日本経営巨人伝②・藤田伝三郎ーー明治期の関西財界を興した大実業家
日本経営巨人伝②・藤田伝三郎
明治期の関西財界を興した男・藤田伝三郎』
<新刊『『藤田言行録(藤田伝三郎)』(岩下清周著 大正2年) 定価(本体8000円)
前坂俊之解説 大空社>
前坂俊之解説 大空社>
前坂 俊之
(ジャーナリスト)
明治政府は、薩長土肥などによる藩閥政府によって動かされた。これに実業家がつながって政商となり、明治初期の資本形成による財閥へと発展していくが、その代表例が土佐藩の三菱創始者岩崎弥太郎である。薩摩閥では大久保利通と結びついた五代友厚であり、長州閥を代表する政商が藤田伝三郎である。
明治期の人物評伝の第一人者・横山健堂は藤田の大阪財界における地位についてこう書いている。
「東京の政治家と、大阪の実業家とは、天下を二分しておのおのその一を保っている。そして大阪の実業家を代表するものは藤田伝三郎である。彼は人格の大なることにおいて、何人をも凌駕する。
けれども藤田は更に語らない、気略を新聞や雑誌に吐かない。深沈にして不言実行の雄たるにおいて、天下の名物なるのみならず、実に理論的な東京式に対して、大阪を代表するものといっていい。彼の風貌はいたっての小男で、髭がない。腰の低い、物柔らかな男である。そしてどこまでも小気味のよいほど度胸の大きな点にお
いて、大阪商人の代表者たるを失わぬ。」(『新人国記』明治44年、敬文館)
いて、大阪商人の代表者たるを失わぬ。」(『新人国記』明治44年、敬文館)
確かに、横山の書く通り明治中期に、財界に占める藤田伝三郎の藤田組の地位は高いものがあり、「1889(明治22)年末の資本金50万円以上の事業法人は19社だったが、このうち藤田姐とその関係会社は6社(藤田観・日本土木会社・内外用達会社・大阪紡績会社・大潮汽船会社・阪堺鉄道会社であった」。(佐藤 英達著『藤田組の経営者群像』中部日本教育文化会 2008年刊)と指摘している。
藤田伝三郎は天保十二年(一八四一)、長州藩で酒造業を営む藤田右衛門の四男に生まれた。16歳で長兄が投げ出した醤油醸造業を引き受けて独立、三年間で建て直した。その後、国事に奔走し元治元年(1864)、京都で志士として働いた。藩内では勤皇派として活躍、隣家で3歳年上の高杉晋作が組織した奇兵隊に参加し山県有朋や井上馨らとも知り合った。(この奇兵隊で活躍した点については佐藤前掲書は奇兵隊とは関係せずと一切否定している)
明治新政府となり、奇兵隊のメンバーはいずれも出世したが、伝三郎はその功績が認められず不満で離れて大阪へ向かった。この途中で幕府の上級武士の斉藤辰吉と知り合う。明治維新後、斉藤は中野梧一と名を改め、明治十年に山口県令になった。落魄の身だった伝三郎は再度、中野にあって発奮し大阪へ赴いて実業に志したと-伊藤痴遊は書いているが、そのあたりの真偽は不明である。というのは伝三郎の前半生に不明の点が多いからで、大阪へやってきて製靴業をはじめた。
当時、陸軍は輸入した靴を兵隊に支給していたが、高価なため国産に切り替えを検討していた。兵部大丞の山田顕義は松下村塾出身で伝三郎の先輩に当たり、この伝手で軍用品の製造や製靴業に乗り出した。
さらに大阪鎮台の新司令官となった島尾小弥太少将は、同じ奇兵隊の出身。その矢先に明治10年西南戦争がはじまり、維新後、すっかり沈滞し切っていた大阪経済が、一挙に息を吹き返した。
伝三郎は中野と組んで征討軍の物品調達を引き受け、軍靴はむろんのこと軍服や軍靴、軍服のほか軍食糧、人夫、軍夫の請負、周旋で行い大いに儲けた。西南戦争による戦争成金では東の三菱創始者の岩崎弥太郎が政府から新式の汽船を十隻も買ってもらい、財閥への基礎を築いたが、西の横綱は藤田伝三郎で、「月収わずか五円の時代に三百万の巨富がフトコロに転がり込んだ、と言われる。
いまの貨幣価値に換算すると、ざっと2000億円以上にのぼり一躍、戦争成金のわが世の春を謳歌していた時、突然、事件が藤田を襲った。このぼろもうけが恨みを買って、薩摩閥からの攻撃、贋札事件が起こった。
西南戦争が終結した間のない明治十年十二月、大阪、京都など関西各県で精巧な二円紙幣の贋札が次々にと見つかった。
警視庁が捜査すると、元藤田組の雇い人が、犯人は藤田伝三郎で「井上馨と共謀して、渡欧した井上にドイツとフランスで贋札をつくらせ、井上参議御用と記した公用行李に仕立てて、日本へ送らせた。税関はフリーパスなので、藤田組にはいり、紙幣数万円をたしかに見ました」と自白した。
西南戦争が終結した間のない明治十年十二月、大阪、京都など関西各県で精巧な二円紙幣の贋札が次々にと見つかった。
警視庁が捜査すると、元藤田組の雇い人が、犯人は藤田伝三郎で「井上馨と共謀して、渡欧した井上にドイツとフランスで贋札をつくらせ、井上参議御用と記した公用行李に仕立てて、日本へ送らせた。税関はフリーパスなので、藤田組にはいり、紙幣数万円をたしかに見ました」と自白した。
明治十二年(1879)九月十五日、この自供に基づいて、警視庁は大阪周一丁目の大邸宅で藤田伝三郎を偽札発行の容疑で逮捕した。同時に藤田鹿太郎、中野梧一、藤田辰之助らも捕まり、東京へ移された。
警視庁は川路大警視以下、薩摩閥に凝り固まっており、ライバルの長州勢の追い落としをねらって強引に事件だと見られている。藤田に対しては木戸孝允、井上馨、鳥尾小弥太たち政府高官との関係が執拗に追及されたが、藤田は「贋札づくりの根拠とその証拠を示せ」と容疑を全面否認した。
結局、警視庁の必死の捜査にもかかわらず、藤田組の帳簿を調べても証拠類は一切でず、自宅やその関係先からは、一枚の贋札も発見されず、藤田らは全員無罪放免となった。藤田の事件をタレ込んだ元藤田組の雇員は懲役七十日の罪に処せられた。強引に指揮した警視庁捜査主任ら2人は免官となって事件は落着した。
このニセ札事件は明治15年(1882)になって、熊坂長庵という男が捕まり、神奈川県愛甲郡の熊坂の自宅から、贋札八百十五枚と贋造用具がみつかって、真犯人と断走された。
ところで、藤田の経済活動については次の通である。
その後、偽札事件に連座した中野梧一は、新設間もない大阪商法会議所の副会頭に専任され大阪財界のリーダー一人となったが、明治十六年九月、大阪の自宅で自殺した。一方、藤田伝三郎は実業家として大いに手腕を発揮して財界トップに躍り出る。
明治十四年になると、初代会頭五代友厚の後継者となり藤田は会頭に就任して、関西財界のリーダーの一人となった。長州閥の重鎮で藤田とも深いつながりのあった井上馨が、明治六年大蔵大輔の職を辞し、野に下って千収杜をはじめた。社長は益田孝だが就いたが、大阪方面の頭取には藤田がなった。この千収杜は井上が政府に復帰すると、すぐ解散してしまう。
明治11年頃から工業が発達にともない硫酸の需要が増加したため伝三郎は、中野と共同で、明治十三年三月、資本金十万円で大阪硫酸製造会社を創設し同社は業績を順調にのばして、硫酸を中国へ輸出するまでに発展させた。
明治初期の日本は殖産振興の一環として機械産業を西洋から移入して、軽工業を興そうとした。明治十二年頃には巨額の綿糸を輸入しており、輸入品総額の半分以上を占めていた。そこで、渋沢栄一、松本重太郎らと共同で藤田は、大阪に紡績全社を設立するため英国留学中の山辺丈夫に依頼して洋式紡績機械の輸入とイギリスの紡績の研究を命じた。
明治15年(1882)、日本初の本格的な紡績会社として資本金二十万円で大阪紡績会社(東洋紡の前身)が創設されて、藤田はその頭取におさまった。
先見の明のあった伝三郎は、鉄道時代の幕開けに一早く対応し鉄道事業計画に乗り出した。当時、民間の交通事業は鉄道馬車や汽船が主だったが、鉄道の将来性を見込んだ藤田は松本重太郎とともに堺と大阪を結ぶ阪堺鉄道を計画、明治十七年(1884)には軽便鉄道敷設の認可を得て、資本金二十五万円で会社を設立した。これが現在の南海鉄道株式会社の前身である。
この阪堺鉄道についで神戸-姫路間の鉄道建設の創立委員長となり、二十一年に神戸-姫路間が落成した。
以上時系列的に、藤田の事業経営を見てきたが、なんといっても伝三郎の実業活動の最大で中心的なものは藤田組である。
明治14年に伝三郎、鹿太郎、庄三郎の三人の兄弟が共同出資による藤田組を作った。創業期の藤田組は、土木業、用達業(労働者、資材の搬入、用達、荷役全般、その他軍靴製造業)を営んでいた。そして、明治12年末に伊加利炭鉱(福岡県田川郡)、翌13年には、市ノ川鉱山(愛媛県)を獲得し鉱山業へ進出した。明治20年に土木業、用達業を分離し、これ以降の藤田組の事業は、小坂鉱山などと児島湾干拓事業体などの農業に重点を置いた。それでも、藤田組はなお生糸(1891年に撤退)や石炭の売買など、商社的な幅広い雑多な事業を行なっていた。(佐藤前掲書)
藤田組の事業のメーンとなったもう1つが小坂鉱山の経営である。小坂鉱山は、明治17年に官営払下げで、藤田組の事業となった。名目上は伝三郎の実兄の久原庄三郎が名義人であったが、黒字事業であった。小坂鉱山は斜陽化した老朽鉱山だったが、新鉱床の発見、合理化、坑夫の賃金カットなどによって利益を出し続けて、藤田組にとって大きな収益源となった。
伝三郎の甥にあたる久原房之助がこの鉱山の経営に当たり、その後の久原財閥を形成していくことになる。
もう1つ、藤田が生涯かけて取り組んだのが児島湾の干拓である。佐藤前掲書によると、もともと児島湾干拓事業は、オランダ人のお雇い外国人技師のムルドルの計画に基づいて、約7000ヘクタールの児島湾のうち約5400ヘクタールを干拓する予定で、計画は8期工事に分けて、明治期には1・2期工事のみが行われた。
第1期は、約466ヘクタールで明治38年竣工し、第2期は約1230町歩で45年の竣工であった。周辺の地元対策などが必要で、実際に干拓工事に着手したのは32年のことで、実に15年がかりの地元対策と政官界工作を必要とした。
入植が本格化したのは37年だが、当初の数年間は干ばつなどで収穫がなく、明治期を通じて収益への寄与はほとんどなかった。
この大事業に取り組んだ藤田組の出費は大きく工事費用に約100万円、地元対策費などに数十万円を要した。藤田組の経営危機を打開するために、毛利家からの融資を受け明治36年のその残高は約225万円にのぼった。つまり、児島湾干拓事業への投資は完全に失敗だったのである。
藤田が三井、三菱、住友などの財閥を志向せず、なぜ児島湾の干拓にのめり込んだのかといえば「多くの小作人を従え広大な土地を保有する大地主化、あるいは江戸時代の大名のような領主化を目指すことにより大きな関心があった藤田のパーソナリティーの問題だ」との佐藤の指摘はなかなか鋭い。
関西財界の中心として活躍した伝三郎は、多くの人材を育てた。北浜銀行頭取の岩下清周、三井の大番頭の中上川彦次郎、大阪毎日新聞(現・毎日新聞)の創業者・本山彦一、その後、久原財閥を作った怪物、久原房之助、鮎川義介など錚々たる逸材である。
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