百歳生涯現役入門(177)ー『晩年の達人の渋沢栄一(91歳)②』は70歳で、自ら創立した59の会社と17の団体役員から身を退き、76歳で完全に実業界から引退』★『86歳以後、彼の公共的な肩書、社会的貢献事業は50近くあった』●『会社の用はわがものと思え。会社の金は人のものと思え』★『楽隠居的な考えをせず、死ぬまで活動をやめない覚悟をもつ』
2018/12/28
2017年8月6日/百歳生涯現役入門(177)
渋沢栄一1840年(天保11)3月16日―1931年(昭和6)11月11日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%8B%E6%B2%A2%E6%A0%84%E4%B8%80
は武蔵国(埼玉県深谷市)の豪農の息子に生まれた。最後の将軍・徳川慶喜に仕えて、明治維新(1868年)には28歳である。
1867年のパリ万博に将軍の名代として出席する慶喜の弟・徳川昭武の随員としてフランスに渡航し、ヨーロッパ各国を訪問、各地で先進的な経済、産業・社会制度、軍備目の当たりにして、見聞を広めた。
帰国後は、維新政府の大蔵省の官僚となり、国立銀行の制定などにかかわり、明治6年に退官。第一国立銀行や、日本で最初の商工会議所、東京証券取引所、多くの企業の設立、経営にかかわり、近代資本主義を日本に移入した「日本経済の創始者」、「日本資本主義の父」である。
渋沢は幕末、明治、大正、昭和の4代を生き抜いて『日本経済の建設と発展させた最大の功労者だが、91歳という長寿を達成して、死ぬまで現役で、経済と社会貢献を続けた、世界の資本家と比較してもベスト10には入る『稀有の世界的経済人』である。
また、晩年になって経済的活動は絞って『社会貢献事業』に軸足を移して、生涯現役で活躍した生き方は、世界史上はじめての「超々高齢社会」に突入した現在日本の人々に、大きな希望と指針を与える。
———————
渋沢は1909年(明治42)、69歳の時、自ら創立した59の会社と17の団体役員から身を退き、76歳で完全に実業界から引退した。86歳以後、彼の公共的な肩書は50近くあり、その重なものは次の通りである。
大正十三年東京女学館館長・日仏会館理事長等、大正十四年日本無線電信会社設立委員長、大正十五年日本放送協会顧問等々。昭和二年日本国際児童親善会会長、昭和三年少年団日本聯盟顧問等々。全事業)等々。
昭和五年バチェラー学園後援会顧問等。没年の昭和六年にはライ予防協会会頭、日本方面委員聯盟会会長(後の民生委員)はじめ五つの団体の役員を引き受けている。
(渋沢華子『渋沢栄一・生涯を現役で通す心意気』(歴史と旅・1989年7月号)
—————–
こうして76歳以降は会社の経営からは一切手を引いて、あとは毎日毎日、社会団体の理事会、相談会等に出かけ、熱のある時も白い髭ののびたまま来客に接したりして、命ある限り最後の義務に専念した。栄一の生涯は、「生涯現役で最後まで社会貢献に尽くした人生だったのである。
名言①「会社の用はわがものと思え。会社の金は人のものと思え」
と公私混同を峻別していたところに『論語とソロバン』の公益資本主義を唱えて、実践していた渋沢哲学、倫理観が反映されている。
明治45年、渋沢72歳の時、「健康維持策」なる文章を書いている。(『青淵百話』(渋沢栄一著より)
「当節流行の腹式呼吸がいいのか、サンド鉄亜鈴がいいのか、それとも冷水摩擦がいいのか、それ等のことは自分には殆ど解らぬが、しかし、これらの学術的の方法以外に、精神上から割出した健康法があるように思はれる。(中略)
江村専斎
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%9D%91%E5%B0%82%E6%96%8E
という百歳の長寿者は、大阪落城時分から徳川三代将軍の治世まで生存し、百五、六歳の長寿を保って未年まで気は確かであったという」
そしてこの人の「養生に三寡あり、色を寡くし食を寡くし、思慮を寡くす」という養生訓がある。
これに対して栄一は自分の意見を補足している。
「人間と生まれて肉体的に、精神的に愉快と感ずることを行うのが衛生に害ありといわれないのではないか。もっとも女色なり飲食なり節度を得ざれば身体に害あることは勿論で、各人各自の体質に応じて其の度合を量ることが極めて肝要である。ひとり女色と飲色とに限らず其の度を過してよいことは何一つある訳のものではない」
と。彼はエネルギッシュに多数の会社を設立したように、女色好きの渋沢はたくさんの子も作った。彼にとってセックスとは、パワーある長寿の源泉だったのだが、その反論を書いている。
「思慮を寡す」にも反論している。
「老人になってから思慮分別を全く捨てて仕舞うと壮健に重るどころか反対に虚弱になって仕舞う。現今は大に改良されたが、維新以前の社会には未だ相当活動の出来る春秋と健康とを有って居ながら、家督を其の子に譲って楽隠居の身となり悠々と閑日月を楽むという風が一般に行われていた。
こんな具合にして居れば思慮は寡かったに相違ないが、早く死んだ人が多かった。(中略)
身体強健元気も旺盛であった者が其の子に世を譲ると同時にがっかり弱って仕舞ったという実例は今日でも田舎には沢山ある。(中略)江村の所謂思慮は左様いう意味のものではなく、神経的の下らぬ心配、愚痴、老婆心の如きものを意味するとすれば何等いう所はない。(中略)
名言②楽隠居的な考を起さず死ぬまで活動をやめない覚悟をもつ
(中略)人はもともと感情の動物であるから、(中略)多少心を動かされるのは当然で動かされぬのが寧ろ不思議と謂はなければならぬ。(中略)而してその程度を節する工夫は即ち学問にまたねばならぬ」とある。
「超々高齢社会」の100年後の日本への72歳渋沢の貴重な覚悟ではないだろうか。
(参考文献 渋沢華子『渋沢栄一・生涯を現役で通す心意気』(歴史と旅・1989年7月号)
10年後に「貧困高齢者」が大量発生… 危ないのは団塊ジュニア世代? (1/4ページ)
http://www.sankeibiz.jp/econome/news/170730/ecc1707301305002-n1.htm
つづく
関連記事
-
-
日本リーダーパワー史(571)『わずか1週間でGHQが作った憲法草案>『憲法9条(戦争・ 戦力放棄)の)の最初の発案者は一体誰なのか⑤』再録
日本リーダーパワー史(571) 一連の「安全保障法制案」の本格的な 国会論戦が始 …
-
-
<まとめ>『国難の日本史』『日本の決定的な瞬間にリーダーはどう決断、行動したのか』(ピンチはチャンスなり)
<まとめ>『国難の日本史』 『 …
-
-
『鎌倉釣りバカ人生30年/回想動画録』⑭『10年前の鎌倉沖は豊饒の海だった』★『動画大公開<イワシを追ってシイラ、カツオが鎌倉海上で大乱舞、>★『かくれた歴史スポット光明寺「内藤家墓所
2011-08-19 記事再録 ★動画大公開<イワシを追ってシイラ、カツオが鎌倉 …
-
-
百歳学入門(232)ー曻地 三郎(教育家、107歳)「100歳生涯現役を楽しむ20ヵ条」★『<生涯現役>と厳(いか)めしい顔をするのではなく、 生涯現役を楽しめばよい』★『風が吹けば風になびき、苦しいことがあれば苦しさに耐え、「あの時こうすればよかった」などという後悔は何一つない』
「100歳生涯現役」を楽しむ 曻地 三郎(しょうち さぶろう) https:// …
-
-
『地球環境大異変の時代③』ー「ホットハウス・アース」(温室と化した地球)★『 日本だけではなく世界中で、災害は忘れたころではなく、毎年、毎月、毎日やってくる時代に』突入!?』
『災害は忘れたころではなく、毎年やってくる時代に』 …
-
-
日本メルトダウン(957)『討論初戦はヒラリー圧勝、それでも読めない現状不満層の動向』●『「日本のせいで巨額の金を失った」とトランプ氏、ヒラリー氏と初の直接対決で日米安保に言及』●『戦略なき日本の「お粗末」広報外交』●『安倍首相の呼びかけで自民議員が一斉に起立・拍手 「北朝鮮か中国」と小沢一郎氏が批判』●『東大、またアジア首位逃す 世界大学ランキング』
日本メルトダウン(957) 討論初戦はヒラリー圧勝、それでも …
-
-
73回目の終戦/敗戦の日に「新聞の戦争責任を考える➀」再録増補版『太平洋戦争までの新聞メディア―60年目の検証➀』★『国家総動員法によって新聞統合が進み、1県1紙体制へ。情報局の下で国家宣伝機関紙化』★『日本新聞年鑑(昭和15年版)にみる新統制下の新聞の惨状』
再録 2015/06/27 終戦7 …
-
-
日本の最先端技術『見える化』チャンネルー『日本の情報関連技術の遅れは「企業の閉鎖性」が原因だ』」( 野口悠紀雄)●『日本の製造業はIoT時代にどうやって勝ち残っていくべきか』●『 アマゾン攻勢!「YouTubeに宣戦布告」の勝算―「ビデオダイレクト」が目指しているもの』●『iPhone7拍子抜けで見えた、アップル依存大国・日本に迫る脅威』
日本の最先端技術『見える化』チャンネルー 日本の情報関連技術の遅れ …
-
-
日本メルトダウン脱出法(744)「大村智さんノーベル賞受賞、背景にある日本人の心 成果や実績を求めるのではない、ファクトへの飽くなき追究」●「朝鮮半島の南北統一に日本は大いに首を突っ込め 「韓国にも日本にもメリットがある」と米国の専門家」
日本メルトダウン脱出法(744) 大村智さんノーベル賞受賞、背景にある日本人の …
