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ジョーク日本史(5)西郷隆盛の弟・西郷従道は兄以上の大物、超人だよ 『バカなのか、利口なのか』『なんでもござれ大臣」「大馬鹿者」と(西郷隆盛は命名)『奇想天外』「貧乏徳利」(大隈重信はいう)

      2018/02/24

ジョーク日本史(5)

西郷隆盛の弟・西郷従道は兄以上の大物、超人だよ

『バカなのか、利口なのか』『なんでもござれ大臣」

「大馬鹿者」と(西郷隆盛は命名)『奇想天外』

「貧乏徳利」(大隈重信はいう)

前坂 俊之(ジャーナリスト)

 

明治、大正、昭和の三代で最高のリーダーは一体誰だろうか。いろいろ明治の文献その他をよみ漁りながら、日本のリーダーパワー史なるものを考えてきた。
近代日本史の最高のリーダーとは?・・西郷隆盛をあげる人が多いであろうが、実はあっと驚くが、その弟・従道こそ日露戦争に勝利する道を「何でもござれ大臣」として縁の下で支えて、黙々と築いてきた最大の功労者ではないかと気づいたのじゃよ。

伊藤博文、山県有朋、山本権兵衛らの陰にかくれて、西郷従道の知名度は全くゼロといってよい。西郷隆盛は知っていても、弟・従道を知る者は少ない。西郷隆盛は文字通りの巨人だが、従道も兄に劣らぬの怪物!超人だったのである。

西郷隆盛の従兄弟が大山巌だが、二人は西郷の左右にいて幕末維新に活躍した。西郷がこの二人を人に紹介するときは「大馬鹿者の信吾(従道)」「知恵者の弥介(巌)」だったという。大隈重信は従道を「貧乏徳利」と評している。なんでも引き受ける(収めてしまう)その器の大きさと柔軟性からだ。

このため、世間は伊藤博文を「八方美人」と評したが、従道を「十六美人」と噂した。

「馬鹿なのか、利口なのか」ぼうようとして捕えがたい、どこが偉いかわからない、無欲恬淡、天真爛漫、何でも呑み込む、推されれば陸軍中将が海軍大臣になり、さらに軍艦を知らない海軍大将になる、山県有朋からこわれれば、元帥なのに平然と内務大臣となる。平気の平左で、どこまで清濁合わせ呑む大物か、並みの人間では判断しかねるケタ外れの大器、奇人、珍人であったことだけは確かである。

その略歴をみればよくわかる。歴代内閣に重宝されて陸軍卿、文部卿、農商務卿、内務大臣三回、海軍大臣七回、陸軍大臣(兼務)一回、農商務大臣(兼務)一回を歴任したが、これまで多くの大臣を歴任した者はないが、総理大臣だけは「おいどんはその器にあらず」と固辞して決して受けなかった。

それだけに抱腹絶倒のエピソードには事欠かないよ。

① 西郷は和気あいあいとし周囲を和ませる人格だった。

明治七年、台湾蛮地事務都督として大久保の命を受けて台湾征伐を強行した。現地で台湾原住民をまねいて晩餐した。中国製の木卓を戸外におき、豚肉の塩汁、鹿の干肉、薩摩イモなどを大皿に山ほどもって、サツマ焼酎や現地の酒で大酒盛りとなった。

薩摩のイモサムライよりも、原住民のほうがよほど酒に強く台湾の歌、踊りが飛び出せば、日本側も角力甚句などを歌い、西郷も原住民と共に歌い、踏舞い足並を揃えて一緒に踊った。西郷は愛嬌のある態度と笑いで酒で、わけへだてなく接して、楽しんだ。帰国の際は、原住民は西郷にすがりつき泣きながら別れを惜しんだという。

このとき、記念に原住民の族長は銀の腕輪を贈り、従道の左腕に巻いた。隆盛同様に肥満の体質の従道は窮屈だったが、生涯外さなかった。おかげでシャツはいつも左袖がポロポロ。信義に厚い人物だったのである。

② 明治11年、大久保利通が暗殺された。

直後の大久保邸は大勢がつめかけててんやわんやの大騒ぎであった。昼になったが食事の用意が全くなかった。そこに料理や炊きたての握り飯がど山ほどと持ち込まれた。西郷の手配であった。大久保の遭難を知ると西郷はすぐに妻女に命じ、五十人分の料理を届けさせること、また大釜を三つ大久保邸に運んで、炊き出しをすることをテキパキと指示していた。

日本海軍の父・山本権兵衛を縦横に活躍させたのは西郷であった。個性の強い、大物の山本を乗りこなせる人物は西郷のほかにはいなかった。ケツの穴の小さい山県ではとても山本は御せなかった。二人の出会いが面白い。 山本が少佐の時の海軍大臣に西郷が座った。半年かけて書き上げた海軍整備調査書を西郷大臣に提出した。

西郷は1週間で返してきた。「おわかりになりましたか」「わかった」の返事に、「閣下は海軍の新参者、私が長期間調べた専門のことを、1週間ででわかっとは何事ですか」と山本が怒ると、西郷は平然として、「それではもう一度見せてもらおうか」。再び調査書を提出すると、こんどは十日で返してきた。「お読みになりましたか」「読まない!」「それでは閣下は、読んでもわからんから、お前にまかせるという意味ですか」「そのとおり、そのとおり」とニコニコしている。
山本、西郷の黄金コンビ誕生の瞬間である。これによって、海軍の急ピッチの整備が進められた。以後、山本の計画は西郷大臣がすべて信頼して実行した。2人の性格、リーダーシップのあり方をよく示している。

また、山本が海軍大臣に就任してからの話だが、戦艦「三笠」を発注する手付け金の捻出できなくなってしまった。権兵衛は信頼する従道(当時、文部大臣)に相談すると、なんと従道は文部省の予算から流用しましょうという。

そして、もしバレたら「二人で二重橋の前で腹を切ればよい。『三笠』ができれば本望ではないか」というのだ。これにはなんでものみこんでしまうその太っ腹に山本も大感激。こうして六六艦隊の最後の戦艦「三笠」は、連合艦隊の旗艦として誕生したのである。 日露開戦の二年前に西郷従道は亡くなったが、彼の存在なくして日本海軍の栄光は語れないし、日露戦争の勝利の基盤をつくったのは西郷従道なのである。

③ 私は文部卿でなくて、文盲卿でござる

太政大臣三条実美の下で文部卿に就任したとき、なにごとを聞かれても、「そのことなら田中(不二麿)大輔に話していただきたい。私は文部卿でなくて、文盲卿でござる」 といって、頭をかかえて笑っていたという。
明治18年12月、伊藤博文首相の下で、海軍大臣に就任し、翌年三月から七月まで農商務大臣を兼務したが、このとき次官の吉田清成に、「わしは農業や商売のことは、まるでわからんから、あんたの一存で、なんでもドンドンやって下さい」 といって、ハンコを渡し、本省には全くでてこなかったという。

山県内閣の内務大臣の時には、部下からなにを問われてもいっさい可否をいわず、聞き終わると、「なるほど」と答えるのみだったので「なるほど大臣」の名がつけられた。
明治初年、ヨーロッパを歴遊し、ロシアに行って、皇帝アレキサンドリアに拝謁したとき、皇帝が「日本の軍人は、何を好むか」と質問した。かれは平然として 「やはりそれは、酒と女であります」 と答えた。通訳官がそのまま言上したところ、並みいるロシア高官もあきれ果てた様子だったという。

イタリア外遊中のこと、その国の外務大臣からは、一夜宴を張られて招かれた。その時、西郷ははあいさつに立ち上がるなり、「よかよに頼む」と通訳官に一言いったきりで、席にすぐ座ってしまった。あわてた通訳官が前もって書かれていた文章を延々と読み上げてあいさつとた。

日本語を知らないイタリアの高官たちは、「へえ、日本語は大したものだ、わずか一言だけにあれだけの長い、深遠な意味があるとは驚いた」 と感心しきりで、西郷への評価はうなぎのぼりだったというが、これはどうやら事実ではない。

④ 西郷従道は貧乏徳利

大隈重信は「西郷従道は、一口にいうと、貧乏徳利のような人物だ。あの素朴な風貌で、なんでもござれと引きうける。貧乏徳利は、酒でも、酢でも、醤油でも、なにを入れても、ちゃんと納まるからな」といったという。

後に、ある大臣の宴席で明治の英傑で誰が一番大きかったかが話題にのぼったときに、第一に大山巌の名が上がったが、西郷従道はその五倍大きかったとの意見に皆納得させられたという。

西郷はそういう超俗な人間だったが、それと反対な面のあったという。軍部大臣は陸海軍大中将が任ぜられたが、文官職であって、任用資格として、武官と定められたものだ。西郷はこれを知っており、他の大臣はもちろんのこと、海軍大臣として登庁するときは、軍服ではなくいつも背広服を着たというから、筋を通したのである。

桂太郎内閣の組閣の時、薩長藩閥の派閥均衡を考慮して薩摩の山本権兵衛を海軍大臣にすえようとした時、山本は後輩のしかも長州山県閥の桂の風下なんかに立つのはイヤだと首をタテに振ろうとしない。これを聞いた西郷は、山本に「あんたがイヤなら、おいどんがやりもうそ」と言った。西郷のほうが山本のはるか先輩なので、山本は引き受けざるを得なくなった。

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