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世界で活躍したすげー女性史(14)日本風狂人伝(24)「ジャポニズム」の先駆者・松旭斎天勝―世界公演で大成功の「マジック女王」

   

 

   「ジャポニズム」の先駆者


前坂 俊之(静岡県立大学名誉教授)

明治後期、大正、昭和戦前の三代にわたり「魔術の女王」として一世を風靡した松旭斎天勝。一座は日露戦争前後に、米国、ヨーロッパを5年間巡業して、天勝は「東洋一の女マジシャン」と賞賛され、「ジャポニズム」を巻き起こした。

日本の奇術は天保14年(1843)にたらい回しなどで世界 一周した足芸師・高野広八や慶応三年(1867)のパリ万博で綱渡りなどの曲芸師・鳥潟小三吉がヨーロッパで活躍したケースはあるが、松旭斎天一、天勝のコンビはそれまでの大道芸を一挙に近代マジックの地位にまで高めた。

「西洋奇術の祖」

 

当時、日本における「西洋奇術の祖」とでもいうべき天一の人気は落語における三遊亭円朝、歌舞伎における九代目市川団十郎に匹敵した。天一をしのぐ人気者になった天勝は、同時代の新劇女優松井須磨子と伯仲する人気を保ち、浪花節の桃中軒雲右衛門や映画の目玉の松ちゃんこと尾上松之助とも人気者という点では比肩し得る存在だった。

松旭斎天勝(本名・中井かつ)は明治19(1886)年5月、東京神田で質商の長女で生まれた。家業が傾き、十二歳で明治随一の奇術師・松旭斎天一のもとに前借金25円で売られた。

加太こうじ著「天下一の奇術師―松旭斎天-と天勝」(三一書房、1969年刊)によると、天勝は明治十八年に東京・神田で生まれた。家は米屋をしていたが、父が他の事業で失敗して零落した。天勝は十一歳のとき、世話をする者があって深川門前仲町の天地という天ぷら屋の女中になった。この天ぷら屋の経営者が天一だった。

天一は大阪で恋愛結婚をした妻がいたが、子どもができてからは巡業先へ連れてあるけないので、天ぷら屋をやらせていた。天勝はお座敷女中として住み込んだのだが、天一は天勝の美しさと才知をみとめて、天ぷら屋の女中にしておくのはもったいないと思い、巡業先へよびよせて奇術師にした。

天勝は少女のころから・なんとなく色っぽくて魅力的だった。芸もたちまち上達した。空は天勝を二号にした。当時は妾を持つのは男の働らきといわれるくらいで、公然と妾を持つ.風習が芸人や政治家、豪商など・のあいだでは強かった。天勝は、はじめは拒否したが、終局は天一のいいなりになった。それは天勝が数え年で十四歳のときだった。

 

天一は明治二十二年に明治天皇の天覧を浴し、奇術界のトップとして、百人を超す弟子を持っていた。天勝の素晴らしい素質を見抜き、「天下に勝つ」との意で天勝と命名、2号として奇術を教え込んだ。最初、自殺を図った天勝もその後は奇術を一生懸命学び、一座の花形となった。成長して美しくなった天勝が東京・本郷座などに出演すると、学生たちがどっと集まり学校の出席率が落ちるというほどの人気ぶり。

世界巡業の旅

明治34(1901)年7月、一座の選抜組8人が米国に・サンフランシスコに渡り、日本人街でまず興業した。二年前に渡米した川上音二郎、貞双の一行はサンフランシスコで二人の死者を出し、公園で野宿しながらの惨々の興行だったが、天一一座は大成功をおさめた。   

サンフランシスコでは、天一の前口上で日本流に「未熟な芸を披露します」というと、現地で雇った演奏者たちは「侮辱された!」と一斉にやめたり、テンヤワンヤの大騒動。一座は伝統的にゆっくりした日本奇術の「水芸」などをスピードアップして週給1万2千ドルで2年間の米国巡業の契約にこぎつけ、ニューヨークや東部の一流劇場を回った。

着物姿の天勝がカタコトの英語で「ワン、ツー、スリー」と順番に数えて「シックス」という発音ができず、「セックス」と言うのが、大ウケし、“セックスガール”と大評判となった。一行はシカゴ(3週間)、ニューユークからヨーロッパに渡り、ベルリン(六週間)デュッセルドルフ、パリの「カジノ・ド・パリ」に出演、アムステルダム、ロンドン、再び米国、ニューヨーク、デトロイト、ピッツバーグ、クリーブランドなどの大都市を巡った。いずれの公演も満員の盛況で、その背景には日露戦争前後であり日本への関心が高まった「ジャポニズム」があった。   

 

天勝はその後、小山内薫の協力を得て豊満な肉体美を誇示した「サロメ」に挑戦して大ヒット。日本女性では初めてのドーラン化粧アイシャドーのメーキャップで登場し、洋舞や西洋マジックを取り入れたショウは圧倒的な人気で、「魔術の女王」だけではなく、大正時代の芸能界の女王として君臨した。

天勝の人気にはいくつかの要因がある。

① 最新の米国マジックを大胆に取り入れて、当時の最新技術の電灯、照明を巧みに利用した近代的なマジックに仕立て上げた。
 

② 宝塚歌劇ができる前の時代に、当時はめずらしい美人女芸人をたくさん登場させ、天一は、洋装のタイツ姿でグラマーな肉体を誇示した。

③ 観客へのサービスを徹底し、懸賞金や貯蓄債権を進呈するなど今でいう顧客満足度や宣伝PRを行った。
 

④ 自前のプロ球団「天勝野球団」まで持ち、巡業に合わせて国内各地、中国、台湾などまで転戦し、大毎野球団を破るなど21勝1敗の好成績を残した。
 

―テレビはもちろんなく、芝居演劇が中心で、映画がまだ創生期の時代に、奇術から芸能、野球までのショウビジネスに大成功して、大衆の心をつかんだ天勝のショウマンシップは今でも大いに参考になる。

 

また、加太は「ひとつは日本人がまだ見たこともないような不思議を見せることだった。
次は他の芸よりも比較的テンポが早いことだった。もうひとつは、当時はめずらしい美人の女芸人が何人も登場したことである。
女芸人といえば、和服で肩衣などを付けているのが普通だったが、天一遍の場合は、洋装で、ときにはタイツ姿で肉体の曲線があらわに見える。すなわちハイカラなエロチシズムにあふれていたわけである」と(「天下一の奇術師―松旭斎天-と天勝」)書いている。

初代松旭斎天勝著「魔術の女王一代記」(かのう書房、1991年)の書評を書いた。

明治、大正、昭和戦前と三代を通じて〝奇術の女声として一世を風靡した松旭斎天勝(一八八四―一九四四)の自伝である。

天勝は大正時代を代表する美人であった。一橋大学名誉教授・南博氏は舞台の天勝を知っているが、当時の女性としては大柄で色白グラマーで、顔立ちにもイキなところがあり、ステージは明るくはなやいだ雰囲気に包まれていた、という。しかも、天勝は2カラットのダイヤモンドの入歯をしており、笑うと、これがキラキラ光りを妖艶な魅力となった。   

テレビ、映画がない時代、天勝は単に奇術界だけではなく、芸能界の大スター、女王でもあった。

その天勝は東京・神田の質屋の娘に生まれたが、家業傾き、十二歳で明治随一の奇術師・松旭斎天一のもとに売られた。天一は明治二十二年に明治天皇の天覧を浴し、奇術界のトップの座につき、百人を超す弟子を持っていた。天一は天勝をひと目みて、その素晴らしい素質を見抜き、「天下に勝つ」という意味を込めて天勝と名づけた。
 

頭がよく、カンもすばらしく、おまけに美人の天勝はメキメキ頭角をあらわし、一座の花形となり、天一座は日本全国はもちろん台湾、朝鮮、遠くはアメリカ、ヨーロッパまで巡行し、大成功をおさめた。
 

天勝が東京・本郷座、三崎座などに出ると、本郷や神田の学生の出席率は落ちるというウワサが出たほど人気があった、という。

明治三四年、天=座は渡米した。そのちょうど二年前に渡米した川上音二郎、貞双の一行はサンフランシスコで二人の死亡者を出し、公園で野宿しながらのさんざんの興行で「二度といくまいサンフランシスコ」とオッペケ節に 歌ったほどの失敗だったが、天=座は紆余曲折の末、大成功をおさめた。
 

この渡米の間の芸散、奇談、 珍散がこれまた実におもしろい。 天一がハワイで下船して時 間を間違えて、氷川丸はその ま出航して一行と別れ別れに なったり、サンフランシスコで、天一の前口上で日本流に「未熟な芸を披露します」というと、現地で雇った演奏者たちが腹を立てて一斉にやめたり、テンヤワンヤの大騒動。
 

また、天勝が数を「ワン、ツー、スリー」と順番に数えて「シックス」という発音ができず、「セックス」と言うのが、大ウケし、クセックスガール〝と大評判になり、大入りになるなど大成功をおさめた。一行は米国のあと、イギリス、フランス、ドイツと巡行するが、いずれも大好評で、とくにパリではカジノ・ド・パリにも出演した。
 

当時、海外に渡った日本人の芸能人では最も成功したのであった。天一は明治四五年に亡くなるが、天勝は一座を旗揚げして全国を巡回した。天勝も小山内薫の協力を得て「サロメ」に挑戦した。豊満な肉体の美しさを持示した天勝サロメは大評判となり、「これが人魚の肉を食べているという天勝の素肌」(都新聞)の記事が載るほどの話題になった。
    

天勝は貞双と二分して、広告のポスターでも最も人気があった。大正四年には川上貞双が本郷座で、松井須磨子が芸術座でそれぞれ「サロメ」を上演し、日本の舞台史上でも画期的な年で、天勝の舞台はまた日本の女性では初めてのドーラン化粧して、アイシャドーのメーキャップ、薄い綿の衣装で回転フィルターをつけ七色のライトを浴びての洋舞や西洋奇術をふんだんに取り入れた舞台は一躍大ヒットして、天勝は「魔術の女王」として、大正のスーパースターにのし上がった。
 

は、天勝の波乱万丈の生活を天勝一座で長く文芸部長を務めた石川雅章が本人の話やメモをっ綴り合わせて、まとめたもの。

平易な語り口で、奇術という余り知られていない世界の楽屋話を蘇りながら、その背後に明治、大正の世相が色あざやかに浮かび上がってくる。ユニークな大衆芸能自伝として興味深い一冊である。

 

 

 

 - IT・マスコミ論, 人物研究, 現代史研究

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