終戦70年・日本敗戦史(63)徳富蘇峰が語る『なぜ日本は敗れたのか』⑭『日露戦争では政治、軍事、外交が一糸乱れず、勝利をつかんだ
2015/04/23
終戦70年・日本敗戦史(63)
A級戦犯指定の徳富蘇峰が語る『なぜ日本は敗れたのか』⑭
『日露戦争では政治、軍事、外交が一糸乱れず、勝利をつかんだー
国家の機密が内外ともに、極めて良く保たれた。
ー現在の日中韓外交、秘密保護法制の論議に参考になるケースー
日露戦争では、政治、軍事、外交三者が、全く調子を揃え、名人の指揮したる一大交響楽の如き、効果もたらした事は、明治天皇の聖徳はもちろん、伊藤博文、山県有朋は勿論、当局者たる桂太郎、山本権兵衛、寺内正毅、小村寿太郎などの努力に帰すべきは、当然である。殊に桂が、上に巨大なる先輩を戴き、傍には、また下には、極めて有力なる同僚若くは部下を擁しつつ、巧みにタクトを揮った事は、今さらの如く賞賛に値する。
驚くべき一事は、国家の機密が内外にかけて、極めて良く保たれた事である。支那事変以後の日本は、ただ国民の耳目を欺き、敗北を勝利と思わせる事に成功したるばかりで、敵側に向っては、内部の弱点が、一切合切筒抜けとなっていたに拘らず、日露戦争においては、それがむしろ、反対とは言わぬが、内にも外にも、同様に機密が保たれた。即ち米国、英国、ドイツ何れも、日本の勢力を買かぶった。
ルーズベルトも、日本の兵力は、バイカル以東を、占領するであろうと心配した。ドイツ皇帝は、日本軍が今一歩進めば、ロシア内部の瓦解を来たし、ロシア皇帝の身辺は、危険であ
ると心配した。英国のエドワード七世さえも、日本軍はウラジオストック
を占領するであろうという事を、信じていた。それは当時、米国ロンドン駐留大使リードに向って、英国皇帝が、親しく語りたる所によって明かだ。
従ってバイカル湖畔まで、占領するという事は、単り七博士の一人、世間であだ名したるバイカル博士、戸水寛人氏ばかりではなかった。かかる間にも、日本は間断なく、和平に工作した。英米はもとより、ドイツ、フランス方面にも、それぞれ手が及んだ。当時日本の大使としてパリに在った、本野一郎も、デルカッセと、この問題については、相当相語る所のものがあった。
ルーズベルトは、当初から、米国の運命は、太平洋に在りと、確信していた。それには極東において、日露互に牽制させるにに、しくはなしと、考えていた。即ち日露が大陸で互に相争い、太平洋を顧みるいとまのない間に、米国の勢力を、この方面に拡張しようとしたものである。
そこが日本の付け込み所であって、遂にルーズベルトをして、日露戦争の仲裁役たる大役を、自から買って出るようにさせたのであるた。しかもそれまでには、日本が如何に多く、ルーズベルトの方に注ぎ込んだかは、言うまでもな
日露戦争外交については、予曽て「三十七八年役と外交」と題する1文を、大正十四年の下半期、国民新聞に記載し、更に小冊子として、世に公けにした。この書を読めば、その総てとは言わぬが、要領だけは知る事が出来る。そこで今ここには、これを詳しく語らないが、彼ら等は自らから止まる所を知って、和議を講ずる最上の潮合を択び、奉天会戦-三十八年三月-以後に、その端を発し、日本海海戦-同年五月-以後において、更にこれを驀進さえ、遂にポーツマスの会議にまで、漕ぎ付けたものである。
日本が、北樺太を無償で譲った事には、流石の仲裁者たるルーズベルトも、意外としたという事で、余りに日本は譲り過ぎたのではないかという議論は残る
が、しかしその駆け引においては、何れにしても大体に於て、日本は目的を達し、得る所を、得たのであった。
従って当時の焼打騒ぎ(日比谷騒擾事件)は、桂はむしろこれを会心の事として、国民より受けたる鞭を受け取った。これ程まで国民に、勝利の自信力を持たせた事が、和議を成功させた所以でありと、白から認めたからである。
これに反しいずれの方面に向っても、支那事変(日中戦争)以後の、我が当局者は、手を動かす所なく、たまたま動かせば、左支右吾(さしゆうご)、左の手でした事は、右の手でこれを打消し、前にいった事は、後でこれを取消すというように、軽挙妄動、何等一貫した見識もなければ、戦略もなく、ただ弾圧一方
と、虚偽の一手段を以て、国民の耳目を遮断し、眩惑し、敵軍が日本近海に迫るまで、なお日本は大体において、「勝っている」「勝味がある」と、うぬぼれていたである。このうぬぼれが、あらゆる日本の軍事方面に、害毒を流したる事は、言うまでもない。国民の不熱心も、端的に言えば、飛行機製造の、思うようにはかどらなかった事も、軍需品の補充が、意の如くならなかった事も、皆なこれにに基因する。敵を欺く事に失敗して、我を欺く事に成功したる日本の当局者は、遂に国家と国民とを挙げて、今日の状態に陥れたのである。
(昭和22年1月26日午前、晩晴草堂にて)
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