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世界史の中の『日露戦争』⑨『ついに開戦へーロシアの異常な挑発に模範的な礼儀と忍耐で我慢した日本』『タイムズ』

      2015/01/01

 『日本世界史』シリーズ

 

世界史の中の『日露戦争』⑨-英国『タイムズ』

米国「ニューヨーク・タイムズ」は「日露戦争を

どう報道したか」を読む⑨

 

『ついに日露戦争開戦へ』―

6ヵ月間のロシアの異常な脅迫、挑発に、世界も驚く

模範的な礼儀と忍耐で我慢し続けてきた日本がついに

起った。英米両国は日本を支持する」

1904(明治37)年2月8日『タイムズ』<開戦日>—

 

ペテルプルグと東京から重大ニュースが届いたが,読者はだれもこれに驚かないだろう。ロシアの政府公報は昨日,ラムズドルフ伯爵が土曜日付で同国の海外駐在代表にあて,対日国交断絶を発表した回状電報を掲載した。

駐ロシア日本公使栗野氏がラムズドルフ伯爵に提出した覚書は,日本政府がロシアとの交渉を打ち切り,同公使および公使館員全員をロシアの首都から召還することに決定したと通告している。

 

ロシア皇帝もこれに対抗してローゼン男爵以下同国公使館蹄に東京から遅滞なく引き揚げるよう命令した。これに加え.本紙東京通信員の報じるところによれば,日本の外相小村男爵は土曜日にローゼン男爵に会見を求め,交渉をこれ以上続けてもむだなことが明白だから,日本は今後自国の利益の命ずるところに応じ独自の行動をとることを余儀なくされようと通告した。

これらの措置は国際法的には宣戦布告には至らない。しかし,ローゼン男爵は日本側の友好をかち得て,誠意ある平和派であることを証明しており,出発予定日の前日の木曜日に天皇に謁見する予定であるとはいえ,今や戦争は不可避であると信ずべき理由はあまりに

もはっきりしている。

実際、すでに両国の陸海軍当局に対し行動の自由が与えられていることが確実と見られる。ラムズドルフ伯爵はもちろん,今後いかなる事態になろうとも,その責任は挙げて日本側にあると非難しているが,彼がこの厚かましい非難を行える唯一の理由は,ロシア側が覚書を「過去数日間に発送したのに」日本側がその到着を待たなかったというものだ。

 

 

異常な挑発の状況下で,6か月間も模範的な礼儀と忍耐を尽くしてロシアと交渉し続けてきた国が,紛争の平和的解決の努力を全うできなかったとしても,その国に責任があると公平な観察者に納得させるには,ラムズドルフ伯爵の言分では不十分だ。

 

近く日本が両国政府間に交わされたやりとりを公表するのは間違いない。そうすれば,もし戦争になるなら,その責任が日本にないことを,その内容が論議の余地なく証明するだろう。交渉の全容が明らかになる前の現在ですら,われわれは責任がいずれにあるか,ことにラムズドルフ伯爵が,ロシアの回答を待とうとしなかった日本にあると陰険にも主張しているのを粉砕するに十分な証拠を握っている。

 

 

両国を戦争の瀬戸際に立たしめたのは日本でなくロシアだと証明するには日付だけをとっても十分だ。日本が113日にロシアに最後の覚書を送ってから4週間近くになる。それを受け取ってからこの方,ロシアは日本の最小限の要求が何かを百も承知だった。要求は明瞭確実に記述され,しかも覚書自体が,それらの要求は譲歩,変更の余地なしと明記していたのだ。日本がそもそもその覚書を送るという穏便さを示したことに各方面が驚いた

 

ロシアが日本のそれまでの提案を拒否した時点で,日本は.今行ったことを当時行い,相手が誠意を持って応じていないことが歴然としていた交渉を打ち切るだろと思われていた。

日本の平和への熱意がシアにもう1度その立場を再考する機を与えることにさせたのだ。

その機会をロシアはいかに利用したか?何週間も,日本から連絡があったことを正式に認めるふりすらせずに放置したのだ。栗野男爵は本国政府の訓令により,くり返しロシア側に事態の緊急性への注意を促すとともに,回答を急ぐよう懇願した。これをロシア側は急がなかった。

 

欧米の新聞界の手先を通じて,最も和解的な雰囲気の回答を準備中であり,その内容は大幅な対日譲歩を含むものになろうとの情報を広めた。同じ経路を通じて,回答が遅れているのは文書の起草に異常に気を使っているからだと,幼稚な報道を流したが,その文書とは,日本の覚書が明示したように「イエス」か「ノー」かだけでよかったのだ。この種の手管は,ロシア外交の独特のやり方に精通している天皇の練達の政治家には通用しなかった。

 

ペテルブルグで10日前,特別評議会が開かれてなお回答が来ないと分かるや,天皇の側近と元老一一近代日本を作った人々の生き残り-らは会合し,ロシアは陸海軍の準備に狂奔していることを隠すため,これまで一貫して実行してきた引延し戦術を続けているに過ぎないと意見一致した。

ロシアが最も有利に戦争を仕掛けてくる準備が整うまで,回答を待つべきだろうか?日本側が待つ義務はないと判断したから,戦争開始の可能性を招いた責任は日本側にあると,ラムズドルフ伯爵は非難しているのだ。

 日本側は自分の要求が異例なほど穏当であることを自覚していただけに,ロシアの沈黙に最悪の解釈を加える理由があった。

 

バルフォア氏がロンドン市庁舎で日本の「穏健,分別,判断力」に信頼を表明したことは間違ってはいなかった。その要求は,ロシアがこれ見よがしの甘言を込めて公言し続けている平和への誠意を真に抱いていたなら,1日たりとも受諾をためらうはずのものではなかった。忘れてならないのは,日本側はロシアの最近の極東政策全般に憤激するもっともな理由があったことだ。

 

ロシアは満州に強国が居座れば東アジアの平穏に脅威となるとの口実で,日本を苦労してかちとった占領地から追い出した上,自らその占領地を抑え,さらに広大な領土をも取って,その口実の空虚なことを証明したのだった。

 

さらに列強に対し,満州占領は一時的なものに過ぎないと進んでくり返し保証した。中国と撤退の日付を厳粛に確定した協約に調印し,これを破った。ロシアの満州軍事占領は朝鮮の戦略的安全に直接の脅威を及ぼすもので,朝鮮は日本にとって,単に将来の開発のためだけでなく,同国の沿岸を侵略から守るためにも,第一級の重要性を持っている。満州はまさに-日本がラムズドルフ伯爵の回答を待っている間にも-朝鮮自体,特に鴨緑江流域における軍事行動のための基地としてすでに使われていたし,その行動は日ごとに規模を拡大しつつある。

 

こうした状況下では,日本の要求が強硬になっても不思議ではなかった。だがその要求は.明らかにされれば,世界を驚嘆させるほど穏当なものだったと,われわれには信ずるに足る理由がある。

 

日本はロシアに,約束を履行して,同国が考慮するそぶりを見せた偽りの満州撤退を実行することを求めたことすらなかった。ロシアが占領中の満州のどの1地点からも1兵たりとも動かすことも求めたことはなかった。ロシアが1兵たりとも動かすと約束するよう求めることすらしなかった。ロシアが脅迫,汚職.そのはかいかがわしい方法で中国からゆすり取った多大の権利の1つすら放棄することも求めなかった。日本がロシアに対し求めたのは,両国の協定によって中国と朝鮮の保全と独立を承認することだけだった。

 

ロシアは何度も,それが同国の大原則の1つだと宣言してきた。同国に誠意があるなら,拘束力のある,間違いのない形で,そう誓約することをなぜためらうのか?ロシアの手先どもは,そんなことは同国の威信を傷つけると主張する。

 

イギリスとフランスはシャムに関しよく似た協定を結ぶことで名誉を損なわれたと少しも思わなかったが.ロシアの威信感覚は英仏より織細なのだろうか?

 ドイツ帝国議会の「与党」中央党の有力機関紙の1つであるケルニッシェ.フォルクスツァイトゥングは,日本が主張しているのは,義和団事件に介入したすべての国の名誉の問題に過ぎないとの見解を示しているが,これはまことにもっともだ。日本はロシアが.直ちに履行を迫られない形で気前よく乱発してきた約束のわずかな一

部を,改めて拘束力のある形にすることを求めているだけだ。

 

ロシアが自らを戦争の危険にさらすことなしには破ることができない保証を与えたがらないことから,何が推察されるか?答は明白であり,日本は答を引き出したのであり,正しく引き出したのだ。

 

ロシアは日本の請求が法外だとの報道を広めてきたが,それらすべては近く文書公開によって根拠がないことが示されるだろう。日本が,馬山浦の要塞化とか,朝鮮沿岸の自由航行を脅かすようななんらかの措置をとる権利を要求したとかいうのは真実ではない。それどころか日本は,同沿岸のいかなる部分にも戦略的優位を求めないことを約束する用意があると表明したのだ。

 

日本がロシアに対し,朝鮮において認めることを要求した権利は2種類だけだ。それらは,いかなる国も自国の利益の防衛に当然主張し得る権利か,またはロシアが朝鮮問題に関し日本と1896年と1898年に結んだ協定の中ですでに原則的に認めている権利だ。

日本政府はその請求を最も厳密な節度の範囲内にとどめた。それを,単純明快な回答の余地と必要のある形式で表明した。

 

その回答を何度も迫ったが,4週間近くも得ることができない間に,相手が新たな兵力と新たな艦船を日ごとに急派しているのを見た。日本政府はこの状況下で,ロシアを,その公式発言によってではなく,その行為によって判断したのであり,世界も,英米両国が必ずそうするであろうように,日本がロシアを正しく判断したと認めるだろうと,われわれは信ずる。


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