『Z世代のための最強の日本リーダーシップ研究講座(40)』★『日本海海戦』★『敵艦見ユトノ警報ニ接シ、連合艦隊ハ直ニ出動、コレヲ撃滅セントス、本日天気晴朗ナレドモ波高し(秋山真之)』
バルチック艦隊の航行偵察で大活躍した三井物産上海支店総監督・山本条太郎(39歳)

山本はバルチック艦隊の航行偵察で大活躍した。日露戦争の最後の勝敗を決したものは、遠くヨーロッパのバルト海から出撃したバルチック艦隊は希望峰をまわり、英国の妨害で遅れに遅れながら一近づいてくる。こバルチック艦隊の現在位置とその航路である。フランス領のカムラン湾(現在のベトナム)を出発して後、この艦隊がどの航路を通るのか。対島海峡か、津軽海峡か、宗谷海峡か、この針路を確認が、日本海軍の生死を分ける。
この時、山本丈太郎はシンガポールまで偵察網を広げ、物産と関係ある商店、船会社などと連絡をとり、外国船の船長―水先案内などを懐柔して、たえず情報を蒐集し、直ちにこれを海軍に速報、その急電報は数百通にも達した。
バルチック艦隊がいよいよ日本近海に近づいてきたとき、山本は自ら「小蒸汽船プアルカン号」に乗って北マレー島付近をパトロールし、寝食を忘れて同艦隊の航路を偵察し、その内容は逐一、上海支店を経由―三井本店―海軍当局に通報した。この山本情報でバルチック艦隊の対馬海峡通過が確認された。日本海軍も日本海海戦の周辺海域に網の目状に哨戒、偵察艦を配置し、すべてに無線機を配備してバルチック艦隊の一刻も早い航行地点の把握に全力を挙げた。
「哨戒任務に当たっていた信濃丸が、バルチック艦隊を発見」
五月二七日未明、哨戒任務に当たっていた信濃丸が、バルチック艦隊を発見、「敵ノ艦隊、二〇三地点ニ見ユ、時ニ午前四時四十五分」との暗号電報を発した。
この無電が第三艦隊旗艦「厳島」にキャッチされ、朝鮮半島南端の鎮海湾にいた旗艦三笠へと転電されたため、司令長官東郷平八郎のもとには約二〇分後の午前五時五分に到着した。一〇年前の日清戦争で日本軍は初めて電信を活用したが、平壌陥落の情報は現地から大本営までに六時間二〇分を要したのと比べれば無線通信のスピードが二十倍に向上したことがわかる。
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歴史的な瞬間を三笠司令部の参謀は次のように伝えた。
「厳島から三笠に転電した無線電信が入ってくる。いよいよ来たな、お互に思わず『おめでとう』とあいさつする。『今度は本当だろう』『いい時刻に来たものだ』後甲板はにわかに気色立った。東郷大将は前衛に敵艦の位置を報告すべく命じ、第一、第二艦隊に対し『敵第二艦隊見ゆ、直に出港用意総汽関に点火せよ』と命令がくだされた」
午前六時の出撃にさいして、東郷司令官は東京の大本営に、
『敵艦見ユトノ警報ニ接シ、連合艦隊ハ直ニ出動、コレヲ撃滅セントス、本日天気晴朗ナレドモ波高し』
と打電した。
この電報は近くの望楼の無線機に伝えられ、海底ケーブルで陸上電線によって東京へ送られた。
日本海海戦中、最も多くの電文を受信し、傍受したのは軍艦「出雲」である。五月二七日は一一七通、二八日は百十二通、二九日は六五通にのぼっており、戦況の推移がどの艦船にも手にとるようにわかるという無線通信の威力を示した最初の大海戦となった。
東郷司令長官は六月二〇日に第一発見の「信濃丸」に感状を送った。旗艦三笠の秋山真之中佐も木村駿吉技師に感謝の手紙を送った。
『日本海海戦の大勝は兵器の効能もすこぶる大きなものがありますが、中でも無線電信機の武功は抜群なりについては小生等の深く貴下に感謝するところです。信濃丸の電信を感受したる我々の歓喜はたとえようもありませんでした。
司令部員がこの海戦において奉公の応分を尽し得たりとすれば、その武器は無線電信機と鉛筆と二脚機であり、特に貴下に対し深厚の謝意を表するゆえんです」
日本の陸海軍のトップリーダーたちの世界最先端技術の開発、導入のスピードを昭和戦後、「失われた平成30年」を比較するといかに明治のリーダーたちにインテリジェンスがあったかがわかる。
- バルチック艦隊は無線通信を全く活用していなかった。
日本海海戦前後に、バチック艦隊は艦隊内でも無線通信をおこなわず、日本艦隊の通信に対しても妨害をくわえなかったことに、日本側は驚いた。
その原因については、前掲「海軍無線史」によると、ドイツ側から出たらしい話として、バルチック艦隊はロシア本国を出発する前にドイツテレコム会社から無線電信機を購入して装備して、ドイツ技師を乗り込ませて通信の任務をさせていたが、艦隊がマダガスカルに来るまでにドイツ技師は、同艦隊の軍紀の乱れに愛想をつかし、このまま乗っていてはどうなるかもわからないと不安になり同島で離艦したという。
この逃げ出したドイツ技師をロシア兵たちはネズミが逃げ出したと軽蔑したというから、ロシア側は情報通信の重要性を全く理解していなかったのである。今回のウクライナのITデジタル戦争に対してロシア側は20世紀のアナログ戦争で敗れたのと同じであろう。
当時のロシア側のインテリジェンスや通信技術は、英国、米国にくらべて大幅に立ち遅れていた。日露戦争直前、ロシアの植民地になっていた満洲で日本の軍事諜報員がごく近距離に打った電報が届くのに四日もかかったり、その内容も間違いだらけだった。義和団事件のころ、ロシアが支配していた地域をドイツが代わって占領すると、通信事情は大幅に改善されたというほど、ロシアは伝統的に通信、精密、IT技術に弱い国なのである。
日露戦争の前に英国に次いで米国もサンフランシスコから太平洋を横断してハワイーミッドウェイーグアムーフィリピン間の超長距離海底電信ケーブルを完成させており、この回線を利用して、米国や英国などで外交戦を展開した金子堅太郎や戦費調達の外債発行で奮闘した高橋是清、「明石工作」の明石元二郎の機密暗号連絡も日本政府との間でスピーディに行われた。
この世界的な情報通信網と通信技術、そこにもられた叡智の結集(インテリジェンス)と英米両国の全面的な日本応援が日露戦争の奇跡的な勝利をもたらしたのである
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