日本リーダーパワー史(510)福沢諭吉「日清戦争」の社説を読む」④道理あるものとは交わり、道理なきものは打ち払わん」
2015/01/01
◎<日中韓150年対立・戦争史を踏まえて「脱亜論」でアジア
侵略主義者のレッテルを張られた福沢諭吉の「日清戦争
開戦論」の社説を読み説く>④ー
<現在の日中韓の対立、紛争は120年前の日清戦争当時と全く同じである。
福沢は西欧列強によるアジア併呑に危機感を募らせて、日中韓の連携、協力、同盟を唱えて韓国の独立運動を助け教え子の井上角五郎を送りこみ、金玉均らの「朝鮮独立党」を全面支援したが、近代化、国際化を拒否し『中華思想(中国)』と「事大主義(韓国」から脱皮できなかった両国は再三日本を拒否して、ついに堪忍袋の緒をきった福沢の「脱亜論」「日清戦争開戦論」となった。
福沢の唱えた「独立自尊の精神」は「我、日本国人も今より学問を志し、気力を慥(たし)かにして先ず一身の独立を謀(はか)り、随(したが)って一国の富強を致すことあらば、何ぞ西洋人の力を恐るるに足らん。道理あるものはこれに交わり、道理なきものはこれを打ち払わんのみ。<一身独立して一国独立するとはこの事なり>。(「学問のすすめ」)」と書いている。
福沢は日清戦争は「文明の衝突である」という。「封建的な中華思想」対「中国思想から脱した明治日本の国際主義」との戦いであった。
「道理あるものはこれに交わり、道理なきものはこれを打ち払わんのみ」と福沢は日清戦争の最強硬論者」となって開戦の旗を振ったわけだが、「一身独立して一国独立す」は同時に国破れて「一国の独立なくなれば、一身の独立はなし」となる冷厳な現実も忘れてはならない。
もし、福沢諭吉が現れず、「日清戦争で日本が負けていた場合には、今日の日本はなかったであろう」ことだけは確かである。
地に足のついた現実的な歴史観を持って空想的平和主義、観念的防衛論から一歩離れて、昨今の対中・韓・北朝鮮外交のすれ違い、ネジレ、対立エスカレーションの体験と対比させながら、120年前の「小日本」福沢の主張を読むと、その先見性がよくわかる>
前坂 俊之(ジャーナリスト)
日本臣民の覚悟(②-福沢諭吉〔1894(明治27年8月29日 時事〕
日本臣民の覚悟②
第二、日本臣民は事の終局に至るまで謹んで、政府の政略を非難すべからず。そもそも立憲政治の下に立ち、言論自由の世の中に居て、時の政府の得失を評論するは事に害なきのみか、よって以って政治の改良を促すの刺衝ともなるべければ、施政の非を挙ぐるに憚る所なしといえども、今日はすなわちしからず。
日清事件に付いての軍略は無論、またこれは附帯する種々の外交略に至るまで、すべて現政府の手に托して、いっさい万事秘密を要することなれば、傍らより嘴(くちばし)を容るるべからざるのみか、万般の施設皆宜しきを得たるものとして、一も二も賛成するの外あるべからず。
甲州流の軍法に、出陣のとき軍人を集め、いやしくも敵の美を称して味方の非を挙ぐることなかるべしと、誓詞を取るの例ありと云う。
畢竟、味方の軍気を阻喪せしめざるの意にして、今教が日本国が支那と兵を交えたる処にて、当局者の政略、軍略を称賛するは、味方の美を称揚して国中の人心を引き立つるがためなりと知るべし。
或いは天下の論者が、平生の筆法を以って綿密、に議論したらば、我が出師の時節またはその用意のいかん等に就いて多少の苦情もあるベし、実際に免れざる所なれども、既に今日となりては論じて無益のみならず、
まさしく味方の非を挙げて人心を阻喪せしむるの不利こそあれば、いかなる事情に迫るも謹んで黙して、当局者に自由の運動を許し、その「挙一動もこれを賛成して、陰に陽に国民の身に叶うだけの助力を与えざるべからず。
なおその上にも今度の事が終局に至り、果して我が国、全勝万々歳を唱えたる処にて、その功名は誰に帰すべきやと云えば、在朝文武官の功名にして、彼等は揚々自得してひとり栄誉を専にし、民間に労したる者は労して大なる報酬もなく、俗に云う犬骨折って鷹の功名となるのみか、喉もと通れば熱ぎ忘るるの喩えに洩れず、当局者はますます横風に構え、
今度民間の者どもをして、かくまでに奮発せしめたるも、実は乃翁等が方寸の謀を運(めぐ)らしてかように鼓舞したるが故なりなど、取っても付かぬ大言を放つこともあるべし。これも浮世の常にして、今の我が国情に免るべからざる所なれば、早く銘々に胸算を決し、今日の苦労はもとより橡の下の力持ちなり、犬の骨折りなり、犬にても猪にても苦しからず、私情を脱して国に報ずるは国民の分なり、眼中物なし、ただ日本国あるのみと観念すれば、他日の失望はなかるべし。
卑劣なる心を以って報酬など望めばこそ失望もあるべきなれども、初めより望みなきものには失望の憂いあるべからず、その辺も国民の今より特に覚悟すべき所にして、我輩の目的はただ戦勝に在るのみ。
戦争に勝利を得て、我が国権を伸ばし、轟々同胞の日本国人が世界に対して肩身を広くするの愉快さえあれば、内にいかなる不平不条理あるもこれを論ずるに遑(いとま)あらず、あくまでも現政府を助けて、その運動を自由ならしめ、政略、軍略ともに一点の非なきものとして、これに賛成せざるべからざるなり。
第三、人民相互に報国の義を奨励し、その美挙を称賛し、また銘々に目から堪忍する所あるべし。人々の心の同じからざるはその面の異なるがごとくなれば、今度の一大事に就いて銘々一分の力を尽さんとするは、国民の本来に於いて同一様なるも、その尽力の方法
に至りては異なる所なきを得ず、既にその法に異同あれば、人情の常として己れと方向をともにする者の多からんことを欲するも、勢いに於いて免るべからず。
或いは身を致して従軍せんとする者あれば、文書、演説以って人気を引き立てんとする者あり、或いは私金を投じて軍資を助けんとする者あり、品物を贈りて軍人を慰めんとする者あり、医師、看護人は患者、負傷者のために労し、神宮、僧侶は戦勝を祈る等、車差万別おのおの趣きを異にすれども、その国のために寸志を尽して我を忘るるの誠に於いては、まさしく同様なるが故に、たとい隣の人がいかなる挙動して、いかなる言論するも、いやしくもその言行の目的を誤らずして、国家のためにするものとあれば、傍らよりそれこれと非難することなく、事の種類を諭せず、その方法を問わず、すべてこれを美挙としてますます奨励し、ますます称賛して、天下一人も同感者の多からんことを求むべし。
前に云える千髪一鈎を繋ぐとは、この辺の意味なり。そもそも人間の性質は至極公平なるものにして、社会全般の事実に現わるること多しといえども、また一方よりその局部に就いて見れば、人々の愛憎もあり、妬む心もあり、羨む心もありて、他人の企てたる事は兎角自分の意に叶わざるの情なきにあらず。
何某の発意には従い難し、誰が魁(さきがけ)したるゆえにもはやこの方はその跡に附くべからずなどと、その事柄の得失をば云わずして、その発企者の誰彼を評論し、それも忌なりこれも不同意なりとて与すべき事にも与せずして、ついに機会を誤るのみか、自分が機会に後れたるの非を遂げんとして、かえって他人の事を悪しざまに言い倣し、浸語、放言、無責任なる冷評を逞しうするものなきにあらず。
凡俗世界の細俗事には、往々その事例を見ること多しといえども、今度の一大事に就いては自ら趣きを殊にし、事の大小軽重に論なく、すべて国民の誠意誠心を表わす所にして、世間かつて右等の俗気を含む者なきこそ快き次第なれ。
稀れに或いは俗論の聞ることあるも、愛国の士はこれを意に介せずして、各自相応の本分を尽すは勿論、なお一歩を進めてその俗論者に近づき、丁寧反覆説諭を加え、堪忍に堪忍して願うがごとく拝むがごとくにしても、各々尽す所に尽さしめんことを勉めざるべからず。
いかんとなれば、一国民が国の大事に当りては、その身は既に国に致して無我の境遇に居る者なり、無我の身を以ってするときは、忍んで忍ぶべからざるものなければなり。
上来縷々述べたるごとく、今回の大事件の終わるまでは、官民共に政治上の恩讐を忘れ、政府に向かって多少の不満あるもいっさいこれを言わずして、ひたすらその政略、軍略を賛成し、民間相互に愛国の義を奨励して、かりそめにも私に人と争い、また人の気を挫くことなく、日本全国を真実一団体の味方として外敵に当らんとするものなれば、その間の細事情に着眼して、これを恩いそれを懐うときは、公けに私に不平不満の数々際限なかるべし、我輩に於いてもこれを知らざるにあらず、否、はなはだよくこれを知るといえども、
喩えば、父母の大病中に兄弟喧嘩いっさい無用なるがごとく、百般の議論理窟は外戦病全快の上の事にして、それまでの処は呼吸を凝らしてただ一方に全力を尽さんこと、我輩のくれぐれも願う所なり。
関連記事
-
-
『Z世代のための近代史復習問題』★『<ロシアの侵略防止のために、山県有朋首相は『国家独立の道は一つは主権線(日本領土)を守ること、もう一つは利益線(朝鮮半島)を防護すること」と第一回議会で演説した』(国家リスク管理/「外交政略論)
2016/04/20/日本リーダーパワー史(701)/日中韓150年史の真実(7 …
-
-
『日本戦争外交史の研究』/『世界史の中の日露戦争』⑬『開戦4ヵ月前の英タイムズの報道』ー『「緊迫する極東」ーロシアは戦争もあえて辞さない。日本は中国との 最初の勝利に刺激され,帝国主義の熱狂に鼓舞され,際限もなく得意になって,世界競争に突入した』●『これは手ごわい同盟(日中)であり,黄色人種の団結,ヨーロッパ支配の中止を必至とし,やがてはフンやモンゴルの先例にも似た侵略の野蛮な喜びをも招来しかねない。』
『日本戦争外交史の研究』/『世界史の中の日露戦争』⑭ 1903(明 …
-
-
『オンライン/明治外交軍事史/読書講座』★『森部真由美・同顕彰会著「威風凛々(りんりん)烈士鐘崎三郎」(花乱社』 を読む④』★『川上操六は日清戦争は避けがたいと予測、荒尾精の日清貿易研究所を設立しで情報部員を多数養成して開戦に備えた』
2015/12/23 2015/12/27日本リーダー …
-
-
日本世界史応用問題/日本リーダーパワー史(273)-『ユーロ、欧州連合(EU)の生みの親の親は明治のクーデンホーフ光子(青山光子)①』
記事再録/2012/07/01 / 日本リーダーパワー史 …
-
-
★10人気リクエスト記事再録/日本リーダーパワー史(869)『真珠湾攻撃から70年―山本五十六のリーダーシップ』ーー最もよく知る最後の海軍大将・井上成美が語る「秘話」ー
リーダーパワー史(869) 2011/09/27執筆<日本リーダーパワー史(19 …
-
-
知的巨人の百歳学(113)ー徳富蘇峰(94歳)ー『生涯現役500冊以上、日本一の思想家、歴史家、ジャーナリストの健康長寿、創作、ウオーキング!』
徳富蘇峰(94歳)ー『生涯現役500冊以上、日本一の思想家、歴史家、ジャーナリス …
-
-
「ニューヨーク・タイムズ」が報道した「日韓併合への道』の真実㉔『ラッド博士による弁明ー『伊藤侯爵の朝鮮統治ー『韓国での外国商人は保護国に満足』『現閣僚の開明派は暗殺の目標に』
「 英タイムズ」「ニューヨーク・タイムズ」など外国紙が 報道した「日韓併合へ …
-
-
★『日本戦争外交史の研究』/『世界史の中の日露戦争』③―「1903(明治36)年1月3日 付『英タイムズ』『満州とロシア鉄道』(上)『日本外交の失敗は三国干渉を受諾した際、三国は返還した遼東半島をその後占領しない旨の一札をとっておれば,その後の東アジアの戦争は起きなかったであろう』●『このため、3年もたたないうちに,ロシアは日本を追い出して満州を軍事占領した。』
『日本戦争外交史の研究』/『世界史の中の日露戦争』③ 1903(明治36 …
-
-
★5日本リーダーパワー史(780)―『明治以降、日中韓(北朝鮮)の150年にわたる対立、紛争、戦争のルーツは『朝鮮を属国化した中国」対「朝鮮を独立国と待遇した日本(当時の西欧各国)」とのパーセプション、コミュニケーションギャップの衝突である』★『 明治9年の森有礼と李鴻章の『朝鮮属国論』の外交交渉の見事なすれ違いにルーツがある』
★5日本リーダーパワー史(780) 明治以降、日中韓(北朝鮮)の150年にわた …
-
-
明治150年「戦略思想不在の歴史が続く⒂」-『明治維新を点火した草莽崛起の革命家・吉田松陰⑶』★『言葉だけの武士、政治家、学者を最も軽蔑していた』★『辞世の句は「此程に思ひ定めし出立を けふきくこそ嬉しかりける」享年30歳』●『身はたとえ 武蔵の野辺に朽ちぬとも とどめおかまし大和魂』
松下村塾の塾生の松蔭の人格を語る 松陰の性格、人柄は謹厳実直、厳格ではと思われる …