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地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

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『オンライン現代史講座・日清戦争の原因研究』★『延々と続く日中韓衝突のルーツを訪ねる』★「『英タイムズ』が報道する130年前の『日清戦争までの経過』③-『タイムズ』1894(明治27)年11月26日付『『日本と朝鮮』(日本は道理にかなった提案を行ったが、中国は朝鮮の宗主国という傲慢な仮説で身をまとい.日本の提案を横柄で冷淡な態度で扱い戦争を招いた』

   

 

  

記事再録

英紙『タイムズ』が報道する『日・中・韓』三国志

<日清戦争はなぜ起こったのか③>英国『タイムズ』1894(明治27)年11月26日付

『日本と朝鮮』(日本は道理にかなった提案を行ったが、中国は朝鮮の宗主国という傲慢な仮説で身をまとい.日本の提案を横柄で冷淡な態度で扱い.日清戦争の衝突を招いた。

<本社特派員記事-東京10月20日>

今や中国軍は朝鮮から完全に姿を消した。中国軍が容易に駆逐されたことは・中国は挑戦を属国として主張しながらも、朝鮮を守る資格が全くないという日本の主張の正当性を立証するものだ。
 

この際、もし、西洋の国.たとえばロシアが日本の立場にあったとしたら.中国はもっと頑強に抵抗しただろう.あるいは中国軍の鴨緑江の向こう側に追い払うことはもっと困難だっただろう,と推定することは妥当だろうか。

 

日本は過去25年にわたり,隣の大国とそれに国境を接するいくつかの小国との奇妙な関係をつぶさに観察してきた。中国はこういった国々を,外国からの影響力の衝撃を和らげる緩衝国として利用しながら、これらの国々がその役割を演ずる際に押しつぶされないように守る意志も力もなかったことを.日本は見てきた。トンキン・安南.ビルマ.シャムと緩衝国が次々に減っていき.残るは朝鮮だけになったのだ。

 

北京の政治家はこういった経験から、なんらかの知恵をつけるべきだった。中世の時代でなら中華帝国の威厳により,その変則的な主張にいくらかの実質的価健が与えられたかもしれないが,19世紀においては,そのような空虚なペテンによって・西洋諸国の侵略を防ぐことはできないということに.中国は気づくべきだった。

しかし中国の政治家たちは歴史を実際的な目で読み取ることをしなかった。朝鮮の場合においても.中国は朝鮮を属国とみなすと同時に.諸外国に対し.朝鮮の独立を主張するという茶番劇を演じ続けた。まもなく中国は,その政策に新たな悶着の種をつけ加えた。中国は朝鮮に諸外国との通商友好条約を結ぶよう勧めたのだ。その小国が条約締結によって生じる利害関係をめぐる争いの中で.安泰であることを望んでいたのだ。

しかし中国は再び自らの経験による教訓を無視した。なぜなら西洋の国との交際を始めた東洋の国は.進歩主義をとるか,それとも深刻な混乱状態に直面するかのどちらかになるということを.中国は忘れていたからだ。依然保守的な中国自身.多くの困難に遭ってきたし.その困難から抜け出すたびに甚大な被害を被ってきた。南も北も領土のかなりの部分を削られ、賠償金を絶えず支払わなければならず・宗主権も少しずつ奪われていった。

もし領土の保全が維持されるとしたら,それは中国が大きいため.多少の災難には比較的影響されにくいからだ。そのような打撃に耐えるには小さ過ぎる朝鮮も,中国の一方の手で諸外国を紹介されもう一方の手で昔ながらの停滞の状態に縛りつけられたとき必然的にそのような目に遭うことになった。

中国が自らの唯一の実質的な進歩的要素である能率的な税関管理を朝鮮こ与えたことが,中国の肩を持つために主張されてきた。中国の税関が完全に外国人の手によって管理、運営、組織されていること、またそれに関する中国の唯一の貢献は.中国自体の大きな便宜と利益のためにそれが存在することを許すという消極的なものであること.そしてそれを朝鮮にまで広めることは,朝鮮における対外貿易の開始によって必要であると同時に.小王国の政府にかなりの税収入をもたらし.中国の朝鮮に対する支配を固めることになるため、お互いにとって好都合なことを思うとそれは奇妙な主張だ。

しかし.中国が自国では進歩というすきを手に取ることを断固拒んでいる一方で,隣国に開明的な傾向を促すということが論理的に期待できるだろうか。中国はそのような矛盾の罪は一切犯さなかった。中国の朝鮮における影響力は保守主義の方向に向けて着実に与えられ続けたのだ。さらに.その影響力は中国のすべての前例を超えた.実質的かつ断固としたやり方で行使された。

ソウルに駐在官が置かれ、朝鮮の内外惰勢に関する着実な、しかし隠れた干渉の制度が始まった。朝鮮の保守的な政治家は.あらゆる開明的な衝動を抑えるために.中国の外交上の同盟を当てにできることにして攻撃的な進歩主義勢力を抑えるために中国の武力を当てにできることをすぐに知った。

中国は保守政権を脅かす反乱を鎮圧するため.5年の間に2回も出兵した。このような隠れた干渉のもとで,朝鮮の統治者たちはあらゆる意味での国家に対する責任の感覚を失い.自分本位の野心を野放しにしたのだ。

貴族階級は,政権獲得をめぐり絶えず陰謀を企てる,相争う派閥の寄せ集めだったが,今や進歩派と保守派の2つの党派に分かれた。進歩派は外国の好意を期待していたが.実質的な援助はなにひとつ得られず.その存在は小さくなってしまった。

そして直接あるいは間接的に中国の支持を受けている保守派が政権を独占した。事態はますます悪化していった。司法.行政いずれの義務も,賄賂によってのみ果たされるようになり.一族の利益が国の利益に優先した。
 

課税が地方官吏の貪欲さ以外の規準を持たなくなった。国民の幸福や国の資源の開発にはなんの注意も払われなかった。個人の責任というものは官吏の間には存在せず,一族の権勢によってすべての悪弊が守られ官位の授受もすべて取り仕切られた。

その間.日本は朝鮮に注目していた。朝鮮の将来についての日本の関心は中国にまさるとも劣らず重大だった。朝鮮は.中国の立場からは.北京への航路を支配するとともに.タタール王朝発祥の地である満州と直接通じており.日本の立場からは.対馬,九州と一衣帯水の関係にある。朝鮮が占有されれば,島国の帝国は大砲の射程距離内で外国と相対することになる。

したがって日本にとって.朝鮮の独立の気運が.その弱体国を守る資格など全くない国の干渉によって徐々につぶされたり,朝鮮の資源の開発が官吏の失政や腐敗によって妨げられたり.絶えず外国の侵略に機会を提供をしている派閥闘争や苦しんでいる地方の暴動か起きたり.要するに.そのどれもが外国の干渉のもっともな口実となるような.行政の無能力や国力の衰退の状態に朝鮮が確実に陥っているということを見るのは.きわめて不愉快なことだった。

その上.こういった概して不穏な情勢は.特有の紛糾の種によって悪化した。日本の現在の朝鮮との関係は.朝鮮の独立を承認し.朝鮮を日本と対等の立場に置くことを明記した条約を出発点としている。

しかし、一日本と朝鮮との付合いにおいて.また日本が自由貿易で最大の市場占有率をもつことから生じた紛糾たおいても.そして多くの在留日本人に関する問題においても.すべての場合.日本は事実上,中国の属国と交渉し.中国代表から命令を受けた官吏と交渉していることに気づいた。

日本は中国の専横で非友好的な干渉を絶えず鋭く感じさせられた。

貿易に対し公式にかせられた破滅的で不法な禁止に対し.補償を得ようとする日本の努力は.中国の駐在官の行動によって妨げられた。そして長々と続いた忍耐の交渉の結果,日本が朝鮮政府に出した最後通告は.李鴻章総督から中国の武力介入という傲慢な脅迫を引き出した。

ついに中国の介入の態度は,きわめて敵意のある野蛮なものになり.その結果.ソウルの保守派の密偵によって計画された日本を舞台にした策略によって.朝鮮人逃亡者(金玉均)が東京から上海へおびき出され.そこで冷酷に暗殺されたとき.中国は暗殺者を処罰するどころか,犠牲者の死体とともに軍艦で朝鮮に移したほどだった。暗殺者は国から名誉を与えられ.死体は残酷なことにばらばらに切断された。

こういったことすべてによって.徐々に激してきた日本の国民感情を正しく認織するには,長年にわたる日本の政策が懐柔と忍耐の政策だったことを思い起こすべきだ。

1882年と1884年.政府の腐敗と保守主義によって助長された朝鮮の暴動を鎮圧するため.中国は軍事力を行使した。
どちらのときも勝利をおさめた党派は日本を進歩主義の頭とみなし.ソウルの日本公使館を攻撃破壊し.公使と随員に苦痛に満ちた屈辱的な退却を強いた。このような侮辱に対し.日本は憤りの感情を少しも見せずきわめて妥当な賠償金で満足した。

しかし.その後の交渉において日本は.中国によって申し立てられている宗主国の核心に触れる権利を協定により獲得した。というのは.1882年に公使館保護のため.朝鮮に軍隊を駐留する権利が認められ.そして1885年.日本は中国と条約を締結し,両国は朝鮮出兵に際し,必ず事前に通告しあうことを誓約したからだ。

 

こうして両帝国は朝鮮に関し,軍事的に対等の立場に立つことになった。したがって中国の影響力のために.日本が朝鮮で経験した妨害や拒絶のすべてが.日本自身の忍苦の記憶と.日本は法律上の権利の問題として,そのような扱いを受けないことを保証されているという意識によって強調されたのだ。

また過去30年間.中国は日本を東洋の原則を破った卑劣な裏切り者とみなし,日本の進歩に向けての努力に対し軽蔑的な
嫌悪の情を示してきたのに対し.日本は西洋文明を取り入れた賢明さの際立だった証拠を示そうといらいらしてきたことも思い
起こすべきだ。

このようにどちらの国も.多かれ少なかれ戦争を引き起こすことになる嫉妬と不快のうっ積した感情を内に秘めていた。こうして今年の6月,再度、朝鮮において,政治家の腐敗と暴政が原因で.彼らの手に余るような暴動が起き.そして朝鮮や支配的党派が.暴徒鎮圧のため中国軍を招き入れたとき.旧来の茶番劇というより悲劇が再び起きようとしているのが日本にはわかっていた。

再び中国は朝鮮へのあらゆる干渉を否認する一方で,その小国の内紛を武力で解決しようとした。そして再び朝鮮の独立の気運は外宮の軍事力の誇示によって鎮圧されようとし.貪欲で腐敗した少数独裁政治のくびきが再び国民の首に固定されようとした。また,朝鮮の自衛力を発展させるという望みはすべて捨てなければならなかった。その結果日本は干渉を決意した。

日本には長い間.干渉の意図があったこと.日本の技師が朝鮮の詳細な地勢図を完成していたこと.そして日本軍が渡らなくてはならないかもしれない川に適した浮き橋を実際に建設していたことなどが,日本について取りざたされてきた。

日本が軍事上の準備をしていたことは疑いがない。準備がなされていなかったとしたら,全くの愚行といえるだろう。20年間.朝鮮問題は常に日本の目の前にあった。

そして20年間,外国の政治評論家たちは,中国の保守主義対日本の進歩主義の戦争が朝鮮で起きるだろうとの日本の政治家の予言を支持してきた。

日本は将来を見越していた。日本は故意に戦争を選んだわけではないが,その選択を迫られる可能性があることをはっきりとわかっており.そういった意味で確かに準備をしていたのだ。

 

さらに日本に対しては.日本の早まった行動が.平和的解決を不可能にしたという非難.そして朝鮮出兵の前に中国の協力を得るためのあらゆる友好的な外交手段をとるべきだったという非難が寄せられた。

そのような議論は.相手が別の国なら妥当だったろう。しかし中国のやり方に精通している人間はだれ1人として.中国が通常の外交交渉によって.朝鮮における改革の計画に着手するよう説得され得るなどとは一瞬たりとも思わないだろう。もし日本が通常の交渉手段に従い.総理衛門にそのような提案を持ちかけたとしたら.日本は言い逃れと妨害との果てしない迷路に入り込んでしまうだけだったろう。

5年あるいは10年を経たあげくに,依然として成果のない交渉を続けているはめになっていただろう。日本は中国のやり方について.少なくとも西洋のどの国にも負けず劣らず明確に理解していた。

朝鮮問題に真剣に取り組み,そして問題解決をいつまでも延ばしている一と紛糾化した問題を制しきれなくなると確信していた日本は.外交上の妨害の手の届かないところに自らを置くような立場.そして中国が協力を拒否したときも.改革の計画を実行できるような立場を直ちにとることを決意した。それが日本の実際的で断固たる態度の初めからの動機だった。

日本は,腹立たしく.成果を生まない優柔不断の犠牲にならないようにしただけなのだ。中国の態度に関する日本の判断が正しかったことは.その後の交渉が証明している。

なぜなら中国に,朝鮮が自由に採否できる助言を朝鮮に提案する意志があると表明する以上のことを仕向けることはできなかったからだ。実に奥ゆかしい茶番劇だ!中国には朝鮮を守る能力がないという日本の判断が正しかったことは.最近の戦闘によって証明された。なぜなら中国軍は.朝鮮各地から不名誉にも追い払われたからだ。

そして日本は.最も有能で老練な政治家の1人である井上馨伯爵を朝鮮に派遭することによって.その小国の行政を改革しようという日本の決意が本物であることを今、証明しつつある。

中国と朝鮮に対する日本の態度についての以上のような摘要は.この重大時に際し.一般の注目に値する。なぜなら日本の内閣総理大臣.伊藤伯爵は戦争直前に北京と東京間で交わされた文書を議会に提出したばかりだからだ。

その公文書によると.日本は朝鮮の「悲しむべき状況」を改善しないままでいることは危験であるとの確信を力説し,「朝鮮が.望まれる改革を遂行できるようにするためには,朝鮮に重大な関心を共有する日中両国政府の協力が一番だ」と断言し.共同の精査委員を派遣することを率直に提案している。

その道理にかなった実際的な提案に同意することによって.中国はいっでも戦争を回避できただろう。しかし中国は宗主という傲慢な仮説で身をまとい.日本の提案を横柄で冷淡な態度で扱い.両帝国を流血の戦いへと突入させたのだ。

日本が真剣そのものだったのは事実だ。日本はぜひとも優勢になるつもりだったが.中国はから威張りをしていただけだった。中国は.未解決の問題用の大机の新しい仕切りに資料を供給するという結果しか考えていなかったのだ。

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