前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

日本リーダーパワー史(483)4年後は明治維新150年(2018年)、日本史最大の英雄・西郷隆盛の 国難突破力を学ぶ。

   

 日本リーダーパワー史(483)



あと4年後は明治維新から150(2018)、第3の敗戦に

直面している現在、日本近代史最大の英雄・西郷隆盛の

国難突破力を学ぶために「終焉の地」を訪ねた。

 

                          前坂俊之(ジャーナリスト)

 

西郷隆盛―近代史最大の英雄は死後も「西郷伝説」でよみがえる。

 

明治維新最大の立役者は西郷隆盛。今も、人気は一向に衰えない。その西郷が西南の役で敗れて鹿児島・城山で自決したのは明治10年(1877924日のこと。享年51歳。腹心の桐野利秋、村田新八らもそろって討死し、約三百人の部下があとを追って腹を切った。日本の歴史上、これほど多数の人間が殉死した例はない。いかに西郷がカリスマ的な魅力があり、慕われていたかの証拠である。西郷は士族たちにとっては神に等しい存在だった。逆賊の汚名をきせられ悲劇的な死によって民衆の崇拝は逆に強くなり、以後、「西郷生存説」「西郷伝説」が生まれてくる。

源義経が奥州藤原で亡くなったのではなく、生き延びて延びて大陸に渡り、ジンギス・カンになったという伝説と同じ民衆の英雄願望であり、メディアの虚報である。

 明治22年(1889)には憲法が発布され、大赦によって西郷は朝敵の汚名を晴らして、正三位が贈られた。この名誉回復で西郷は一挙によみがえってきた。「西郷は城山で死なず、シベリアでロシア軍の訓練をしており、日本に近く帰ってくる」「朝鮮に亡命している」「インドに身を隠しており、天皇の招きで帰ってくる」というウワサが一層広まってきた。ロシアのニコライ皇太子はシベリア鉄道の起工式出席のためウラジオストックにくることになり、途中約一カ月にわたって日本に立寄ることになった。

このニュースが西郷生存説と一緒になって「西郷はロシアで生きており、ニコライ皇太子と一緒に軍艦で帰国する」と新聞に生還説が次々に登場、人々にパニックを起こした。

これを真に受けた滋賀県の巡査・津田三蔵が明治24年(1891)59日に大津市内で人力車に乗って観光中のニコライ皇太子に斬りかかり重傷を負わせた。いわゆる、大津事件が発生し、明治の日本を震撼させた。

 

坂本竜馬の西郷評は「大バカ」である。勝海舟の紹介で西郷に会った坂本龍馬は、その印象を「西郷は馬鹿である。大馬鹿である。小さくたたけば小さく鳴り、大きくたたけば大きく鳴る。その馬鹿の幅がわからない。残念なのは、その鐘(かね)をつく撞木(しゅもく・鐘をつく木の棒のこと)が小さいことである」 

 

一方、「西郷は豪傑の中の豪傑で、無策の大策で行く大豪傑ぢやった」とは玄洋社の親玉・頭山満の弁。土佐の有志で島本仲通というのが司法省にいたころ、衆人環視の中で、西郷をののしった。

「西郷々々と世間では人間以上のようにいうとるが、その意味が分らぬ。同志がみな刑獄につながれているのに西郷のみひとり維新の元勲ぢや、というのは非人情じゃ。何が大人物じゃ。わしから見れば、虫けら同然じゃ」。一座はシ-ン、誰一人口を出す者がない。西郷も黙ったまま。島本は「それ見たことか、西郷!一言の弁解もなるまい」と追い打ちをかけた。西郷はついに黙したままだった。

 翌日、西郷の崇拝者たちが南洲宅に押しかけて、「アンナふそんな奴は生かしておけぬ」といきりたった。すると西郷はおもむろに口を開いて、「はア、あの人が島本さんでごわすか。エライ人じゃ。西郷は一言もごわせん。ああいふ人が司法省におられるので、オイドンも安心でごわす」といったので、一同口開あんぐり。これを聞いた島本は「これは大分ケタが違うとる」と初めて、西郷の偉大さに感動した。

 

西郷はウナギが大好物だった。それを知って大隈重信が「ウナギをご馳走しますので、ぜひおいで下さい」と誘うと、西郷は大喜びで「連れがあるのでそのつもりで」と返事した。連れの分まで十分用意して待っていると、西郷はただ1人でやってきた。不思議に思った大隈が問い質すと「連れは玄関でまっているのでたくさんご馳走してくだされ」という。改めて玄関に行ってみると、西郷が可愛がっていた犬がお供して待っていた。これは頭山満の話だが、[クマ(大隈)のご馳走には犬くらいが適当と思ったのじゃろう]と大笑い。

 

 

 - 人物研究 , , , , , , , , , , , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

日本リーダーパワー史(814)『明治裏面史』 ★ 『「日清、日露戦争に勝利」した明治人のリーダーパワー、 リスク管理 、インテリジェンス㉙『日本史決定的瞬間の児玉源太郎の決断力』★『2階級降下して参謀次長になり、この機会(日露戦争開始4ゕ月前)に起って、日本は文字通り乾坤一擲の大血戦をやる以外に途がない。不肖ながらわしが参謀次長として蝦蟇坊(大山厳)の忠実なる女房役になろう』

   日本リーダーパワー史(814)『明治裏面史』 ★ 『「日清、日露 …

『日経新聞(2月10日)は「日銀の黒田総裁の後任に、元日銀審議委員の経済学者、植田和男氏(71)の起用を固めた」とスクープ』★『政治家の信念と責任のとり方の研究』★『<男子の本懐>と叫んだ浜口雄幸首相は「財政再建、デフレ政策を推進して命が助かった者はいない。自分は死を覚悟してやるので、一緒に死んでくれないか」と井上準之助蔵相(元日銀総裁)を説得、抜擢した』

  2019/10/23  『リーダーシ …

no image
日本リーダーパワー史(248)<道州制導入の橋下維新党は坂本竜馬よりも西郷隆盛の突破力を見習え!>

 日本リーダーパワー史(248)   <道州制導入の橋下維新党は …

『Z世代のための日中韓外交史講座』⑭』★『中国紙「申報」からみた「日中韓150年戦争史」★『(日清戦争開戦2ヵ月後―「罪言―中国の敗因は旧弊の悪習を改め、汚職官吏を除くこと」(申報1894年10月5日)★『この130年後も習近平主席の終わりなき汚職撲滅の闘いが続く」』

   2015/01/01「申報」からみた日中韓のパーセプシ …

no image
世界/日本リーダーパワー史(901)米朝会談への参考記事再掲ー『1993、94年にかけての北朝鮮の寧辺核施設疑惑でIAEAの「特別査察」を拒否した北朝鮮がNPT(核拡散防止条約)を脱退したのがすべての始まり』★『米軍はF-117戦闘機で寧辺の「核施設」をピンポイント爆撃し、精密誘導爆弾で原子炉を破壊する作戦を立案した』

2009/02/10掲載 有事法制とジャーナリズム-1993年の北朝鮮核疑惑から …

『百歳長寿名言』★『公園の父・本多静六(85歳)の70,80歳になっても元気で創造する秘訣―『加齢創造学』★『忙しさ」が自分を若返らせる、忙しいことほど体の薬はない。』

逗子なぎさ橋珈琲テラス通信(2025/10/26 /am1100)   …

no image
日本リーダーパワー史(431)「ワシントン軍縮会議をまとめた加藤友三郎(首相)は「冷徹で大局的に判断した人」(賀屋興宣)

 日本リーダーパワー史(431)   ★「明治のリーダー・ワ …

no image
日本風狂人伝⑨ <泉鏡花・幻想文学の先駆者は異常な潔癖症・・>

  日本風狂人伝⑨             2009,6,25 &nb …

no image
日中北朝鮮150年戦争史(32)★現代史復習、記事再録『袁世凱の政治軍事顧問の坂西利八郎(在中国25年)が 「日中親善・衝突・戦争の歴史変転への原因」を語る10回連載』●『万事おおようで、おおざっぱな中国、ロシア人に対して、 日本人は重箱の隅を小さいようじでほじくるような 細かい国民性が嫌われて、対立が戦争に発展したのだ> 現在の日本企業が海外進出する場合の大教訓、警鐘である。

 日中北朝鮮150年戦争史(32)★現代史復習、記事再録再録  ――袁世凱の政治 …

no image
日本リーダーパワー史(162)国難リテラシー⑩最後の首相・鈴木貫太郎の突破力ー『まな板の鯉になれ』

日本リーダーパワー史(162)   国難リテラシー⑩最後の首相・鈴木貫 …