日本リーダーパワー史(518)「明治大発展の国家参謀・杉山茂丸の国難突破力に学ぶ」➁ 日露戦争の決定的場面に杉山の影
2015/01/01
 日本リーダーパワー史(518)
『「明治大発展の国家参謀・杉山茂丸の国難突破力に学ぶ」
今こそ杉山の再来の<21世紀新アジア主義者>
が必要な時」』➁ 
                前坂 俊之(静岡県立大学名誉教授)
(以下の文章は2014年3月9日、福岡県筑紫野市生涯学習センターで開催された「夢野久作と杉山3代研究会」の第2回研究会での講演録をベースに、大幅に訂正、加筆、修正したものであります)
 
日露戦争の決定的な場面に杉山情報とその影
 明治三十八年三月、杉山のところに知り合いの米国商社員のモールスとその友人で「ニューヨーク.タイムス」秘密通信員のナップが訪ねてきて、驚くべき話をした。
 それによると、モールスがあるドイツ人、オランダ人から聞いたとこでは、奉天の勝利以後の日本軍の戦略について、その占領計画、軍費、兵力動員などの具体的に数字が盛り込まれた作戦計画がドイツ参謀本部に漏れているという。
 米国が日本を援助するにしても、「すでに日本軍は戦争能力の底をついているのではないか」。
 モールスはこの話が事実かどうか確かめる必要があり、山県参謀総長に近い杉山に取材するためナップと同道した、という。
 杉山は自分が調査して返事はするといって帰ってもらった後、この重大情報をすぐ四千字にのぼる暗号秘密電報にして奉天の児玉に打電した。
 その電報の最後に「ことの真偽はいざ知らず、こうした情報が外国に漏れるような事態は帝国にとって大間題。帝国の軍機はその統率を失った。速やかに全部の軍功を犠牲にしても日露講和の時機と思う」と書いた。
 打ち終えるとすでに午前三時近くになっていたが、その足で山県邸を訪れて伝えると、驚いた山県は即座にナップがつかんでいた数字を、参謀本部の部下を電話でたたき起こして確認した。
 「漏れていた」のである。山県も戦いは「今が潮時である」と決意し、杉山に告げた。杉山が自宅に帰ってしばらくすると、桂から呼び出しがあった。同じ説明を桂にも繰り返して、杉山は「勝った今が絶好の時期です。間髪を入れず日本から講和を申し込むのです」と強調した。
 「どこに申し込むのじゃ」
 「米国です」
 「なぜ、米国に申し込むのじゃ」
 「米国は日本の勝利が決まれば、世話を焼きたくてたまらないのです。その事情は金子堅太郎がよく存じております」
 杉山はビスマルク、ナポレオンの戦略、故事を引きながら、今が潮時ですと桂を説得した。
 数日後、児玉から桂あてに電報が届いた。「軍状報告のため上京したいので勅許をいただきたい」
 三月末、児玉は極秘裏に帰国して四月八日に御前会議が開かれた。
 五月、日本海海戦の勝利。六月、米国大統領ルーズベルトは日露両国に講和をあっせん勧告した。
 山県は満州軍の各軍司令官を奉天に招集して講和を伝えるべく七月十四日、東京を出発した。
 山県の渡満は最高の軍事機密として厳重な鍼口令が引かれた。7月14日、一行は新橋駅を発ち、神戸で偽装した御用船「河内丸」に乗り込んで大連に出航した。その出航間際に水上艇で一人の民間人がノコノコと乗り込んできた。茂丸である。
乗船するや杉山は山県のキャビンに入って出てこない。将校たちは「一体、何者なのか」と、唖然とした。奉天の満州軍総司令部に到着すると、一行は別々に部屋割りされたが、杉山は児玉総参謀長の宿舎に泊まり込んだ。参謀本部員でも容易に入ることのできないシークレットルームだが、杉山は児玉の寝室で一緒に枕を並べて寝起きしながら、満州占領プランを協議、児玉は極秘の茶色の四つの大封筒を渡した。
「今後の大陸の仕事は鉄道じゃ。この封筒の中に日本軍が占領した南満州の鉄道、用地などの明細書が入っておる。君に託するから、この経営をどうしたちよいか、いい案を出してほしい」
「鉄道については私も日夜腐心していたとこです。国民を引き入れての計画でなくてはなりませぬ」
山県の一行と帰国した杉山は、向島の別荘に引きこもって十三日間にわたって計画を練りに練った。さらに書類を精査して有価物件をすべて抜き出し、知り合いの米国商社員のモールスや大阪の藤田伝三郎らに評価を依頼した。
 モールスの見積り額は二億四千六百万円、日本側は八千六百万円となった。両者を比較すると日本側は三分の一の評価しかなかったが、鉄道の敷地などの不動産価値に無知だったのである。
 杉山は「ロシアから多大な犠牲の上に手に入れたものであり、死傷した軍人や国民のためにも申し訳ない」とこれを基にして考え、見積りを二億円にアップした。
  資本金も二億円の官民合同会社として政府出資金が一億円、民間から株式で一億円を集めて、鉄道経営やその敷地内の炭鉱経営などにもあたる南満州鉄道会社を設立、創立委員を数百人、委員長を児玉とする計画を作り、凱旋した児玉に出来あがった満鉄プランを手渡した。 この満鉄プランが具体化することになり、満鉄総裁には無二の親友の当時台湾の民生長官だった後藤新平を担ぎだした。
この1件も「俗戦国策」『百魔』に詳述されており、堀内中将の証言もこの事実を裏付けている。
日露戦争遂行の陸軍参謀長は児玉だが、さらにそれ以上の大きな役割を果たした大参謀は杉山であったという証拠は、この一連の行動に表れていると思います。
日清戦争で果たした役割と関係
では、日清戦争ではどのような役割を果たしたのでしょうか。杉山、玄洋社が
1893年(明治26)8月頃。杉山はかねてから川上操六参謀次長とは面識があり、杉山が「朝鮮を自由に操る清国とは一戦交えなければならない」と川上に進言すると、すぐ山県に会い言ってくれという。佐々友房の紹介状をもって山県に初めて会った。小男の山県 六尺近い(175センチ)堂々たる体躯で、人を圧する魁偉な容貌と、どこまでも相手を魅了せずにやまぬ長広舌のほら丸に、一目でチャ―ムされた、という。
最初、慎重な性格の山県は「玄洋社の方で朝鮮でことを起こしてほしい」との話を婉曲にしたので、「元来、日本は、朝鮮で亡びもすれば、興もする。朝鮮に不平党があろうがあるまいが、是非、朝鮮から事を起して、日清の関係を一挙に解決して、真正なる東洋平和の築かねばならぬ」と説くと、山県は急に怒りだし「この山県を謀叛人にしようとするのか、帰れ」と大声でどなった。
態度の急変に杉山は首を傾げた。ところが、翌朝、川上次長から使いが来て「昨夜、山県邸でのあなたの忘れ物です」と古新聞の包みをテーブルに置いた。「札束だな!」と直感した茂丸は「忘れ物は今晩、私が受取りに伺うからそれまで預って置いてくれ」といい、使者を追い返した。
 直ちに行動を起した茂丸は六名の同志を横浜に集め、山県から届けられた忘れ物を夫々に分配して朝鮮に送りこんだ。同じ頃、福岡からも天佑侠の面々が出発した」(杉山著「山県元師」375~389頁)と記述している。
『東亜先覚志士記伝』(上巻)によると、少しニュアンスが違う。明治27年3月20日、朝鮮王宮と袁世凱の手によって上海に連れ出され、暗殺され、遺体を切り刻まれた金玉均の葬儀が、日本の同志の手によって浅草の本願寺で行われた。
その翌日、玄洋社の的野半介が、陸奥外相を訪問して「金暗殺事件の背後にいる清国と一戦交えよ」と詰め寄った。陸奥は「未だその時機でないが、川上参謀次長を訪ねよ」という。的野が川上の私邸に出向くと「そのことは充分考えているものの、政府や軍としては、どうにもならないので、玄洋社が火付けをすれば、後は自分の方で処理する」との返事が返ってきた。的野は早速、頭山や平岡に報告してこれが天佑峡の朝鮮派遣の発端となったといわれる。
徳富蘇峰の『自叙伝』(中央公論社、1935年刊)では『日清戦争は若者が起こした戦争である。陸奥宗光、川上操六が伊藤、山県の元老の慎重派をひっぱりまわして、起こした』と書いており、明治天皇が日清戦争には反対していたということも、「明治天皇記」に書かれています。そうすると、この川上、陸奥をひつぱりまわした杉山、玄洋社の連中が日清戦争の引き金を引いたことは事実なのです。
このような国士から参謀にのしあがっていった茂丸の「人たらし術」、自分の倍も年の離れた元老、大臣、総理に面会し、堂々と経倫をぶちまけて、その懐に飛び込み、自家薬籠中にしていった痛快な交渉テクニックの最初のものを紹介したいと思います。
                                                                    つづく
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