日本リーダーパワー史(119)孫文を助けた岡山県人パワーの犬養毅・秋山定輔・坂本金弥ら
日本リーダーパワー史(119)孫文を助けた岡山県人パワーの犬養毅・秋山定輔・坂本金弥ら
辛亥革命百年(21)忘れられている坂本金弥のバックアップ
前坂 俊之(ジャーナリスト)
孫文を全面的にバックアップした秋山定輔(岡山県生まれ。東京帝国大学法科卒業。短期間、会計検査院に勤務。その後、社会運動家となり1893年(明治26)に日刊紙『二六新報』を発刊、政治家で活躍)については、何度もふれてきたが、『二六新報』を発刊のスポンサーとなって、資金援助した坂本金弥について今回は書くことにする。
秋山定輔は「『二六新報』の創刊するために借金に走り回った」とその自叙伝でこう書いている。
「私は方々から借金をした、一番初めに借金が出来たのは郷里の岡山の岡崎といふ富豪で、これは父の時からよく知っていた。此処から千円。次が、備前の児島に揮大坊益三郎といふ名家がある。其の人甚だ気風の変った人で、益三郎の兄の愛二といふ人は例の朝鮮の志士金玉均を常に保護していた人で、金はよく備前へ来て揮大坊家にかくまはれていた。
朴泳孝なども同家の世話になったと云って後年迄徳としていた。揮大坊家はそういう家だった。益三郎氏は私の学生時代から興味を有っていて呉れた人だった。其の人が助力して呉れて千円。もう一人は坂本金弥君である。坂本君と私との関係は後年まで永く続いた。
坂本を初めて知ったのは二十三年大学を出た年、坂本は私より三つ上の二十六だった。中江兆民の『一年有半』の中にも坂本のことをほめて書いてある。
全く岡山・中国などでは風の変った傑物だった。当時の彼はすこぶる年少気鋭、初めて逢った時からお互いに天下国家の談、新聞事業の談、何につけても坂本は唯一の共鳴者だった。
後援以上、これは同志の一人だった。坂本はその時分『中国民報』をやっているかたわら鉱山事業にも熱中していた。まあ此の辺で威勢よくやり始めた。
大石正巳、稲垣満次郎が編集顧問。江木表、柴四郎、土子金四朗、大島定益、鈴木天眼、秋山定輔以上が編輯同人といふわけ。これだけの名前でもって都下の主な新聞に全紙一面の広告を出した。
其の時分新聞社の出来た事を新聞全紙一面に広告するなどは全く破天荒のやり方だったので、たしかに世間の耳目を瞬動した。突如として大新聞が出来たといふ注意を与へた。初めは松方正義伯の機関新聞だといふ世評を受けた。
ところが、広告を出したきり
で、金が一文もなくなった。あてにしいた佐藤精一郎氏の方の金策がどうもうまくはかどらない。佐藤氏は箱根へ行ってしまふといふ始末、どうにも法が付かない。
で、金が一文もなくなった。あてにしいた佐藤精一郎氏の方の金策がどうもうまくはかどらない。佐藤氏は箱根へ行ってしまふといふ始末、どうにも法が付かない。 広告費は払ってない。これを引受けた三成社と云う広告取扱店から厳しい督促を受ける。開業式のお祝いとして時計を十個っらへた、其の時計の代金が払へない。それでもどうやら新聞を出した。家屋だの機械だのを抵当に入れて高利貸の金を借りてとにかく発行した。
新聞の名は『二六新報』。此の名称では余程考へた。よく世間では秋山が二十六で創めたから二六という名をつけたのだと云ってるが実はさういふ意味でない。二六時中(四六時中のこと)という意味だ。
併し二六時中だとすると、二六時報でなければ意味が通らない。二六新報で生息味がなくなる。本来二六時報にしようと云ったのだが、二六時新では呼び売りの口調が悪い。呼び売りには二六新報-と語尾はハネて呼ばないとどうも威勢が悪い。で、意味は第二義として、専ら呼び声をもって『二六新報』と決めたのだった」
こうして、秋山は26歳で1893年(明治26)10月に坂本金弥の資金援助を得て『二六新報』を発刊したのである。
坂本金弥とはいったい何者か
坂本金弥(元治(1865)2年2月16日―大正12(1923)年10月22日,58歳)岡山備前の出身で、岡山藩士・坂本弥七郎の長男。岡山商法講習所、同志社で新島襄の薫陶を受けた。
倉敷市にあった帯江鉱山を明治24年に三菱から買い取り、犬島精錬所、その他事業で成功す鉱山事業での機械化を進め、トロッコや、蒸気機関での巻き上げ機、送風機を使った洋式溶鉱炉などを設け、帯江鉱山は大幅に生産量を増やした。1904年(明治37年)の岡山県多額納税者の第7位にランクされた。
坂本は自由民権論者で中江兆民に大きな影響を受けて藩閥政治の打倒を掲げて、明治二十四年美作同好倶楽部を結成、月刊『進歩』を、自由党機関紙『岡山日報』を支援した。
自由党が分裂すると、日刊「中国民報」(1892年(明治25)を自ら創刊した。同じく翌明治26年に秋山定輔が東京で発行した労働者新聞『二六新報』のスポンサーとなり、創刊にも資金援助した。中国進歩党を結成、31年、国会議員となり七回当選。大正二年桂太郎にくみし、犬養毅と別れる。坂本は秋山とも協力して孫文らの中国革命同盟会にも援助を行っている。同八年に坂本は政界を引退という経歴である。
ちなみに現在の岡山の県紙「山陽新聞」の前身は1879年(明治12年)は「山陽新報」である。1936年(昭和11年)に「山陽新報」と「中国民報」が合併して『山陽中国合同新聞』となる。1948年(昭和23)に『山陽新聞』と改題している。つまり、坂本は山陽新聞につながる経営者なのである。
坂本金弥邸宅で『中国革命同盟会』成立大会を開催す
その坂本は犬養毅、秋山定輔とも行動を共にしており、孫文を支援して、明治三十八(1905)年の支那革命派による東京での『中国革命同盟会』が結成に重要な役割を果たした。
同年七月三十日に、宮崎滔天や末永節らの支援のもと内田良平宅の黒龍会本部で孫文を代表とする『中国革命同盟会』の準備委員会が開かれ、十一月二十日に坂本金弥の邸宅(現ホテルオークラ跡)で『中国革命同盟会』の成立大会が開かれた。
この『中国革命同盟会』に孫文ら広東派の興中会、宋教仁や黄興ら湖南派の華興会、章炳麟ら浙江派の光復会など三百人が入会し、辛亥革命への母体がここに築かれた。つまり、坂本金弥の邸宅が近代中国革命の発祥の地になったといって過言ではない。
坂本と秋山とコンビはその後、桂太郎の『立憲同志会』に入るが、『立憲同志会』の結成資金は坂本が出したという話もある。
『日露戦争が終ると間もなく、秋山定輔は欧州を中心に世界漫遊に出かけまして、帰国後は、日本のアジア政策が転換期に来ておること、孫文を助けて日本と中国は提携を密にしなければならないことを考えて、これを政治活動の目標にしていた』ーとも宮崎竜介は証言している。
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