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日本リーダーパワー史(99) 日本最高の名将川上操六⑮山県有朋陸軍法王を解任、一喝したすごい男

      2015/02/16

日本リーダーパワー史(99)
名将川上操六⑮山県有朋陸軍法王を解任、一喝したすごい男
     
<統帥を見事に発揮した日本近代史での唯一のケース>
    前坂 俊之(ジャーナリスト)
川上参謀次長は明治32年に急死するまで14年間にわたって参謀次長、参謀総長を歴任して、明治の日本の国家戦略を立案実行した。日清戦争は「朕の戦争にあらず」と明治天皇は開戦には反対だったが、川上は戦機を見誤らず先手必勝で出兵を指揮した。
両雄の桂太郎大佐は明治33年まで十五年間も陸軍省次官、大臣を務めて日露開戦時は首相として軍政と国政の完全な掌握したと、前回に書いた。
無能で独走した山県有朋軍司令官の解任の真相
日清戦争(明治27、8年)は日本が近代して建設した陸海軍がはじめて戦った対外戦争である。陸軍ではトップリーダー・山県有朋(大将)が最前線にコマをすすめ、第一軍司令官を指揮して清国国境、鴨緑江に布陣する清国陸軍主力部隊を攻撃して破った。第2軍は大山巌大将指揮の下に遼東半島の東岸に上陸して旅順に向い、わずか一日で旅順要塞を落城させるという破竹の攻撃で連戦、連勝し日本軍の一方的な勝利に終った。
この時、大元帥・明治天皇も広島に大本営(戦時における天皇直属の最高統帥機関)を設置し、実際に陸海軍を1本化して総指揮をとったのが川上操六中将(当時45歳)=陸軍参謀次長である。戦争指揮がうまくいったのである。
昭和の戦争と比較すると、満州事変、日中戦争、太平洋戦争とも陸海軍は2本立てで参謀本部、軍令部となって別々の指揮チャンネルで、大本営も昭和には大本営政府連絡会議、小磯内閣では「最高戦争指導会議」という名になったが、陸海軍は意見が対立、互いに情報を秘匿して知らせない、互いに競争して協力一致せず、敗因の大きな原因となった。それに統帥権をタテに文官を排除し、外交機関の情報や意見も無視するシビリアンコントロール不在(もちろん戦前の体制ではこれはムリだが)、天皇の統帥権を無視する現地部隊の独走、暴走が繰り返された。昭和初期の満州某重大事件(張作霖爆殺事件)、満州事変、林銑十郎朝鮮軍司令官の国境越境事件など枚挙にいとまない。
ところが、日清戦争での大本営は伊藤博文首相、陸奥宗光外相らも加わったシビリアン・コントロールがきちんと機能していたことを忘れてはならない。
『百里の道は九十里をもって半ばとする』―これが戦略の基本である。川上参謀総長の敵軍撃滅の作戦は見事に成功したが、勝利の後は講和交渉を有利に進むべきという伊藤首相、陸奥外相、川上の意見も一致、川上参謀総長は次の方針がスピーディに決定した。「第一軍の山海関方面への進出をストップさせ、第二軍と海軍連合艦隊協力による威海衛攻略を優先する」。この威海衛攻略作戦が明治28年1月20日より開始、2月2日には占領してしまった。北洋艦隊提督丁汝昌は自決し清国海軍は完全に壊滅した。この後、川上は一計を案じて征清大総督府を編成して、参謀総長(有栖川宮のあとの小松宮大将)を総督に任命して旅順に進出させ、首都北京を攻略する強硬態勢をとったため、講和を渋っていた清国は驚いて直ちに交渉に入ることになった。ところが、征清大総督府の設置は清国を和平テーブルにつけるための情報作戦だったのである。川上の見事なインテリジェンスの勝利である。

こうした破竹の進撃の明治27年12月中旬、現地最高司令官の山県有朋が突然、解任を命ぜられて内地に帰還したのである。交代の理由は病気である。
奇怪な山県軍司令官の解任の真相
 
交代の理由は表向きは病気で、明治天皇に「戦闘報告かたがた帰国せよと」言う解任の真相を伏せたものであった。ところが、その驚くべき真相はー。
大本営の作戦指示では、山県の第一軍が朝鮮半島の清国軍を撃破北上して、鴨緑江を渡り海城方面に進出、この頃までに海軍作戦の成果を見て第二軍を遼東半島に上陸させて旅順を占領させる計画だった。ところが、この計画は順調に進展し、特に海軍の黄海の制海権の獲得で旅順攻略はわずか一日で完了するなど予想以上の猛スピードの展開となった。
そこで次の作戦が大本営で審議されたが、当時大本営には天皇の指示で伊藤首相の外に陸奥外相も軍議に出席していた。清国は開戦以来約五カ月でやっと陸軍主力が北京附近から遼河の線に向い前進中で、逐次第一軍の正面に増援中の態勢にあった。第三師団(師団長桂太郎)は優勢な清国軍に包囲されつつあった。
 以上の状況で川上次長の次期作戦指導は第一軍は正面に多くの敵を牽制し、その隙に乗じ第二軍を以て旅順方面から海軍と協力して天津方面に上陸させ、一挙に北京を攻略してしまおうという作戦であった。制海権を確保したので敵主力の側背を衝いて一気に決戦する作戦である。
 伊藤総理と陸奥外相は、欧州列強が介入し干渉してくる前に早く講和に持っていくため、制海権の確保を活用して、海軍と協力して敵海軍根拠地の威海衛(山東半島)を占領、台湾海峡の膨湖島をまでも占領し、清国陸軍の兵力派遣を断ち切って、清国を早く講和に持ち込むよう川上次長に進言した。
そこで早速、川上参謀次長は第一軍司令官山県大将に指示して、第一軍は積極的攻勢を止めて一部の兵力を第二軍に回すように命令した。山県大将は後輩・川上中将の指揮を快く思わなかった。、敵主力と山海関方面で決戦する主力軍となることを予期していたのに、急に助攻正面に変更させられたので面白くなく、海軍が黄海海戦の勝利で再び花形となるのを嫉妬して、大本営の作戦命令に従わず攻勢を主張し、反対に第一軍に兵力の増加を要求してきた。
統帥権干犯である
 
 このため、川上次長は断固たる決意で参謀総長に進言して山県軍司令官の即時解任を提案した。しかし当時の山県大将は枢密院議長の職のまま軍司令官となって出征したという特別の事情があり、時の陸軍随一の大将であって、明治天皇の御親任も厚く、正面から解任させることは事実上は不可能に近かった。
結局、伊藤総理もこの決定に賛成してから天皇に奏上して、天皇が山県大将の軍状奏上を要望していたため直ちに軍司令官の職を第五師団長・野津道真将軍に譲って一刻も早く大本営に帰任するよう、伊藤総理から山県大将に伝えることになった。
 山県大将は天皇の特旨であるとなればこれに従わざるを得ず、これが病気のた交代と伝えられていた真相であった。
山県大将の詰問を一蹴した川上次長
帰国した山県大将は真っ赤になって伊藤総理に喰ってかかった。伊藤総理が山県大将に功をたてさせるのを妨害したと思い込んでいたらしい。
そして次は川上次長を呼びつけ「よくも伊藤総理の要求に追随して、この自分を解任させたな」とカンカンに怒った。
 日本陸軍最高位の山県大将から叱りつけられたら万事休す、当時はそれ程、山県大将の威力は絶大であった。ところが川上次長は平然として山県大将に答えた。
 「伊藤総理から求められて新作戦の構想をやったのではなく、私が次長として最も正しい作戦と確信して、これを総長に申し上げたのでありまして、私の作戦のどこに間違いがありますか」
作戦の総責任者として一歩もひかぬと毅然として言い放った。
「陸軍も海軍もその優劣や区別はなく、大本営の務めはこの両者を統合して完全に指揮することにあり、さらには戦況の変化に応じて有利な態勢を活用することこそ私の当然の役目である」
と川上は正論で反撃して、権威で嵩にかかっていた山県大将をギャフンと言わせたのである。
作戦は勝つためのものであって、軍司令官の功績や、陸海軍の差別など完全に眼中にはなかった。このことを態度で示した川上は日本がその後に転落していった軍国主義の暴走で示された無能な軍人、政治家のオンパレードのなかで唯一、例外的なリーダーパワーを発揮したのである。
 川上次長は伊藤首相の蔭にかくれて山県大将の逆鱗にふれるのを逃避するような卑怯な態度に出ず、正々堂々と正論を戦わせた。川上次長がこれより以後、伊藤、山県の両者からはもちろん、絶対の信頼を政府、軍からかちとり、来るべき日露戦争に備えて戦略を1人でねり、インテリジェンス網を張り巡らせていくことになる。
また、この時のシビリアン・コントロールのありかた、大本営の総理、外相の特別参加の件とその権限の問題、昭和における統帥権干犯問題を考える上で最高の事例にもなる。現在の民主党のトップのリーダーシップの在り方と、このケースを比較してみればよくわかる。山県に匹敵する小沢一郎という大ボスに対して、菅首相なり、、岡田幹事長なりが除名、辞任を明言、決然として有言実行したのと同じである。あの明治の帝国主義列強のアジア侵略の困難な時代に戦争という国家戦略を実行中での指揮権のありかたを考えると改めてそのリーダーパワーのすごさを痛感する。

 
 
 

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