日本リーダーパワー史(603)『安倍・歴史外交への教訓(9)「世界史の中での日韓パーセプションギャップ、エスノセントリズム④」大東亜戦争は秀吉流の「朝鮮征伐」の戦略の二の舞で、失敗に終わった。
2015/11/16
日本リーダーパワー史(603)
『安倍・歴史外交への教訓(9)
「世界史の中での日韓関係のパーセプションギャップ④」――
〝大東亜戦争〃は秀吉流の〝朝鮮征伐〟の戦略の二の舞で、失敗に終わった。
エスノセントリズム(英: ethnocentrism、自民族中心主義)のギャップ
韓国との慰安婦問題の背景には日韓のパーセプションギャップ、エスノセントリズム
(英: ethnocentrism、自民族中心主義、自文化中心主義)、戦争、外交失敗の歴史がある
私は明治以来の日中韓150年戦争史という連載をこのブログで、5年ほど前から書いている。そのために、日中韓の外交史、戦争史、コミュニケーション史などの歴史文献をいろいろ読んで勉強しているが、なかなか平易に書かれた良くわかる本がない。徳富蘇峰の「近世日本国民史」などはその最適本だが、文語体なので読みづらい。福沢諭吉の中国、朝鮮論なども、尾崎行雄の中国論も同じく文語体なので読み読みづらい。
そんな中で大宅壮一の「炎が流れる」(第3巻、文芸春秋社、1964年)を読んで、これが一番良くわかると感心した、『昭和のマスコミの帝王』と言われた大宅壮一だけに『日韓併合の舞台裏』「朝鮮統治の2つの世論」「根強く残る対日敵意」など150Pにわたって、分かりやすくデータ豊富に日韓500年対立史「反日のルーツ」をまとめている。そのポイントを紹介する。
以下は「島国からの脱皮」ー大宅壮一「炎が流れる」
(第3巻、文芸春秋社、1964年)より
植民地統治というのは、男女関係と同じで、手に入れることよりも、わかれることのほうがむずかしい。手に入れるのは、権力、金力、ときには暴力をもってしても、ある期間これを確保することが可能であるが、手放なさねばならなくなったあとで、かつての被統治国から、どの程度に親愛感を持たれるか、ということが問題である。
その点で比較的成功しているのがイギリスである。
インド、セイロン、ビルマ、ガーナ、近くはマレーシア、ウガンダ、ケニアなどが独立したあとを見ると、英本国とのあいだに、経済的、文化的なつながりを残している。これに反して、オーフンダとインドネシア、ベルギーとコンゴの場合などは、文字通りのケンカわかれで、あとに残るのは相互の憎しみだけだ。フランスの手ぎわは、両者の中間というところだ。
それでは、日本の場合はどうかというに、朝鮮にかんするかぎり失敗であった。少なくとも、台湾や南洋諸島のようなわけにいかなかった。というのは、朝鮮には独立の民族意識と歴史と文化があったからだ。
日本の対韓政策が失敗した原因は、
第1に、朝鮮人とはこういうものだという先入観をもってのぞんたこと、
第2に、何から何までシナ【中国)のまねをしたことである。
伊藤博文が、統監として文武百官をともない、韓国にのりこんだとき、〝威儀堂々〃ということばで表現されているが、コッケイなくらや虚勢をはったという。これは明らかにシナ式である。シナと韓国との間には、歴史的にも、国力の上でも、大きな落差があったから、それでもよかったが、当時の日本は、韓国人の目から見れば、ただの〝成。上がりもの〃にすぎなかった。 そこで韓国統治は、実に日本民族の同化力の有無を決定する試金石ということになる。
豊臣秀吉は、朝鮮を征服したあと、どういう方針に基づいて、これを統治する計画を立てていたか。
小西行長のひきいる第一軍が、釜山に上陸したのは、文禄元年(1592年)四月十二日で、三月には秀吉自ら肥前名護良の大本営に向けて出発しょうとした。そのさい、側近のものが秀吉に、
「戦争が始まると、明国や朝鮮から、いろんな通信が続々やってくるでしょうし、その返事も出さねばなりませんから、だれか文才のあるものをつれていかれてはいかがですか」といった。これにたいして秀吉は答えた。
「そんな必要はない。明国人や朝鮮人に、その国の文字をすてて、わが国の〝いろは〃を使わせるといい。髪その他の風俗、習慣も、日本ふうに改めさせるつもりだ。朝鮮人は日本人よりもよく字を知っている。いま手もとにおいて使っているものも、日本人よりはすばしこくて役に立つ」
これは林羅山の『豊臣秀吉譜』に出ていることで、つくり話だと思われていたが、当時秀吉の最高プレーンであった安国寺 恵瓊(あんこくじ えけい)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%9B%BD%E5%AF%BA%E6%81%B5%E7%93%8A
の手紙が厳島神社で発見されて、事実であることが証明された。とにかく秀吉はこのように徹底した日本化主義でおし通すつもりだったらしい。〝大東亜戦争〃においても、この精神がうけつがれ、各地で日本政策が強行された。この点からいっても、〝大東亜戦争〃は〝朝鮮征伐〟の二の舞であったといえよう。
戦後『風にそよぐ葦』などを書いて”反軍作家〃の代表のように見られている石川達三が、海軍報道班員として戦地からよこした通信で、「勝利者は、相手がわかろうがわかるまわが、自分のことばをつかう権利を持ち、敗亡者はそのことばをつかう義務があるらしい。私はシンガポールの英人たちに日本語を露習わさせることに、私流の勝利感を満足させることができるであろう」
と述べて、秀吉とだいた憲い意見が一致している。というよりも、〝征服者〟の考えることはいつも同じだ。敗戦後の日本では、立場が逆になって、すさまじい英語ブームを生んだことは、改めていうまでもない。
〝大東亜戦争〃は秀吉流の〝朝鮮征伐〟の戦略の二の舞で、失敗に終わった。
しかし、強気の秀吉も、現実の問題に直面すると、通訳の必要を感じ、派遣軍の各司令部にこれをつけたことは〝大東亜戦争〟の場合とかわはない。秀吉自身も、ふだんつかう扇子の両面に、日韓会話の対訳を書きこんでいたというから、少しは朝鮮語がわかるようになったらしい。
当時は通訳のことを〝通信判官〟といったが、これは恵瓊の命名である。またいけどりにした捕虜を通訳として使ったが、このほうは〝生口通事〃といった。
名護屋の大本営には、安国寺 恵瓊のほか、
西笑承兌(さいしょうしょうだ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E7%AC%91%E6%89%BF%E5%85%8C
玄圃霊三(げんぽれいぞう)http://www.jyofukuji.com/11-tyosen/2002/05.htm
惟杏永哲(いきょうえいてつ)
http://www.weblio.jp/content/%E6%83%9F%E6%9D%8F%E6%B0%B8%E5%93%B2
という三人の僧侶が、秀吉の側近にあって、秘書兼参謀のような役割を果たしていた。
安国寺 恵瓊は芸州(広島県)の生まれで、⒒歳のとき京都に出て東福寺で修行したものだが、博学雄弁で、僧侶のくせに武事を談ずることが何よりも好きだった。毛利輝元の側近となって、織田信長と足利義昭の和睦をあっせんした。
さらに、秀吉が高松城を攻撃中、本能寺の変が起こり、秀吉はきっそく輝元と休戦、京都にかえって明智光秀を討ったが、この休戦をまとめたのも恵瓊である。これで秀吉に重宝がられ、その後は仏教をすてて、軍事専門となり、関ケ原の役には、一軍をひきいて石田三成の側についたが、戦争が始まるとおじけづいて逃げまわり、ついにつかまって処刑された。その首が三条河原にさらされた。
秀吉の全盛時代には、恵瓊は伊予で六万石を領し、利権にありつきたいものは、彼を通ずれば目的を達するというので、門前市をなしたという。
西笑承兌(さいしょうしょうだ)は、相国寺、南禅寺、鹿苑寺(金閣寺)の寺主を歴任した高僧で、秀吉が東山に大仏殿をつくったとき、また朝鮮で敵の死体から大量に鼻をそぎとって送ってきたのを埋めて供養したときにも、導師の役をつとめた。
彼も秀吉の権力を背景にして、全国寺社の総元締めとなっていたが、恵瓊のように軍事には深入りしなかったので、家康の時代にも生きのびて、慶長十二年すなわち朝鮮との国交が回復した年に、六十歳で亡くなっている。
かように、〝朝鮮征伐〟が始まると、二泥の僧侶が〝軍属〃のような形で徴用されて、大本営勤務を命ぜられたのであるが、前線においても、僧侶が各司令部に配属され、宣伝、宣撫、諜報、通訳などの仕事をさせられた。〝大東亜戦争〃が起こって、学者、作家、評論家、音楽ても〝大東亜戦争〃は〝朝鮮征伐〟の二の舞であったといえよう。
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