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『Z世代のための最強の日本リーダーシップ研究講座㊱」『120年前の日露戦争勝利の立役者は明石元二郎と金子堅太郎』★『金子は米国ハーバード大学出身で、同窓生のルーズヴェルト米大統領を日本の味方につけた<金子工作>』★『「明石元二郎大佐による「帝政ロシア破壊工作の<明石工作>の謎を解く』

   

 

『金子工作』『明石工作』と日露インテリジェンス戦争の内幕

 

日露戦争は、近代日本が国の存亡をかけた絶体絶命の一戦だった。

ロシアとの国力差(面積六十倍、国家歳入八倍、陸軍総兵力十一倍、海軍総トン数一・七倍)は、太平洋戦争開戦時の日米差よりはるかに大きい。約二百六十年の鎖国を解いて世界デビューしたばかりのアジア極東の島国。日本の存在など、世界はほとんど知らなかった。その新興貧乏小国がいきなり超大国ロシアに戦いを挑んだのだから、世界は驚愕し注目した。

「巨大シロクマ」に挑む「イェローモンキー」に勝ち目はあるのか。かつて大津事件で顔を斬られたロシアのエコライ皇帝は、「あの子猿が朕に戦争を仕掛けるなど想像もできない。帽子の一振りでかたづける」と一笑にふした。開戦八ヵ月前に敵前視察に日本を訪れたクロパトキン大将も「日本兵3人にロシア兵1人で間に合う。戦争ではなく、これは軍事的散歩みたいなもの」と問題にしていなかった。

ョーロッパ各国も、ナポレオンまで破った最強のロシア軍に日本はすぐやられてしまうだろう、と思っていた。大人対子供、白色人種対黄色人種の戦争、ョーロッパ列強対アジアの小国の戦争であり、過去三百年負け続けていた有色人種の国がまさかロシア相手に開戦するなどとは、誰も予想だにしなかつた。

明治三七年(一九〇四)二月四日、日露開戦を決定する御前会議が開かれた。

明治天皇は十日ほど前から、苦悩のあまりに食事ものどを通らず、眠れぬ日が続き、前夜も一睡もしなかった。伊藤、山県、松方正義、井上馨、大山巌と、政府から桂太郎首相、山本権兵衛海相、寺内正毅陸相、小村外相、曾禰荒助蔵相が集まり、午後一時四十分から開かれた御前会議は夕刻まで続き、開戦が決定した。

伊藤枢密院議長は御前会議を終えて帰宅すると、すぐ自邸に腹心の金子堅太郎(元農商務大臣)を呼んで、アメリカ行きを命じた。金子は米国ハーバード大学の出身で、ルーズヴェルト大統領とは同窓生で、多くの友人がアメリカにいた。伊藤は、金子のルーズヴェルトコネクション、 ハーバード人脈を使って、世論工作とルーズヴェルトの早期の和平斡旋を計画した。また、ヨーロッパにも女婿の末松謙澄(前内務大臣)を派遣して、世論工作にあたらせた。これが「金子工作」といわれるもので、伊藤博文の卓越した外交インテリジェンスが示されていた。

金子堅太郎の語る「日露戦役秘録」(博文館。1929年刊)

児玉総参謀次長は連日、参謀本部に泊まりこみで作戦を練っていた。

①長期戦になると勝ち目はないので先手必勝、短期決戦でいく。六対四くらいの勝負で、早期に講和に持ち込む。

②ロシアは面積世界一の大国なので、遠く離れた戦場の満洲、シベリアなど極東のロシア領上の一部を占領されても、痛くも痒くもない。ロシアの心臓部のヨーロッパロシアで、国内に火をつけて内部撹乱、反乱を起こす両面作戦を展開する。「明石工作」である。

ここから明石大佐のインテリジェンス戦争(諜報謀略戦)がスタートするが、まず、明石元二郎の経歴についてみておこう。

  • 明石元二郎の「落花流水」、縦横無尽の活躍

  • 明石元二郎は一八六四年(元治元)九月に福岡市で生まれた。父が早逝したため、極貧の中で母・秀子から「死を恐れず恥を恐れよ。卑屈になるな。金銭は卑しいもの」と厳しく育てられた。

一八八七年、陸軍幼年学校に入学、成績は上位でフランス語はトップだった。九四年、ドイツヘ留学。翌年、日清戦争従軍のために留学を中断して帰国。九七年、参謀本部第二部員(歩兵大尉)となり、川上操六次長に可愛がられた。九八年二月、川上は参謀総長に就任し、川上の命令で明石はフィリピンに偵察を命じられした。スペインの植民地だったフィリピンで独立運動が起こり、アギナルド将軍が決起した。ァメリカが艦隊を派遣して弾圧、フィリピンを米植民地にした。その植民地の惨状を目の当たりにして明石は衝撃を受けた。

九八年一〇月、川上参謀次長による台湾、仏領インドシナの五ヵ月間にわたる視察調査団が編成。川上団長、伊地知幸介第二部長、村田惇副官、福島中佐、明石少佐で、川上が明石を高く評価していたことがわかる。

九八年二月、川上は参謀総長に就任し、川上の命令で明石はフィリピンに偵察を命じられした。スペインの植民地だったフィリピンで独立運動が起こり、アギナルド将軍が決起した。ァメリカが艦隊を派遣して弾圧、フィリピンを米植民地にした。その植民地の惨状を目の当たりにして明石は衝撃を受けた。

九九年五月、川上参謀総長が急逝し、後任に大山巌が就任した。一九〇一年一月に明石はフランス公使館付武官としてパリヘ。パリは前年に盛大な万国博覧会を開催し、ェッフェル塔ができた直後であった。パリではフランス語を独学で猛勉強した。

日露開戦の二年前の一九〇二年八月、ロシア公使館付武官としてペテルブルグに赴任。これは当時、内相兼台湾総督・児玉の人事だった。明石はここでロシア語を一からやり直して勉強して、諜報活動に当たった。

一九〇四年(明治三十七)二月八日、宿命の日露戦争が勃発した。その直前、児玉参謀本部次長から「至急ストックホルムに行き、不平党(ボルシェビキ=反ロシア運動の革命家)たちを扇動して、同時にポーランド人を利用して武力闘争を起こせ」との極秘命令を受けた。

ここから明石大佐の戦いがはじまるが、この極秘作戦の全容は、日露戦争終結と同時に帰国して、一九〇四年に参謀総長あてに提出した「復命書」(落花流水)に詳細に記録されている。

『落花流水』は、日露戦争の最重要史料であり、陸軍部内ではトップシークレットで、その後、参謀の教育用に長く参謀本部で利用されていた。

「落花流水」から明石のスパイ構築網をみていくとにしようー。

日本側は明石を送り込むと同時に、諜報体制をいち早く築いた。開戦直前に参謀本部、海軍軍令部が外務省を通じてロシア情報収集のため「密偵者(スパイ)」採用を要請すると同時に、小村寿太郎外相は一月十二日、ロシア、オデッサ、ウイーン、パリ、ベルリン、ストツクホルム、ハーグの各国公使や領事あてにスパイの雇い入れを指示、現地でそれぞれ大学教授,新聞記者、元ロシア軍人らと面談、チェックしたうえで採用した。

報酬は月五百円、百ルーブル(実費は別)、千から三千ルーブル、ロシア派遣の場合は六千フランなどを仕事の内容によって支払った。スパイには具体的な調査項目として「ロシア陸海軍に関する事」「財政及び一般経済」「ロシア国内有力者の動向」「宮中及び政府部内における政権争奪の模様」「ベゾブラーゾフ一派の進退ならびにヴイツテ派の勢力回復の動き」などを指示してスパイさせた。

開戦直後、明石は戦時用の暗号を作成し、ロシア人将校を五百円で買収した。ロシア人三名をスパイに雇ってシベリア鉄道の情報を得るために配置して、スウェーデンのストックホルムヘ飛んだ。ここで参謀本部付(ヨーロッパ滞在)に身分を変え、私服で諜報・潜行した。

ロシア国内や周辺国での反戦、反政府運動の火に油を注ぎ、テロ、暴動、革命へ誘発する政治情勢を扇動するために、ロシアの植民地にされ圧政に苦しんだフインランドやポーランドの独立運動家と接触した。

もともとロシアは力まかせに周辺国を征服、併合、植民地にしており、フィンランド、エストニア、ラトビヤ、リトアニア、ポーランド、ウクライナ、コーカシア、ァルメニア、トルコなど少数民族を含めてその数は数十にのぼり、数十年にわたって激しい独立運動、反ロシア運動が続いていた。「敵の敵は味方だ」との戦法で、周辺民族の独立運動家、革命家との共同戦線を模索していった。

  • フインランド革命党党首シリヤクスと組んだ「明石工作」

すぐ亡命していたフインランド憲法党の指導者カストレンと接触し、フインランド革命党の党首シリヤクス(日本に滞在歴のある日本研究家で当時西欧では数少ない親日家)紹介され、盟友関係となり、資金提供を約束した。全ヨーロッパの革命運動家に幅広い人脈をもつシリヤクスは、明石とともにロシア打倒に奔走した。

ポーランドの革命家たちとのパイプもつながり、同年二月、ポーランド社会党執行委員から林董(ただす)駐英公使に対し、ポーランド人による反ロシア工作の提案があった。極東戦線へ送り込むロシア増援兵要員のポーランド青年の徴兵や動員に反対する暴動がポーランド各地で頻発し、ロシア軍約二十万人が釘づけとなり、極東へ増援できなくなってしまった。

七月には、それまで革命家、反政府活動家たちを徹底して弾圧していたロシア内務大臣・プレーヴエが馬車ごとダイナマイトで暗殺された。明石は、ロシア内外の革命グループとのネットワークづくりに成功し、七月末、シリヤクスとともにスイスに行き、ロシア社会民主党のレーニンやプレハーノフ、エスエル(社会革命党)のアゼフ、ユダヤ系の革命組織。ブントやアルメニアの民族運動家たちにも工作。シリヤクスの助言でロシア革命派を大同団結させ、反ロシア闘争を活発化させることに成功した。

十月にはパリでシリヤクスを議長として、ロシアと抑圧されている各民族の革命派が一堂に会し、各党派はそれぞれの手段方法で反ロシアの戦いをおこなうことを決議した。明石は、闘争資金、武器購入について援助を約束した。

一九〇五年一月、難攻不落といわれた二〇二高地がついに日本軍の手に落ち、旅順は陥落した。この時、レーニンはボルシェビキの機関紙『フペリョード紙』第二号(一月十四日付)の「旅順港の陥落」で、「ヨーロッパ諸新聞が、全部こぞって、難攻不落の折り紙をつけた旅順港、要塞を、ちっぽけな、今まで誰からも馬鹿にされていた日本が八ヵ月で攻略してしまった。この降伏はツァーリズム降伏の序曲である」と書き、日本に対して「神秘的な、うら若い少年のような力」と称賛し、「進歩的、先進的なアジアは、立ち遅れた、反動的なヨーロッパに癒やし難い打撃を加えた」と高く評価した。

一月九日、サンクトペテルブルグで、ロシア正教会司祭のガボン神父の率いるロシア宮廷への六万人もの請願行進に対して、政府軍が発砲、弾圧し、約千人以上が流血する大惨事「血の日曜日」事件が起きた。こうして、反ロシア、ツァー(専制君主制)打倒の革命の火が大きく燃えあがっていった。

五月に日本海海戦でバルチック艦隊が壊滅すると、六月末にはロシア海軍の誇る最大・最強の戦艦「ポチョムキン」で、水兵による反乱が勃発し、ロシアを席巻する革命の気運は皇帝の軍隊にまで及んできた。

同月、ペテルブルグで武装蜂起させるために明石とシリヤクスは銃一万五千挺、弾丸二百万発を購入することに成功し、ロンドンで輸送船「ジョン・グラフトン号」に積載し出港させ、船はバルト海を北上した。ロシアのヴインドゥで武器の一部を降ろし、トルネオ・ヤコブスタットでも陸揚げしたが、ラタン地方で座礁。残された武器は没収されてしまう。

こうした反乱分子の武装蜂起を支えた陰に日本の諜報活動があったことにロシア政府は大きな衝撃を受け、ロシアを講和のテーブルにつかせる大きな圧力となったことは言うまでもない。九月五日にポーツマス請和条約が締結された。明石工作は打ち切られ、十一日には明石に参謀本部から帰国命令が出された。

このような明石工作には、当時日本の国家予算二億三千万円のうち、合計百万円が山県有朋らの決断で支給され、明石はこのうち二十七万円を使わずに持ち帰り返還した、という。

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