『明治裏面史』 ★ 『日清、日露戦争に勝利した明治人のリーダーパワー,リスク管理 ,インテリジェンス㊸★『日露戦争開戦の『御前会議」の夜、伊藤博文は 腹心の金子堅太郎(農商相)を呼び、すぐ渡米し、 ルーズベルト大統領を味方につける工作を命じた。』★『ルーズベルト米大統領をいかに説得したかー 金子堅太郎の世界最強のインテジェンス(intelligence )』
2017/07/27
日露戦争開戦の『御前会議」の夜、伊藤博文は
腹心の金子堅太郎(農商相)を呼び、すぐ渡米し、
ルーズベルト大統領を味方につける工作を命じた。
『ルーズベルト米大統領をいかに説得したかー
金子堅太郎の世界最強のインテジェンス(intelligence )』
前坂 俊之(ジャーナリスト)
以下は金子堅太郎の『日露戦役秘録』(1929年(昭和4)>
の紹介である。
<日露戦争の回顧、金子堅太郎講演会(1929年(昭和4)>
ご承知のように 日露戦争のことは、明治37(1907)年二月四日の御前会議においてきまった。二月四日午後三時から明治天皇の御前において、元勲と陸軍、海軍、外務、大蔵の大臣が会議を開いて、日露の交渉はいかなる手段をとっても解決ができない、いわんやこれを円満に解決することはまったくできぬ。われ一歩譲れば彼一歩進む。また一歩譲ればなお一歩進んで際限がない。
このまま推し進めばどこまでおしていってもロシアがわが国の要求に応ずることはないから、やむをえず国を賭して、干支(かんか)=戦争の意味=に訴えてこの日露両国の難問題を解決するほかないという結論に到達して、ついにそのことを陛下に申し上げました。午後六時前にいよいよ日露開戦と御決定したのです。
その晩六時ごろのことです。私の宅に霊南坂の伊藤(博文)枢密院議長から電話がかかって、急に相談がしたいことがあるから即刻きてもらいたいという。日露関係は明治36年冬ごろからだんだん険悪になってきたから、これは何か容易ならぬことが起ったにちがいないと思って、ただちに車を駆って伊藤公の官舎に行った。それは六時半頃でありました。
いつものとおり二階の伊藤公の書斎に入りました。その書斎は真中にテーブルがあって、その向うに伊藤公の安楽椅子がある。テーブルを隔ててこちらに客が座る椅子がある。私が伊藤公の書斎に入ってみると、伊藤公は手をこまねいて下を向いておられる。下唇を深く喰い込んでしきりに小首を傾けて物思わし気に坐っておられる。
私はその前に立って、「ただいま電話でございましたからまかり出ましたが何の御用ですか」とたずねた。しかし一言の返答もない。私も黙ってややしばらくその前に立っておりました。二、三分たってからまた再び「何の御用でございますか。」と言うと、伊藤公は「まァ、椅子にかけたまえ。」こう言われた。私は椅子に腰をかけた。
そうすると伊藤公の言われるには「君は食事はすんだか。」「私は食事はすみました。」「吾輩はまだ食事をせぬから食事をして、それから後に用向をお話ししょう。」と言われた。それから女中を呼んで食事を取り寄せられた。伊藤公の食事は例によってごく質素なものであります。吸物と刺身と何か一つ煮た物がその前に置かれる。
伊藤公が茶碗の蓋を取られたのを私がのぞけば中は白粥(しろかゆ)である。
それから膳の上にのっている食塩を少しその中に入れて箸(はし)でかきまぜて、白粥一椀すすられたのみで、吸物も刺身も煮た物にも箸をつけられない。そうして女中に命じて、それを下げさせる。食事も進まぬとみえる。
私は長く伊藤公の知遇を受けて側近していて親しく知っていますが、国家の重大なる問題が起って非常に憂慮されるときには、必ず下唇を喰い込んで考える癖があった。私はその態度をみてすぐにこれはただならぬ事が起ったのであろうと感じた。食膳を撤した後、傍にあるポートワインをコップについで一杯飲んで、「今日君を呼んだのは外の用ではない、これから急にアメリカに行ってもらいたい。」と、こうだしぬけに私に言われた。
「それはどういう御用でございますか。」
「今日御前会議において日露開戦ときまった。ただいま小村(寿太郎、外務大臣)に命じてロシア駐在の栗野(慎一郎)公使に国交断絶を通知する電報を発したから、明朝は必ずロシアの帝都において国交断絶、開戦の発表になる。ついては君にすぐにアメリカに行ってもらいたい。」
伊藤の懇願を金子は最初は拒否した
私はあまりの突然に驚きました。日露戦役のことは昨今の形勢より察してほぼここに至ろうとは考えておったが、私にアメリカに行けということは思いがけないことであった。
「それは如何なるわけで私がアメリカに行くのですか。」
と尋ねると、伊藤公の言われるには、
「この日露の戦争が一年続くか、二年続くか又は三年続くかしらぬが、もし勝敗が決しなければ両国の中に入って調停する国がなければならぬ、それがイギリスはわが同盟国だからくちばしは出せぬ。フランスはロシアの同盟国であるからまた然りで、ドイツは日本に対しては甚だよろしくない態度をとっている。今度の戦争もドイツ皇帝が多少そそのかした形跡がある。よってドイツは調停の地位には立てまい。ただ頼むところはアメリカ合衆国一つだけである。
公平な立場において日露の間に介在して、平和回復を勧告するのは北米合衆国の大統領の外はない。君が大統領のルーズベルト氏とかねて懇意のことは吾輩も知っているから、君直ちに行って大統領に会ってそのことを通じて、又アメリカの国民にも日本に同情を寄せるように一つ尽力してもらえまいか。これが君にアメリカに行ってもらう主なる目的である」
と沈痛な態度で申されました。
あまりにも唐突でございましたから、私はこれに答えて「まことにこの戦争の終局については御高見のとおりでありましょうが、私は長い間アメリカに留学して、又アメリカにはたびたび行きましたから、アメリカをよく知っているがために、私は今日不幸な地位に立たなければならぬ。私がアメリカの事情を知らなければただちにここでお受けをするかもしれませんが、アメリカの事情を知っているがために私はお断りをいたします。」
「それはどういうわけか。」
「それは閣下も御承知のとおり、アメリカが独立して間もない、一八一二年に英と米との戦の折にはヨーロッパ各国はみな英を助けたが、独りロシアだけは合衆国側に立って影になり日向になり援助したために、あの戦いも相引きになって講和条約ができた。以来、アメリカの人は非常にロシアを徳としている。
その次には一八六一年から六五年まで五ヵ年間続いた南北戦争、これは合衆国の南部と北部とが奴隷廃止のことから兄弟争いをして戦うようになって、非常な激戦であった。そのときにはイギリスは全力を挙げて南方を助け、兵器弾薬はもちろん、軍艦までも造って渡した。かくして北方を圧迫しようとかかったことは、閣下も御承知でありましょう。のみならずアラバマという軍艦を南方に送ってやって、非常に北方の軍艦を荒した。イギリスの艦隊がニューヨーク湾に入って、ニューヨークの市民を恐喝しようとした。
★日本以上にアメリカとロシアとは友好関係にある
しかるにロシアはただちに艦隊を派してニューヨークの港の口に整列させて、イギリスの軍艦が大西洋からニューヨーク港に入ることができぬようにして、イギリスの艦隊の示威運動を阻止した。のみならずロシアの旗艦はただちに小蒸気船をおろして司令長官がこれに乗ってニューヨーク市に上陸し、ただちに市庁に行って市長に会い、わがロシアはイギリスに反して北方を助ける。今日イギリスの艦隊を港口において留めておいた。ロシアは北方に賛成するからその旨を今日ご通知申すと通告した。
それから司令長官が幕僚を率いて馬車に乗ってアメリカの旗とロシアの旗とを持って市内を練り回ってアメリカに同情を寄せた。かくのごとく政治上、アメリカ合衆国はロシアから恩を受けることが多大であった。いまなおニューヨークなりその他のところに、六十三年以前の戦争にロシアの軍艦がニューヨーク港に入ってきて、助けてくれたことを目撃した人が生きている。それゆえにロシアとアメリカとの問は非常に国交が親密である。
以上は政治上、外交上の関係である。次に商業上はいかん。ウラジオストック、旅順等の軍需品、食料品はもちろんシベリア鉄道に用いる鉄道軌道、機関車、貨車は多くはアメリカから供給されている。その他シカゴ・セントポール・ミネアポリス等の貨物はことごとくサンフランシスコ・シャトル・バンクーバーからウラジオストック・旅順に向っている。
商業においてもロシアとアメリカとは密接なる関係がある。なお社交上は如何、米国の富豪は金は沢山持っているが名誉がない。そこでロシアの貴族と結婚している。現に前大統領グラント将軍の長女はロシアの第一公爵の妻になっている。その他シカゴ、ニューヨーク、フィラデルフィアの富豪の娘も、ロシアの貴族と婚姻しているからアメリカ・ロシアの国民は婚姻関係から家族的の親戚になっている。政治上・外交上・商業上・家族上、この四つの密接なる関係がある。
露国とアメリカとはこのような関係があるにかかわらず、関係の薄い日本から私のような者が行って、不可能である。今日は国家危急の際でありますけれども私がアメリカの事情をあまり知っているがために、この任務は到底見込みはない。金子の微力では米ロのこの四つの密接なる関係を打ち砕いて、日本に同情を寄せさせようということは、金子の勢力ではできない。遺憾ながら私は御辞退するほかはございません。」
こう言うと伊藤公は、
「しかし君が行ってくれなければ、この任務を果す者は外にない。」
実際、伊藤公がそう言われた。それで私は、
「それはいけませぬ。」
- ここに鳩山夫人もおられますが -
鳩山和夫君(鳩山由紀夫の曽祖父)もわれわれと同時にアメリカにおった。小村寿太郎君また然り。目賀田種太郎君(国際連盟大使・枢密顧問官、専修学校(現:専修大学)の創始者の一人)もいる。いくらも他に留学した人がありますから、それにお命じになったらよかろう。自分はこの任務を果たすには適任でない。」
とお断りした。
そうすると伊藤公が言われるに
「それは皆それぞれ立派な人にちがいないけれども、ルーズベルト氏との関係は君が一番親密だ。君の外にない。君が行かなければアメリカはとり逃がす。」と言われた。私は、
「それはそうかもしれませぬ。しかしこの大任に当る適任者がたった一人日本に在る。誰かというと、それは閣下である。閣下は明治初年アメリカに行って、貨幣制度の改革から、各省の官制の改革について取調べをされた関係からアメリカ人は閣下を日本の建設者として尊敬している。閣下がこの任にお当りなされるならば、右の四つの米ロの関係を打ち砕いて、アメリカをして日本に対して同情を寄せさせることは受合いである。」
と、こう私は断言しました。ところが伊藤公が言われるに、
「僕が行かれれば君には頼まない。僕は今日御前会議でいよいよ日露開戦ときまったときに、陛下から伊藤はわが左右を離れては困る。この日露戦争中は伊藤をわが左右に置いて、すべてのことを相談をするから、海外に行くことは相成らぬという御沙汰があったから、僕は行きたくても行けない。」
「さようでございますか、お言葉によれば御渡米のできぬことはごもっともである。しかし私がいかほど粉骨砕身してもこの任務は成功の見込みがない、成功の見込みのないのに私がお受けして行ったところがただ使命を汚すのみです。どうか他人にお命じ下さい。」
と固辞した。
日露戦争に勝てる見込みはないーと伊藤
ところが、伊藤公いわく、
「君は成功不成功の懸念のために行かないのか。」
「さようでございます。」
「それならば言うが、今度の戦については一人として成功すると思う者はない。陸軍でも海軍でも大蔵でも、今度の戦に日本が確実に勝つという見込みを立てている者は一人としてありはしない。この戦を決める前にだんだん陸海軍の当局者に聞いてみても成功の見込みはないという。しかしながら打ち捨てておけばロシアはどんどん満洲を占領し、朝鮮を侵略し、ついにはわが国家を脅迫するまでに暴威をふるうであろう。
事ここに至れば国を賭しても戦うの一途あるのみ。成功不成功などは眼中にない。かく言う伊藤博文のごときは栄位栄爵、生命財産は皆、陛下の賜物である。今日は国運を賭して戦う時であるから、わが生命財産栄位栄爵ことごとく陛下に捧げて御奉公する時機であると思う。吾輩といえども成功の見込みはない。君の栄位栄爵財産生命もまた博文と同じく、陛下の賜物ではないか。ゆえに君も博文と共に手を握ってこの難局に当ってもらいたい。
かく言う伊藤はもしも満洲の野にあるわが陸軍がことごとく大陸から追い払われ、わが海軍は対馬海峡でことごとく打ち沈められ、いよいよロシア軍が海陸からわが国に迫ったときには、伊藤は身を士卒に伍して鉄砲をかついで、山陰道か九州海岸において、博文の生命のあらん限りロシア軍を防ぎ敵兵は一歩たりとも日本の土地を踏ませぬという決心をしている。昔、元冠のときに北条時宗は身を卒伍に落して敵と戦う意気を示した。そうしてそのとき妻にどう言ったか『汝も吾とともに九州に来れ。そうして粥を炊いて兵士をねぎらえ』と言った。今日伊藤も、もしその場合になればわが妻に命じて、同じ事を言うであろう。博文は鉄砲をかついでロシアの兵卒と戦う。かくまで自分は決心している。
成功、不成功などということは眼中にないから、君も一つ成功・不成功をおいて問わず、ただ君があらん限りの力を尽くして米国人が同情を寄せるようにやってくれ。それでもしアリカ人が同情せず、又いざというときに大統領ルーズベルト氏も調停してくれなければ、それはもとより誰が行ってもできない。かく博文は決意をしたから、君もぜひ奮発してアメリカに行ってくれよ。」
と満腔の熱誠をもって説かれた。
☆金子サムライ外交官は『スピーチ、リベート決戦」に単身、渡米す。
そこで私もその熱誠に動かされて、
「よろしうございます。そこまで閣下の御決心を伺えば成功不成功は決して問うところではございません。三寸の舌のあらんかぎり各所で演説をしてまわり、三尺の腕の続くかぎりは筆をもって書いて、そうして旧友と日夜会談して及ぶだけの力を尽くしましょう。それは閣下の御希望通り目的を達しなければ金子の不徳、金子の無能と御承知願いたい。国を賭しての戦であるならば金子は身を賭して君国のためにつくしましょう」
と言いました。
かく私が承諾をするや伊藤公はただちに電話をもって桂総理大臣を呼び出して、ただいま金子がいよいよアメリカ行を承諾してくれたから、なお委細、金子と相談してもらいたいということを通達された。そこで私は桂(太郎)総理の官邸に行って桂に向かい、
「ただいま伊藤公から御前会議の決議で、吾輩にアメリカに行けということになったことを聞き再三辞退したけれどもぜひ行けと、懇々言われたにより承諾したが、成功するものと総理が吾輩に望んでもらっては困る。その理由は伊藤公から聞いてくれたまえ。」
と言いますと桂は、
「それは無論だ。君が米国に行けば彼の国におけることは君に一任する、これで俺も安心した。しかし外交のことは小村君に会って詳しく聞いてくれろ。」
よって私は外務省で小村大臣に会って、日露の交渉の初めから今日開戦にいたるまでの沿革を聞き、また緊要なる書類をもらった後、小村大臣に向かい、
「吾輩が米国に行く以上は、政府からいちいちこうしてくれろ、ああしてくれろと指図は御免こうむりたい。わが輩は自分の考えをもって働く。そのことは伊藤公にも懇々言っておいた。」
と言うと、
「君に一任する以上は、君の自由の行動に任せる。」と小村大臣が言った。
これより先、私が桂総理大臣に面会してアメリカに行くことを承諾したる由を告げたるとき、桂総理は、
「今回渡米するについては特命全権大使という名前をやってもよい。枢密顧問官に任じてもよい。そのほかいかなる官職でも希望があれば君にやってよい。」と言われた。
当時私は内閣を去って在野の人となり一個の貴族院議員たるにすぎなかった。しかし桂総理がいかなる官職でもやるといったのを断ったのである。
その理由は吾輩がもし官職を持って米国に行けば、金子の行動は政府からの訓令である。彼の演説は政府の命令である。吾輩のすることはすべて政府の差金より出たということになる。外国人と会っていろいろ議論したとき、もし私が言いすぎるか、ロシアを攻撃することが激甚であったときには、すぐ日本政府にその影響がある。
もし私が官職をもっておれば必ず政府に累を及ぼすから、私は無官の一人として米国に飛びこむ。しからば吾輩のすること、言うこと、ことごとく吾輩のみの責任に帰しけっして政府に迷惑がかからぬ。それゆえ万事、吾輩に一任してもらいたい。と、こう言った時、桂総理が、
「それじゃよろしい、官職もいらぬならやらぬが米国にて新聞を買収するか又は記者を操縦するための費用は十二分君に支給しよう。」
「それもお断りする。もし一、二の新聞を買収するか、一、二の記者を操縦するときは他の新聞は連合して反対し、かえって不利を招くゆえに、新聞に対しては一視同仁、誠意をもって待遇せんと欲するから僕は費用は一文もいらぬ。」
と言いますと、桂総理は、
「それなら万事君に一任する。」と互いに協定した。
◎児玉源太郎の勝つ見込みは・・「陸軍4分6分、海軍5分5分」であった。
桂総理、小村外務と会見の後陸軍に関することを聞こうと思って寺内(正毅)陸軍大臣の官舎に行った。たまたま山県(有朋)元師も来ておられて寺内と何か話の最中に私が行ったので
「御両君、お揃いのところでなお結構である。私はいよいよアメリカに行くことを承諾しました。」
「それは大変ご苦労だ。」
「私はご苦労も何もかまいませぬが、一体陸軍はどうなさる。」
私から陸軍の軍略を聞くべきことでもないけれども、この場合単刀直入に
「一体陸軍はどうですか、勝つ見込みはありますか。」
と山県さんと寺内大臣に聞いた。ところが山県さんは、
「それは向うの参謀本部に児玉源太郎氏が調べておって、あれがすっかりその方の計画をしているから、あそこに行って児玉に会ってくれ。」
「それならばよろしゅうございます。」
と陸軍大臣の官舎を辞して参謀本部に行った。ところが児玉大将は部屋の真中におって、大勢の幕僚を集め地図を広げたり、いろいろの書類を開けたりして研究をしているところであった。
「君がアメリカに行くということを聞いて大いに安心した。」と言う。
「君は僕がアメリカに行くから安心したと言うが、僕がアメリカに行けばこの戦が勝てるか、君に聞くことがある。」
それから児玉は幕僚に皆あちらにいくように遠ざけた。そこで再び、
「君は僕がアメリカに行くから安心したと言うが、僕は一こう安心できない。ただいま山県さんに聞けば、君がすべて陸軍のことは計画していると言われたが、一体勝つ見込みがあるのかどうか。第一にそれを聞きたい。」
と単刀直入に尋ねた。こういうときに手早い話でないと間に合わぬ。いちいち大官に伺いを立てるというようなぐずぐずしたことはしておられない。すると児玉が言う、
「そのために僕は着の身、着のままでカーキ色の服を着て、兵卒の寝る寝台に赤毛布をひっかぶって寝て、この参謀本部で三十日も作戦計画をしているのだ。」
「ああそうか、そうして見込みはどうか。三十日の結果はどうか。」
「さあ、まあ、どうも何とも言えぬが五分五分と思う。」
「そうか。」
「しかし五分五分ではとうてい始末がつかぬ、解決がつかぬから、四分六分にしようと思ってこの両三日非常に頭を痛めている。四分六分にして六ペん勝って四へん負けるとなれば、そのうちに誰か調停者が出るであろう。
それにはまず第一番目の戦争が肝要だ。第一の戦に負けたら士気が阻喪してしまう。
だから第一番に鴨緑江辺の戦でロシアが一万でくればこちらは二万、三万でくればこちらは六万というように倍数をもって戦うつもりで、いまちゃんと兵数を計算し、兵器、弾薬を集めてその用意をしている。いったん倍数をもって初度の戦に勝てば日本の士気が振ってくる。しかしもしこれに負けたら、士気が阻喪するからいま折角その計画をしている。」
「そうか、それでは僕がアメリカに行ってーニーヨークで大講堂で、日本に同情を寄せよ、ロシアは実にけしからぬ国である、日本は国を賭して戦っているという大雄弁をふるっている最中に、日本の負け戦という電報は四度くるね。」と言ったら、「それは仕方がない、しかしその代り僕が君に六ペん勝ち戦の電報をやるようにするからそのつもりでいたまえ。」
「それじゃ六ペンだけは勝ち戦さ、四へんだけは負け戦さで、僕が大雄弁をふるっている最中、四へんは負け戦さの電報を聞き、こそこそと裏のドアから逃げねばならぬね」
と言ったくらいでありました。
と言ったくらいでありました。
それからここを去って海軍省に行って、山本(権兵衛)海軍大臣に会い、ただいま、山県、寺内、児玉氏らに会って陸軍の方のことを聞いてきたが、君の方の海軍は勝つ見込みはあるかと聞いた。すると、
「まず日本の軍艦は半分沈める。その代りに残りの半分をもってロシアの軍艦を全滅させる。僕はこういう見当をつけている。」
「そうすると海軍のほうはよほど陸軍より良いほうだね。児玉はこれこれ言った。」と言うて、さきの児玉の談話を話した。
「そうか、僕のほうはそのつもりで半分は軍艦を沈める、又人間も半分は殺す故に君もアメリカにおいてどうかそのつもりでおってくれ。」
と言って互いに手を握って山本海軍大臣に別れを告げた。
これが当時の日本政府の当局者の考えであった。このことはあまり人には言わなかったが、あの連戦連勝の電報を見た国民は最初から勝つ、最初からこのとおり思っておっただろうが、それは大間違いで、政府当局者はいま言うように、陸軍は四分六分、海軍は半分の軍艦を沈める、伊藤公は負ければ身を卒伍に落して兵隊とともに戦うというのが当時の実情であった。かくのごときありさまが日露戦争の初めであったが、その後ああいう好い結果を得ようとは誰も思っておらなかった。
つづく
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