前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

☆書評『新渡戸稲造ものがたりー真の国際人、江戸、明治、大正、昭和をかけぬける』(柴崎由紀著、銀の鈴社、定価1500円+税)

   

☆書評『新渡戸稲造ものがたりー
真の国際人、江戸、明治、大正、昭和をかけぬける』
(柴崎由紀著、銀の鈴社、255P、定価1500円+税)
 
 
                  前坂 俊之(ジャーナリスト)
 
 
今、日本に最も必要な人とはーこのような国際人・新渡戸稲造である。
 
 
『5000円札の新渡戸稲造』は一体何をした人なの?ーというのが日本人の一般的な受け止め方であろう。
著者もそこから出発して、日本初の国際人といってよい新渡戸稲造の全体像に迫り、子供にもよみやすく、その偉大な人間像と世界的な活躍ぶりを写真をふんだんに使って浮き彫りにしており、大変よくできた伝記である。
今年は新渡戸稲造の生誕150年にあたる。国際協同組合年(IYC)でもあり、その記念出版である。

私は新渡戸稲造像と言えば、中、高校時代に教わったもので、札幌農学校のクラーク博士の教え子であり、『少年よ、大志を抱け』の教えで発奮

し、「太平洋の架け橋」になろうと明治初期に米国へ留学し、ちょうど100年ほど前の第一次大戦後の『国際連盟』(国際連合の前身、

日本は常任理事国だった)発足時の事務局次長に就任、国際紛争の解決に活躍した人ということくらい。

改めてこの書から彼の多方面にわたる活動ぶりとその世界に印した平和の足跡を知ることができた。

クラーク博士は札幌農学校校長をわずか半年ほどしか勤めていないが、新渡戸に与えた発奮をみても、少年期に接した先生の人格がいかに子供たちに大きな影響をあたえるか、教育の重要性を強く感じる。

クラーク博士に感動した新渡戸稲造は「太平洋の架け橋」とならんと知識を世界に求めて、米、独に留学して教育者となり、帰国して札幌農学校教授に就任。

この間に米国のクエーカーの名門の娘メアリーと大恋愛の末に国際結婚する。

その後、米国に渡り日本人の心を理解してもらうために1900年(明治33)に、英語による『武士道』を38才で出版した。
ル−ズベルト米大統領はこの本をまとめ買いして、子供たちや閣僚たちに読ませたほどで『日本人を知るための』最良のガイドブック、名著となったのである。
 その後、後藤新平とともに台湾にわたり植民地政策に関与して砂糖産業に振興に尽くした。
元々、新渡戸は教育者であり、44才で第一高等学校の校長となり、生徒たちに勉強と同時に①社会性と交際、あいさつの大切さ③明かるい快活な態度②専門センス(専門的知識よりも「コモンセンス」(常識)の大事と教えて、リベラルな教育を行ったが、これが欧米流だとして批判される。
東京帝国大学教授、拓殖大学学監、東京女子大学学長などを歴任のあと、一九一九年、その英語力と国際的な経験と知識を見込まれて国際連盟事務次長に五十七歳で就任した。以後七年間、こんどはスイス、ジュネーブに居を定めて「世界の架け橋」「世界平和の使徒」として国際紛争の解決に取り組んだ。
                   
新渡戸は64才で1926年(昭和元)に同事務局長を辞任したが、ここまでの新渡戸の人生は明治維新によってアジアの貧乏小国から国際社会に船出して『坂の上の雲』を目指し、日露戦争に勝利して世界の先進国に仲間入りした『日が昇る躍進日本』と重なり、そのトップリーダーとして国際的に活躍したのである。
ところが、その後日本の運命は一転する。昭和前期は軍国主義の高まりから、坂道の頂上から今度は転落していく悲劇の時代に入る。
1931年(昭和6年)の満州事変、その後の新渡戸が尽力した国際連盟脱退で日本は国際的に孤立してしまう。危機感を持った新渡戸は軍部の暴走をきびしく批判したが、右翼から『国賊!』として狙われた。日本の立場を説明するために米国にわたるが、米国からも『冷たい目』で見られ板挟みとなって懊悩し、3310月に『太平洋の架け橋』を果たすことができず、失意のうちにカナダで亡くなった。71才。日米戦争勃発の8年前である。
 
明治維新以来、現在までの150年は開国・国際主義者対排外的なナショナリストとの熾烈な対立、せめぎ合いの歴史であり、日本興亡のサイクルはそのエネルギー、マンパワーによって波動してきた。
本書はジュニアノンフィクションと銘打って、小、中学生以上を対象にしてわかりやすく明解に記述され、写真も170枚も使ってビジュアルに仕上げており、大人にも大変読みやすい。

今やグローバルな時代に突入し、小学生から英語の授業や国際化教育の重要性が高まっているが、真の国際人・新渡戸稲造の出版はたいへん時宜にかなったものであり、少年にとってはうってつけの本と思う。

 
                         著者の柴崎由紀さんは語る。

「新渡戸博士が生きた幕末から、明治、大正、昭和のはじめは、社会が大きく変動した、激動の時代でした。そんな中で、人間の進むべき道として、普遍的なことを示してくれた新渡戸博士の生涯から学べること、いまの時代にも通じることがたくさんあります。
先の見えない時代ということでは、いまの私たちが置かれている立場と同じだと思うのです。そんな時代に、子どもたちが、日々の生活、そして、将来の夢に向けて、この伝記からなにかを学びとって、たとえ少しでも参考にしてもらえたら、こんなにうれしいことはありません」
 
「今後は、中学高校生向け、さらに、英語版、ドイツ語版の伝記を出版したいと思っています。『武士道』は、海外でも翻訳され刊行が続いていますので、アメリカやドイツで出版社を経営している友人たちと具体的に相談したいと思っています。日本という国、日本人の真の姿を、海外に伝える一つの方法になるのではと考えています」と話している。

 - 人物研究 , , , , , , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

日本リーダーパワー史(665)『昭和の大宰相・吉田茂のリーダーシップと先見性、国難突破力』①(1945年)「この敗戦必ずしも悪からず』★「(外交鉄則)「列国関係に百年の友なく、百年の敵なし、今日の敵を転じて明日の友となすこと必ずしも難からず」(動画つき)

  2016年2月10日/日本リーダーパワー史(665) 『昭和の大宰 …

no image
日本リーダーパワー史(384)児玉源太郎伝(6)インテリジェンスから見た日露戦争ー川上操六の活躍」

  日本リーダーパワー史(384) 児玉源太郎伝(6) ①  5年後に明治維新( …

鎌倉石仏巡りぶらり散歩①ー『強ものどもの夢のあと』徳川時代の武家の石仏とユリの花の合掌(2022年8月21日)ー鎌倉材木座、光明寺裏にある内藤家墓地は鎌倉の知られざる名所。

鎌倉石仏巡りぶらぶら散歩    

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(52)記事再録/日本風狂人伝⑳日本最初の告別式である『中江兆民告別式』での大石正巳のあいさつ

『中江兆民告別式』での大石正巳のあいさつ      …

no image
世界が尊敬した日本人③6000 人のユダヤ人の命を救った勇気ある外交官・杉原千畝

2005年3月20日記事再編集 前坂 俊之 1940 年(昭和15年)7月27日 …

知的巨人たちの百歳学(174)記事再録/日本最長寿の徳川家三代指南役・南光坊天海(108歳)の養生訓ー上野公園内の「墓碑」で長寿健康を祈る―『 養生法・長命には粗食、正直、湯、陀羅尼(だらに)、御下風(ごかふう)あそばさるべし。』★『養生訓「気は長く 勤めは固く 色うすく 食細うして 心ひろかれ」

2015/02/05/百歳学入門(102)・   日本最長寿の徳川家三 …

『Z世代のための百歳学入門』★『日本一の百科事典派(GoogLe検索のアナログ版)物集高量(106歳)』★『百歳は折返し地点、百歳までは予習時代。これからが本格的な勉強ですよ』

    2024/12/02/記事再録 物集高量氏 …

no image
日本リーダーパワー史(844)ー『デービッド・アトキンソン氏の『新・観光立国論』を100年以上前にすでに唱えていた日本の総理大臣は誰だ!』『訪日客、2割増の1375万人=消費は初の2兆円超え-上半期』★『『外国人が心底うらやむ「最強観光資源」とは?日本は「最も稼げる武器」が宝の持ち腐れに』(アトキンソン氏)

日本リーダーパワー史(844)   ●観光庁は20日、訪日外国人旅行者が、今年1 …

片野勧の衝撃レポート(82)原発と国家―封印された核の真実⑭(1997~2011) 核抑止力と脱原発 ■東海再処理工場で火災・爆発事故発生ー三谷太一郎氏 (政治学者、東大法学部長、 文化勲章受章者)の証言➀昭和20年6月の岡山大空襲を9歳で体験、 九死に一生を得た。『原発事故は近代日本の挫折である』

  片野勧の衝撃レポート(82) 原発と国家―― 封印された核の真実⑭(1997 …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(240)/★『28年連続で増収増益を続ける超優良企業を一代で築き上げた「ニトリ」創業者・ 似鳥昭雄氏の『戦略経営』『人生哲学』 10か条に学ぶー「アベノミクス」はこれこそ「ニトリ」に学べ

  2016/05/21 日本リーダーパワー史(7 …