名リーダーの名言・金言・格言・苦言・千言集⑤★☆『熱心な素人は玄人に優る』田路舜哉(住友商事初代社長)ほか8本
<名リーダーの名言・金言・格言・苦言
・千言集⑤> 前坂 俊之選
◎●『世の中バカになり切って、やるだけの
ものをやる奴ほど強い奴はいない』
ものをやる奴ほど強い奴はいない』
松永 安左衛門(電力の鬼)
世の中、おかしなもので、同じ程度の利口の場合、利口そうな顔をしている方を利口そ
うに思い込み、バカな顔をしている方をバカと思い込む。これは大間違いだ。初めは化け
の皮がはげないが、そのうちはげると、利口そうなヤツは「案外バカな奴」と評価を下げ
るし、逆に、バカな顔をしていた者は「案外こいつ利口だな」と評価が上がる。
バカが利口になり、利口者がバカに逆転するのだ。逆に言えば、この世はすべてバカば
かりである。利口も一種のバカである。それを承知で、バカになり切れる者が数少ない利
口である。人をバカにしたがる奴と、バカにされることを気に病む者とがいる。いずこも
バカな話だ。元来、バカな奴になり切れない。バカにされても、バカにはならず、知恵が
あって、うんとバカになり切った奴は、とても始末におえるものじゃない。
◎●『すぐ役立つ人間はすぐ役立たなくなる』
藤原 銀次郎(王子製紙創業者)
杉は丸太になるまでに三十年かかるという。さらに、板をとれるまでに最低五十年とい
う。ヒノキは板がとれるまでに百年。お寺や神社を建立する時の建材になるまでには、三
百年から五百年は待たなければならない。それだけの時間と年輪を経た用材を使った建築
は百年、二百年はビクともしない。木の世界は即成を排した世界である。
「一年の計は穀物を植えるにあり、十年の計は木を植えるにあり、さらに一生の計は人
を育てるにあり」との言葉があるが、木を育てる以上に難しいのが人材の養成である。
本当に役立つ人間は、インスタントに出来るものではない。十年二十年という長い年月
と忍耐、努力が必要だ。インスタントラーメンのような人物は世の中で役立たないし、世
の中に、真に役立つ骨太な人間は一見不器用であり、年輪をじっくりと積み上げていく努
力と忍耐が欠かせない。
★☆『熱心な素人は玄人に優る』
田路 舜哉(住友商事初代社長)
住友は三井、三菱と違って大正九年(一九二〇)に総理事・鈴木馬左也が『住友は絶対
に商事をやってはならぬ』と“商事禁止令”を出していた。
これが住友の不文律となっていたが、敗戦後、吉田俊之助・総理事の決断で商社の設立
に踏み切った。当時、住友在籍の従業員は二十万人で、就職口を増やすのが先決であった
。
日本建築産業(住友商事の前身)の責任者には田路舜哉が就任、約七百人の社員が住友
や関連会社から入ってきた。この素人集団に田路はいつも「熱心な素人は玄人に優る」「
前だれがけの商人になれ」とハッパをかけ、この言葉が会社のスローガンになった。
商事は住友内の“異端児”としてのスタートだけに、常に拡大戦法をとり、あらゆる分
野に積極的にうって出た。
「将来のためになると思えば、多少のリスクをおかしてもやれ」と。昭和二十年に船出し
た住商は二十六年には年間売上高で業界十六位、三十二年には八位に急成長した。
◎●『声なくして人を呼ぶ』
岩井 勝次郎(岩井産業=日商岩井初代社長)
貿易商として成功した岩井はその秘訣について「先方を第一に考えること、なるべく先
方に儲けさせることです」という。先方で儲かりさえすれば、アフリカの山奥からでも注
文はくる。先方が儲からなかったら、上海からもロンドンからも注文はこない。
岩井は子供のころに『声なくして人を呼ぶ』ことこそ商売人として忘れてはならない、
とよく聞かされた。
よい物を安く売っておれば、裏通りで売っていても、人は買いに来る。粗末なものを売っていたら、
銀座の真ん中で売っていても、だれも買いにこない。これを商売人は一日も忘れてはならない。
よいものを安く売ること、与えて取ることが大切なのである。
銀座の真ん中で売っていても、だれも買いにこない。これを商売人は一日も忘れてはならない。
よいものを安く売ること、与えて取ることが大切なのである。
貿易は手数料とか、口銭とかを目的にして行うのが本筋である。人によると、相場で儲
けるとか、不当な利益を取るというような考え方もある。しかし、貿易商は信用が何より大切で、元をなすものである。
◎●『商売は二度の商いをしてはいけない』
小菅 丹治(伊勢丹創業者)
小菅は口をすっぱくして「二度商いをしてはいけない」と言っていた。二度商いとは
“掛け売り”することであった。こうすると、売ったつもりが、入金するまでは金が入ら
ない。結局、二度商売をすることになるので、ムダが多いという意味である。
明治には越後屋(三越)をはじめ、呉服屋のすべてが“現金正札付掛値なし”とうたっ
ていたが、実際は看板倒れで、その通り守っている店は少なかった。その中で、伊勢丹は
これを忠実に実行した店の一つであった。伊勢丹が急速に繁盛に向かった要因はこの“現
金正札付掛値なし”の実行にあった。
商品の仕入れについても、現金取引を実践、よい商品をいかに安く仕入れるか苦心した
。しかも、丹治は仕入れについても、できるだけ値引きさせるというガメツイ方針はとら
なかった。「商売というものは一人角力はできないものだ。仕入先を大切に。よき仕入方
は優れた人格者であれ」とも指導していた。
★☆★『難あり、有難し』
田嶋 一雄(ミノルタカメラ会長)
ミノルタは戦前は海軍向けの双眼鏡製造を行い、戦後、再びカメラの生産に取り組み、
いくたの困難、試練を乗り越えてきた。
一九六五年(昭和四十)の不況はその中でも大きな試練の一つであった。カメラ業界も
不況の直撃を受け、一眼レフで立ち遅れていたミノルタは二年連続の無配に転落した。田
嶋は高級一眼レフの開発にハッパをかけ、営業拡大に懸命に努力した。業界で不況カルテ
ルを結び、トンネルを何とか脱出した。
そうした難局にぶつかり、それを突破していくことが飛躍の糧になる。田嶋は苦境に直
面するたびに、この言葉を毛筆にしたため、胸に刻んで奮起してきた。難はないにこした
ことはない。
しかし、困難にぶつかり、それを必死に戦って克服すると、何ごとにもかえ
られない喜びと自信がわいてくる。喜びは次の新たな飛躍の糧になり、自信は難局を乗り
越える原動力となる。困難こそ有難いことなのだ―体験から確信した言葉である。
◎●『あらゆるいばらの道を切り開き、だれも手
がけない新しい創造に取り組め』
がけない新しい創造に取り組め』
井深 大(ソニー名誉会長)
1952年(昭和27)、アメリカへ視察旅行に行った井深は、そこでトランジスタの特許使用を認める情報をつかんだ。
当時、トランジスタは話題にはなっていたが、ラジオと結びつけて考える者はいなかっ
た。トランジスタはまだまだ未知の合金であり、企業化には相当の研究を必要とし、主な
原料のゲルマニウムはたいへん高価であった。
しかし、彼はひるまず技術者に情報を収集させ、検討を重ねた。試作品ができると井深
自身が丹念に検討し、厳しく改良・改善の注文を出した。そして、昭和二十九年トランジ
スタラジオの試作に成功した。
◎●『失敗するは我にあり』
松下 幸之助(松下グループ創業者、現パナソニック)
商売は成功することもあれば、失敗することもある、とよく言われる。だが、私はあえ
てそういう考え方を否定してきた。商売というものは本来、「百戦して百勝するが当然」
という固い信念を持って、経営を押し進めてきたからである。
早い話、武芸者が立ち合って、一度斬られればそれでおしまい。商売も同じことで、常
に真剣勝負の覚悟を持ってことにあたらなければならない。
その場合、最も心掛けるべきは「良くも悪くもすべては、自分の責任である」と考える
ことである。業界の環境が悪いから、儲からないとか、社員のせいや取引先のせいなど、
他に責任を転嫁するような態度は、経営者として絶対に戒めるべきである。
うまくいったときは、自分の手腕だと思い込み、逆につまづいたときは、運が悪かった
などといって自己弁護する。これは何も経営者だけとは限らない。会社の部課長クラスの
人もやはり心掛けるべき大事なことだと思う。
関連記事
-
-
『オンライン/新型コロナパンデミック研究』★『新型コロナと世界の沈没②―コロナ共存社会は数十年続く』★『コロナ感染者、世界で2000万人突破(8月15日)』★『米中対決のエスカレートは加速一方』★『大国の興亡」の歴史、覇権国の行方は?』★『『3ヵ月をきった米大統領選挙の行方』』
前坂 俊之(ジャーナリスト) 米中 …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(311)★『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』㉞ 『自立』したのは『中国』か、小国「日本」か」<1889(明治22)4月6日の『申報』☆『日本は東洋の一小国で.その大きさは中国の省の1っほど。明治維新以後、過去の政府の腐敗を正し.西洋と通商し.西洋の制度で衣服から制度に至るまですべてを西洋化した。この日本のやり方を,笑う者はいても気にかける者はいなかった』
2014/08/11 /中国紙『申報』から …
-
-
★『 地球の未来/世界の明日はどうなる』 < 米国メルトダウン(1053)> 『パリ協定を離脱した米国の孤立化』★ 『トランプの連続オウンゴールで中国が『漁夫の利』を占めた』●『PM2.5などの大気汚染、水質汚染、土壌汚染、汚染食物など史上最悪の 『超汚染環境破壊巨大国家」中国に明日はない。』
★『 地球の未来/世界の明日はどうなる』 < 米国メルトダウン(1053)> …
-
-
★『 地球の未来/世界の明日はどうなる』 < チャイナ・メルトダウン(1056)>『中国政府を批判し有罪となり、服役中にノーベル平和賞を受賞した人権活動家の劉暁波氏が7月13日、肝臓がんのため中国・瀋陽の病院で亡くなった。』★『日清戦争の原因の1つとなった「金玉均暗殺事件」はこの中国の人権弾圧、テロ国家の体質から生まれた、同じケースである』
『 地球の未来/世界の明日はどうなる』 < チャイナ・メルトダウン(1056) …
-
-
『Z世代のための日中関係/復習講座』★『現代中国の発端となった辛亥革命(1911)で国父・孫文を全面的に支援した犬養毅、宮崎滔天、秋山定輔、梅屋庄吉』★『東京で中国革命同盟会が発足』
2010/06/25   …
-
-
日本メルトダウン( 972)『トランプ大統領ショックの行方!?』―『安倍首相とトランプ氏、17日初会談=日米関係強化で一致』●『米、TPP承認見送りへ「年内審議ない」』●『トランプ氏勝利で日本の通商戦略は崖っぷち TPP漂流視野 (1/2)』●『トランプ氏勝利 日本政府「誰がキーマン?」 パイプ細く関係構築急ぐ』●『 トランプ経済は、実は「大化け」の可能性を秘めている!』●『【トランプ勝利の7つの波紋】』
日本メルトダウン( 972) トランプ大統領ショックの行方! …
-
-
『明治裏面史』 ★ 『日清、日露戦争に勝利した明治人のリーダーパワー,リスク管理 ,インテリジェンス㊸★『日露戦争開戦の『御前会議」の夜、伊藤博文は 腹心の金子堅太郎(農商相)を呼び、すぐ渡米し、 ルーズベルト大統領を味方につける工作を命じた。』★『ルーズベルト米大統領をいかに説得したかー 金子堅太郎の世界最強のインテジェンス(intelligence )』
日露戦争開戦の『御前会議」の夜、伊藤博文は 腹心の金子堅太郎(農商相)を呼び、す …
-
-
『オンライン/日本史戦争500年講座』★『太平洋戦争と新聞報道』<日本はなぜ無謀な戦争を選んだのか、500年の世界戦争史の中で考える
再録『世田谷市民大学2015』(7/24)- 『太平 …
-
-
昭和外交史⑤ 日本の一番長い日 海軍省・軍令部 の最期
1 昭和外交史⑤ 日本の一番長い日 海軍省・軍令部 の最期 <米内海相、不退転の …
-
-
『私が私が尊敬した日本人列伝①』★『正義を希求し「死刑と冤罪(司法殺人)と人権擁護で命をかけた正木ひろし弁護士をしのんで』★『その生涯と追憶、著作目録など』
「正木ひろし弁護士をしのんで」 その生涯、追憶、著作目録。及び参考文献 &nbs …