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『Z世代への昭和史・国難突破力講座⑰』★『アジア・太平洋戦争下」での唯一の新聞言論抵抗事件・毎日新聞の竹ヤリ事件の真相」★『森正蔵「挙国の体当たりー戦時社説150本を書き通した新聞人の独白」(毎日ワンズ、2014年)の勇気ある記録』

      2025/08/31

 

 「アジア・太平洋戦争下」の唯一の言論抵抗事件・毎日新聞の竹ヤリ事件の真相」

太平洋戦争下で唯一といってよい言論抵抗事件が『毎日』(1943=昭和十八年一月一日『大阪毎日』『東京日日』は『毎日新聞』に統一した)の竹ヤリ事件である。これは作戦をめぐる陸海軍の対立から生じたものであると同時に、東条英機首相の暴虐ぶりをあますところなく示す事件でもあった。    1943(昭和十八)年二月、ガダルカナル島で日本軍の撤退が開始され、米軍は一挙に攻勢に転じた。以後、5月アッツ玉砕、11月マキン・タラワ全滅と戦局は日々悪化していた。翌44年二月十七日には「日本の真珠湾」と米軍から呼ばれた作戦の最重要拠点、トラック諸島が米軍の手に落ち、太平洋戦争の敗北はすでに決定的となった。しかし国民には「勝った、勝った」というウソの情報以外は」一切知らされていなかった。

1944年2月23日『毎日』第1面の真ん中に「勝利か滅亡か、戦局はここまで来た。竹槍では間に合わぬ。飛行機だ、海洋航空機だ」という五段見出しの記事が載った。

「太平洋の攻防の決戦は日本の本土沿岸において決せられるものではなくして、数千海里を隔てた基地の争奪をめぐって戦われるのである。本土沿岸に敵が侵攻して来るにおいては最早万事休すである。……敵が飛行機で攻めて来るのに竹槍をもっては戦い得ない。問題は戦力の結集である、帝国の存亡を決するものはわが海洋航空兵力の飛躍的増強に対するわが戦力の結集如何にかかって存するのではないのか」

本土決戦、女性から子供まで竹槍主義で1億玉砕を唱えていた陸軍のアナクロニズムをズバリと批判した。また、一面に載ったこの日の社説「今ぞ深思時である」でもこれに呼応し「必勝の信念だけでは戦争に勝てない」と軍部の精神主義を正面からやっつけていた。

「然(しか)らば、このわれに不利の戦局はいつまでも続くのか、どこまで進むのか。われ等は敵の跳梁を食ひ止める途はただ飛行機と鉄量を、敵の保有する何分の一かを送ることにあると幾度となく知らされた。然るに西太平洋と中央太平洋のおける戦局は右の要求を一向に満たされないことを示す。一体それはどういふわけであるか、必勝の信念だけで戦争には勝たれない」

この日の一面トップは東条首相が閣議で「非常時宣言」を発表、「皇国存亡の岐路に立つ」と竹槍精神の一大勇猛心を強調した発言がデカデカと載っていた。これに対し真っ向から挑戦する見出しであった。竹ヤリ訓練と必勝の空念仏への批判であった。

 この記事は一大センセーションを呼び、全国から讃辞の嵐がわき起こった。読者から圧倒的な支持を受け、販売店や支局からも大好評の報告が入った。海軍省報道部の田中中佐は「この記事は全海軍の言わんとするところを述べており、部内の絶賛を博しております」と黒潮会で述べた。

東条首相は烈火のごとく怒った。

 その日午後、陸軍では陸軍省と参謀本部の局部長会議があった。東条首相は現われるなり、陸軍報道部長の松村透逸少将をキッとにらみつけて、ドナった。(毎日新聞100年史)

「けさの毎日新聞をみたか」

「ハッ、一応目を通しましたが……」

「何、読んだなら、なぜ処分をせんのか。軍の作戦をバカにする反戦記事を載せられて捨てておく気か。それでも報道部長か」

今まで見たことのないすさまじいけんまくでまくしたてた。松村はすぐさま毎日の最高幹部に出頭を求めた。奥村信太郎社長、高石真五郎会長は南方の視察旅行でおらず、編集総長高田元三郎は京都に出張中であった。急遽、帰京した高田は翌日、情報局で松村と会見した。

「記事の筆者は誰れか。反戦思想の持ち主は直ちに退社させろ」と松村は東条首相の命令として、筆者の厳罰、社内責任者の処分、最高幹部の謝罪を要求した。

「筆者を処分することはできぬ。責任は自分が負う」。高田はキッパリと断わった。東条の怒りをさらに爆発させる事態が起きた。

二十三日朝刊に次いで夕刊でも第一面トップに、「いまや一歩も後退許されず、即時敵前行動へ」の大見出しが躍った

この記事はアメリカがヨーロッパから太平洋に戦略を移しっつあるので、海空軍を拡充し、太平洋決戦を主張したもので、東条らの本土決戦に反対するものであった。東条は一歩たりとも後退を許されずというのは「軍の統帥権侵犯だ」と怒りを爆発させ、事件は一層燃え上がった。

記事は同社政経部で海軍担当の「黒潮会」キャップ新名丈夫記者が命がけで書いたものであった。

この竹ヤリ記事が出るまでには一つの背景があった。

新名丈夫は海軍記者となって以来半年間にわたって主力艦隊に乗り組み、戦況を自分の目で確かめていた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%90%8D%E4%B8%88%E5%A4%AB

戦況が敗退に次ぐ敗退であり、陸海軍が対立し、飛行機生産のためのジュラルミン三十万トンの大部分を陸軍が本土決戦用に抑えて出さないことなど、新名記者は内幕を熟知していた。

マーシャル陥落の発表を大本営が二十日間もためらって大騒動を演じているのをみた新名記者は決意を固め、一大プレスキャンペーンを社に上申した。

「日本の破滅が目前に迫っているのに、国民は陸海軍の醜い相克を知りません。今こそわれわれ言論機関が立ち上がるほかはありません」(「昭和怪人録」戸川幸夫著、秋田書房1964年109-110p)と便せんに書いて、吉岡文六編集局長に上申書を出した。

「よし、何とかして国民に知らせるほかない」と決意」した吉岡局長は社外の大物に書かせようと、まず元中国駐劉大使・本多熊太郎に交渉したが「検閲があっては書けない」と断わってきた。

編集会議の結果、新名が指名された

一週間ぐらい続ける計画だった。東条首相の「非常時宣言」の発表されたその日、吉岡局長はすぐ書くように命じた。

当時の記事は検閲を受けなければならなかったが、海軍担当の記者が執筆したものは海軍省の検閲だけでよく、各社のキャップの書くものは無検閲でよいという紳士協定になっており、その特典を利用したのであった。(「毎日新聞100年史」200P)

新名記者は「書けば東条から懲罰召集を食うかも知れない。社もつぶされるかも知れない。殺されるかも知れぬ」-悲壮な覚悟で執筆したが、その通りのハチの巣をつついた騒ぎとなったのである。

新名は責任を感じ進退伺いを出したが、吉岡局長は突っ返し、逆に金一封の特賞を出した。三月一日に吉岡局長、加茂勝雄編集次長兼経理部長は責任をとって辞任した。

毎日に廃刊を命令!

しかし、こんなことで東条はおさまらない。東条は情報局次長・村田五郎を呼びつけて「竹ヤリ作戦は陸軍の根本作戦ではないか。毎日を廃刊にしろ」と指示した。村田は答えた。
「廃刊するのはわけありません。紙の配給を止めれば、毎日は明日から出ません。ただし、よくお考えになってはいかがですか。毎日と朝日は、いまの日本の世論を代表しています。その新聞の一つがあのくらいの記事を書いた程度で、廃刊ということになりますと、世間の物議をかもす、ひいては外国から笑われることになるでしょう」(前掲毎日新聞100年史)

この説得が効いたのか、廃刊は引っ込めたが、陸軍からの新名への執拗な処罰要求が出された。

二十四日午後、奥村は高田総長を同道して、首相官邸へおもむいた。星野直樹書記官長が取り次ぎ、会うというので同官長室で待っていた。

が、東条首相はすぐ出かけると態度を変え、奥村社長が飛んで行ったが、一瞥も与えずオープン・カーに乗って行ってしまった。

森正蔵「挙国の体当たりー戦時社説150本を書き通した新聞人の独白」(毎日ワンズ、2014年)によると、社内事情を次のように書いている。

昭和19年2月29日 晴れ

 「昼食を少々早めに家で済まして社に出る。そしていち早く新名丈夫が応召したことを聞いた。彼の筆になる二十一日付朝刊の記事が問題(竹槍事件)となった。問題にしたのは陸軍で、しかもその発頭人が東条だったのだが、「敵はわが本土に上陸するようになったら困る。これを、それまでに洋上で叩くことが必要だ」という論旨を敗戦主義呼ばわりしている。

しかし、この記事はそんなことではなく、どうすれば勝つことができるかを突っ込んで説いたものであり、状況的には所定の検閲を受けてそれを通過している。にもかかわらず当日の新聞は発禁処分になった。だが紙は配達されたあとのことで実害はなく、かえってこの処分で読者がその記事に関する関心を深めたのが落ちであった。

しかし陸軍当局はこれで事を済まそうとしない。高田編集総長が大阪から帰る早々、情報当局と折衝し、次いで奥村社長も上京して陸軍に釈明したが、陸軍の要求は筆者を処分し、また今度のような記事を書くおそれのある者を一掃しろというのである。この要求に対する社の意見ははっきりしていて、これを拒否する態度に出た。

そのことがあってからまさかと思っていたことが実際に現われてきた。それが今度の新名の召集である。彼は未教育国民兵役に属していて、確か二度か三度の近視眼である。それが召集を受ける。召集は畏くも、陛下の御名によってなされるのである。万一にもこれが犬糞的(意地悪)な仕打ちであったとしたならば、何という恐慌すべきことであろうか。

この事件を巡って、陸軍部内の意見はなかなか硬化している(東条大将は毎日新聞の廃刊を要求)。このような紛糾の最中へ高石真五郎会長、鹿倉専務の一行が南方旅行から帰り、待ち受けていた奥村社長らと帰社早々、重役会議を開いた。それが一通り終わった夕方の六時に、会長らを迎える小会が開かれたが、僕には必ずしも緊要でない会長らの大がかりな今度の旅行が、今さらのように苦々しく思われた。

そういうことはさておいて、僕たちは新名を送ってやらなければならぬ。十三日にパラオに赴任する海軍の富永中佐の壮行会を兼ねてこれを行なうこととし、加茂と僕の二人が新名を連れて、報道部の送別会に出ている富永中佐を「久保田」に迎えに行くと、そこには栗原大佐らがいて、もう一つ別の席があるから同席しろという」

 

 

 

 

 - 人物研究, 戦争報道, 現代史研究, IT・マスコミ論

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