『オンライン/米日豪印対中国の軍事衝突は日清戦争の二の舞となるのか』★『日中韓の誤解、対立はなぜ戦争までエスカレートしたか」ー中国・李鴻章の対日強硬戦略が日清戦争の原因に。簡単に勝てると思っていた日清戦争で完敗し、負けると「侵略」されたと歴史を偽造する」
2021/03/27
『 日本リーダーパワー史(614)』記事再録/日本国難史にみる『戦略思考の欠落』⑨
日清戦争の性格
日清戦争は中国では甲午戦争(こうご)といっている。それは甲午(ひのえうま)であった1894 年(明治二十七年)の夏に勃発した戦争で、翌95 年の春に終っている。この戦争は日本と清国との間の問題だけでなく、
イギリスとロシアの影響を無視することはできない。一八四〇年の阿片戦争、及び中国では第二次阿片戦争と称している1858年のアロー号事件にょる戦争で、イギリスは中国をその勢力下に収め、ヨーロッパで反目し合っていたロシアが、東アジアに進出してくるのを警戒していた。
阿片戦争以来の中国の弱腰を見たロシアは、清国に強圧を加えて、1858年の愛嘩条約(あいぐん)、1860年の北京条約によって、黒竜江以北と沿海州をすべてロシアであると認めさせ、満州北部を流れる松花江へのロシア艦船の乗り入れを承諾させた。太平洋への出口、そして不凍港を求めていたロシアは、満州から朝鮮半島へとその触手をさらに伸ばそうとしていた。
1885年四月に、イギリス軍は突如として朝鮮南岸にある巨文島(済州島の北東にある小島)を占領した。それはロシアが朝鮮に対して、巨文島の割譲を求めているという情報が流れたので、イギリスは機先を制したのであった。
1885年は明治18年である。この状況を見て、東アジアの平和は保持し得ずと考えた外務相・井上馨は、ロシアの朝鮮への進出を防ぐためには、清国と協力する必要のあることを痛感した。
日本は明治8年の江華島事件(日本の軍艦が朝鮮半島沿岸の測量を行っていたところ、仁川の近くにある江華島砲台より砲撃を受けた事件)の事後処置として、翌年に日朝修好条規を結んで、釜山と元山の開港が承認され、日本も朝鮮との交易を進めるようになったが、朝鮮を自国の属国であると見なしていた清国は、それを快く思ってはいなかった。
日清戦争の十年前の1884年に、清国とフランスとの間で戦争が行なわれた。フランス艦隊が福建省の首府福州の外港である馬尾に入ってきたので、福建艦隊は他の艦隊に援助を求めた。当時の清朝は統一海軍は持てず、北洋、南洋、福建、広東の四海軍が並立していた。北洋と南洋は何かと理由をつけて断り、広東海軍のみ二艦の派遣を承諾したが、実際には間に合わず、フランス艦隊が馬尾港に入ってから約40日後に行なわれた海戦で、福建艦隊はフランス艦隊に全滅させられた。
北洋海軍は北京の清朝政府の実力者である李鴻章の手中にあった。李鴻章は福建海軍の要請を受けて、次のように返答した。
「北洋海軍ノ現有兵カでは、フランスの鉄甲大艦には到底抵抗できない。又、天津を守ることの方がより重要である。その防備を疎にすることはできない、援軍には出られない」(解放軍出版社・『中国近代海軍史』・119頁)。
北洋海軍はもともと、日本を威圧する目的で増強がなされたのであり、李鴻章はその損失は絶対に避けたかった。この清仏戦争の当時、李鴻章は安南(今のベトナム)をめぐってのフランスとの戦争よりも、朝鮮半島での日本との争いの方を重視していた。
というのは、李鴻章は直隷総督兼北洋大臣であると共に、海軍大臣として全国の海軍を所管することになっていたが、北洋軍団は李鴻章の私兵のようなものであり、彼は北洋海軍の艦は1隻たりとも失いたくなかった。
清朝は阿片戦争以来負け続け、兵を送り込んだイギリス、フランス、ロシアには痛い目にあわされていたが、それを見たアメリカ、ポルトガル等、実際には兵を出さなかった数ヶ国にも不平等条約を結ばされてしまった。
清朝は天津沖に軍艦が来たり、兵を北京に進められたりするとあわてるが、条約を結んで戦火が遠のくと、再び安逸の日々に戻ってしまう状態が続いた。それは西洋人の覇道は何れは清皇帝の王道によって徳化されるであろうという考えたのだ。
米国オバマ政権が2001年に中国を民主主義の仲間に入れWTOに加盟させればそのうちに民主国に変わるだろう誤解したのと同じである。4千年の歴史を自画自賛し「中華思想」というエスノセントイズム(自民族・自文化優先主義)に凝り固まった中国・古代共産主義国家の正体が理解できなかったことにある。中国は、グローバル化とデジタル化の波を徹底して利用し、WTOに加盟してからの20年の“大躍進”を遂げることができた。
「中国社会ハ守旧ノ徒カラ成ッテオリ、彼等ハ西洋ノ技術ハ寧フナモノデアリ、ソレニヨツテ造ラレタ物ハ、物トシテノ末路デアッテ、軍艦ヤ大砲ハ覇道デアッテ王道デハナィ、卜見ティタ。天ニアルノバ王道デアリ、ソノ気ヲ以ッテ敵ヲ制シ、徳ヲ以ッテ人ヲ従エ、兵ノ威ハ用イルベキデハナィ、ト称シティタ」。(『中国近代海軍史 58頁)
東海の小島の夷(えびす)である日本が、自分の属国である朝鮮に対して、おこがましくも力を及ぼそうとしているのは、清国にとっては我慢のならないところであった。しかも日本は西洋の技術を取り入れて急速に力をつけてきている。
このような日本に対しては、先んじて討つべきであるという、日本遠征論も清朝内には存在していたのである。
上海古籍出版社の『李鴻章評伝』(190~191頁)に次のような記事がある。
「(筆者註1880年代のこと)。
李鴻章ハ朝鮮二対シテノ工作ヲ進メティタ時、当時、東京二在ツタ人ノ外交官 - 公使何如嘩(かじょうしよう)公使館参事・黄遵憲二重要ナ役目ヲ与エティタ。何如嘩卜李鴻章ハ、私的ナ面ダケデナク、仕事ノ上デモ緊密ナ関係ヲ持ツティタ。一八七七年(明治十年)、何如嘩ガ初代駐日公使トシテ東京二赴任スル時、李鴻章ハ何如嘩二対シテ、日本二在ツテモ朝鮮問題ヲ重視シ、日本ト朝鮮ノ間ノ調停が必要ナ時ニハ、適時必要ナ行動ヲ採ルヨウ訓令ヲ与エティタ。彼等ノ共通スル関心ハ朝鮮ノ安全デアリ、ロシア及ビ日本カラノ侵略ヲ阻止スルトイウモノデアツタガ、二人ノ間ノ処理方法ヤ
策略ニッイテハ、必ズシモ一致シテイルモノデハナカッタ。
何如嘩ガ日本二対シテトッタノバ、非友好的トハイエナイガ、妥協ハシナイトイウ方法ヲトッティタ。
李鴻章ガ琉球ノ帰属問題デ対日交渉ヲ行ッティタ時、何如嘩ハ李鴻章ト、総理衛門(外務省に相当する役所)ニ対シテハ、過激ナ方法、即チ必要アラバ日本二出兵シテ、武カニヨル解決ヲ計ルヨウ進言シテ有列。何如埠ハ、日本ノ軍事力ハ、マダ清国二村シテ公然ト抵抗シ得ルヨウニ強クハナイト見ティタ。
マタ何如嘩ハ次ノヨウナ考ユヲ堅持シティタ。中国、ソシテソレハ朝鮮二対シテモ同様デ、長大ノ脅威ハ北方カラノロシアノ侵略デアッテ、南方カラノ日本ノ侵略ニヨルモノデハナィ。彼ハ中露ガ合作シテ日本二対スルノデハナク、中日ガ合作シテロシアニ対スベキデアルトイウモノデアッタ。
李鴻章ハ何如嘩ノ見方二同意ヲ示シティタ。彼ハ日本ガ琉球問題デ圧力ヲ受ケナケレバ、更二朝鮮へノ侵略二向ウデアロウトノ認識ヲ持ッティタガ、彼ノ採ッタノバ更二現実的ナモノデアッタ。李鴻章ガ思ウニハ、琉球ハ小サナ小サナ一王国二過ギズ、中国二朝貢シティルトハイッテモ、ソレハ象徴デシカナィ。中国トシテ、ソノ象徴ノタメニ戦争ヲ起スコトニハ、何ノ実際的意義モナィ。
李鴻章ハ曽ッテ早イ時期ニハ、国際問題ハ中日ガ合作シテ当りタイトイウ希望ヲ持ッティタガ、コノ時期ニハ既ニ、ソノヨウナ幻想ハ完全二持ッティナカッタ。ソコヂ新彊(中国の北西の辺境、新彊省。
現在の新彊ウイグル自治区)デハロシアニ譲歩シ、ロシアノ歓心ヲ買ッテ、日本ノ朝鮮進出ヲ防ゴウトシタ。彼ハ中日ガ合作、ソノ聯合軍事力ハロシアニハ勝テズ、仮二中日ガ連盟シテモ、ソレハ中国
ニ重大ナ危害ヲ及ボスノデアリ、日本ニハ譲歩シ、ロシアニハ敗北スルトイウ結果ニナル、トイウモノデアッタ。李鴻章ハ中国ノ海軍力ガ整ウ前ニ日本ニ対スル軍事行動ヲトルノニハ反対デアッタ」。
李鴻章はこのような認識を持っていたから、外務卿井上馨が、ロシアの進出を協力して防止しょうという申し入れを、拒絶した。
当時の清朝内には帝派と后派があり、李鴻章は后派であった。后派とは西太后と李鴻章の一派で、清朝政府内の実権を握っており、イギリスやロシアの外国勢力をうまく利用しょうとしていた。帝派とは光緒帝を中心とするグループで主戦派であり、対日早期開戦を唱、え、ある者は日本遠征を主張していた。
しかし直率の軍隊はなく、李鴻章の私兵的存在である北洋軍に頼っていたので、后派が開戦に踏み切ってくれない限りは、どうにも打つ手がなかった。
帝政ロシアの東進南下策、それに先手を打とうとしたイギリスの巨文島占領を見た日本政府は、これら外国勢力によって、わが日本がいつかは侵犯されるのではないか、ということを憂慮せざるを得なかった。朝鮮の李王朝は内紛で乱れ、阿片戦争以来、外国の意のままにされている清国がこの状態であるならば、満州・朝鮮は遠からずロシアに支配されるであろう、それならばロシアの次の目標が日本に向けられるであろうことは自明の理であった。
以上は深堀道義『中国の対日政戦略―日清戦争から現代にいたる中国側の戦略思想』原書房(1997)より、
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