏見を克復して日中外交を最初に切り開いたのが副島種臣(参議、外務卿)です。明治3年8月に、明治政府は清国に対し修好を求めたが、拒絶されます。しかし、副島は粘り強く清朝実力者の李鴻章らと交渉して日清修好条規にこぎつけたのです。
その第一条には「両国は和誼を厚くし、両国の領土は互いに礼を以て扱い、いささかも侵越することなく」と謳った平等条約で、治外法権と領事裁判権を相互に承認した画期的なものでした。

1873年(明治6)4月30日、副島全権大使は天津で李鴻章と日清修好条規の批准書を交換、5月7日には北京へ乗り込み皇帝と各国の公使との懸案になっていた謁見問題を見事に解決して、そのタフネゴシエーターぶりに各国は驚嘆したといわれます。

その交渉過程を1873年(明治6)7月21日中国紙「申報」は「東西各国公使朝見の儀」題して詳細に報じています。それを要約するとー

「副島は到着するとすぐヨーロッパ諸国の公使たちと協議し、その推薦をとりつけ総理通商衛門に「皇帝に謁見したい」と単独で申し込んだ。総理衝門は拒否を続けて、謁見延期が2ヵ月に及んだ。

副島は①「5回ではなく3回(手へんに共の旧漢字)手の礼をもって謁見の際の儀礼とする」②「皇帝は,中国の支配者だが,わが国の主君も日本の支配者で対等で、日本では三跪九叩頭を強制していない」③「清国は万国法を理解せず封建的な形式主義である」と書簡をもって抗議、延々と交渉を続け④『外国の対等な使節を2ヵ月間も謁見を引き延ばすはなにごとか』と非礼を追及し,

最後に「即座に帰国する」と通告を突きつけた。こうしたすったもんだの末に、これまた中国流のいつもの引き延ばし、最後にひきとめてあうという謁見の戦術だが、6月29日にやっと実現した。
当日.副島はヨーロッパ式の大礼服を着用して参内,帯剣を腰に下げ,3回●(手へんに共の字)手の礼を行った。国書を呈上し,絹織物が下賜した。
副島を遇する礼は極めて丁重で、北京を離れ天津に行くと各砲台が19門の礼砲を放ち.賀意を表し、蒸気軍船を派遣して見送らせた、という。

「ヨーロッパ諸国の公使はこぞって副島を称賛した。

「日本の使臣は実に有能な臣下であり.われわれのとても及ぶところではない。時勢から見て,もし日本の使節が折よく来朝しなければ,各公使の朝見の儀はおそらくまだ決着をつけられなかったであろう」(同紙)と評価している。
副島の外交交渉の成功には当代きっての漢文通で、書道の大家であり、明治5年7月のマリア・ルス号事件では(横浜に停泊した同船内に閉じ込められていた清国人苦力231人を奴隷であるとして開放した事件)では外務卿として、奴隷解放、人権擁護していた点が清国側も大いに感謝しての返礼と思われます。
同年5月24日「ノース・チャイナ・ヘラルド」の「日本と中国」は「日中条約の批准は,中国の発展にとり極めて重要な1歩だ。その結果,西欧列強との華やかな外交活動の成果に引き比べてはるかに実際的実りがあったとしても驚くにはあたらない。おそらく,今後中国において見られるはずの変化は,
意気軒昂で抜け目ない朝日(日本)の子供たちの後押しを得て弾みがつくことだろう。中国の孤立状態を破っての進まない友邦を強引に国際礼譲へ仲間りさせたとしても,われわれは驚きはしないだろう。」
同年7月26日付『同紙』は「謁見問題の場合と同じく,中国人政治家と交渉する際には.断固たる態度が何よりもものを言うという教訓を,副島は外国公使たちにまたも教えることとなった」とも指摘した。

英「タイムズ」は「日中の異文化対応」を比較する記事を掲げて、中国の排他性に対して維新後の日本の革新性と発展を高く評価しています。

「ここ4年間の日本の発展は,最近における最も注目に値する現象の1つであるのみならず.人類の精神史においても最も著しい現象の1つである。何世代もの長い間,この国は外国の影響に対して全く閉鎖されており,その文明は最も断固とした不動性によって特徴づけられているように思われた。

日本人の排他性は隣の中国本たちのそれをさえ上回るものだった。中国の革新への抵抗は,比較的消極的で受動的だったが,日本のそれは自己主張が強く戦闘的だったのだ。4年前にこの国の封建体制が一挙に崩され,貴族たちが天皇の足下にひざまずいてしまったこの革命を他の革命と比較しようとしてもない」

(1873(明治6)年8月28日「タイムズ」)

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