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日本風狂人列伝(31) 日本奇人100選②大町桂月、岩元禎、松崎天民、佐々木蒙古王、田淵豊吉、伊藤晴雨・・・・

   

日本風狂人列伝(31)
日本奇人100選②大町桂月岩元松崎天民
佐々木蒙古王田淵豊吉伊藤晴雨・・・・

前坂 俊之(ジャーナリスト
 
大町 桂月(おおまち・けいげっ)
 
高知県出身。旧師を訪ねた時書生の扱いが悪いとてステッキで撲りつけ門を出てから
「……取次の者私を虐待す、故に大に怒る」と墨で大書して帰ったらそれは隣家の板塀だったとか。
 
家人がとめるとみずから酒屋へ行き小僧に前棒担がせて樽を持ち込んだり、田中光顕宅の招宴で二階バルコニーから長々と小便、下で車夫が騒ぎ出したら「僕は天下の大町桂月、ただ今ここから放尿した」と大音声を揚げたりして、いったんは精神病院に入りその間の見聞を「酒精中毒記」 に発表した坂口安吾の先達。退院後もっぱら名勝を行脚して紀行文を多量に発表、往年の赤門擬古派詩人以来の文名を傷けなかった。晩年十和田湖を愛して本籍を移し、一九二五年没、五十七歳。本名芳衛
 
「お説法に興が乗ってくると、三時間でも、四時間でも続く。痩我慢のしっくらだと言って、朝まで坐らせられたことも稀れでなかった。私達は、苦しいこともあった。が、それ以上に、父の呑みすぎを案じた。何とか理由をつけて、早く切り上げることを心掛たが、それでは、気に入らなかった。ある一晩は試験の前日であったので、早く止めてもらいたくて、明日は試験があるからと言った。試験で好い点を貰うよりも、今のお説法の方がいくら、お前らのためになるかと言って、遂々十二時頃まで続いて、試験準備の時間を失ったこともあった。

父は、自分で自分を批評した。文士でもない。学者でもない。教育家でもない。まあそん革うし村夫子というのだろうと言った。私らが飢えなかったのは、ただ一本の筆の力に依ったのみであった。しかし、父は、単なる村夫子ではなかった。キリストに救われてたまるか、日蓮に助けられてたまるかと、土佐靴をそのままに、意気地を叫んだ」(大町芳文「父を懐う」中央公論一九二五・九)

 
岩元 (いわもと・てい)
 
鹿児島県出身、漱石の「三四郎」の偉大なる暗闇の広田先生のモデルに擬せられた一高教授。少時東洋のカントをもってみずから任じ、一日新渡戸稲造に向って「哲学においては君も到底、我輩の敵ではないね」稲造、唖然として声なかった……とか「プラトンより岩元禎に至るまで、かつてカントなるものありき。カント予の説を肯定していわく……」と講義したとか、これはみなデマだが「女は汚い!」として終生結婚せず、「書くより読む方が忙しい」と言って生前一書も出版せず、常住君子人を目標
 
として礼儀三千威儀三百、浴衣は一ダース持て、カステラは七切れ食べるもんだ、アイスクリームは三つ等々に至るまでことごとく規矩準縄を定めてみずから守り、漢籍とドイツ書に埋れて一九四一年没、七十三歳。
 
「わが国の学界に大きな感化を残したドイツの哲学者ケーベル博士が、ギリシャの古典時代には七賢人が輩出したが、岩元は第八番目の賢人に相当すると言われたと聞く。先生は学問の上でもわが道を行く孤高の人であったが、私生活においてもまったく孤独の人

で、カントやケーベル博士にならって、一生独身であった。鹿児島の藩士の家に生れ、西郷幕下の部将で城山で戦死された岩元恒成の甥に当る先生は、老母と姪御さんの三人暮しであった。その潔癖さはトイレが約二時間、着物を全部署換えて行かれる。入浴が約二時間。その上食物がやかましい。飯に蝿が一匹とまっても捨てさせられる。大の愛書家で、一切の本は本箱に立てないで風呂敷に包んで横に置かれる。本が傷むからである。そうして、

姪御さんを目に入れても痛くないほど可愛がっておられた」
(前尾繁三郎「岩元禎先生の哲学碑」文芸春秋一九七三年九月号)
 
 
松崎 天民(まつざき・てんみん)
 
岡山県出身。一家破産して京阪を流浪し、国民新聞給仕時代には共同便所の灯で読書したという。東京朝日記者で書いた「輪落の女」が評判で以後「赤い恋と青い酒」「探偵ローマンス」など二十余冊のルポ・紀行をものし、のち「食道落」などを編集、銀座の食物屋の通となって、諷爽カフェに入っては水を飲んだだけで出てきたり、乾物屋の店先きで目刺を見かけて「オィ、コレ焼イテクレ」と店先で

食い「ウマイ」とそのまま持っていく。店でも宣伝と心得てか怒りもせず、タバコをくれたり、驚くのは通行人ばかりだったらしい。しかも蔭では時々金を払ったというから要領の好い男である。大食と義眼では逸話も多いが、奇とするに足りない。一九三四年没、五十七歳。

 
中里 介山(なかざと・かいざん)
 
本名禰之助。「峠-長すぎる」と言いたくなるのは誰でもで、都新聞連載当時、近藤勇の暴れる一場が十日も続いたので係員が「もう少し短く」と乞うたら、「では」と引受け、翌日の分に「本稿之で打切り」と大書したという。その後手回し機械を買い集め、小銭をためては活字を買い、紙も和紙屋で一帖ずつ買って自分で植えて、自分で校正して、手垢だらけの私家本を作ったりし、それから菊池寛が認

め、一躍世に知られた。昭和初年には武州高尾山に庵室を構え、ケーブルカー設置に猛反対して工夫の一隊に襲撃されても屈しなかったが、ついに敗れ「宗教の山に遊覧地とはなにごとだ。大道も廃れた」と谷底に向けピストル一発、下山した。のち郷里に隠れ独身で一九四四年没、六十歳。

 
辻 潤(つじ・じゆん)
 
若くして好男子。教え子伊藤野枝と大杉栄との三角関係などで名を馳せたダダイスト。浅
草神谷バアで酔痴れて「地獄のどこやらに天国がある」などとわけの判らんことを怒鳴ると傍で浜本浩、金子洋文、サトウハチローらが涙ぐみながら聞いていたとか、花のパリを尺八一管で流し歩き、在留邦人の鼻つまみだったとか、

帰国してからは吊鐘マント、後には友人のお古や菜葉服を着て銀座を漫歩、友に会えば「カモ来ル」と連呼してコーヒー、酒をおごらせ狂っては再び古手拭に尺八、菅笠に日和下駄の姿で全国を流連、街頭漫才までやって酒代を稼ぎ、戦時中は配給物しか手に入らず栄養失調で一九四四年穀、五十九歳。蔵前札差の家に生れ、翻訳、著書多数。号陀仙。

 
佐々木 蒙古王 (ささき・もうこおう)
 
六尺豊かの長身、臍に届く長髭、弓の折れのステッキを持歩き、日露戦争当時には内蒙古
に暗躍したと伝えられるが、一九〇九年以後代議士三回、主に野次で名を売った。選挙運動には馬上豊かに大行列で練り歩き巡査にとがめられるとやにわに飛下り「私、蒙古王こと佐々木安五郎、国法を犯して誠に申し訳なし……」と路上に手を突きながながと謝って票を集めたり、政敵からの脅迫状を演説会で読み上げ、上衣を脱いで、Yシャツの胸をボン
 
と叩き「撃てるもんなら撃ってみろ」と敵もいないのに大見得を切って、喝采鳴りも止まず……等々の名物男。粛親王を亡命させ飯能在にかくまったりしたほか晩年は一向に振わず、一九三四年没、六十三歳。本名安五郎、号照山。
 
田淵 仙人(たぶち・せんにん)
 
和歌山県出身。中学では級中最年長でオトウとアダ名され、一軒家に自炊。右に竹の皮包
の牛肉、左手にタマネギ、右足に靴、左に下駄のイデタチ、トイレに辞典を置いて猛勉、校長排斥ストで退学され、早大では百姓家に下宿、毎暁、庭の木に登って肥くみ連中を相手に政談演説の練習した効あって、

丁未クラブを率して永井柳太郎、鶴見祐輔と張り合い、ドイツに留学しては二度も帰国を延期し(二回とも送別会には出席)七年後に帰朝。一九一七年以後、代議士五回の間には始終、羽織ヒモを忘れて登院、野次と大酒で名を売った。謝罪、謹責数知れず、除名問題も何度かあり、求婚広告を出したり宿代を踏倒しで告訴されたり、問題の男として終始したが一九四三年没、六十二歳。本名豊吉。

 
坂田 三吉(さかた・さんきち)
 
無学文盲、ただ桂馬の馬と三吉の三と二つの字だけが読めた横紙破りの将棋指し。弟の子守しながら近所の縁台将棋を観て夢中になり、背中の弟がずり落ちて泣いているのも知らなかったとか、父が叱って押入に入れたら真暗な中で平気で詰手を考えていたとか、
 
一筋に生き、一九一〇年頃関根名人に敗れた時には神戸から大阪まで夜更の街道を歩いて帰ったほどの貧乏暮しの中でとにかく関西棋界の第一人者となり、名人と自称したが、角頭の歩を突くくらいは平気で、珍手奇手を続出した。のち一切の対局を断って沈黙していたが、十六年振りに関東の木村、花田両八段と〝世l紀の決戦″を試み二度が二度とも端
歩から突いて惨敗、以後狂気に近く一九四六年没‥七十六歳。
 
宮武 外骨(みやたけ・がいこつ)
 
家は香川県の代々庄屋小作米五百石という富家で、小作を許したため他の小作人から焼打ちされたこともあるというが、長男に生れて何不自由なく青年時大枚三百円で自転車を購って遊廓に通ったとか、向島で行き会う女の頬を撫でたとか、無邪気な逸話が多い。そのころ狂歌、狂句、時に警世の文を投書していたが、再度上京して「頓智」を出し憲
 
法発布の時に「頓智研法」を骸骨の漫画入りで載せたため下獄三年、以後人が変ったようになり、幼名亀四郎から号を外骨(亀の骨は外側にある) と定め、姓を廃したり復したり、雑誌を発行第一号で停刊したり、珍と奇とエロとゲテモノを友としてここに六十余年、著書百冊を越え、関係した雑誌は数知れず。明治文化研究の第一人者である。八十三歳〔一八六七~一九五五〕
 
永井 荷風(ながい かふう)
 
富家に生れ、腺病質の母に育てられ、米国の旅舎に斎藤緑雨の訃報を聞いて「ああ江戸狭斜の情趣を喜び味わいたるものは、遂に二十世紀社会の生存競争には堪え得ざるものか」と嘆じた明治文明のハイブリッド。
 
帰朝来ますます世にすねて「父母と争い教師に反抗し、なおかつつ国家が暴圧せんとする」(歓楽)詩人を志し、「乱雑没趣味なる東京生活」(冷笑)から逃れてもっぱら狭斜の巷に出没、街々に残る江戸の姿を「日和下駄」に発表、柳暗花明の消息を「おかめ笹」から「墨東綺譚 に至る諸篇に託し、カフェと踊り子に耽できし、藤蔭静枝と艶名を流して、ひたすら美しい形と美しい夢を求めてきた。惜しいことに老来、銀行家の父の血がいよいよ濃くなったが今度はストリップに凝り毎夜楽屋へお通い。七十一歳〔一八七九~一九五九〕
 
伊藤晴雨(いとう・せいう)
 
七歳から久保田万太郎と絵を学び、丁稚奉公のかたわら独習して、一九一六年以後、挿絵画家として立っている。新国劇や新橋演舞場の装置も担当して、特に明治風俗史では造詣深いという。
「女の美しさは苦しみ悩むところにある」が主張で、朝から雨戸を閉め、中から女の悲鳴が聞える。近所の者が怪しんで覗くとますます暴れて叫ぶというので二〇年ごろにはお化け屋敷の評もあった。
 
時には雪中に突き出して逆さ吊りなどするというので検挙されたこと数知れず。ところが房内では断然威張っていて「アレ持ってこい」「これ買ってこい」と刑事をアゴで使い、代りに一筆揮ってやったとか、おでん屋で酒代に春画を置いてきたら五倍もの値がついて売れたともいう。「日本刑罰史」「風俗野史」など著書多数。六十六歳、(一八七九~一九六一)
 
林田 粋翰長(はやしだ・すいかんちょう)
 
熊本県出身、酒と美人と風景と芸術と狂歌、俗謡までもの多方面に、政客、文士、芸妓、女将、相撲、俳優と交友各界にひろがった衆議院素機関長。退官後一九一八年には中立で代議士となったが山県にも桂にも西園寺にも好く〝政界の迷児″に甘んじた。酒に量なく三人で一斗五升を平げ「二合三合で酔うよな、人は一生升)飲むなよ、後生(五升)だから」と詠んだとある。一九二七年没、六十五歳。本名亀太郎
 
児玉花外(こだま・かがい)
 
山口県出身、京都同志社、札幌農学校、東京専門学校に学んでいずれも卒えず、詩集『風
月万象』で世に出たが、一九〇三年『社会主義詩集』(……カール・マルクスの名によりて 吾は抱かなむ可憐児よ……)の発禁以後、酒乱の傾向はなはだしく、後藤宙外らを撲ったり、人力車から溝に棄てられたりしながらろう巷に作詩、二三年には明大校歌「白雲なびく……」を発表したが、一九四三年養老院で没七〇歳。著書多数
 
 
 
 

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