前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

『リーダーシップの日本近現代史』(302)★『生死一如/往生術から学ぶ①『元気とは性欲、食欲、名誉欲、物欲、金銭欲がふつふつと煮えたぎっている状態、つまり煩悩である。その元気が死を覆い隠しているのです」とね。

   

 
   百歳学入門①記事転載

  

凡人超人たちの往生術から学ぶ①

 

 ★「よりよく生きるためには、いかに死ぬかを学ぶ必要がありますね。「ピンピン、コロリ」(PPK)が理想といわれていますが、現実はなかなかそうはいきません」

 
『大西良慶は法話でこんなことを言っています。生死一体、生者必滅、生まれたものは必ず死ぬ。生まれたかぎり、死ぬ事は、誰でもわかっているようで、元気なうちはわからないし、気がつかない。死がいつ訪れるか、本人はもちろん、他人にはなおさらわかない。
元気とは性欲、食欲、名誉欲、物欲、金銭欲がふつふつと煮えたぎっている状態、つまり煩悩である。その元気が死を覆い隠しているのです」とね。確かに、今の世の中、人は欲く得くで生きることばかりを考えて、死をみず、死を避け怖がる傾向がますます強まっていますね。よく生きることは、よく死ぬことです。死ぬまで生きるという覚悟をもって、人間としての自覚をうしなわず、生の意識を死ぬ直前まで持続させることは、容易ではない』
 
『だからこそ、いまこそ仏教や禅を学ぶ必要があるのでしょうね。仏教の究極は生死の解脱であり、悟りであり、そのためにきびしい修行をつむのです。生死の超越は禅の大課題でもあり、禅師は臨終にのぞみどのような死生観を示すのか、いかに見事に、従容として死んでいったかを問われます、いわば禅の最終テストのようなものであり、公案そのものでしょう』
 
『そんな見事な往生術、悟りを開いた大往生を大西良慶はいくつか紹介しています。天竜寺に関精拙老師(1877 – 1945)(68才)=1922年臨済宗天龍寺派第7代管長に就任=がおられた。老師は死を悟ったとき、弟子を呼んだ。体を支えてくれといって、坐禅に入った。「わしが頭をくっと前にたれたらおしまいじゃ、その時を見とどけるよう」にと命じられた。しばらくして、その通り老師の頭は下がり、そのまま大往生を遂げられた。』
 
『原坦山(たんざん)(1819~1892)は曹洞宗の有名な僧侶です。明治12年、東京大学印度哲学の最初の講師で、その後、曹洞宗大(駒沢大)総監にもなっています。
一風変った僧侶で、大酒のみで体は肥満、性格は姦落そのもの。明治の廃仏毀釈のあとを受けて仏教界は混乱の時代だったが、仏教を教え、仙術を学び、仏仙会を起したりしていました。
 
 明治24年7月、74歳の時、死期を悟った坦山は知人に「拙者儀、即刻臨終仕り候。此段御通知に及侯也」とのハガキを出した。「まさか、いつもの冗談じゃろう」と友人たちは半信半疑で家にかけつけてきた。
 ところが坦山、悠然と碁を打っている。「またか!?」、かつがれたと思って怒る者もあったが、「碁敵がやって来たので今始めたところだ。一これがすんだら御免被る」そういって悠々と碁を楽しみ、終わるや否や忽然として大往生を遂げたといわれます」。
 
『良慶さんは誰にでも『ゆっくりしいや』が口癖でしたね、そんなにガツガツしないで、ぼちぼちいこかというユックリズム。いまのスローライフを実践していたんですね。「ほっといたって人間いつかは死によるんやから、死ぬことなんて考えないの」ともよく言ってましたね。そんなにきばって、生真面目に死ぬことないの・・とね。そんな死に方も一つ紹介していますよ』
 
「禅坊主は臨終に遺言「遺偶」(ゆいげ)を書きます。名僧ほど立派な「遺偶」(漢詩)を書くのはいうまでもありません。
 
博多に当代随一とうたわれた禅僧・仙厓(せんがい)といた。87年間、禅一筋に生き、戯画を描いては大衆に禅を説いて親しまれていた。臨終が迫り、弟子が遺偶をお願いした。固唾をのんで弟子たちが見守っていると、なんと、「死にとうない、死にとうない」と書いてある。
 
「立派な遺偶が出てくるもの」と信じきっていた弟子たちはびっくり仰天、「もうちょっと、気の利いたことを書いていただけませんか」と恐る恐る申し出た。
仙厓は「ああ、そうか」とあっさりにうなずいて、筆を持ち直して、「死にとうない、死にとうない」の横に「ほんとに」と書き足した、という。(笑う)』
 
『まるで、ジョークだな、立派に、悟りきったように死ななければならないと、脅迫観念にかられる。そんな見栄をはる必要はないよ、といってるわけですね。死を必要以上に飾り立て、悟ったように見せかけて、周りを騙す。自分までも騙されて悟り切ったような気分になって、最期の遺偶まで、見せかけに終わる。これを「野狐禅」(やこぜん)という、狐の化かしで、死を飾り立てるニセモノの禅のことですよね』。
 
 

 - 人物研究, 健康長寿, 現代史研究, 湘南海山ぶらぶら日記

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
『健康ならば死んでもいい患者』の『百歳ムリムリ入門』-『日本初!海上バカ説法を聞け! 鎌倉座禅カヤックー筋肉バトル1万回は<快楽、爽快、 苦役、悦楽、苦多苦多>大喝じゃ!,ああシンドいわ!』

2012年11月20日『百歳学実践入門』(223『釣りバカ・カヤック日記』番外編 …

no image
日本リーダーパワー史(700)日中韓150年史の真実(6) 「アジア・日本開国の父」ー福沢諭吉はなぜ「脱亜論」に一転したかー<長崎水兵事件(明治19年)ー『恐清病』の真相、 この事件が日清戦争の原因の1つになった>

日本リーダーパワー史(700) 日中韓150年史の真実(6) 「アジア・日本開国 …

『Z世代のための  百歳学入門』★『日本超高齢者社会の過去から現在の歴史』★『来年2025年は昭和終戦(1945)から80年。明治時代〈約45年間),大正時代(15年),昭和戦前(20年 )まで約80年間の平均寿命は約40-50歳だった』

<Q1>それでは、日本人の寿命の歴史的な変遷について話してくれますか。 明治以後 …

no image
記事再録/2008年3月15日/『藤田嗣治とパリの女たち』①「最初の結婚は美術教師・鴇田登美子、2度目は「モンパルナスの大姉御」のフェルナンド・バレー、3度目は「ユキ」と名づけた美しく繊細な21歳のリュシー・バドゥ』★『夜は『エ・コールド・パリ』の仲間たちと乱ちきパーティーで「フーフー(お調子者)」といわれたほど奇行乱行をしながら、昼間は、毎日14時間以上もキャンバスと格闘していた

    2008年3月15日 藤田嗣治とパリの女たち     …

『史上最高の弁護士は誰か!」★『司法の正義と人権擁護、冤罪と誤判事件の弁護に 生涯をかけた正木ひろし弁護士をしのんで』

2019/09/22  『リーダーシップの日本近現代史』(5 …

no image
戦場カメラマン・一ノ瀬泰造の実像に迫る

1 卒業研究       『戦場カメラマン・一ノ瀬泰造の実像に迫る』   200 …

no image
速報(428)『日本のメルトダウン』●『大暴落後の日経平均はどうなるのか』『黒田緩和の困難な道のり』

  速報(428)『日本のメルトダウン』   ●『 …

no image
速報(26)『日本のメルトダウン』38日目ー◎『1・3号機で高放射能、保安院「内部作業困難」半年ではムリ!』

速報(26)『日本のメルトダウン』38日目 ◎『1・3号機で高放射能、保安院「内 …

no image
『美しい空と海と山の鎌倉』スペシャル②『猛暑・残暑を涼しく、自然と快適に暮らすクール・カマクラ・ネイチャーライフ』

<『美しい空と海と山の鎌倉』スペシャル!②>   『猛暑・残暑を涼しく …

no image
日本の最先端技術「見える化」チャンネル ☆「2015国際ロボット展」①石川正俊東大教授、FUNAC,THK,KAWASAKIのロボット展示ブース

日本の最先端技術「見える化」チャンネル ☆「2015国際ロボット展」(12/2ー …