冤罪追及の旅『加藤翁事件』 「虚心坦懐」-加藤新一翁の雪冤(1979年9月)
1979年9月10日発行 「季刊 証言と記録」第3号に発表
冤罪追及の旅 「虚心坦懐」-加藤新一翁の雪冤
前 坂 俊 之(毎日新聞記者)
夏の強烈な陽ざしが照りつける頃になると私はその時の光景が鮮明によみがえってくる。
一面に水田が広がり、青く背をいっぱいに伸ばした稲の間から、水がキラキラ光ってまぶしい。
見渡す限りの稲が風に揺れる中で、あちこちに農家が集落を作って点在する。それはどこにでも見られる農村風景と全く変わりはなかった。山口県のはぼ中央に位置する豊浦郡豊田町一人俣。
一九七五(昭和五〇)年八月二五日。そこに私は加藤新一さん【写真】を訪ねた。のどかな農村で加藤さんの家をみた時、私はすべてを察した。わらぶきの小さな家。村の集落から一つだけポッンと離れて山すそに立っている。

大正、昭和と連綿と変ることのない村の固定した人間関係の中で、一人だけ切り離され、貧苦の生活を送ってきた加藤さんの孤独な戦いがそこに表われていた。
しかし、加藤さんはそこにいなかった。夏がくると毎年暑さ負けして、五キロはど離れた豊田中央病院に入院する。かれこれ一カ月以上も前から入院していたのだ。私は病院へすぐ引っ返した。加藤さんはその時すでに八〇歳。 《だいぶ、もうろくしているだろうな。うまく話が聞けるかな》私は内心あまり期待していなかった。
病室で加藤さんに会い、話した時、直に「この人は本物だ」という熱く全身をゆっくり包んでいった感動は忘れられない。
☆
問――加藤さんが六〇年間も冤罪を訴えてきたのが何よりの証拠ですね。
答-まあ、とにかく正しく強くいけば必ず通ると考えたんです。最後の勝利を得るのは何かというと真実を相手方に知らせる。相手方に考えさせるという風にいけば、必ず通ると思いますがね。今度はいよいよ最後の戦いですからね。けどね、裁判官もその時代の人間で、その時代のことしか知らないんですからね、昔も今もね。その惰性でなかなか私の言っている筋が通らんですからね。
問-村の周囲の反応はどうですか。
答-田舎の人は矢張り、田舎には田舎の気分というものがありますから。今はあそこ(註・一ノ俣)に帰って四十数年になれますがね。田舎者というよりも、むしろ前科者として終始扱われておる。とにかくいっぺん刑務所に行った奴はどんなうまいこと言ったって、信用せんとい,現在だって依然として残っています。そして、人の心を矯めようといった無理ですよ。自分の心ならどうでもなりますがね。私は他人のわからん人は相手にせんつもりです。とにかくはなして分かる人に聞いてもらおうと思っています。難しいものですよ。
問-再審は針が通るよりしいといわれるほどの狭い門ですよ。
答-最高裁も「法の尊厳、尊厳」とい言いますけ決ったものが動くことではいけませんがね。嘘をこしらえてはいけんわけです。
検事局に迎合して、いいかげんなことをして自分が少しでも有利になろうと考えては大きな間違いのもとですよ。二審の広島高裁で裁判官が何を言うのかと思うと「お前たちは金を何ぼうずつ分けたか」と聞くんですよ。大体人を馬鹿にした話ではないですか。こちらはやっていないというのに、この一言で裁判官というのは案外こんなものかなと思いましたよ。今でもそう思いますよ。あれは〝裁判官病″という病気にかかっているんですよ。
当り前の人間ではないですよ。とにかく、裁判官の頭はコンクリートみたいなもんですね、一度固まったら……。
検事局に迎合して、いいかげんなことをして自分が少しでも有利になろうと考えては大きな間違いのもとですよ。二審の広島高裁で裁判官が何を言うのかと思うと「お前たちは金を何ぼうずつ分けたか」と聞くんですよ。大体人を馬鹿にした話ではないですか。こちらはやっていないというのに、この一言で裁判官というのは案外こんなものかなと思いましたよ。今でもそう思いますよ。あれは〝裁判官病″という病気にかかっているんですよ。
当り前の人間ではないですよ。とにかく、裁判官の頭はコンクリートみたいなもんですね、一度固まったら……。
問―六〇年というと本当に長いですね。
答―長かったです。あんた方も考えてもらわねばイケン。社会全般がー。大体人間何ぼうまで生きますか。働きざかりの二十何歳から四〇歳近くまで監獄にぶち込まれ、出てみれば家庭はメチャメチャ。これを立て直そうと思えば本気でやらにゃやれませんよ。その中で、悪戦苦闘してただ仕事だけじゃありませんよ。あれが作った建具は建てさせんとかね。
問-今回の再審請求は大きく報道されましたが・・
答-新聞に大きく載ったので、私がまた新たに悪いことをしたんかと感違いされたりして。とにかく、私は六〇年間、頭を下げつづけてきたんです。早い話が選挙権もありませんからね。私は法務大臣に歎願したこともありますぎ「こんな妙な裁判をして、人間の一代を棒にふった。私は耐えしのんできておりますけれども、私を援助して下さる方法はありませんか」と言って。調べたんでしょうね。六年はど前でしたか、刑の執行は免除するということになったんです。こんなものが何になるか。それじゃ無罪ではない。刑は刑としてある。無期懲役という名前が消されないなら、許してもらったとは思えん。よし、その気なら、通っても通らんでももういっぺん裁判をやる。二回目の再審はそういう風にしてやったんです。
問―無実で刑務所に十数年入って、中でどんな思いで過したか。
答-人間の一番働きざかりのね。二十三、四歳から四〇歳近くまであんなところにぶち込まれるとね。いかに真面目にやろうと思っても、それだけでも出て来た人には重荷です。社会からは直接、言わんけれども以心伝心みなこうー。
刑務所に行ったものは頭が上がりませんよ。無罪になって、いくぼくかの金をもらっても働きざかりを働かずにいて、その損害というものは金で償われませんよ。これ(キクヨさん)なんか第一の犠牲者です。一回結婚して、やはりそれがわざわいして別れたんですから。これは私が年をとっているので、私を守らねばならんと考えているらしんですが。
もう余すところ、いくらもありませんけれどもね。往生際にも親子がニッコリと笑って死ぬるようにならにゃイカンと思ってね。そこを一番重くみておりますね。広くいいますればね。私の先祖、親族はみんな私のためにいい影響をもたらしておらんと思うんです。これを無罪で若干の金をもらったところでね。
こんな裁判官がおることを社会に知ってもらいたい。これを是正する法の改善とかね。改悪じゃいけませんが-。私はダメになっても、これはしょうがありませんが、しかし、このままで行くと、これから活動しようと思う人は警戒しなければなりません。一回裁判官の顔をまともに見ようと思っております。ほんまですよ。今ごろの裁判官はどんな考えを持っているのか。
☆
「往生際にも親子がニッコリと笑って死ぬるようにならにゃイカンと思ってね。そこを一番重くみております」-このごく自然な人間感情の発露が、どの冤罪者でも雪冤のテコになっている。「金ほしさ」 「命惜しさ」の訴えという見方がいかに的外れであるかは、本人に会い、その語り口を虚心に聴けばすぐわかるはずである。
加藤老が何度も残念そうに話し、裁判官への不信を口にしたのもこの件に関連する。六三年の第一回再審請求の時、裁判長はAで、八海事件の差し戻し審で無罪判決を出した裁判長として加藤さんは期待した。加藤さんが裁判長に一番望んだのは、現場をじかに見てはしいという一点である。現場は田舎だけに半世紀前と全く変っていなかった。いかに起訴や判決がデタラメであるかは、現場さえ見てもらえばすぐわかる-と。
しかし、加藤さんの願いはかなわなかった。A裁判長は関係者の証言を聴いたが、現場検証はしなかったのだ。そして、再審請求を棄却した。加藤さんはA裁判長が現場も見ずに判断したことに腹を立て、何度も話の中でA裁判長を非難した。インタビューの中に現われた裁判官への強い不信感は、期待したA裁判長に裏切られた思いで憎悪にまで高まっていた。
ところで、私が冤罪の取材で一番考えさせられたのも実はこの点である。裁判もだが、本人よりも周辺の関係者の話をより客観的だと信用する傾向が、取材や他人を評価する場合にないかどうか。特に冤罪や犯罪に関する場合は、被告は罪を逃れようとしてウソをつくものとの抜き難い偏見をわれわれは持っていないか。被告が否認し、無実だと訴えれば
訴えるほど、あんなにしつこく否認するのだから、ますます怪しいと考える。
私自身も冤罪という問題に取組む以前には、このような感情や被告に対する心理を持っていた。警察や検察庁は第三者の公正な機関だから、直接利害関係はないし、ウソをつく必要もない。
しかし、被告は罪に落ちるかどうかの重大な瀬戸際なのだから、当然、自分の都合のよいようにウソを言うだろうと。
確かに、被告はウソをつくかも知れないが、関係者も、警察官も検察官も同じくウソをつくのだという点を知ったのは、まず虚心に被告の話を聴いたおかげである。
あえて誤解を恐れずいえば、冤罪などさして難しい事件ではない。「犯人か、犯人でな
いか」 「加藤老はウソを言っているのか、本当を言っているのか」 「六〇年間もウソを言い続けることができるか、できないか」 の二分の一の逮択なのである。確率五〇パーセントの試験など、わが国で最難関、何百分の一という試験にパスした裁判官や検察官がなぜ間違うのか。
それは、本人の話を徹底して吟味せず、直接関係のない公正(?)と誤解している第三者の証言ばかりを大量に積み重ね、複雑に糸をもつれさせるからではないだろうか。人間のごく普通の感情に照らし合わせて、長々と引用した加藤翁の話を読んでほしい。彼の話が本当かウソか見抜くのに六法全書を読破する必要はないと思うのだが。
(まえさか・としゆき 毎日新聞記者)
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