前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

日本リーダーパワー史(118) 孫文を助けた怪傑・秋山定輔の仁義とは・・『日中同盟論』を展開する

   

日本リーダーパワー史(118)孫文を助けた怪傑・秋山定輔の仁義とは・・
辛亥革命百年(20)忘れられている秋山定輔の至誠と日中リーダーシップ
 
                 前坂 俊之(ジャーナリスト)
 
孫文を支援した日本人はこの連載でも紹介したように頭山満、犬養毅、宮崎滔天、秋山定輔、梅屋庄吉ら数多くいる。その中で、見落とされているのが秋山定輔である。

彼は『ニ六新報』による三井攻撃や労働者の擁護による社会主義的思想傾向や衆議院議員としての圧倒的な政治パワーによって政府から弾圧され、日露戦争まえには『露探』(ロシアスパイ)として、議会ででっち上げの汚名を着せられ、議員辞職に追い込まれた。

その孫文との関係は、『秋山定輔は語る』(講談社、1937)『秋山定輔は語る、金、恋、仏』( 関書院、1948年)などで、ざっくばらんに語っている。
秋山こそ孫文の思想に共鳴して、中国に共和政治をもたらすことを支持して全面的にバックアップした人物である。
秋山は極めて政治力、リーダーシップにリーダーパワーも兼ね備えていた、戦後では「田中角栄的」な大物政治家であったが、そのためその策士的行動が『露探』の汚名をきせられ抹殺された。
しかし、秋山のすごいところは、その逆境をはねのけてその後は『政界の黒幕』として活躍して、政敵だった桂太郎首相と一転して手を結び、孫文と桂とを結び付ける秘密工作を進めて『日英同盟』の破棄と『日中同盟』に向けて画策して、桂との密約を取り付ける。
秋山は孫文の中国革命に共感して、いち早く孫文と親交を結び、親身になって孫文を支援した。
孫文が辛亥革命に向けて一文なしで奔走していた時の様子を、秋山は次のように語っている。
 
 
 『秋山君、また今日もモネタリー・クエスチョンだ』これが、毎日でもないが、実によく聞かされた言葉である。
しかも顔立ちは悪くない、わたしの好きな容貌であったが、顔いろは良くなかった孫文が、机の上に両肘を置いて右の手で頭を支へるやうにしながら、よくいふた言葉である。
 
 中華民国の革命の唯一の人柱であり、後になっては、偉大なあらゆる讃辞をもって、中華五億の民衆から父と敬はれ、親しまれ、歳月と共にその憧憬崇拝の表象となった、又さうなるべき運命といふか使命といふか実力といふかその総べての権化でもある孫中山先生の、今から四十幾年前、わたしが学校を出、て初めて世帯を持った神田錦町の家へ来ての言葉であり、又、其の頃同志がよく会合場所にしていた桜田本郷町にあった桜田倶楽部へ来ての、度びたびの言葉であった。
 
 そしてそれを聞く者は、三十幾歳のかくいふわたしである。大体弱ったやうな顔色や陰気臭い話は、聞く方もあまり好い気持はしない。早くさういふ気分を変へようと思ふには、元気よく快諾するに越したことはないから、いはれる度びに必ず快諾した。
 
『うん、承知した。何に要るんだ』
『上海で機関新聞を出すことになったから、印刷機械を買って送ってやりたいのだ。向ふは非常に待ってるんだ』
『どういふ機械なんだ』
『手刷の十六面の印刷機だ』
『その機械はいったい幾らするんだね』
『たしか六百円前後だと思ふが』
 
 ここで一寸断っておくが、新聞で手刷り十六面といえば、手で廻して、現今の新聞のやうやく一枚が刷れるといふだけの、二番小さな機械だ。どんな田舎でも手刷り十六面といへば印刷したものを出す一番初まりで、これより小さいのはない。
 
当時わたしが関係していた新聞でも、昨今の新聞の二枚分、三十二頁刷りが二台と、十六面が一台と、それで初めて新聞をやり出したくらいだから、十六面一台といえば其の微力は今日の引札をこしらへる程度、それの些か毛の生えたぐらいのもの。それを買って送りたいといふ話。
 
宜からうー段々調べると京橋に金津といふ機械屋があった。その金津に話して送ることになった。これが日本から中国へ印刷機械を送った最初である。そしてこれが革命党の機関紙、たしか『中国民報』の創刊となったのであった。ところが翌日になると又孫君はやって来た。
 
『君、活字が要るんだ』             ′
『なるほど、さうだ』
 活字は三千字から五千字、これが何百円。又その次に『ありや君、ケースが要るさうだ』活字をいれる木の
ケースを買はねばならん。素人の新聞屋、その状態が分る。後から後からと追ひ増し。
 
『又今日もモネタリー・クエスチョンだ』
 わたしの方はいつだって快諾だ。快諾以上だが、孫文は『又』といふことをいかにもいひにくさうにするから、元来顔いろは悪るいし、さういふ気分が面白くないから、或る時わたしは孫文にかういった。
 
『君はいったい何だ。いやしくも中国革命党の首領じゃないか。現在立派に立っている清国を、二百年三百年続いて来ている清国を覆へして、新たな中華民国をつくるといふ大事業、大使命を持っていると確信する、革命の推一の本尊である君が、これ位のことでへコたれたり、気兼ねや遠慮をしなくてもいいじゃないか。
 
又、それは君ばかりの仕事じゃないのだ。同時に僕の仕事だ。僕の仕事を君が中国でやってくれてるんだ。又僕がかうすることは、僕の仕事じゃない君の仕事だ。君の仕事を僕にやらしているんだ。共に携へて東亜に新らしい面目を樹立することをかねて誓ったのではないか。僕が日本でやってることは、すべて君の手足となってやってるのだ。然るに、またモネタリーそんな情ないことをいふてくれるな』
 
 漸く孫文がニャッと笑った。
 
『いや、君がさういふて呉れるから、実に僕もかう度びたびいひ得るんだ。勇気づけられ、慰められ、激励されて、有難く思ふ』最後にさういった。
 
 これが、後日といっても五十年百年の後日ではない。夢にも人は想像しなかった。殆ど本人ですらそれが出来るまでは想像しなかった。出来てしまってあさうか、と誰でも思ふくらいのものだが、清朝は潰れた。
 
孫文は大統領になった。大統領は蓑世凱に譲ったが孫文は前の大統領、エキスプレシデントとして、どこまでも名実共に中華民国の第一人者となった。その孫文の明治三十何年頃の姿であった」
 
 明治四五年(一九一二)、中華民国が南京に臨時政府として樹立され、孫文が初代臨時大統領となる情況が生れると、日本の朝野は一斉に孫文に注目しました。
 
 しかし、孫文には前にのべてきたように南京政府財政上の苦境があって、北京の蓑世凱と妥協せざるを得ない事情に迫られていたのであります。

このことについては、革命党の首脳者たちは、すべて諒解していたようですが、日本側の革命支援派は強硬に反対していました。蓑世凱と電文交渉の結果、二月一三日に臨時総統の座を仮辞任し、さらに四月一日正式に蓑に臨時総統の座をゆずるといういきさつがあった後、孫文来日の計画が表面化してきます。大正元年の秋、日本は西園寺内閣時代であった」(秋山定輔『金・恋・仏』)より)

 

 - 人物研究 , , , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

『オンライン講座/昭和の大宰相・吉田茂のジョーク集』②『歴代宰相の中でも一番、口の堅い吉田じいさんは公式でも突っけんどんな記者会見に終始して、新聞記者と個人的に会談したケースは少ない。『総理番記者』は『新聞嫌いの吉田ワンマン』取材用に誕生した」●「伊藤博文の大磯邸”滄浪閣“を買取り、自邸の『海千山千楼』に改築した。

     2016/02/09 日本リー …

no image
日本リーダーパワー史(102)日本一見事な引き際・伊庭貞剛の晩晴学②<有害なのは老人の跋扈(ばっこ)である>

日本リーダーパワー史(102) 日本一見事な引き際・伊庭貞剛の晩晴学② &nbs …

no image
知的巨人たちの百歳学(171)記事再録/長寿逆転突破力を磨け/-加藤シヅエ(104歳)『一日に十回は感謝するの。感謝は感動、健康、幸せの源なのよ』★『「感謝は感動を呼び、頭脳は感動を受け止めて肉体に刺激を与える』

 2018/03/13  『百歳学入門(214)』 …

no image
日本リーダーパワー史(982)ー『総理大臣の血圧』★『こんな面白くない<商売>をしていて、酒やタバコをとめられてたまるものか』(吉田茂首相)

  『総理大臣の血圧』                     今年初 …

『Z世代のためのオープン自由講座』★『日中韓500年東アジア史講義②』★『世界的権威ベルツの日韓衝突の背景、歴史が一番よくわかる解説』★『明治天皇のドイツ人主治医・ベルツ(滞日30年)の『朝鮮が日本に併合されるまでの最後の五十年間の経過を語る』

2019/08/15  記事再録 『ベルツの『日本・中国・韓国』五百年 …

日本リーダーパワー史(696)日中韓150年史の真実(2)「アジア開国の父」ー福沢諭吉の「西欧の侵略阻止の日中韓提携」はなぜ「悪友とは交際を謝絶する脱亜論」に逆転したのか『<井上角五郎は勇躍、韓国にむかったが、清国が韓国宮廷を 完全に牛耳っており、開国派は手も足も出ず、 孤立無援の中でハングル新聞発行にまい進した』②

 日本リーダーパワー史(696) 日中韓150年史の真実(2)「アジア・日本開国 …

「来日した『21世紀の資本』の著者 トマ・ピケティ氏が日本記者クラブで会見、記者の質問に答えた動画90分」(1/31)

『来日した『21世紀の資本』の著者 トマ・ピケティ氏が日本記者クラブで会見し、記 …

no image
連載「エンゼルス・大谷選手の大活躍ー<巨人の星>から<メジャーの星>になれるか」①『A・ロドリゲス氏は「これは世界的な物語だ」と絶賛』

連載「大谷選手の大活躍ー<巨人の星>から<メジャーの星>になれるか」① 4月9日 …

no image
日本リーダーパワー史(627)日本の安保法制―現在と150年前の「富国強兵」政策とを比較するー「憲法で国は守れるのか」×「軍事、経済両面で実力を培わねば国は守れない」(ビスマルクの忠告)

   日本リーダーパワー史(627) 日本の安保法制―現在と150年前の「富国強 …

no image
日本リーダーパワー史⑱ 1億のインド不可触民を救う仏教最高指導者・佐々井秀嶺

日本リーダーパワー史⑱   1億のインド不可触民を救う仏教最高指導者・ …