前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

第22回逗子海岸の「流鏑馬」が11/17日開催。迫力満点!ー馬上武士が疾走,砂塵が舞い見事的中!

   

  

 

22回逗子海岸「流鏑馬」が11/17日、古式豊かに開催。

★迫力満点!ー馬上武士が疾走、砂塵が舞い
競射開始、見事的中!

 

 

http://www.shokonet.or.jp/zushi/yabusame/

 

流鏑馬のプログラムは次の通り

≪天長地久の式≫(てんちょうちきゅうのしき)

 奉行は、諸役の前中央に進み、「五行之乗法」を行う。乗馬して左へ3回、右へ2回馬を回して中央の位置で

馬を止め、鏑矢を弓につがえて、天と地に対して満月の弓を引き「天下泰平、五穀豊穣、国民安堵」を祈念する。

≪素  駆≫(すばせ)

 馬場入り後、奉行は記録所に上がり、諸役一同は各部所に就く。射手は、馬場上の馬溜りに集合する。
 奉行は、各自の配置と馬場内の安全を確認する。
 馬場の上下の扇方(おうぎがた)は馬場内の安全確認し、準備完了の扇の合図を行う。
 その後、奉行は、「破之太鼓」を打ち、射手は、順に馬場に全速で馬を打ち込む。

≪奉  射≫(ほうしや)

 馬場に3つの「式之的(しきのまと)」が立てられ、射手は馬を全速力で走らせながら腰の鏑矢を引き抜いて重藤(しげとう)の弓につがえ、一の的から次々に射て馬場を駆けぬける。 的は一尺ハ寸四方で、檜板を網代(あじろ)に編み、その上に白紙を張って青、黄、赤、白、紫の5色であらわし、的の後ろに四季の花を添える。

≪競  射≫(きょうしや)

 的は、径三寸の土器二枚を合わせて、中に五色の紙切れを入れてあり、命中すると土器は裂け、中の五色の紙は花吹雪の様に飛び散る。こうして競射が終わると奉行は、記録所で「止之太鼓」を打ち、射手、諸役は行列を組んで記録所前に向かう。

≪凱陣の式≫(がいじんのしき)

 記録所の前に勢揃いした後、競射の最多的中者は式之的を持って奉行の前に座する。
 奉行は、扇を開いて骨の間から的を検分する。扇をたたみ太刀の鯉口を切った時、太鼓を、「ドン・ドン・ドン」と三打する。
 奉行の「エイ・エイ・エイ」の声に続いて、射手・諸役一同「オーッ」と唱和、これを3回繰り返して勝どきを揚げる。この儀式は、流鏑馬そのものが、世の邪悪退治も意味しているため、退治した邪悪の「首実験」の意味も込められている。

 

逗子と流鏑馬

http://www.shokonet.or.jp/zushi/yabusame/

逗子市広報のパンフレットによると

「鎌倉幕府の行事記録である吾妻鏡によれば、正治2年(1199年)9月2日源氏二代将軍頼家が、小壺の海辺で弓馬の達人を集めて「笠懸」を射させたという記録があります。
当時の小壺には逗子も含まれており、地形的に考えても現在の逗子海岸で「笠懸」が行われたことがうかがえます。
「笠懸」は「流鏑馬(やぶさめ)」と共に、疾走する馬上から弓を射るという騎射の一種で、これは関東武士のお家芸であり、当時最高の武技でもあったのです。

そのため、尚武の気風に富む源頼家が好んで、しばしば行ったことが記録に残されております。
「流鏑馬」は起源が古く、六世紀の半ば神事として始まり、平安朝では、宮廷の公事として年々催されておりました。
その後、源頼朝が鎌倉に幕府を開き、全国の統一を果したので、天下泰平を祈願するため、文治3年(1187年)8月15日鎌倉八幡宮の宝前で「流鏑馬」を催し、以来源家三代を経て文永3年(1267年)に至るまで、毎年の如く行われた輝かしい歴史があります。

逗子海岸で行われる「流鏑馬」は、前記の如く深い由来がありますが、時代が流れ、昭和20年の終戦当時、逗子海岸にあった「なぎさホテル」に米軍が進駐しておった際に、武田流司家の先代金子帥範が彼等に流鏑馬騎射を披露したところ、彼等はこの日本伝統武芸に大いに魅せられました。

そして早速、ホテル前面の海岸にやぶさめ馬場を設け、米将兵がやぶさめの練習に励んだのであります。
昭和23年および24年の11月には、逗子市の人々も参観に加わり、日米親善流鏑馬騎射会が盛大に行われました。
当時国民は、有史以来の敗戦に遭遇し、物心両面で大混乱を極めておりましたので、逗子市の人々にとって大きな慰めと希望を与えることとなりました。



 第22回逗子海岸「流鏑馬」ー逗子開成学園和太鼓部の勇壮な演奏でいざ出陣へ 

 

 

 - 湘南海山ぶらぶら日記 , , , , , , , , , , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
知的巨人の百歳学(163 )記事再録/『京都清水寺の貫主・大西良慶(107歳)』★『人生は諸行無常や。いつまでも若いと思うてると大まちがい。年寄りとは意見が合わんというてる間に、自分自身がその年寄りになるのじゃ』

    2018/01/28 &nbsp …

no image
◎『冬こそサーフィン。いざ鎌倉へ』材木座・由比ヶ浜・稲村ケ崎・七里ヶ浜も、みんなエンジョイ!だよ(2月3,7日)

<サーファーズパラダイスKamakura>   ◎『冬こそサーフィン。 …

no image
平田カヤッキスト(カメラマン)の『アメリカ・ヨット・セーリング」⑬「人々と大海と生物とのハッピーアワー」(終)

     <『葉山海』の平田カヤッキスト …

no image
★<動画リアルタイム配信ー鎌倉『釣りバカ・カヤック日記』今はもう秋、だれもいない海(8/24)<見るとリフレッシュするよ>

★<鎌倉『釣りバカ・カヤック日記』今はもう秋、だれもいない海(8/24)> <初 …

『リーダーシップの日本近現代史』(334)-『地球環境異変はますます深刻化」★『豊穣の鎌倉海も海生物が激減、魚クンたちは逃げ出してしまったよ』●『米離脱後のパリ会議の行方はどうなる』

  2017/12/27 「湘南海山ぶらぶら日記」記事再録 …

『70-80代で世界一に挑戦、成功する方法③』★『長寿は芸術であり、創造者は長寿となる』★『 長寿の秘密「長寿遺伝子」のスイッチをオンにせよ』★『日野原先生流は「腹7分の1日1300キロカロリー」の食事減量』★『三浦敬三・雄一郎親子の運動、スクワット、筋トレの実践』

2018/04/18   『百歳学入門』(225)記事再編集 『長寿は …

『 Z世代のためのス-ローライフの元祖・熊谷守一(97歳)の研究講座②』★『文化勲章のもらい方ー文化勲章は大嫌いと断った「超俗の画家」の熊谷守一(97歳)と〝お金がもらえますからね″といって笑って答えた永井荷風〈当時72歳〉』

  2019/08/09 知的巨人の百歳学(156 …

no image
『鎌倉サーフィンチャンネル』◎『鎌倉・寒中・鍛錬サーフィンこそ最高だよ、材木座、七里ヶ浜ベストショット!(1月6日)』

『鎌倉サーフィンチャンネル』 ★2013年正月・サーファーズパラダイス・Kama …

no image
日本渓谷美をめぐる旅>宮崎の自然美の高千穂峡と平家の落人伝説と悲恋物語の舞台・鶴富屋敷をめぐる

  <日本渓谷美をめぐる旅>   ★『宮崎の高千穂 …

no image
『紅葉の鎌倉絶景』リアルタイム速歩>獅子舞(天園ハイキング)は紅葉度80%、これから1週間が見ごろ(12月2日午後)

『紅葉の鎌倉絶景』リアルタイム速歩!> 『錦秋最高へ。鎌倉紅葉の絶景スポットー …